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「ともだちが出来た、です?」


 翌日、フランス語の授業にて、いつもの仏頂面ではなく、満面の笑顔で昨日の報告をする一人の男の姿があった。私である。恐らく傍から見たら、恐ろしくおぞましいものに違いない。ラフィーさんは額に一指し指をあて、悩まし気な表情で言った。



「冗談、わらえないです、ミヤにともだちなんて、出来ませんよ?」

「酷すぎる」

「おかあさん、悲しい、です」

「そこまででしたか? ラフィーさん、そこまで私の言葉は妄言でしたか?」


 彼女はまるで可哀想なものを見る目で、こちらを見返す。その碧眼に見つめられ、行き場を失った私の目は、自然と彼女の胸部へと視線が移った。あくまで自然にだ。他意はもちろん存在していない。ただ、女性の夏服というのは、どうしてこうも男性の夢を駆り立てるものだろうという疑問が生じ、その思考に埋没する羽目になる。



 たかが、Tシャツだ、ラフィーさんが着ているものは一般的に、ラフな格好で着用するものでしかない。されど、Tシャツだ。その胸部を激しく自己主張するかのような素晴らしい着衣だ。その事を確認すると、不思議に心が落ち着く。世界の真理にたどり着いたかの境地だった。彼女のTシャツの胸にプリントされている、「GIRL」という文字が、「IR」の文字のみを強調し、世界を広げていた。経営状況などを発信するものではなく、宇宙を発信していた。



「それで、ミヤ、その空想上のともだち、名前はなんていうんです?」

「空想上の友達ではありませんよ、白銀 俊介さんという、大変すばらしい人物です」

「あ、シュンスケです? それなら、納得、です」


 彼女はそういうと、いそいそとこの講義の教科書である、一冊の小説とノートを可愛らしいバックから取り出し、机の上に置いた。その言葉を聞いた私は、一つの仮説に行き当たる。



「知り合い、ですか?」

「ともだち、です。ミヤと違って、人間が出来てる、いい人です」

「あ、いや、そうなんですが、なんでしょう、今までで一番心に来ました」


 苦しくなった胸を手で抑えた。どうしてか、罵詈雑言よりもっともらしいその言葉は、私の心を正確に射貫く。時に正論は、何事にも勝る悪口になると私は学んだ。



「シュンスケは、さいねんしょうで数検一級を、とってたはずです。それと比較、だめです」

「いえ、分かっていますよ。比較なんてしていません」

「気づかいも、コミュニケーションも、ミヤの百倍は、上手です」

「それでも具体的数値はへこみます」


 頭で分かっていても、心が理解しきれていないのだ。それが、たとえ本当のことだとしても。ラフィーさんは少し、興が乗ってきたのか、彼についてつらつらと話し始める。



「シュンスケとは、にゅうがくしきで、はじめてお話ししました」

「そうなんですか、お互いに友達を作るのが上手なので、容易に想像は出来ますね」

「いきとうごう、です。文学がにがて、と彼はいってたので、小説貸したり、ふたりで映画を見にいったり」


 そこまで聞いて、話の流れがなにやら赴きを変えた気がした。男女で映画とはこれ如何に。いつも多くの人に囲まれている彼女が、小説を貸したり、一緒に映画を見るのはなんら不思議ではない。その中心にいるのが、彼女であり、それが彼女に優しさの証明でもあるからだ。だが、嫌な予感がヒシヒシと胸の奥からこみ上げる。これは一体なんなのか、その正体が掴めずにいた。



「仲が良いんですね、ラフィーさんらしいです」

「それで、こくはく、されたです」

「そうなんですか」


 なるほど、嫌な予感の正体はこれか。私はその靄が取り払われたことに満足し、心が澄み切っていた。次の講義の始まりが近づいていることを確認した私は、机の上に、教科書と呼んではいけない一冊の小説を置く。それを見ると、私は本当にこの講義の単位が取れるのかという、不安が波のように押し寄せる。だが、やるしかない。最悪、この教科書の日本語訳を暗記する所存だ。



 そんな決してかっこよくなどない、決意を胸に秘めたところで、何か違和感を覚える。違和感が何か、よく考える。そして、それは先ほどのラフィーさんの言葉だと認識した。あれ、どういう事だろうか、こくはく、とはどういう意味だっただろうかと、必死に頭の中にある辞書を捲りに捲る。まず、漢字は告白、だろう。そして意味は、確か、カトリックで洗礼を受けた後の罪を打ち明けることだったはずだ。そこで意外な真実に気づく。



「白銀さん、カトリック教徒だったんですね」

「? ミヤ、男女間でのこくはく、です?」

「ですよね、現実逃避は止めます」


 衝撃の事実だった、大学とは如何に狭いものであるかを思い知らされた気分だ。仲が良くて、意気投合。おまけに二人で、映画とくれば、これは確定だ。



「その、ラフィーさんの彼氏って、白銀さんですか?」


 思わず聞いた私は、彼女の顔を見てどう思ったのだろう。この感情を、こみ上げる感情を、どう表現していいか分からない。



「ちがう、です。私、シュンスケにそこまで、興味ない、です」


 本当に淡々と、表情一つ変えずに言った彼女を、私はどう思ったのだろう。正直に言うと、残酷だと思った。だけど、この感情はきっと、白銀さんのことを知らなければ、全く違う感情だったはずだ。赤の他人であれば、ここまで心を揺さぶられることはなかった。



 彼はどう思ったのだろう。意気投合し、本まで貸してもらって、一緒に映画にいった彼は、どう思ったのだろう。告白を断られた彼は、どう思ったのだろう。



「どうしました、ミヤ?」


 それは答えの出るものなどではない。そして、始末の悪いことに、この件に、ラフィーさんは何も感じていない。恐らくは、彼女にとっては普通のことで、優しさを振りまいていただけで、それが毒だと気づかず、与え続けていたんだろう。それはきっと、この世にある毒よりもずっと猛毒だったに違いない。



「いえ、なんでもありません」


 私は悲しかった。どうして悲しいのかは分からない。それでも、心が悲鳴を上げて、蝕んで、毒された。



「なんでもないと、思います」


 私はそう告げることしか出来なかった。この講義が終わったら、ホームセンターにでも寄っていこうと思いながら。




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