春の雪原
side A: Maidmoiselle A.S.
白い、白い花がずっとずっと続いていた。私は、アナベル=サルナーヴはこの花畑が好きだった。三年前までは。よく彼──セドリック=ベランジェと一緒にお弁当をもってピクニックに来たものだった。
けれど、最後に二人でここに来たのは五年は前のことだ。
今は、ひとりきりでここに立っている。
どうしてこうなってしまったのだろう。私はただ、あの人と一緒に暮らせればそれでよかったのに。
あの日、彼のお母さんが家にやってきて私に告げた。彼が兵役検査に通ったと。通ってしまったと。検査の公示は一月は前のことで、それからもこんな田舎では大きく生活が変わったわけではなかったからすっかり忘れていたのだ。しかし、街では戦争は大きく生活を変えていた。そして変化の波がここまで来る日がやって来たのだった。
その日から、その高波は容赦なく私たちの暮らしの内側に襲いかかりはじめた。
まず、若い男が兵隊に取られていった。
次に、小麦や芋やバターを安い値段で国が買っていった。
卵はどんどん高くなった。ソーセージも。
戦地からの手紙が、滞り始めた。
小麦もバターも、自分たちで食べる分までもっていかれた。服も鍋も品薄になった。
戦死の知らせが、届くようになった。一番初めに届いたのは三軒隣の家のピエールだった。牛の世話が嫌いで、よく隣の小麦畑まで来て隠れていた。私より三つ歳上で、昔は元気すぎるくらいのこどもだった。
女たちが、街まで働きにでなければいけなくなった。お金の問題ではなく、政府から命令されたのだ。
もうそう若くはない男たちまで、兵役検査を受けなければならなくなった。
そして、最後に。
私たちの畑にまで、
こんな田舎の、町とも呼べない村にまで、
飛行機が、飛んできた。
爆弾を積んで、やって来た。
そしてこの花畑で、アリアが死んだ。
アリアだけではない。他にも沢山、たくさん死んだ。
でもアリアは、私と同い年で、家は離れていたのに一歳の頃から一緒に遊んでいたのだ。街に連れていってもらった時、お揃いのハンカチーフを買ってもらった。実は私たちの初恋は二人ともルドルフだった。五歳の時のかわいらしい思い出。ルドルフはその時もう十七だったから、二人とも相手にはされなかったのだけど。
そして、それが最後だった。
結局、セドリックは、死んだとは言われなかった。
死んだとも、言われなかった。
戦闘時行方不明。
そんなことを言って、叶うはずのない希望を残して。
あの人は、帰ってこない。
セドリック=ベランジェは、帰ってこない。
アナベル=サルナーヴは待ち続ける。
一秒ごとに希望を絶望に変えながら。
───***───
side B:Herr S.Z.
──乾杯、死んでしまった馬鹿達に
そう言って男──シュテファン=ツェンダーはショットグラスの中味を飲み干した。
今日は、巷では終戦記念日だとか言われている日だ。記念日、だ。街中には飲んで浮かれる連中すらいる始末。
あれからまだ、三年しか経っていないというのに。
俺たちは、負けたというのに。
死者を忘れない、誰かが必要だ。
そうでなければならない。
でなければ、あいつらが報われない──いや、負けてしまった時点で、全ては無駄だったのかもしれないが。
敗者にできることなど、死者にできることとたいして違わない。
シュテファン=ツェンダーにできることは、
ゲーアハルト=ユンカーに、
アドルフ=クレンペラーに、
シャルル=イジドール=ド・ラカンに、
セドリック=ベランジェにできることと、そう変わりないのかもしれない。
片足を失って、利き手の指を数本凍傷で切り落とす羽目になった元時計屋にできることなど。
今だって、ひとりきりでウィスキーを傾けるくらいのことしかできてはいないのだから。
待雪草は咲いたけれど、シュテファン=ツェンダーは気付かない。
彼はただ、嘆くだけ。
“あいつらはもう、帰ってこない”
シュテファン=ツェンダーも、帰ってこない。
彼らは永遠に、塹壕のなかにいる。
───***───
──彼はもう帰ってこない。
──彼女たちももう死んでしまった。
──ここに残ったのは、山を繋ぐ草原と、そして思い出だけだ。
──それすらいずれ忘れられる。
──最後には、風と花だけが残るのだ。