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「話題、“好きな本は?”」
多くの人間がその話題に耳を傾けた。
あちら側は既にラフィーさん以外脱落しているにも関わらず、体育館に留まりこのゲームを注視する。
それが、一人の女性を否応なく矢面に立たせるものであり、絶対の信頼と言っても過言ではなかった。
きっと、サークルの代表ならここからでも勝ってみせる。そう信じて疑わないのだろう。その人物がこういう人物だと決めてかかり、自分の求める姿に重ね合わせる。根拠も確証もないのに、意味のない安心感が酷く蔓延しているその様は、果たして正しい人間関係なのだろうか。
そんな意味もない長考。それは、私自身に跳ね返ってくるものでもあった。
ラフィーさんだから。
そのように考えていたのは、私だって同じだ。
ラフィーさんだから、コミュニケーションが上手くて、強い女性で、私では到底敵わない人物ではないのか。
そんな考えを持っていた。だからこそ、ラフィーさんが何に悩み、どのような状況にあるかなど考えもしなかった。
私は、ガラス越しに彼女を見て、綺麗だと思っていた馬鹿野郎だ。
そのガラスの向こうがどれほど過酷な環境にあるか、そんな疑問も考えも一切持たず、手の届かないものと認識して眺めていた。
だから、正直、あちらにいる人間を私は否定は出来ない。
自分の見たいように見て、考えたいように考えるのは、自分の世界だけで完結するのは、生きていくうえで都合がよかったんだ。そこに誰かを犠牲にするという考えもなく、ただ漫然と日々を消化していくことが処世術だとすら思っていた。
痛い程、気持ちは分かるんだ。彼らの気持ちが。
ならば、そんな気持ちを嫌ってまで、前に進む人物は私にとっての理想像である。
その間違いを自分で認識し、それでも大切な人を助けたいと手を伸ばしている堂島さんは、私にとっては、一つの正解だ。
そう、そんな理由があったから。
私はこのゲーム、委ねたとしても手を抜く気は一切なかった。.
『雪国』
私が一番最初に話題に対して、スケッチブックを記入し返答した。目の前にスケッチブックを掲げると、未だ二人はスケッチブックを手元に置いている。
話題に関しての返答は、スケッチブックに書いて行う。
今までは、圧倒されるほどのスケッチブックを凝視してきたが、ここに至って見るべきスケッチブックは2枚にまで減っていた。
『告白』
そう書かれたスケッチブックを話題の返答としたのは、ラフィーさん。深く考えながら、提示してきたその返答は、綺麗な字で書かれている。
そして、最後。
『告白』
堂島さんはスケッチブックを記入し、返答した。
奇しくも、全員が漢字二文字の本を選出することとなる。実際、タイトルが煩雑なものを選出すれば、後の質問に響く可能性があった。その為、この結果も必然的なものになる。
だが、二人が同じ本のタイトルになった。これは、明らかに仕掛けだろう。堂島さんがここに来て取り出した最後の仕掛け。
質問は、十人を割っているため2問。その質問に嘘つきは真実を持って答え、正直者だけが一つ嘘をつける。
実に皮肉が効いたゲームだと、この場にいて思う。嘘つきは真実しか話せない、正直者だけが嘘をつける。ならば、結局はどちらが嘘つきなのか、どちらも嘘つきなのか。ゲームはそこを問いたいのだろう。
だから、嘘つきゲームなんていうタイトルなんだろう。
自分の為に嘘を吐いてきた私に、このゲームのタイトルは非常に胸に刺さるものだ。どうしようもない吐露。愚考。
「質問、“作者名は?”。尚、現時点で10人を下回っているため、追加質問、“発行年は?”」
質問は、順番で答える必要がある。その為、答えるのは私からだった。
「川端康成。1971年」
次に堂島さん。
「ルソー。1778年」
次にラフィーさん。
「湊かなえ。2010年」
これで全ての返答が終わる。
自然と手元にあるカードを見た。○。そこに書かれている記号を再度認識するための行動。長らく感じていたゲームも、この問答で最後になる。
自然と笑みがこぼれた。
「・・・堂島さん、貴方は最後まで堂島さんだったんですね」
「あたしがあたしなのは当たり前でしょ」
「ですよね。でも、そこまで負けず嫌いだとは思いませんでした」
さて、酷く冗長になってしまったが、答え合わせをしようと思う。思わず、苦笑が漏れるがどうにもこのゲーム簡単ではなくなってしまった。
「ラフィーさん、やられました。凄く良い手だと思います」
「ッ、これが“答え”です」
彼女はもう殆ど、泣き顔だった。もう取り繕うことさえ難しくなってきているのだろう。
それはそうだ、今までたった一人。たった一人ここまで戦ってきたんだ。
そこに友達が助けに来てくれた。手を差し伸べたのだ。この土壇場で、この場を作る為に様々な苦労があったにも関わらず、それを台無しにしてまで、
堂島さんは、ラフィーさんを助けた。
全く呆れてしまう。どこまで友達想いなんだこの人は。
負けたら、全てがご破算ということを本当にわかってるのだろうか。
いや、恐らく、分かっているのだろうし、理解もしていてもなお、どこまでも友達想いなんだ、この人は。
差し伸べることが出来なかった手を、この場で彼女は差し伸べたのだ。それは、話題に対する解答から始まったのだろう。
ラフィーさんが本のタイトルを出した時点で、その本のタイトルが一つに限定されていない点に目をつけた。同じタイトルの本が、世には複数存在する。むしろ、それを狙って、ラフィーさんは、本のタイトルを出したはずだ。
そこに自分の話題に関する返答を、堂島さんは重ねた。これによって、正直者側からの特定は出来なくなることを見越して。
そう、話題返答のチェンジングだ、これは。
正直者は嘘を一つ吐くことが出来るというアドバンテージまで消して、嘘つきの矛盾をひた隠しにする。
つまりは、どちらの返答も矛盾がない。正直者はただ正直に答えているだけ、嘘つきはタイトル同一の本を好きだと言うことにしてしまえばいい。
相互に守り合う、私と堂島さんと御剣さんが前回の嘘つきゲームで味方を殺す手法とは真逆の手法。
「これがあたしの“答え”。私は全力で友達と一緒に」
堂島さんは、まっすぐ私を見据えて言う。
「あんたに勝ちたい」
本当に趣旨を理解しているのだろうか、この人は。私がラフィーさんと全力でゲームしてほしいとお願いしたことは、手を組んで私を打倒しろ、なんて意味ではないんだ。
本当に、この人は。
どうしようもなく、私を本気にする。
熱い、思考が熱い。
本気で勝ちたいと。負けたくないと脳髄が騒ぎ立てる。
確率は半々? バカバカしい、当てずっぽうで選んで何になる。
俺は天才だろうが、思考を棄てたら何が残る。
考えろ。
そもそも何故、堂島さんは俺が嘘つきではないと思った? 土壇場ですり合わせは俺が嘘つきの段階で破綻する。そもそも行う意味がない。ならば、確証があった? 自分のカードが嘘つきカードだったから? ラフィーさんと擦り合わせを行ったのはそもそも自分の虚偽を隠すため? ラフィーさんに嘘つきは自分だと教えて、ラフィーさんに勝たせるためか? 仮説に矛盾はない。だが、確証がない。本当に彼女たちの言動に矛盾はなかったのか? 話題返答のチェンジングは正直者が嘘を吐いていないことになる、嘘つきは最初の返答が虚偽だ。なら、どちらかが「告白」というタイトルが虚偽だ。そうだ、焦点はそこだ。何故、そのタイトルにした? 何故!?
「それでは指摘に移る!」
タイトルじゃない年数だ! 誤魔化す要素を一つ増やした! そこまでするのは!!
書く指が震える。脳が限界だ。必死にスケッチブックを全面に押し出した。
「1番、指摘、5番」
「3番、指摘、1番」
「5番、指摘、3番」
それを聞いた瞬間、堂島さんとラフィーさんは、示し合わせたように軽く微笑んだ。
漣さんの声が響く。
「オープンカード!!」
ラフィーさんは、高々とそのカードを掲げていた。誇らしく、一切の未練もないその表情は、どこか幼く見えて、思わず息を呑んだ。
掲げられたカードは、×だった。
体育館は、物音一つしなかった。
「ミヤ」
そんな中、一つの言霊が弾む。あまりに綺麗なその声は、体育館の中をボールのようにバウンドしたかに思えた。
だから、呟かれたのが私の愛称だと認識するのに時間がかかった。
この場では、結局、彼女と私は敵対したままでなければならない。そうでなければ、全てが茶番になる。だからこそ、私たちは真っ向から対立した、向き合った。
愛称を呼ばれるなんて、思ってもいなかったのだ。
ラフィーさんは、手元に持った嘘つきカードを、唇の横まで持ってきた。
「美音ちゃん」
そして、彼女は自分の友達の名前を一つ重ねる。
手元の嘘つきカードで唇を完全に隠し、こちらを見据えて。
ただ見入ることしか出来なかった。頭では分かっている、このまま彼女が話してしまえば、今までの全てが無意味になる。それでも、必死で何かを伝えようとする、初めて目にする彼女の顔を見てしまっては、その口上を止めることなど出来はしなかった。
だから、ここでラフィーさんに惚れ直した私に一切の非なんてないのだ。
「大嫌い」
その言葉は、しっかりと私の胸に届いた。であるならば、横で泣いている堂島さんにもきっと届いているのだろう。
その言葉が、嘘、なんて言うのは、分かりきってることだったから。