後
「よぉ、こんなとこにオジサン呼び出してどういうつもりだ」
時はさらに一週間後、私は地元に帰ってきて先生を呼び出した。
先生は相変わらずだった。その姿はどっからどう見ても中年男性で、どうしようもない人物にしか見えない。
地元の定食屋。そこで先に席に座っていた先生は、休日にも関わらず、スーツ姿で、卒業であった時と寸分違わない。
それが、どうしようもなく心地よかった。
「すいません、いきなり呼び出して」
「これでも先生は忙しいんだぞ」
それでもまぁ、と続けて先生は水を口に含んで飲み込む。
「お前ほどの問題児はいないから、楽だがなぁ」
「よく言いますよ。その問題児を顎で使って楽してたくせに」
私も先生にならって、口を水で濡らした。
「先生、宿題を提出しに来ました」
先生に出された宿題。それは、記憶に新しい。
恋をしろ。
今考えてみても荒唐無稽で、男性教諭が男である私に課す宿題としては、些か不具合を感じる。
私の言葉を聞いた先生は、不敵に笑う。
「おせぇよ、いつまで待たせた」
恐らく先生ならこう言うだろうなぁ、と思っていた言葉がそのまま先生の口から出て、私は思わず笑ってしまう。
「仕方ないじゃないですか、問題が難しかったんです」
拗ねたように言う私を、エロおやじのような目で見てくる先生は、まるで修学旅行で恋話をする中学生みたいで。
「で、で。どんな娘なんだ?」
その結論に行く前に、私は先生に待ったをかける。
「それを言うのと交換です。先生の話を聞かせてください」
「なんだよ、突然」
「いいですから」
私の方に身を乗り出してくる先生を引っ込めつつ、言葉を紡ぐ。
「先生はどうして、先生になったんですか?」
その質問は、どうやら先生にとって答えたくないようなものだったらしい。苦虫を潰したような表情で先生は返答する。
「言わなきゃダメか?」
「お願いします」
「・・・はぁ」
頭に手をやり、先生は髪をなでた。その仕草は少し、懺悔のようにも思える。
「娘を手放したことがある」
「娘さんを?」
「あぁ、離婚してな。随分もめた。どっちが娘を愛している、なんてなんの生産性もない言い争いをして、気づいたら娘は俺のところからいなくなっちまった。元嫁から、娘に会うことすら許されねぇ」
飲んでいるお冷が、酒のグラスのように見える。そのグラスを手に取って先生は続けた。
「そん時に思ったんだよ、本当に子供と向き合っていなかったんじゃないかって。だから、子供と向き合ってみようと思った。そんだけの話さ」
その話を聞いて私は思う。
世界は優しいのだろうか。親と子の仲を裂き、それを先生に罪として背負わせる世界は。私はどうしても優しいとは考えられない。だから、私は、私だけでも中指を天に突き立ててやろうと思うのだ。
世界が優しくないなら、私はその分、誰かに対して優しくありたい。
「先生、思えば今日はバレンタインですね」
「お前、人がシリアスな話をした時に出す話題かそれ」
「チロルチョコのお返しです」
「聞けよ、っていうかよく覚えてたなそんなこと」
「娘さん、持ってきましたよ」
「は?」
さて、今まで私は思い出の中で、先生をどのように思い描いていただろうか。散々なことを言ってきたかもしれないが、こうも言っていたはずだ。
時々日本語が可笑しくなる。
西洋美術館に置いてあるような彫刻像。
先生は、髪をかき分けた。その金髪を。
先生は、私を見つめた。その碧眼で。
「・・・お前、なに言って・・・」
「本当に気づいたの偶然だったんです。でもきっと、こうなったのは、彼女の努力だと思います」
そう言って私は、通路で仕切られた壁の向こうに移動して、ラフィーさんを押し出した。
「・・・ラフィー?」
本当に、本当に小さく呟かれた声だった。
けれど、その親の言葉は、なによりも娘に届いたはずだ。
「おとうさん・・・おどうざぁあああん!!」
ラフィーさんが泣きじゃくって、先生に飛び掛かる姿を見て、私はそっと店の外へ出た。
いっつも面倒事を押し付けられた嫌がらせである。
少しはその身を持って、受け止めて下さい。
その抱擁はちょっとばかり、キツイでしょう?
幸せの重みがして、キツイでしょう?
「先生、ご指導ご鞭撻、ありがとうございました」
面と向かっては言えない、二度目の台詞を私は一人呟く。
私はもう、大丈夫ですから。
◆
人がまばらな商店街を私は歩く。この道は、弓弦さんとともに帰った道で、なんとなく高校時代を思い出させた。今となっては、何故だろうか。思い出すことが難しくなってきている。
そんな私の隣を歩くのは、大学で私に初めて声を掛けてくれた人だ。
どこか楽し気なその表情を見る限り、先生との再会はよほど嬉しいものだったのだろう。二人で向かっているのは、この寂れた町にある駅だった。
「ミヤは本当に凄いね」
ラフィーさんは話し出す。
「す、すごくありますん」
とんだポンコツ野郎がそこにはいた。
好きな人の前だと、緊張して何も出来ないのが私だ。悪いか。もう心臓がはち切れそうで、死んでしまいそうだ。
大舞台であれだけの見栄を切ったのに、今の自分が少し情けなくてどうしようもない。
「ううん、ミヤは凄いよ。私が何にも出来なかったのに、全部」
「それだけは違います!!」
そんな情けない男でも、見過ごせない言葉はあった。
「ラフィーさん、自分の努力だけは、自分が認めてあげてください。その努力が、貴方の努力があったから、私はきっとあそこまで出来たんです」
少し大きな声だったからだろうか、ラフィーさんは少し驚いた表情でこちらを見て、
「うん」
花が咲くような笑顔で返事をした。
「ねぇ、ミヤ」
「は、はい?」
「あの時、お父さんに何て言おうと思ったの?」
「すみません、あの時って・・・?」
「“どんな娘だ?”って言われた時」
「いやぁ!!ラフィーさん凄くいい夜ですね!!」
思わずキャラがブレた。
言える訳がない、そんなことを面と向かって言ってしまったら、今の私は恥ずかしさで心臓が止まるまである。
必死に話題を逸らそうとした結果が、天気の話というのが、女性関係で一歩も前進出来ていない私らしさを如実に表していた。
「お願い、ミヤ。教えて」
「うっ」
そんなお願いをされて、断れる人がいるのだろうかと、思わずにはいられない頼み方だった。
「その・・・」
「その?」
「ずっと笑顔にさせてあげたい、と思える人というつもりでした」
今、私の顔はどうなっているのだろうか。この世の全ての赤よりも赤くなっている気がしてならない。
そんな私を見ながら、ラフィーさんは両手を胸の前で重ねた。
「そっか。そっかぁ」
何度か掌をくっつけたり、離したりしている彼女は、本当に楽しそうに微笑んだ。その姿を見て、どうしようもなく思ってしまった。
恥をかいても、彼女が笑顔ならそれでもいいかと。
そんなある種の羞恥プレイをかまされながら、私たちは駅へと辿りつく。
「それでは、ラフィーさん。お元気で」
それは、一つの別れでもある。
あのゲーム、真っ先に考えたのが、ラフィーさんが退学した後の事である。退学したとしても、ラフィーさんの一生はまだ終わらない。生活の基盤が必要になってくるが、そのよりどころとして教授、大学を使うことはもう出来ない。ならばと、私と御剣さんが必死こいて探したのが、離婚したもう片方の親だった。正直、どんな人物かも分からない人に、ラフィーさんをお願いしにいくのは、気も引けたのだが、そんな心配は払拭される。
それが先ほどの先生との会合だった。
私と御剣さん、というか主に御剣さんが先生とラフィーさんが一緒に住めるよう尽力してくれた。だから、御剣さんは言った。
会えなくなる、と。
サークルを誰が引き継いだとしても、あのゲームだけを茶番にすることは出来ず、つまりは、私とラフィーさんが接触するのは、極力控えるべきだった。
だから、これでお別れだった。
「待って!」
お別れのはずだった。
「お願い、聞いて。ミヤ」
駅の方を見つめる私は、彼女に振り返ることは出来なかった。
「私、また泣いちゃうよ・・・」
「ラフィーさんは強い人です。先生もいます。だからきっと大丈夫です」
「私、そんなに強くない。きっとまた泣いちゃう」
彼女は言う。
「泣いちゃうよ・・・」
私はあの屋上で思った。
彼女には笑っていて欲しいと、それが自分の独りよがりだとしても彼女を笑顔にしたいと。
だから、こんな無責任な言葉を言うつもりなんてなかった。
果たせなかった時が怖くて、言い出せなかった。
そんな私の背中を押したのは、
頭に浮かんだのは、
弓弦さんだった。
そうなってしまうと、もう逃げるのはなしだった。
「泣くなよ、すぐに全部終わらせる。すぐ迎えに来る」
どこまでも傲慢に、不遜に。私はその言葉を紡ぐ。
「だから、待っててくれないか?」
酷い言葉だ。何の根拠もない、自分本位の言葉。
それを言った瞬間、背中に衝撃が加わる。ほのかにラフィーさんの香りがしたかと思えば、胴のまえに彼女の両の手が回された。
「待ってる、ずっと待ってるから」
これが、私が大学一年間で体験した出来事である。
ハッピーエンドだったのか、バットエンドだったのかも区別がつかないそれは、正しく私の人生の一部分である。
むしろ、人生とはそういうものではないだろうかと最近思ったりもするが、酷く冗長になってしまうのでやめておこう。
私がラフィーさんにお願いしたこと。
自分を愛してあげてください。
それはきっと、彼女自身が答えを見つけるべきであり、解答を探すものなのだろう。
次に会った時、私はその解答を彼女から聞くつもりだ。
その時、解答を言われた私は、彼女の答えに正否を言わなければならない。それが、お願いしたものの義務だと私は思う。ならば、私自身の解答を、彼女が笑顔になるような解答を考えておこう。
それが楽しみで仕方ない。
再び彼女とあったら、私は何と言おうか。挨拶から? そんなものはありふれていてつまらないと思う。
いや、だからこそ、開口一番はこれしかないだろう。
「答え合わせを、しましょうか」




