表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
それでも平凡は天才を愛せるか?  作者: 由比ヶ浜 在人
五章 23時間56分04秒
43/113



 あの日は高校2年生の真夏だった。夏がとめどなく押し寄せ、それに伴い、暑さを容赦なく下々の私たちに降り注ぐ、そんな日だった。



「正直に話せ」


 うだるような暑さに、体は抵抗することが出来ず、だらだらと滝のように汗を流しながら、西洋美術館に置いてあるような()()()と向き合っていた。思えば、この時から彫刻像に呼ばれる頻度が多くなっていた。そして、覚えている。この時までは、彫刻像が呼び出す内容が真っ当なものだったことを。



「何を話せばいいですか?」


 答えた私は、唇を切ったせいで血を流し、頬には青痣を作っていた。



「誰にやられた?」


 彫刻像は真剣な表情で見つめていた。昨今、生徒のいじめを隠蔽したりするニュースが流れる中でも、こんな彫刻像もいるんだなと、私は口に出さないで心に留めた。



「安心してください、先生。こんなこと、もうないですから」


 私は抑揚のない声で紡いだ。これ以上は問題が起こらない、だから安心して欲しいと。もう面倒なことになんてなりませんと。そういう意味を含んだ文言だった。事実、私はこれ以上はもう殴れる心配がないのも確かだった。



「誤魔化すな。もう一度聞くぞ、誰にやられた?」


 それに私は面倒くさいと思いながら、生徒指導室の外に視線をやった。不快だった。いちいちこちらのことを気にかけてくるこの彫刻像が、鬱陶しくて邪魔だった。私は、もう目の前の彫刻像を像という人間を模したものとは認識せず、置物か何かだと思うことにした。置物相手に話す必要は一切感じられず、視線はずっと窓に向けていた。



「言うまで帰さん」


 この置物は、どうやら音声認証でドアをロックしているようだった。本当に邪魔な置物だなと思いつつ、結局、早く帰りたい私は声を紡いだ。



「友達、だった人に」


 殴ってきた元友人は、私に最後まで付き合っていた馬鹿だった。どうしようもない馬鹿だった。不快で、気味が悪くて、怖かった。敬語を使い始めてから、私の周りの人物は、私を「遅れてやってきた厨二病」と揶揄したり、馬鹿にしたり、気味悪がって離れていった。それでも今まで根気強く話しかけてきたのが、殴ってきた元友人だった。



「どうしても辞めさせたかったみたいです、私の話し方。私は辞められそうにはなかったので、素直に言ったら絶交されました」


 だから、私程度の人間に構ってくる人などもういない。手が届く距離に人が居ないなら、誰が殴ってくるのか。私の周りには誰もいはしない。なら、もうこんな事は起こりようがなかった。


「人と関わる必要がないなら、話さないっていう選択肢もあったんですかね」


 吐露しながら、それは無理だと決めつけていた自分がいた。置物に呼び出されれば、こうやって話さざるを得ないし、連絡事項が生徒から言われた時も、それに対して返事はしないといけなかった。話さない、ということは出来そうになかったから、私は敬語を使うというあぜ道を選んだ。



「わかった。よーく、わかった」


 置物は、そんな言語を発信していたと思う。その時の私は、さっさと帰してくれと思いながら、置物を見ていたはずだ。


 置物は、不意に正面から私の後頭部を掴み、思いっきり自身の額へと私の額を誘った。


 バキャっ、という名状しがたい音が双方から鳴り響いた。



「―――あぁ!クッソめっちゃいてぇ!」


 思わず呻く置物を尻目に、私は私で額を抑えた。それくらい、痛かった。今でもあの痛みを思い出す度、頭が勝手に反応して、額にたんこぶを作ってしまいそうな。



「っ、なにするんですか? 体罰ですよ?」


 平静を装った。本当は痛かったのだ。でも、不思議とその痛みは、頭じゃなく、ずっとずっと深い、胸の辺りを思いっきり押し込むような痛さだった。



「違う、体罰じゃない。これは愛情表現だ。I IOVE YOUっていうジェスチャーで、もっというなら、LOVE&PEACEってやつだ」

「そんな旧日本軍みたいな愛情表現あってたまりますか」

「いいか、よく聞け屁理屈ヤロー」


 置物は、こちらの音声を認識しない不良品で、暴言を吐く粗悪品だった。



「俺はお前に何があったかなんて知らねぇ。ただ、何となくは察しがつく。弓弦が転校したことと関係してんだろ」

「――――答える義務がありますか?」

「あぁ、ねぇよ。だが、言っておく、言わなきゃ気がすまねぇ」


 さっさと帰りたかった。帰って、誰とも話さなくてもいい空間に居たかった。会話をするのは酷く億劫だった。



「俺はお前を絶対に一人にしない。どんだけ嫌がっても、どんだけ嫌われても、絶対に一人にはしない」


 早く帰りたいんだ。友だちが一人も居なくなって、それでも生き方は変えられなくて、そんな馬鹿を、真っすぐ見つめられていると思うと泣いてしまいそうだったから。


 嫌なんだ、もう。人と話すのも、人と関わるのも、誰かに気にかけてもらうのも、誰かを気に掛けるのも、もうたくさんだった。


 友だちが居なくなって、よかった。そう思いたかった。関わる人間が一人減って嬉しい。そう思いたかったんだ。


 それでも、土足で思いっきり人の心にずかずかと入り込んで、お茶を啜るような置物に、全て見透かされていたのだろう。本当は、そう思い込みたかっただけなんだって。


 誰かに傍にいて欲しい。そう思っていることなんて。



「俺はお前の担任だ。お前が拒否しようが、それは絶対に変わらん。お前が一人の人間として成長するまで付き纏うぞ、俺は自分のクラスの評価が下がるのが嫌だからな。問題を起こすような生徒は、ずっと監視する」


 結局、この()()が、私にとっての()()になるのは時間の問題だったのだ。

所謂、根気負けってやつで。


これは高校2年の真夏の思い出だ。少し、ほろ苦い思い出だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ