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父さん、母さん。私は本当にダメな息子です。大学に入ってから、隠し事が増えました。帰省のときにその事実を話すことが出来なかった私を許して下さい。
父さん、田舎のしがない公務員の父さん。
貴方の息子は、世界屈指の名門大学に入ることが出来ました。そのことを「マジかコイツ」とでも言いたそうな目で見ていた事を覚えていますか。私は鮮明に覚えています。親としてその反応は一体どうなんだろうかと思った私は悪くないと思います。
合格祝いにご馳走してくれた寿司が回転寿司だったのも覚えています。私は正直、もっと高い物を食べさせて頂けると思っていました。ですが、何から何までお世話になっている父さんに、そんな事は言えませんでした。むしろ、常日頃から感謝しています。ただ、合格祝いの次の日に、新しいゴルフクラブが配達で届けられたのを見た私が、なんとも言えない感傷を抱いたことは今ここで明言しておきたいと思います。
できれば、妹の合格祝いには私より高いところに連れていってあげて下さい。切なる願いです。
さて、本題になりますが、私は父さんに対して隠し事をしていました。
話は至極簡単なのです。貴方が熱狂的なアイドルのおっかけという事実が、私の黙秘につながりました。アイドル狂信者に告げる勇気は私にはなかった。
貴方は私が帰省したときに、やたらアイドルと関わり合いがないか聞いてきましたよね。たしかに、鷹閃大学には芸能に明るい方々が多数在籍しています。もしかしたら、息子が何かしら関わり合いを持つことは出来たのではないかと、そこからよしんばアイドルとお近づきになれないかと、そう考えていましたよね。息子ながら、このおっさん気持ち悪いなと思ったのも仕方がないことかと思います。その時の私は、貴方の息子がアイドルと関われると思っていますかと、そんなニュアンスの返答をしたと思います。
あの時には言えませんでしたが、実は、私は一回アイドルに殺されそうになりました。ですが、心配ありません。今では、鍋を囲うくらいの仲になりました。
意味が分かりませんよね。なんでこうなったか説明するのは至極面倒で、信じては頂けないと思います。あの時は言えず、本当に申し訳ありませんでした。
母さん。しがない会社員の母さん。
貴方の息子は、世界屈指の名門大学で頑張っています。ただ、必死に勉強しても半分も講義が理解出来ない不出来な息子を許してください。
人には向き不向きがあると貴方は教えてくれました。そのことを私は鮮明に覚えています。
合わせて、貴方が入学祝いに作ってくれた料理の数々、私は具合が悪くなりながらも料理を食べ切ったことを覚えています。はっきり言って不味かったです。
人には向き不向きがあるんです。貴方はその言葉を理解していながら、何故苦手な料理を祝い事の度にやりたがるのでしょうか。私にとっては永遠の謎であり、一種の嫌がらせのように思えてなりません。
いいですか、パスタが食べづらいという理由で、みじん切りにしたものを使わないでください。それをパスタと言うのは、どう考えても無理があるんです。私は小学生になるまで、パスタはそういうものだと思っていて恥じをかいたことがあります。妹も似たような経験があるみたいです。出来れば、料理の本でも買って勉強してください。
さて、本題になりますが、母さんにも隠し事があります。
実は、私のスマホから、母さんの電話番号が消滅しています。付け加えていうのであれば、妹の電話番号もですね。これに関しては私が勝手やったことであり、平に謝るしかありません。
しかし、生き延びるにはどうしても必要な手段だったのです。
私のスマホに、女性と思わしき名前の方からメッセージが来ると、鬼のように怖くなる小学生がいるのです。
私は貴方の電話番号をすぐさま消しました。そうすることで一時の安寧を得たかったのです。
いえ、そういう言い方は嘘になってしまいますね。本当は、他にも女性の電話番号はあるにはあったのですが、リスクを減らす為に身内だけを切ったのです。我が身惜しさに。本当にどうしようもない息子で、謝罪の言葉しかありません。
さて、ここまで隠し事をつらつらと述べてきましたが、どうやら、今日貴方達にもう一つ隠し事をすることになりそうです。
本日、午後の講義をサボります。許してください。
「思いつめすぎだと思うなー」
「私の心を読まないでください、万城目さん」
「いや、顔に書いてあるよー」
そんな馬鹿な話がありますか。私は口には出さず飲み込む。
実際、それくらい思いつめる事なのだ、私にとっては。なんせ、講義をサボるのは初めてのことだし、風邪を引いたわけでもなく、万城目さんに誘われるがままサボった。これはもう、私にとっては青天の霹靂である。心の中で親に謝罪したくもなる、学費も払ってもらっているのだ。
万城目さんと食堂を出て、校舎から外れた鷹閃大学の敷地内を歩いた。都会のど真ん中に位置するにも関わらず、莫大な敷地面積を誇るこの大学は、徒歩で全ての建物を巡ろうとすると軽く30分ほど費やすはめになる。
莫大な敷地面積の中にあるのは、本校舎に加え、教室棟、図書館、食堂(購買も含む)、研究棟、体育館、そしてサークル棟だ。それぞれの建物には正式名称があるようなのだが、私は把握してはいないし、恐らく、大学に通っている多くの学生は正式名称を知らないはずだ。日常会話で使われる単語では、先程の通称が頻繁に使用される。
万城目さんに先導してもらい辿りついたのは、サークル棟だった。
「用があるのはサークル棟ですか?」
「そそ。嘘つきくんってさー、なにかサークル入ってんのー?」
万城目さんは軽く尋ねてくる。サークルに入る気もなく、新入生歓迎、所謂、シンカンと言われる時期にサークルを探すことさえしなかった私だ。サークルに所属はしておらず、このサークル棟に足を踏み入れることさえなかった。
「サークルには入ってません。ここに来たのも初めてです」
「そうなんだー。珍しいねー」
珍しいことなのだろうか。万城目さんが適当に相槌を返してきただけかもしれないが、どうなのだろう。大学生は全員、何かしらのサークルに入っているのだろうか。そうだとしたら、なぜかやる気もしないのに無理やり所属させられる中学生の部活動みたいに思えてくる。
万城目さんはサークル棟についてからも迷わず突き進む。
サークル棟の中は、本校舎の中と違い、酷く雑多だった。至るところにポスターが掲示されており、また、それぞれに割り当てられているサークルの部屋の扉には、サークルの特色を出す為なのか、ペンキで真っ赤に塗りたくっているところもあれば、テニスラケットを交差させて打ち付けているものさえある。なんだろう、表現の自由というか、表現の押し売りというか、視覚に入ってくる情報がとにかく雑多なのだ。
その扉の群れの中を、万城目さんと私は突き進む。
「なんか凄い場所ですね、こう圧倒されると言うか」
「んー、そうかなー。私は結構落ち着く場所なんだけねー。いつでも居たい、いつまでも居たい」
落ち着くのか、この空間が。本当に不思議な人である。
不思議な人ではあるが、この空間に連れてきたのはそれが理由ではない。万城目さんとここに来た本題。
「あの万城目さん、実際に見る、ということを言ってましたけど、見るのはサークルになるんでしょうか?」
「うん。ぶっちゃけるとね、この大学に入った理由はあるサークルに入りたかったからなんだよー」
「え?」
それは唐突な解答だった。先ほどの本題に対する解答。
「そのサークルがここの大学生しか加入出来ないっていう、謎のルールがあってねー。いや謎でもないのかなー、どうなんだろう?」
「いえ、どうなんでしょう?」
私に言われても答えられない。こっちはサークルについて詳しくないどころか無知である。
「でもねー、それくらい魅力があったんだー。それこそ、それでこの大学入ろうと思えるくらいにはねー。だから、そういう、なんていうんだろ、魅力というか、空気っていうのを実際に見てもらいたいなーって」
「はぁ」
思わず生返事を返した。この万城目さんを引き付けるサークルとはなんとも凄そうなサークルである。フリーメイソンかなんかだろうか。