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それでも平凡は天才を愛せるか?  作者: 由比ヶ浜 在人
四章 裁かれ、嘘は砂に、優しさは霧に
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『なぁ、この後

『すみません。忙しいので手伝えません』


 あの日は、秋が到来を告げていた日だった。秋の日は釣瓶落としと、例えがあるように、日はすぐに落ちて、暮れるのが早くなってきた日だった。


 私は高校2年生になり、特に慌ただしくもなく、漫然とやることもなく日々徒然なるままに日を暮らしていた。そんなある放課後、いつものように直ぐ帰宅しようとする私を引き留めようと画策する担任がいた。手には溢れんばかりの資料と、小脇には何が描かれているのかも興味すら沸かないポスターが6つほど装備していた。



『まだ何も言ってないぞ』

『言いたいことは分かりますよ、先生』

『以心伝心だな』

『いえ、迷惑千万です』


 私がそのように返すと、担任は「なにもわかっていないなこのお子ちゃまは」という顔をした。どうやったらそんな顔が出来るのか知りたかった。その顔を三者面談で披露して、PTAから苦情が来ればいいと思った。



『いいか、手伝えば内申点が上がる』

『それを教師が言ったら不味いと思います』

『いいんだ、それで俺が楽出来るなら』

『流石は先生、ゴミ屑ですね』


 勿論、世辞だった。私は何か会話につまりそうになると、つい世辞を多用してしまう癖があった。世辞が世辞になっているかは問題ではなく、とにかく会話をつなげるという意思が一応の残痕として残る程度の言葉だ。もっとも、私はこの担任がゴミ屑よりも高尚な人物とは一切思えなかったので、先程の言葉は私にとっては十分立派な世辞だった。この担任をゴミ屑呼ばわりするのは、ゴミ屑に失礼だ。



『あーあ! いいのかなぁ! そんなこと言っちゃって! 内申点が今ジェットコースターの頂上まで来てるぞぉ?』


 この後下降を辿ろうとしていることを伝えたかったのだろうが、むしろそれでは、私はなにもせずに今最高の内申点をたたき出しているという事実に担任は気づいていないようだった。時々日本語が可笑しくなるのはこの担任ならではだった。



『いいですよ、この後部活があるので』

『吐くならもっとマシな嘘をつけ。お前が部活やってないことは知ってる。担任だぞ』

『帰宅部です、帰宅するのが部活動です』

『凄いなお前、よく先生目の前にしてその言葉が吐けたな』

『帰宅部も大変なんです。最近、バスの料金が値上がりして』

『部活動と言うならせめて足を使え』


 けむに巻こうとしたのだが、それを担任はよしとせず、私が部活動をするのを拒んだ。理不尽だと思った。何故、先生が部活動を推奨しないのか。帰宅はスポーツである。



『お前なぁ、吐いた嘘は自分を苦しめるだけだぞ?』

『はぁ、そういうものですか』

『いつも正直な先生が言うんだ、ありがたく聞いておけ』

『先生は少し正直すぎるところもあると思います』

『嘘をつく理由がないからな。大人になればなるほど、小さな嘘が大きなものになって跳ね返ってくる』

『よく分かりません』

『嘘は一滴の水だ。社会という池に落とせば、波紋が広がる。まぁ、今は分かんなくていい』


 そこまで言って担任は、小脇に抱えていたポスターを私に寄越す。何もしなければ、地面に落ちていただろうポスターは、私が反射的に出した腕の中に納まってしまう。



『大人になれば分かるさ。今は高校生だ。お前が自分に吐いている嘘もいつかは向き合う時が来る』


 担任が言ったのは、私が一年最後の日に起こった出来事のことだ。そう私は直観的に思った。敬語しか話せなくなった私に向けた言葉だった。



『・・・先生、重いです』

『ん? 紙だから軽いだろ?』


 そう言ってニヒルに笑う担任は、どこまでも奔放で鬱陶しい存在だった。



 それでも、担任が言った言葉は間違いではなかった。そうでなければ、私はこんな会話を思い出さなかったと思う。何でもない日常の一部として忘れていたはずだ。



       ◇



「答えろ、いや違うな、応えろ」


 暴力だった。目の前にいるのは暴力そのものだった。殴られた訳でも、蹴られた訳でもないのに、私は体中が痛んで仕方がなかった。この人物と対面するということは暴力と対面するに等しい。そう思わずにはいられない。そこら中から暴力をかき集めて、圧縮して、人の形を作れば、この人物のようになるかもしれない。



「沈黙するか、あくまでも」


 違う、沈黙しか出来ない。解答を分かっていても尚、その嘘とは向き合えない。この問題は、正否を問う問題ではなく、答えるか、答えないかを問う問題だ。故に悩む、答えるべきか、いや、応えるべきか否か。



「お前は、何が人を裁くと思う?」


 彼は問いかけに更に問いかけを増やす。その行動は場を繋ぐ為というよりは、私を殴る行為に等しかった。


 特段、この質問に答えたところで、私が実質的に被る被害はない。だが、それでも答えたくはなかった。こんな私でも守りたい誓いが一つだけあった。しかし、応えなければ、嘘は破かれ、曝され、乾ききってしまう。それだけは絶対にダメだった。



「国か? 違う、そんなものでは裁けない」


 頭が明滅する。スパークしていると思う、火花は飛び散っていないだろうか。ピッケルか何かが私の頭を内側から突いてやまない。



「なら法律か? 違う、六法全書で人は裁けない、むしろ、殴った方が幾分かいい」


 悩む、そう決めた時から激しく頭が明滅するようになった。自分自身が偽った何かを叩いて叩いて、壊しにかかってる。



「なら裁判官はどうだ? たしかに判決を下すのは裁判官だ。理には適ってる」


 それでも、それを壊すのが私は怖くて怖くてたまらない。きっと、壊したら元に戻らない。修復は出来ず、きっと欠片も残らない。



「違うな、それでも。本質はそこにはない」


 それでも、今は愚直に前を向け。悩むと決めた。どちらを選んでも何かを失うことはもう決まっている。その時の自分がせめて、後で誇りに思えるように。その選択が間違っていたと気づいても、恥じることのないように胸を張れ。



「人を裁くのは、人だ。それ以外にありえない。ならば、お前を裁くのは誰だ?」


 このゲーム、いや、もうゲームと呼べるかすら分からないが、勝者は彼だ。彼に私に対する憎悪は欠片もなく、感情すらあるのか疑わしい。天秤なのだ。どちらに傾くかを測る、天秤だ。そこに私への感情などないのだろう。あるのは選別の意思。



「俺しかいない」


 このゲームの行き先は、私の選択の選別だ。


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