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文師と極童シリーズ

文師と極童〜ヤンキーはモンキーと共に〜

作者: 吉田 将

 生涯、大人になってから動物園に行く人はどれだけいるだろうか?

 いや、動物園だけではない。

 科学館や博物館、遊園地といった子供の頃によく行った場所に再び舞い戻ってくる大人はどれだけいるだろうか?

 恐らく、子持ちでない限りそうはいない筈だ。

 大人になれば、遊園地よりも楽しいことはたくさんあるし、科学館や博物館での知識はネット検索を使って知ることが出来る。

 子供の頃というのは知らないこと、出来ることが限られている故に新鮮で楽しいのだ。

 そんなこんなで俺こと吉田よしだ将陰まさかげもその例に溺れず、今まではそんな所に行こうともしなかった訳だが、この度、座敷わらしで居候兼友達でもある光陽こうよう珠宝みほに世の中を案内する口実として、そのような施設巡りをすることになった。

 ……いや、正直に言おう。

 今までそういった場所に行かなかったのではない、行けなかったのである。

 子連れなら良し、恋人同士でも良し……だが、大の大人が一人でそこに行くには勇気がある。恥ずかしいし……。

 なので、今回の施設巡り……とりわけ、動物園に関しては珠宝以上にワクワクしている自分がいる。

 無論、顔には出さない。大人気ないからだ。


「ショウイン先生、落ち着きないよ?」


 だが、顔には出なくても行動には出るらしい。

 珠宝にまで言われるとは情けない。


「童心に帰るのは重要なことだ」


「童心に帰り過ぎて、子供まで天下りしないでね?」


 くっ、天下りという言葉をもう覚えた珠宝と一緒だとどちらが大人か分からない。

 因みに先程、珠宝が言った「ショウイン先生」とは俺のアダ名である。

 ……取り敢えず、とある先人のような獄中死だけは避けたい所だ。


「おやつは三百円分まで、水筒にジュースは入れるなよ。原則でお茶だ」


「はーい。先生、コーヒーやカフェオレはありですか?」


「誰が、ブレイクタイムのお茶と言った……ティーだよ、ティー」


「あぁ、先生にお茶と掛けてティーチャーなんだ!」


「いや、違う。そんな上手いこと意識してない」


「じゃあ、先生。ハーブティーやフルーツティーはあり?」


「どこの貴婦人の遠足だ?」


 と、そんなこんなで前日には色々と準備をしていたのだが……まさか、翌日に行った動物園であんなことが起こるとは予想もしていなかったのである。




 ✻✻✻✻✻




 翌日、俺は珠宝を伴って都市部郊外にある動物園に来ていた。

 この動物園は小高い山の中腹にあり、近くには遊園地、山頂には展望台があるという、子連れ者にとっては夢の場所とも言うべき所であった。


「楽しみだね、先生!」


 現代風のボーイッシュな服装に身を包み、竿入れに入った釣り竿を腰に差した珠宝は嬉しそうにはしゃぐ。

 この差している釣り竿は元々俺が愛用し、持ち歩いていた物だったが、珠宝が俺の元で暮らし始めてからなぜか欲しがり、あまりにも訴えが多かったのであげた物である。

 ホームセンターで売っていた安物ではあるものの、妙な愛着があり、俺自身も手放したくは無かったがその分、珠宝が代わりに大切にしているので今となっては良しとしている。

 さて、そんな彼女と共にチケットを買い、動物園のゲートをくぐると……そこはサル山であった。


「おぉ! 凄い数のサル!」


 珠宝は柵に掴まり、目を輝かせている。

 俺自身はというと、座敷わらしがこうして公の場ではしゃぐ姿を色々な人達に見られて大丈夫なのか? という下らない疑問を頭に浮かべている。

 今まで至る所に行き、色々な人達の目に留まっていることから妖怪というのはアニメでよく見るような消えたり現れたりする、という都合の良いことは出来ないらしい。

 まぁ、そんなことはどうでもよく。頭の片隅に追いやってから俺もサル山に居るサル達を見る……すると、その中にある特徴のあるサルを見つけた。

 そのサルは片目が傷で閉ざされており、背中にある毛が少し抜け、蛇の姿のような模様を背負っている。

 いかにもボスという感じのサルであった。

 その姿はさながら背に蛇の刺青を施し、眼帯を付けた組長。


「……ヤクザか!?」


「ボスザルというより親分だよね。おーい、親分!」


 珠宝はそのボスザルに向かって手を振る。

 しかし、奴はその声援に対し鋭い眼光を放った。

 もう、人間の極道となんら変わらない。


「なんなんだよ、アイツ……怖ぇ………怖ぇよ……ここ動物園じゃねぇよ。完全にアイツのシマだよ。猿の惑星だったら歴戦の勇士とされるよ、一回でも日光猿軍団へ行って更生したほうが良いって……」


「でも、シマに入るんだからまず親分に挨拶しないと……報復が恐ろしいよ?」


「確かに……サル山のサル総動員して攻められたらたまったもんじゃねぇな。数百匹から放たれるモンキーパンチは強力だし……」


「まぁ、その時はゲームみたいに虫あみ使って捕まえれば良いよね?」


「ダメだ。あのサル達は頭にヘルメットも無ければ、黄色いパンツも履いてない……転送は困難だ」


 そんな会話をしている内に俺はサル山を眺めているとある人に目がいく。

 その人は金髪の頭にボタンを全部外した学ランとよれよれの腰パン……こちらも一目で不良と分かる学生だった。


「黄色いパンツを履いたサルはいないが、黄色い髪した不良は居たな」


「あっ! ヤンキーだ! ヤンキーがモンキーを見てる!」


「あぁん? なんだ、お前ら」


 ヤンキーは俺達に気付いて、近付いて来る。

 ……また、面倒な事になりそうだ。


「さっきからバカみてぇな会話してよぉ、なんなんだ?」


「バカっていう人がバカなんだよ!」


「別にどんな話ししても良いだろ? バカにしてんじゃねぇんだから、カバ」


「今、バカにしただろうが! ってか、カバはあそこだ!」


 ヤンキーは俺にツッコミながら、ある方向を指差す。

 すると、そこにはカバの居る檻があった。

 ……中々にやる。


「ったく、不良っつうのはすぐに絡みたがるな……なんなんだ、ニシキヘビにでもなりたいのか? あれか、とぐろ巻いてシャーシャーと鳴きながら人に突っかかるのが好きなのか?」


「蛇のあれは突っかかってるんじゃねぇし! ただの威嚇だし!」


「動物見に来たから動物園に来たんでしょ? 人を見に行くなら町とか駅に行きなよ」


「人も動物の内だっての! それにお前らだって見てたろうが!」


「いや、今どき金髪でブイブイ言わそうとしている奴なんてそうは居ねぇよ? 良くても茶髪とか……それを踏まえるとお前は今の時代において生きた化石の天然記念物だから……」


「ドラマとかも金髪不良は居るけど主役級は黒か茶髪だよね」


「お前ら、金髪ナメんなよ!」


 ……我ながらふと思う。

 動物園にまで来て、俺は一体何をしているのだろう?

 ゲートを抜け、サル山で過ごす時間約十分……未だにサルしか見ていない。

 かろうじてカバを視界には捉えているが、このままじゃ損もいいところだ。


「……で、何の用だ?」


「ここまで来て、それか!?」


「用があるなら早くしろ。ここまで来てモンキーとヤンキーだけ見るなんて俺は嫌だからな」


「ウチだって嫌だよ! オオカミとか見たい!」


「…………何でもねぇよ。お前らとのバカなやりとりで疲れた」


 ヤンキーはそう言うと、再び柵にもたれ掛かってサル山を眺める。

 どれだけサルが好きなんだ……。


「ショウイン先生、ウチ達もそろそろ行こうよ」


「あぁ、そうだな」


 珠宝に促され俺はサル山を離れ、本来の目的である動物見学を再開する。

 だが、その後にキリンやライオンや珠宝が見たがっていたオオカミを見ても俺の頭の中にはあのボスザルとヤンキーの姿が焼き付いて離れなかった。

 それだけ奴らとの出会いのインパクトが大きかったのである。

 そして、そうこうしている内に昼時となってしまった。


「いや〜、楽しいね! 動物園って……」


「俺はまだサルとヤンキーが頭から離れないんだがな…………ぶわっ! なんだこれ!?」


 園内にある芝生の上でおにぎりを頬張り、水筒の中にある茶を飲んだ俺は思わず吐き出した。

 その茶は俺が思っている以上に苦かったのである。

 いや、苦いというより不味い……茶独自の苦味からあまりにもかけ離れた苦さだ。


「麦茶ってこんなに苦いっけ!?」


「あっ、もしかして……先生が作りおきにしていた漢方と間違えたかも……」


「おまっ……ふざけんなよ! どこに遊びに行った先で漢方持っていく奴がいる?」


「ここにいるよ」


「確かに……じゃなくて! …………まぁ、良い。このままじゃ飲めないから珠宝のを少しくれ。お前は緑茶だろ?」


「…………残念ながら、ウチも間違えて青汁を……」


「なんでだぁー!?」


 どれだけ健康嗜好なんだよ、俺らは……。


「仕方ない。少し勿体無いが自販機で……ん?」


 俺が全てを諦め、文明の利器による恩恵を受けようとポケットから小銭を出した時だった。

 ふと、何気なく見たロバの居る檻……そこにはサル山を見ていた時に居たヤンキーがあの時と同じように眺めていた。


「モンキーの次はドンキーか?」


「うわっ!? また、お前らかよ! 俺が何を見ようが別に良いだろ!」


「動物が好きなんだね」


「う、うるせー……」


 否定をしないという事はまんざら嘘では無いらしい。が、何だかその声には最初に会った時のような覇気があまり感じられない。


「なんか、あったのか?」


「……はっ?」


「ツッコミに覇気が感じられないぞ? そんなんじゃ、一流の芸人には程遠い……」


「……当たり前だろ、素人なんだから……それに芸人になるつもりなんてねぇよ」


 もはや、どうでも良い……そんな雰囲気を身に纏うヤンキー。

 まぁ、確かにこんな連中に付き合うのは普通はいないのだから、これが当然の反応なのだが……。


「なに、やさぐれてんの。何か悩みがあるなら聞いてあげても良いよ……今日出会って短い時間しか過ごしてないけど…………こんなに会うのも何かの縁だろうし」


 ……珠宝、お前何言ってんだ?

 こういうのは縁云々以前に余所者が関わっちゃダメだろう。


「珠宝、余所様の事情に首を突っ込むな。こういうのは自分で何とかしなきゃならない、と相場が決まってる」


「……自分でも誰にもどうにも出来ないから、悩んでんだよ」


 おっ、意外に食いついてきたな。てっきり、そのまま放置するものだと思ったのに……。


「なんだ、ヤンキーにも悩みがあんのか?」


「……なんだよ、あっちゃ悪いのかよ?」


「いや、別に……ただ、急に人間らしくなったなぁと思ってな。なぁ?」


「うん、カタギには見えなかったもんね」


「……さっきから清々しい程に言いたい放題だな。お前ら」


「まぁまぁ、そう言わずに……だから話しくらいは聞いてあげるって」


 あぁ、結局話しは聞くんだな。

 見た目は子供、頭脳は婆……やはり、長い年月を生きていただけあって老婆心が露わになっている。

 こういう時は俺が何を言っても無駄だろう。珠宝だけ残し一人で動物巡りをするのも虚しいし……。

 ……仕方ない。

 俺は成り行きとはいえ、珠宝の人生相談に付き合うことに決めた。




 ✻✻✻✻✻




「んで、一体どうしたの?」


 俺達が昼食を摂っていた芝生にヤンキーを案内し、緑茶のようなものを勧める珠宝。

 中身は勿論…………青汁だ。


「……随分、人目のつく所で話すんだな。って、これ緑茶か? なんか、濃いな……」


 訝しながらも出された緑茶もどきに手を伸ばし、一口啜るヤンキー。

 だが、次の瞬間……ヤンキーの近くの青い芝に青い汁が霧吹きのように吹き付けられる。


「マッズ! これ緑茶じゃねぇだろ!」


「バレたか、これは………抹茶だ」


「嘘つけ! 青汁だろうが! ……まさか、この芝で作ったもんじゃねぇだろうな!」


 ヤンキーはいきなり立ち上がり、辺りを見渡す。

 残念ながら、それは通販で買ったごくごく普通の青汁だ。

 決して青芝汁ではない。


「そんな訳ないじゃん。じゃあ、代わりにこれをどうぞ」


「……今度は麦茶か? なんか、妙な臭いがするが……」


「いや、漢方だ」


「まともな飲み物すら出さねぇのか、お前らは!」


 ヤンキーはツッコミと共に漢方を投げ捨てた。


「あったらウチらが飲んでるよ」


「お前のその金髪が直るかとおもったんだけどな……」


「いけ、しゃあしゃあと……飲み物で髪の色が直るか!」


「でも、ワカメを食べると髪が黒くなるんだよね?」


「増えるんだよ! おれの頭はそこまで寂しくねぇ!」


「どうせ最終的には寂しくなるんだ。それなら、いっそ全部刈り取っちまえよ。スッキリする」


「いや、別にスッキリしたくないし……ってか、話しが逸れたな」


「そうだよ、早く本題を言って」


「その逸れた原因のほとんどはお前らだが……まぁ、良い」


 ヤンキーはそう言うと、ゆっくりと息を吐いて本題に入り始めた。


「お前ら……あのサル山に居るボスザルは分かるか?」


「親分だね!」


「あぁ、ヤクザルか」


「親分はともかく、ヤクザルって何だよ!?」


「ん? ヤクザとサルを足してヤクザル……良いから続けろ」


「……っ。まぁ、あのボスザルが分かるなら話しが早い……あのサルはなぁ、エンマっつう名前があるんだよ」


「わぁ……親分じゃなくて大王だったんだ。小山の大将って器じゃないね」


「猿の魔王で猿魔か? 確かに逆らったら地獄に叩き落とされそうだな」


「…………そのエンマがなぁ、もうすぐボスザルの座を降りることになりそうなんだ」


「なんで?」


「寿命だとさ……まぁ、おれが小学生の時から居たサルだからな。ボスザルとはいえ、もうジジイだろ……」


 ん? ちょっと待て。このヤンキーが小学生の時ってことはエンマは十年近く、この動物園で生きてんのか!?

 そりゃ、もはや大王じゃなくて仙人だ。


「なんか、そりぁ…………エンマじゃなくて妖魔な気がする……」


「……アンタはさっきからマジメに聞く気が無いみたいだな」


「当たり前だ。病気や怪我ならともかく、寿命ってのは生物万物に等しく訪れる事象だろ? 不老不死のすべがこの世にあるならマジメに聞く。寿命を長くすることが出来るなら耳を貸す。話しを聞いて心が軽くなるなら相談に乗る…………だが、今のお前からはあのサルを助けたいという気持ちが伝わってくる……けれど、どうすれば良いのか分からない。そんな感じだろ?」


「……っ!?」


 ヤンキーは図星を突かれたのか、唇を噛み締めて反論出来なくなる。

 これだから俺はマジメに聞くのは嫌なんだ……現実的な本当の事を言って、相手の気持ちを踏み躙ってしまう。

 だが、変に夢を見てから現実を思い知るより、早くに現実を知った方が心の痛みは軽くなる……ましてや、どうしようも無い場合は尚更だ。


「前を向いて生きろ。例え、後ろ髪が引かれてもな」


「……っ、けど!」


「まぁまぁ、二人共落ち着いて」


 そんな中、珠宝はいつの間にかあぐらをかいている俺の膝の上に座り、のんびりとオレンジの缶ジュースを飲んでいる。


「お前、いつの間に俺のポケットから小銭を………」


「良いでしょ、そんな事。……で、結局の所……あなたはどうしたい訳?」


 堂々と人の金をスリしておいて、そんな事で済ますか……。


「おれは…………エンマを助けたい。いや、別に死ぬことから救って欲しい、って訳じゃない…………最期くらい静かに過ごして欲しいんだよ」


「どういうこと?」


「……エンマは確かにボスザルだったけど、優しいボスザルだったんだ。子ザルを助けたり、人間の落とした物を拾ったり…………アイツが居たから他のサルは大人しかったんだ。でも、今は違う。エンマは老いて力が衰えた…………今じゃ、他の若いサル達がその覇権を奪い合い、ボスの座を狙っている………」


 跡目争い……内部抗争…………やはり同じ仲間である為か猿も人間も大して変わらないことをするらしい。


「エンマは優しい故に多くのサル達から恨みを買っている…………きっと、最期は穏やかじゃない筈だ。だから、最期くらいは静かに過ごして欲しいんだよ」


「なるほどね…………ねぇ、先生。何か良い方法は無いかな?」


「おまっ……早速、他力本願かよ!?」


「だって、ウチ……動物園の事情とかあまり知らないし……」


「俺だってあまり知らねぇよ……」


「じゃあさ、前みたいにアレを書いたら? そうしたら、何か良い方法が浮かぶかも」


 アレ……“浄天眼全世百譚じょうてんげんぜんせいひゃくたん”の事か。

 アレは俺の趣味みたいなもので、別に解決策でも何でも無いんだが……。


「アレ? なんだ?」


「人間観察小説だよ。ショウイン先生は文師だからね!」


 人間観察小説!? なんて呼び方をしやがる……なんか、イメージが悪いじゃねぇか……。

 とはいえ、人様の人生を勝手に想像して書くのも良いとは言えないが……。


「文師? まさか、小説家か!?」


「いや、小説家と言ってもプロじゃなくアマチュアでフリーの方な…………って、書くと言ってもヤンキーの人生を書いてもなぁ……」


「違う違う。先生が書く物語は親分のだよ」


 なるほど、エンマか……確かに老い先短い御老体の生涯を書けば何か、良い案が出るかも知れない。

 と言っても、それを見つけるのはコイツらだが……。


「…………分かった。書いてみよう。ただし、前もって言っておくが……これはただの文だ。予知書とかそういうのじゃ無いから、解決策は自分達で見つけろよ」


 こうして、俺は二人から時間を貰い、簡単な短編小説を書き上げたのであった。




 ✻✻✻✻✻




 昔、ある動物園に一匹のサルがきた。

 名前はエンマ…………町にやってきた所を捕まった野生のサルである。

 因みに名付け親はとある人間の子だ。

 エンマはサル達の中では特に変わった存在で、いつも孤独であった。

 というのも、それは彼が特徴ある身なりをしていたという訳では無い。エンマは人間がサル山に落とした物を拾ったり、子ザルを助けたりといった、他のサルとは違う行動を取っていたのだ。

 それ故に、彼は疎まれる存在であった。

 だが、エンマの孤独は孤高へと昇華する礎に過ぎなかった。

 他の雄ザルとの闘争により、片目を傷付けられ……背中の毛をむしられながらも彼は頂まで昇り上がることが出来た。

 頂から見下ろす景色……それは無数のサル達が自分を見上げている光景であった。

 ある者は畏れ、ある者は憧れ……尊敬と畏怖が込められた視線を一心に浴びるエンマはもう孤独では無かった。

 しかし、それは他者から見ればである。

 エンマ自身は未だ孤独に包まれていた。

 多くの雌ザルが群れても、多くの子ザルに囲まれても、多くの雄ザルが後に付いてきても、彼自身の心は孤独であった。

 なぜ孤独なのか…………それはエンマには“友”が居なかったからだ。

 彼と対等に渡り合おうする者がいない…………エンマに近付いてくるサル達は皆、上下を重んじる者ばかり……。

 サル特有の本能……といえば、仕方が無い。

 だが、エンマはその習わしを壊そうと奮闘した。

 他の雄サル達と幾度も渡り合い、頂に座した……けれども、“生”により生み出されたものは……習わしは壊す事が出来なかった。

 そして、彼自身にもその“生”によるもう一つの習わしがやってきた。

 寿命である。

 命ありし者に課せられる制限時間……それが刻一刻と迫ってきたのだ。

 それが目に見える老いは身体だけでなく、その孤高だった心をも衰弱させていった。

 独りの時ほど心が辛くなる時は無い……その上、今まで頭を下げて付いて来た若いサル達は今か今かと、エンマの座を狙っている。

 独り戦い続けたエンマにもはや居場所は無かった。

 このまま衰弱死するのか他のサル達にやられてしまうのか…………どちらにせよ、安らかな最期は迎えられそうに無い。

 それは覚悟の上だった。

 けれども、動物であれ人間であれ……一生の内に何が起こるのかは分からない。

 その例はエンマも同じであった。

 ある日、動物園に一人の少年が来た。

 その少年は髪を金色に染めた学生であったが、他の動物には目もくれず、サル山のエンマばかりを見ていた。

 エンマはその少年が誰だか気付いていた。

 自身の名付け親であるあの人間の子供であった。

 人間の子供の成長は早い、それ故……寿命は他の動物より長い。

 命は平等……しかし、寿命は不平等…………エンマは成長した少年を見ながらそんな事を思った。

 命のしきたり……それに従うのなら、自身も潔く散らなければならないだろう。

 けれども、エンマには一つだけ心残りがあった。

 出来れば、友の一つや二つ作りたかった………………そんな思いである。

 友が居れば、最期は寂しい思いをしなずに済んだかも知れない。…………ここに来て、エンマは老いの為か寂しさを感じていた。

 月日が更に経ち、身体もいうことを聞かなくなってきた頃…………身体のみならず、他のサル達も言うことを聞かなくなってきた。

 挙句の果てには老い先短いエンマの命を狙おうとする者達まで現れた。

 これが頂まで昇った者の末路……先に天に居た者は地に落とされる。

 いよいよもって、エンマは覚悟を決めた。

 だが、彼はそこで凄惨な最期を向かえることは無かった。

 間一髪、動物園の飼育係が彼を別の場所に移したのである。

 そこは檻の中で一見すると牢獄のような場所にも見えたが、餌は毎回出される上、命を狙われる心配も無かった。

 そして、檻の外にはあの名付け親である少年が立っていた。

 エンマはこの時悟った。

 この少年が動物園の職員に掛け合って自身をここに移した事…………そして、自身にもまた友が居た事を……。

 エンマは涙を流さない。

 いつも通りに鋭い眼光で余計なお世話だ、と思わんばかりの視線を放つ。

 だが、これで良い。

 一人と一匹の間には言葉などいらないのだから……。




 ✻✻✻✻✻




「……それで、それで? この後はどうなるの?」


「それで終わりだっての。言ったろ、俺が書くのはフィクションだ。予知書のような類じゃないからアテにするなって…………それにノンフィクションを書くのはお前らだろ?」


「なんで……なんで、アンタは……おれがエンマの名付け親だって分かったんだ!?」


「いや、だから想像だって」


 このヤンキーも珠宝と会った時と同じ反応をする。

 まぁ、この二人に限らず大抵初見の奴らは同じ反応をするが……。


「でも、保護か……確かにそれならエンマを救えるかも知れねぇ!」


「アテがあるの?」


「あぁ。サル山の飼育員でおれと仲の良い動物園職員がいるからその人に掛け合ってみるぜ! サンキュー! 嬢ちゃん、先生」


「先生はやめろ。先生は……」


 ヤンキーはそんな俺の抗議を聞いてか聞かずか、どこかへと走り去っていく。

 最近の若者は気が早い……それを絵に描いたような奴だ。


「良かったね、ショウイン先生」


「……まぁ、人生そう上手くいくとは思えないが……」


 頭を掻きながら無意識に明後日の方を向いた俺はあるモノを見て掻く手を止める。

 そこには一匹のニホンザルが居た。

 いや、動物園だから居るのは当たり前なのだが、居る場所に問題があるのだ。


「…………なんで芝生にサルか居るんだ?」


「あっ、見て見て先生! あそこにも!」


 俺が現状に混乱していると、珠宝が上着の裾を引っ張り反対を指差す。

 見ると、そこにもニホンザルが三匹彷徨いていた。


「これって、犬とかである放し飼い?」


「んな訳あるか! これは脱走だ!」


 しかも、一匹や二匹の程度では無い。

 気が付くと俺達は六匹のサルに囲まれていた。

 周囲に居る人々の周りにもサル達が居る。

 占めて、十三匹程……この芝生エリアでこの数なのだから他のエリアでも同じ事になっているだろう。

 集団脱走……もはや、只事では済まされない。

 サル達は鳴き声を上げ、興奮している。

 中には既に人に襲い掛かっているサルまで居た。


「助けてぇー!」


「うわあぁぁぁ!!」


 逃げ惑い、叫ぶ人々と追い回し、襲うサル達……映画の中のような出来事が現実に起こっている。

 俺がそんな様子を呆気に取られながら眺めていると俺達の周りに居る六匹のサルの内の一匹がいきなり奇声を発しながら飛び掛って来た。

 だが、俺の身体が動くよりも早く何かが俺とサルの間に割って入り、飛び掛って来たサルを地面に叩き落とした。

 地面に叩き落とされたサルはすぐに起き上がり、自身の邪魔をしたモノをジッと見る。

 サルの目の前に居て、俺の前にも居るモノ……それは珠宝であった。


「……例え、おサルさんでもショウイン先生には触れさせない」


 珠宝がどうやってサルを叩き落としたのかは分からない。

 しかし、そこに居る珠宝は先程まで一緒に居たであろう珠宝とは違う。

 どちらかと言うと、初めて会った時の人間を恨み、殺していたアザミとしての珠宝に雰囲気は似ている。

 が、何かが違う。

 アザミは動きが感情のまま単純であったが、今の珠宝は感情的では無いのか、動きが分からない。

 珠宝の元々の運動神経がどのようなものかは俺は知らない。

 だが、珠宝は妖怪……座敷わらしなのだ。

 そもそもの指標を人間に例えてはいけない。


「おサルさん達、早くサル山に帰った方が良いよ。騒ぎが大きくなる前にね」


 立て籠もっている犯人を諭す刑事のように珠宝はサル達に説き掛ける。

 というより、もうかなり大事になっているんだが……。

 しかし、サル達は珠宝の言葉を聞かず、騒ぎ立てる。

 その上、さっき俺に襲い掛かって来たサルが今度は珠宝を引っ掻こうと襲い掛かって来た。

 だが、珠宝は襲って来たサルの腕を掴むと芝生の中にある地面で出来た一画に投げ飛ばす。

 そして、投げ飛ばされ倒れたサルに向かって駆け寄ると、軽く跳躍し踏みつけた。


「……言っても分からないなら、仕方ないね」


 サルを踏みながら他の五匹のサルを睨みつける珠宝は、犯人を取り押さえた刑事というよりも極道だ。

 珠宝の言葉と視線を受け、俺の周りに居たサル達は仲間の報復とばかりに珠宝に駆け寄って行く。

 五匹の内、一匹のサルが先に珠宝に飛び掛って来た。

 珠宝はそれを見ると踏んでいたサルを蹴り上げて、飛び掛って来たサルを吹っ飛ばす。

 続いてやって来たサルに対しては自らが飛び蹴りをして強く、蹴り飛ばした。

 やがて、残る三匹のサル達がやって来ると珠宝はその内の一匹の背後に回り込んで肩を掴みながら足を背中に掛けると、まるで水泳の背面飛びのように蹴って飛ばし、自身は宙に舞う。

 そうして、後からやって来た二匹のサルに向かって両足を大きく広げると、二匹を同時に蹴り伏せた。

 短時間で六匹のサル達は座敷わらしによって起き上がる事が出来ない状態になっていた。

 やはり、見た目は子供でも妖怪は妖怪か……このサル達は不運だな。

 それを見ていたのか、周りの人々を襲っていたサル達はどこかへと散り散りに逃げ惑う。


「大丈夫か? 珠宝」


「ウチは大丈夫。それよりどうして、おサルさん達がここに?」


「大方、飼育員が扉を掛け忘れたか、鍵をするのを忘れてサル達が逃げ出したんだろ」


「エンマやヤンキーは無事かな?」


 エンマは無事だろうが、ヤンキーの方は少し危ないかも知れない。

 なんせ、人を襲うサル達だ……見つかったらタダじゃ済まないだろう。

 やれやれ、乗り掛かった船だ。


「……あんまり俺は関わりたく無いが、動物園の出入口は一つな上、その近くにはサル山がある…………脱出するにしてもサルとの遭遇は確実だな。様子見がてら行くか?」


「うん、行こうよ! 先生!」


「……はぁ〜、UFOでも来て空から脱出させてくれねぇかな」


「未知との遭遇?」


「そっちの方が少なくともサルよりは安全そうだな」


 こんな状況でもバカみたいな会話が出来る辺り、俺も珠宝もまだまだ余裕みたいだ。




 ✻✻✻✻✻




「……まさか、脱走騒ぎがこんな事になっているとはな」


 珠宝と共に何とか、動物園の入り口まで辿り着いた俺はあまりの光景に絶句してしまった。

 入り口周辺にはサル達は居なかったが代わりに園内に居た人々がサルの群れのようにゲートに押し寄せている。

 更にゲートの外には大勢の警官達がバリケードを敷き、外に出ようとする人々を誘導していた。

 これじゃあ、生物災害バイオハザードと何ら変わらない。

 いや、この状況もある意味で生物災害だが……。


「あっ、先生! あそこ!」


 そんな中、サル山を見ていた珠宝が突如声を上げる。

 その声に導かれ、俺もその方向を見るとそこには血だらけになったエンマを庇うボロボロのヤンキーが居た。

 恐らく、サル山に来る途中でサル達に襲われたんだろう。

 顔や腕には無数の掻き傷がある。

 そして、サル山の四方八方からはヤンキーとエンマを狙うかのように無数のサル達が居た。


「っ!? アイツ、何やってんだ!」


「早く逃げてよ!」


 俺達の叫び声に気付いたのか、ヤンキーは顔を上げるとニッと笑顔を見せる。

 だが、その場から動こうとはしない。

 その内、俺達の叫び声を聞いてか入り口に群がっていた人々もぞろぞろとサル山に集まってきた。


「なんで……逃げないの!?」


 俺はすぐさまヤンキーとエンマの周囲を見る。

 すると、ある事に気付いた。

 ヤンキーとエンマが居る場所はサル山の窪地になっているのだが、その窪地には一人と一匹の他にまだ幼い子供のサル達が居るのだ。

 恐らく、エンマは小ザルを守る為にその場を離れないだろう。そして、ヤンキーもまたエンマを守る為にその場から離れない。小ザルは小ザルで大人のサル達に囲まれている為、怖くて逃げ出せない。

 悪循環だ。


「あの小ザル達を何とかすれば、エンマは動くな。けど、その為にはあのサル達を何とかしないと……」


「だけど、あの数を相手に潜り抜けるのは難しいよ」


「……職員が何か策を練っているみたいだが、悠長に待ってもいられないな」


「あぁ、もう! 見ていられないよ!」


 いても立ってもいられなかったんだろう。

 珠宝は柵によじ登り、サル山に向かって飛び降りる。

 それを見た集まった人々からは悲鳴が上がるが、珠宝の正体を知る俺はあまり驚きはしない。

 とはいえ、飛び降りた時は少し焦ったが……。

 そんな心配などお構い無しに当の本人はサル山の岩場をサルのように飛び移りながらあっという間にヤンキーの居る窪地にやって来た。


「なっ!? お前、危ねぇだろうが!」


「危ないのはどっち? まったく、口は減らないね」


「お前……一体何者だよ」


「別に何者でも良いじゃん。助けに来たヒーローなんだから…………さぁ、おサルさん達を蹴散らして逃げるよ!」


「自分でヒーローって言うか……だが、逃げても無駄だ。シマが居る限り、サル達は襲うのをやめねぇよ」


「……シマ?」


「凶暴なチンパンジーだ。元は他のチンパンジーと一緒に居たんだが、子供のチンパンジーを殺したり、何度も脱走しては他の動物を襲った事から檻の中に入れられたんだ。この騒動もシマが原因だ……奴は掃除をしに来た飼育員を襲い、脱走してこのサル山に来たんだ。そして、瞬く間にサル達を恐怖に陥れた…………ニホンザルは本来、臆病で自分から人を襲うことはねぇんだ。このサル山のサル達はシマに組みするか、シマに怯えて逃げるかのどちらかしか無い…………今、おれ達の周りに居るのはシマに加担した連中、脱走したのはシマから逃げ出した連中だ」


「そうなんだ……それで…………そのシマはどこに?」


「サル山の穴ぐらに入っている……もうじき、出てくる筈だ」


 シマ……また妙なキャラが出てきたもんだ。

 珠宝とヤンキーの会話をサル山の外から聞いた俺は山の中腹に空いている岩穴を見る。

 すると、ヤンキーの予想通り……その穴から一匹のチンパンジーが出てきた。

 思ったよりも大きい……幼稚園児くらいはあるだろうか……珠宝よりは少し小さい。


「珠宝! 出てきたぞ!」


 俺の言葉を聞いた珠宝はこっちに向かって頷くと窪地の周りにある僅かな岩場を足場に飛び跳ねるようにして山の中腹に向かっていく。

 周りに居るサル達はそれを邪魔しようと飛び掛かるが、珠宝はそれを避け、逆にサル達を足場にして向かっていく。

 空を舞う蝶の如く飛んだ珠宝はやがて、山の中腹にある拓けた岩場に着地する。

 それと同時にのそのそと黒い身体を揺らしながらシマが現れた。

 座敷わらし対チンパンジー……聞けば滑稽だが、チンパンジーの凶暴性は実際には笑えない。

 握力は2、300キロを越えるし、腕力は100キロ近い鉄板を軽く持ち上げることが出来る。脚力や記憶力も高い……その上、ヤンキーも言った通り、チンパンジーには他のオスの子供を殺して食べる習性がある。

 チンパンジーによる傷害事件も多い。

 だからこそ……


「いや、逃げろって! なんで戦う気満々なんだよ!?」


 珠宝には逃げるように声を掛けたんだが、奴は勘違いしたらしい。

 だが、それは俺の勘違いだった。


「先生、ウチはね…………罪滅ぼしがしたいんだ。ウチが過去に人間に対して行った事に……」


 俺はそれを聞いて息を呑んだ。

 珠宝は昔、人間を殺した。

 それは確かに消えない罪だが、殺された人間達にも非があった筈だ。

 けれど、珠宝はそれを自らのせいだと思っていたのだ。

 俺という人間と時を過ごす内にそれは自責の念として着実に雪のように心に積もっていったのだろう。

 過ぎた過去と消えた命は戻らない……例え、それが自らのせいであっても、無くても……。

 そして、それが独り善がりの自慰であると分かっていても珠宝は色々な形で償っていくつもりなのだろう。

 だから、俺は言った。


「……人生はお前自身の物語だ。お前の好きにしたら良い。俺も協力はする……だが、画竜点睛はしっかりしろよ? 竜頭蛇尾の作品じゃ後味が悪いからな……お前にとっても、俺にとっても……」


「うん、分かってる。ありがと、先生」


 周囲の人間には俺と珠宝の会話の意味は分からないだろう。

 だが、それで良い。

 俺達の事情を他人が知った所で何かをしてくれる訳でも無い。

 寧ろ、面白おかしく食いつき、珠宝の心を壊すだろう……それなら関わらせない方が良い。


「おい、なにしてんだよアンタ! 早くあの子を止めろ! シマは本当に凶暴なんだぞ!」


 ヤンキーが珠宝を止めるよう俺に向かって叫ぶが、俺は応えもしないしヤンキーの言う通りにしようともしない。

 その代わりに珠宝が自分の腰に差していた釣り竿を一本、竿入れから刀を抜くように取り出し、剣道の立ち合いの如く構える。

 そして、釣り竿を力一杯振り上げて一気呵成に振り下ろした。

 生物独自の防衛本能が作用したのか、シマは腕を上げて珠宝の一撃を防ぐ。

 珠宝に大きな隙が出来た。

 このまま掴まれたり、殴り掛かられたらたまったもんじゃ無いだろう。

 だが、そんな俺の心配は杞憂に終わった。

 シマに防がれた瞬間、珠宝は咄嗟に両手を離し、釣り竿を回転させると、釣り竿を右手で逆手に持ち直し、その柄頭をシマの額に近付け竿先を自身の左手の掌に付ける。

 隙が出来たのは向こうも同じであった。

 その上、珠宝は振り出し竿を伸ばしてはおらず、短い棒の状態で使っていた。

 小回りが利き、最も懐に入りやすい状態……。

 そのまま珠宝はビリヤードの玉を弾くように釣り竿でシマの額を強く突いた。

 突かれたシマは悲鳴のような鳴き声を上げ、両手で額を押さえながらよろめく。

 ガラ空きとなった腹部……珠宝はそこ目掛けて釣り竿を振り、横薙ぎに強く打ち付けた。

 髪をほんの一瞬なびかせながら、シマの横を珠宝が通り過ぎた途端…………かの暴君の鳴き声は止み、その場に倒れる。

 勝敗は決したのだ。


「嘘だろ…………大人の職員でさえ、手を焼くシマを……」


 絶句するヤンキーの言葉を聞いてか聞かずか、珠宝はその場で気を失っているシマを見下ろす。

 その目は何かに怯えているように、俺の目には映った。




 ✻✻✻✻✻




 珠宝がチンパンジーのシマを倒した事によりサル山に居たサルは落ち着きを取り戻し、逃げ出したサル達も程なくして動物園職員に捕まっていった。

 あれだけのサルが逃げ出したにも関わらず、動物園から出たサルが一匹も居なかったのは不幸中の幸いだろう。

 その後、俺と珠宝は人混みに紛れながら動物園を出る事が出来た訳だが、その帰り道の途中……偶然にもあのヤンキーと再び出会う事となった。

 ヤンキーは身体中に傷を負い、包帯が所々巻いてあるものの、その顔はどこかスッキリしたようであった。


「あ……先生に嬢ちゃん……」


「先生はやめろ。……その様子じゃ、悩みは消えたみたいだな」


 少し茜色に染まりかけた空を見ながらフッとヤンキーが軽く息を吐いた。


「あぁ。エンマは檻の中で保護される事になったよ。老衰に加え、今回の一件でかなりボロボロになったんだ……静養の為にも職員監視の下、どちらにせよ檻の中だ」


「また、サル山は荒れるんだろうね」


「まぁな、けど……動物ってのは自分のナワバリを持つ本能があるからな。こればかりは仕方ねぇよ、自然の摂理だ」


「またこれからも学校をサボる為に動物園に金を払うのか? 良い信者を得たな動物園も……」


「いや……これからは週一に来る事にする。エンマは檻の中だし、シマも他の動物園に行っちまうみたいだしな…………流石にあのサル山全部のサルの顔を見に行く訳にもいかねぇし……」


「これからどうするの?」


「…………今からじゃ、遅いかも知れねぇけど……ガキの頃から夢だった獣医を目指そうかと思うんだ。おれには似合わないかも知れねぇけど……」


 獣医か……確かに似合わない。

 だが、夢に似合わないも何も無い……自分が本当になりたいなら、そんな他人の目など構わない筈だ。

 ましてや、強い意志があれば尚更だ。


「良いんじゃねぇか? 目標があるならそれを目指して生きた方が人生は楽しい」


「うん、応援してるよ!」


「……ありがとう。そうだ、嬢ちゃん。助けてもらった礼にコレをやるぜ」


 ヤンキーはそう言うと珠宝にある物を手渡す。

 それは、一丁のハンドガンに似せて作られたエアガンであった。


「シルバーモデルのエアガンだ。今、あげられるのはそれしか無ぇけど……結構高かったんだぜ?」


「お礼にエアガンって……ヤンキーの礼は物騒だな」


「ヤンキーはやめろ。おれにははた吾郎ごろうっつう名前があるんだよ!」


 ヤンキーこと自称、畑吾郎と俺のやり取りには目もくれず。珠宝は貰ったエアガンをクルクルと片手で回し、引き金を引く。

 しかし、弾は出てこない。


「悪いな。弾であるBB弾は切れてるんだ」


「なぁ〜んだ……でも、良いや。ありがと!」


 珠宝が後ろ腰にエアガンを差すのを見た吾郎はやがて俺の方に顔を向ける。


「そういえば、まだアンタらの名前を聞いて無かったな」


「ウチは光陽珠宝!」


「……俺は吉田将陰だ」


「珠宝に吉田先生か……今日は色々と世話になった。何だか、また会えそうな気がするな」


「……会えるさ。なんせ、すれ違いなんかじゃなくこれだけ深く関わったんだ。腐れ縁は腐っても切れねぇよ」


「ははは、違いねぇ。……んじゃあ、またな。珠宝、吉田先生」


「じゃあね〜!」


 結局、名前は教えても先生は変わらないか……。

 背を向けてその場から立ち去る吾郎に手を振った珠宝はやがてその姿が見えなくなると、ゆっくりと手を下ろした。


「……先生」


「なんだ?」


「ウチ……シマを倒した直後、正直怖かったんだ……」


 珠宝は落ち込んだように呟く。

 どうやら、俺の見た何かに怯える珠宝は見間違いでは無かったようだ。

 何が言いたいのか……大体の予想は着くがここは黙ることとしよう。


「またアザミとしての……人間を恨み、殺していた頃のウチが出るんじゃないかって……。確かに、ウチは先生のお陰で更生出来たし、あの忌々しい牙を折る事が出来た…………けど、牙が無くなっても獣は所詮、獣…………獣が歩む道は陽のあたる場所ではなく、陽のあたらない鬱蒼とした陰の道…………やっぱりウチは……」


「だからこそ、お前は今こうやって見聞を広めて知識を付けようとしているんだろう?」


 俺は珠宝の言葉を遮った。

 言い掛けた先の言葉なんて言わなくても分かる。

 そんなものは聞かなくて良いし、無理に言わせる必要も無い。


「どこかの神話にこんな言葉がある……“無知とは罪を知らない事だ”と。だからこそ、知識が無い人間は幸福でいられるそうだが、それは本当に幸福なのか? 確かに“知らぬが仏”という諺もあるが、生き物は生きている内に何かしらの罪を犯しているんだ。生きる為にな。……知識を付ければ色々な事に深く精通し、それだけ罪も知るだろう。だが、反面……それは他者を救う術を多く知っているという事になる。大事なのは知らないままにして罪から目を逸らさず、しっかりとそれを受け止める事じゃないのか? ……過去の罪は決して消えない。だからこそ、お前は最低でも殺した人間の倍の数の者を未来で救わなくちゃならない。それがお前の言った罪滅ぼしの一つだよ」


 俺の言葉を聞いた珠宝は顔を上げ、子供らしく笑顔を見せる。

 その顔は茜色の空に映え、ほんのり紅く染まっていた。


「さて、帰って飯にするぞ」


「うん!」


 珠宝は俺に近付き、手を握ってくる。

 コイツは妹でも無いし娘でも無い、ただの友達だ。

 だが、たまにはこういうのも悪くないと思った。

 こうして、俺達は空が暗くなった頃に家に着いたのだが、自宅の前である人物の姿を見掛けた俺は思わず立ち止まってしまった。


「あれ、吾郎だ!」


「ん? この声…………珠宝!? それに先生まで!? なんで、こんな所に居るんだよ!?」


「俺達の家がそこなんだよ。お前こそ、なんでこんな所に居るんだ?」


 この時の俺は恐らく疲れ切ったような顔をしていたんだろう。

 対する、吾郎も疲れたような顔をして言ってきた。


「……おれの家も、この近所なんだよ……」


 どうやら、腐れ縁というのは思ったよりも厄介なものらしい。

 俺は新しく出来た知り合いの前にも関わらず、頭を掻きながら軽く溜め息を吐いた。


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[一言] 投稿おつかれさまです。 面白かったです。純粋に。読んでいてワクワクしたり、ハラハラしたり、しんみりしたりと感情が動かされました。これがきっと物語の力なんでしょうね。 登場人物たちに愛着が…
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