世界八分『前』真実
「机上の空論だ! なにが世界八分前真実だ。カッコつけた名前でただ遊んでるだけじゃないか! 俺は信じない。世界が八分前に始まったなんて絶対に信じないからな!」
立ち上がった差名偽田くんは机上を両手で叩いて言った。一時の激情に駆られて憤怒する。
そんな彼の様子はクラスで浮いていた。
「落ち着けって。この話しになるとお前はすぐに熱くなる」
隣に立っている嘘谷くんはやれやれといった様子だ。
「いや、だってよ。議論したってしょうがないことをこいつが持ちだすから」と、席に座っていた私の顔を指差した。私こと真実の顔を指差した。
「だってじゃなくて。私は真実を言っただけ。この世界は八分前に始まったんだ。そして私達人間は経験を含む記憶をインプットされた存在として地球につくられた」
「バカバカしい」
差名偽田くんは鼻で笑った。目と口は笑ってなかったけど。
「よかったね。バカバカしくて」
「おい。いま喧嘩売ったよなぁ!」
思い込みが甚だしい人だ。そう思った。
「俺にはこれまでの十六年間生きてきた記憶がある。それが全部つくりものだっていうのかよ! それなら証明してみろよ! この世界が八分前に始まった根拠について!」
「私が証明だ!」
椅子に座ったままの私は意気揚々と胸を張ってみせた。
「意味が分からん。ふざけんn」
「まあまあ! お前はもうちょっと気丈に振る舞う練習をしたほうがいい」
嘘谷くんは彼の肩に手を置いた。
「そうだよ。谷っちの言う通りだ。なんなら私が稽古をつけてやろう。机上に手を置きながら気丈に振る舞う練習」
「そんな稽古するか!」
私の机上を両手で叩いた。ばん! という音が教室に響きわたる。
「おお! そんな稽古をするのか」
「拒否形だバカ野郎」
「机上で激怒しないで。ところで机上の空論てどういう意味だっけ?」
「頭で考えたけど実際にはなんの役に立たない理論」
すかさず嘘谷くんがフォローを入れる。
「そっかー。ありがとう差名偽田くんの肩に片手を置いてる谷っち。いっそ差名偽田くんの本体が肩だったらいいのにね」
「まぁな」
「二人なに意見を同じにしてんの? 俺からしたら意味不明だよその会話!」
「意見を同じにするというか、意気投合しちゃてるのさー。だって私は差名偽田くんの肩に手を置いている谷っちのことを愛してるからねー。差名偽田くんは愛してないけど」
「…」
「なにその目」
「いや、なにも」
そう言って差名偽田くんは私から目をそらし(ずっと私を見つめていたのか⁉)、机上からも手を離した。
「やったね。谷っち。私達勝ったよ」
「そうだな」
「愛してるぜ谷っち」と言いながら彼とハイタッチをした。
「…」
「だからなんだその目は。死んだ魚のような目をしやがって。ん。まてよ。君はいつもそんな目をしていたように記憶してるぞ」
「そうだな」
差名偽田くんの肩に手を置いている嘘谷くんが返事をした。
「もういっそのこと差名偽田くんが肩でいっか…」
「そうだな」
「ちょっとまてよ!」
肩が口を挟んだ。
「ちょっと静かにしていてくれる? 肩。いま肩に手を置いてる差名偽田くんに話しをしてるんだから。ねー!」
彼に同意を求める。
「ねー」
低音の「ねー」が返ってきた。もうちょっとテンション上げてほしいなあ。
バチ
刹那。というかたった今、この教室に異変がおきた。蛍光灯の電気が切れて真っ暗になったのだ。
「なんか真っ暗になった」
そうつぶやいたのは肩だった。
「そうだな」
そうつぶやいたのは嘘谷くんだった。
「停電?」
そうつぶやいたのは真実こと私だった。
私はふと、思った。たとえば今から世界が崩壊して何もかも無になってしまったら、世界が始まった八分後に終わってしまうことになる。そんなのありえないよね。戯言だ。真実にはなりえない。
「仮説になりえるな」
「肩に手を置いた谷っち? いま、なんて?」
暗闇でなにも見えないけどきっと嘘谷くんのことだから、こんな事態でも肩に手を置き続けているに違いない。
「さっきから気になってんだけど。俺の肩から手を離せよ」
あ。肩がしゃべった。
「そうだな」
そう言って手を離したようだ。それと同時にビーという蛍光灯の発光する音がした。
「ついた〜」とつぶやき私は安堵した。先ほど本当に世界が終わるのだと思ってしまっていたから、緊張したのだ。そんな緊張の糸が切れて体に力が入らない。
「ははは。そりゃあそうか。仮説は仮説だもんね。あれ? 肩はどこにいったんだろう?」
「肩は八分前の世界『無』に戻ったよ」
そう言ったのは嘘谷くんだった。教室中を見渡しても肩がいない?
「わかったかい? つまりこういうことさ。八分前の世界に記憶と共にやってきた人間が一人。たったいま消えたんだ。忽然と姿を消した。この世界にもう肩はいない。おかしいと思わなかったか? 今はお昼休みの明るい時間だってことに。いくら蛍光灯が切れたからって真っ暗になるはずがないだろう?」
思わず椅子から立ち上がった。
「嘘! でも明かりは今はついて…」
嘘谷くんの飄々とした態度が気がかりだ。こいつはなにを知っている?
「今はついてる。しかし、じきに消えゆくだろう。今はその『刹那』なんだよ。みんなの貴重な人生があとちょっとで終わるんだ」
私は窓越しから外をみた。光が、どこにも見当たらない。まるで世紀末のような暗い…。
「怖い…」
おぞましくて身の毛がよだつとはこのことだ。私も肩のようにこの世からいなくなってしまうのだろうか。そんなことを考えたら不安で凄く辛いよ。
私はその場でしゃがみ込み、両腕で頭を抱えた。
「そうだろう? 怖いだろう? 逃げ出したいだろう? それが生物の孤独として当然の反応であるし、いたって自然だ」
「君はあの嘘谷くんなのか? いつもの肩…じゃなくて差名偽田くんは友人じゃなかったのか? なんで動揺しない?」
間をおいて彼は答えた。
「僕は、八分前以前の記憶がね」
私は顔を上げ、視界を塞いでいた両腕を体育座りみたいに結んだ。
「『無』いんだ」
口角が引きつった笑みになったその顔は、私の脳裏に焼きついた。それくらい普通、ではない表情をしていたんだ。
「君はナニモノ…」
そうつぶやいた。
「僕はナニモノでもないんだろうな。でも人間だって仮説を用いればいくらだってナニモノにでもなれるし、自由になれるだろう?」
自由…。
「誰かが言ってた…。自由っていうことは思い通りになることなんだって…。…ん。嘘谷くんその手にもってるのはなに?」
「スマホだけど?」
「スマホって録音機能のあるアプリがあったよね!」
もしかすると! もしかするかもしれない!
私はすくっと立ち上がり、教室から抜け出した。
突然、走り出したので彼は呆然としていたはず。
私は支配されたこの世界から。
自由になってやるんだ。
全力で階段を上がり、目的の場所に着いた。
屋上の扉を思いっきり開けてやった。
そこに見えた景色は澄んだ青い空。
「嘘つき!」
そこには澄ました顔の肩がいた。
「あーあ。ばれた。ベランダに黒い幕をかけたくらいじゃあダメだったか」
なんでこんなことをしたかを尋ねた。
すると肩は空の青によくあう、とびっきりの笑顔でこう言った。
「八分『前』に始まった世界を信じるお前に八分『後』に終わる世界を信じさせて、ひと泡吹かせてやろうおもってな。因みに嘘谷と俺はグルなんだぜ」
腹がたつ真実という名の支配。だけどこの後思いっきり二人の嘘つきの肩にパンチしてやったら少しだけ自由になった。