エピローグ
「結局、掌の上だったってわけかよ」
御剣さんは、カードの模様が食い違っているのを見てぼやいた。それでも、その表情は今までに見たことがない、爽やかな笑顔だった。
「まぁ、刺激には溢れていたぜ」
そう言って彼は私の肩を叩く。彼の条件は満たされたのだろう。ゆっくりとした歩調で、彼は私から離れていく。その行動は、この結託の終了を示していた。
「あっ・・・」
思わず、声が零れた。
ゲームが終われば、この関係ももう終わりだ。結局は利害関係の産物でしかない。
特に深い思い入れはないはずだ、こんな結託に。ふざけ合っていたのだって、協力関係だったから。笑い合っていたのだって、協力関係だったから。御剣さんと堂島さんと対策を練って、万城目さんや、漣さんを騙したのだって協力関係だったから。
『あの』
『あんだよ』
『なによ』
『席なら他にも空いてますよ?』
『言われてるぞ、堂島。さっさとどっか行けよ』
『は? 意味わかんないんだけど。言われてんのはそっちでしょ』
二人と仲がいいか、と聞かれたら、私は首を横に振る。二人だって首を横に振るはずだ。
そう思っていたはずだ。
なのに、どうして。どうして、どうして。
『私、勝ちたい』
『勝ちましょう』
『当たり前だ』
どうしてこんなに心が痛いんだ。
本当のところ私に友達なんているか、分からない。敬語を使い始めた時から、高校の友達は気味が悪いと、変人だと、私のもとを去っていった。大学ではもう友だちなんて諦めた。サークルなんて入る気もなかった。
それでもいいと、思ってた。
私にコミュニケーション能力がないことは重々承知しているし、今まで人と壁を作ってきた私が、今更何をとは、正直思う。虫のいい話だってことは百も承知だ。それでも、例えそうだったとしても。
「打ち上げ!!」
この利害関係は手放したくないんだ。
利害はなくなっても、私は三人で集まりたい。また三人で何かをしたい。
大学に来てから、初めてだったんだ。あんなに楽しかったのは。それが私の心を埋め尽くし、吐き出そうとしても言葉にならない。
私の思った以上に大きな声は、御剣さんだけではなく、その周りの人も釣られてこちらを見たほどだった。
「・・・しませんか?」
急に恥ずかしくなった私は、赤面し、言葉を尻すぼみにし俯く。何を今更。この利害関係だって、利用してしつくした癖に、どの口が。欲しかったものはお米ではなく、ラフィーさんへの対策、御剣さんと、堂島さんの真意。何故二人が私に付き纏うのか、それがよく分からなくて、出方を見るために、そう思って全部を利用した癖に。怖くて仕方なかったんだ。人との接し方を忘れた私には怖くて、怖くてどうしようもなかった。
私は酷く臆病だ。こんな言葉を投げかけるだけで、心臓が今までにないほど、痛い。
顔を上げるのが怖くて仕方がない。
「18時に、駅前な」
聞こえてきた声が信じられず、私は首を痛めるほどのスピードで顔を上げる。
「割り勘だからな、お前もその方がいいだろ?」
ニヒルに笑う彼は、俳優のようで。私には少し眩しすぎた。見つめているだけで、涙が溢れてくる。
「っはい! 待ってます!」
意図して大きな声で言った私は、その声で目に溜まった水分を振り払う。
「るせーよ、んじゃあまたな」
今度こそ、彼は姿を消した。
彼の真意を探ろうとしたが、結局は分からない。深く踏み込むと蛇が出そうではあるし、茨が刺さりそうだ。それでも、構わない。このゲームで彼と遊んで思ったのは、まだ彼と一緒にいたいということだった。
「18時に駅前ね、喫煙できるとこにしてよね」
聞いていた堂島さんは、腕を組みそっぽを向きながら言った。声が少し水分を含んでいるように感じる。今日はいろんな彼女を見てきた。それでもラフィーさんとの関係は謎のままだし、彼女は私のことが大嫌いだ。それでも、打ち上げに参加してくれる。
「優しいんですね、堂島さん」
「っアンタまた!」
「違います、今度は世辞なんかじゃありません」
「~~っ! もういいからさっさと行きなさいよ!」
彼女は私の背中を思いっきり押した。そのせいでたたらを踏んだ、私は彼女の顔を伺い知ることは出来ない。
「行くんでしょ、シェルトのところ」
雨の雫のようなその声に、私ははっきりと返す。
「はい、行って話してきます。何を話せばいいのかわかりませんが」
「なら、伝言お願い。“ゴメン”て。それだけで伝わるから」
「?」
「いいからさっさと行け!」
命令形とともにキックを繰り出す彼女は、ヤンキーそのものだった。
そこまでされては、さっさと行くしかなく、俯く彼女を尻目に私はラフィーさんの所へと赴いた。
パイプ椅子に座る彼女は、未だゲームが行われていた円卓に向けられていた。その表情は、非常に清廉で、美しいものだった。絵画のように、表情一つ変えない彼女は、私が近くにきても視線すら寄越さない。
「あの、ラフィーさん?」
「その名で呼ばないでください」
彼女は流麗に言葉を紡いだ。その言葉を聞いて、私は悟る。
「終わりですか?」
今まで、彼女が表立って私に敵意を向けてきたことはなかった。だが、今回は訳が違う。私が無様な様を大衆に見せつけるように仕向け、大衆すら先導してここに来た。
今まで私に対して、友達のように振舞ってきた態度はもうそこにはなかった。
「嘘の関係は終わりですか?」
つまりは、彼女自身がこの関係を終わらせるために、ここまで来た。
「終わりです。期日が迫っているので、私も手段は選びません」
絶対零度の声を紡ぐ彼女は、どこか神秘的だった。
「そうですか」
落胆、だったのだろうか。私が呟いた声は。それは私自身にすら、よく分からない。
「貴方が安寧で居たいなら、私を退学させるしかない。言いましたよね? 大学で待ってると」
それは挑発で、どこか怒っているようにも思えた。彼女が呟く言葉一つ一つに意味が含まれているようで、空気がかすかに震える。
前までの私なら、どのように対応していただろうか。素直に引き下がっただろうか、泣きながら彼女に懇願しただろうか。分からない。ただ、今の私は一つだけ知っている。こんな私でも、人と人との関わり合いに一歩を踏みだしたら、応えてくれる二人がいてくれた。その二人が教えてくれたんだ。
もう、この関係は破綻している。それは理解している。嘘はもう使いつぶして乾ききってるし、それを潤していたはずの優しさは霧散した。
だから、どうした。
「勝手にしてください。私も勝手にします。勝手に貴方を想っていますし、見かければ挨拶だってします」
静寂だった。会場は人でごった返しているはずなのに。この空間だけは、地球の裏側の音でさえ、聞こえてきそうで。
その静寂に耳を傾けていると、私の言葉が反芻された。あれ、私、なんかとんでもないことを言った気が。
彼女はそんな私をもう見ずに、パイプ椅子から立ち上がり、背を向けていた。その姿を見て、私は忘れかけていた言葉を投げ渡す。
「ラフィーさん。堂島さんから伝言です。“ゴメン”と」
一旦、足が止まった。
それでも彼女はもう、振り向くことはなかった。少し止めたその足をまた、何事もなく進め、私から離れていく。
私はそんな彼女の背中を消えるまで、見つめていた。
彼女が一体何を為そうとしているのか、私には分からない。更に言えば、何故、これほどまでに私を追い込もうとするのかも。期日と、彼女は言った。それは何を意味するのか。ただ、これで終わりではないのだろう。彼女が裏で糸を引き、また私を追い込もうとするかもしれない、直接私を潰しに来るかもしれない。
それでも構うもんか。
私がこの大学にいる意味。悩む、そう決めたあの地元の星空を見上げた日から、未だ解答なんて出やしない。
ただ、この大学にまだ居たいと思える要素が見つかったんだ。それは人と人との関わり合いで。もっともっと、あの二人と、私は大学生活を送りたい。退学なんてしてたまるか。
そして、ラフィーさん、貴方と正面向いて話すまでは逃げないと、心に誓う。それは、白銀さんとの約束でもあったから。
「きっと、いつか貴方と向き合ってみせる」