怒り②
クランガウンド視点
ーーテラスに戻ったクランは、怒りで瞳を真っ赤に染めた。
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いつものように「クラン様」と、可愛い笑顔で迎えてくれるであろうマーナを想像し、頬を緩ませたクランは、薬箱を持たない反対の手でテラスの扉をゆっくりと開く。
つい先程まで明るい光で照らされていた広いテラスは、厚い雲に覆われ闇夜となっていた。
(暗くて見えないな。マーナはどこに…?)
「……ら……女だ。」
微かに聞こえてきた男の声。
(俺達の他にも誰かいたのか?まぁ、広いテラスだからな。他の客がいたとしても不思議はないか。)
1人で納得し、暗いテラスを慎重に歩み進めていく。
厚い雲で覆われた空の隙間から、月がほんの少し顔を覗かせ、僅かにテラスを照らし出された。
ガシャンっ………
照らされた光景に、クランは手に持っていた薬箱を落とした。
酔っ払っているのだろう男に腕を掴まれ、椅子の下で呻き声を上げているマーナ。俯くその大きな瞳には涙が溢れ、今にも決壊しそうだ。
マーナが泣いている。
その事実に仄暗い感情が心を支配していく。
感情の赴くまま、男に向かって怒気を孕んだ冷たい声を放っていた。
「貴様………俺のマーナに何をしている。」
「あぁ?なんじゃ、きさ…ま……ひっ!紅い、瞳……」
クランの声に振り返った男は、月あかりに浮かぶクランの双眸を見て、みるみる青ざめていく。
その足は、産まれたての子鹿のようにガクガクと震え、手に持っているワインは今にも落としそうだ。
男を見下ろし、僅かに口角を上げクツクツと笑う。
もし、この場に健康な男女10人いたと仮定して、確実に7〜8人はあまりの恐ろしさにぶっ倒れるだろう。そのくらい、心臓に悪い邪悪な笑みなのだ。
瞳が燃えるように、熱い。
自分の心が怒りに満ちているのが分かる。
「ひっ!………こ、殺される…」
瞳を細めると男の震えはより一層増し、魂が抜けたような状態となり、へなへなと座り込んだ。持っていたワインはズボンの上に注がれ、赤い染みを作っていた。
邪悪な笑みを浮かべたまま、一歩一歩距離を詰める。放心状態の男の手は、まだマーナの腕を掴んでいた。
(マーナに今後、近寄ろうと思わないように、今、ここで痛い目にあわせてやろうか。……いや、駄目だ。そんなことをすれば、マーナに嫌われてしまう。)
自問自答を繰り返していると、マーナから熱い視線を感じる。
クランを見上げる大きな瞳からは、大粒の涙が流れていたが、その瞳からは恐れの色は見られず。逆に、喜びに満ちているように感じる。
…何故だ?
「彼女の手を離せ…」
クランの言葉に、男は、掴んでいたことを忘れていたように、慌ててバッとマーナの腕を離すと、ジリジリと後ずさりクランとの距離を取ろうとする。額からは大量の汗が流がれていた。
クランは素早くマーナに近寄り優しく抱き抱えると、小さく震え、冷たくなっていた体を擦り寄せてきた。
(マーナ、こんなに冷えて……)
マーナの髪に口付けをひとつ落とし、再び冷ややかな瞳で男を一瞥する。
「…た、助けてくれ……もう二度と姿を見せたりしない。……約束する。だから、」
「……いいだろう。今回だけだ。その約束を忘れるな。もし、忘れたら。この瞳がお前を呪うだろう。」
懇願してくる男に了承を伝える。
……まぁ、呪いなんてないのだが。
【紅い瞳を見た者は呪われる】誰が言い出したのかは不明のこの噂だが、役に立つこともあるもんだ。このくらい脅しておけば、今後近寄りはしないだろう。
男を見れば、助かった!とばかりに、ガクガクと頷いていた。
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颯爽とマーナを抱えたまま、舞踏会場を後にしたクランは、馬車の中で軽く息を吐いた。
腕の中にいる温もりに触れていると、怒りに満ちていた心が落ち着きを取り戻していくのが分かる。
きっと紅くなっていた瞳も、元に戻っているだろう。
しがみついて離れないマーナの小さな背中を優しく撫で、頭部に何度も口付けを落としながら、冷たくなった体に温もりを分け与えた。
「…マーナ、すまない。君を1人にするべきではなかった。」
謝罪するクランに、マーナはしどろもどろしていたが、覚悟を決めたかのように下からゆっくりと見上げる。
「……ク、クラン様。」
「どうした、マーナ?」
露わになった額にも口付けを落とすと、マーナの頬はポッとピンク色に染まる。
可愛い、マーナ。
「あ、あの…!さ、さっき…」
「さっき?」
「…お、俺のマーナって!!」
「…!?」
マーナの言葉に硬直するクラン。
(ぉ、俺のマーナ!?言った、か?……ぃや、薄っすらと覚えている。……確かに、言った。言ってしまった!……あぁ、どうしたものか…………この際だ、告白してしまおうか!…でも、もし断られたら俺は………いや、怖れてどうする!俺はマーナが好きだ!愛している!!俺は告白するぞ!!)
すぅーっと息を吸い込み、マーナの肩をガシッと掴む。
「マ、マーナ!!
ーーーー俺と結婚してくれ!!!」
………あ、あれ?……間違えた。




