殿下
ーー舞踏会、3日前。
マーナはゲッソリしていた。
何故って?
クランの2番目の兄であるゼガル様が突風のように現れ、あっという間に屋敷を去ってから約2ヶ月の間、さらに厳しくなったテルモアの勉強に加え、舞踏会のための作法、ダンス、ドレスの新調など、やることは山盛りで目が回りそうな日々を過ごしていた。
鏡が気になり、チラリと自分の顔を覗き込む。
疲労で食欲が落ちたためか、頬は痩せこけ、目の下にはくまができ、血色の悪い青白い顔をしている。
(あと3日で舞踏会なのに、この顔は酷すぎだわ。何か食べなきゃ倒れてしまうわね。食欲はないけれど、果物なら食べれるかも…。)
私がこんな顔をしていると、クランの迷惑になるから、しっかり食べなきゃ!と自分を叱咤し、厨房へと歩き出す。
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ーーそして、あっと言う間に舞踏会当日。
マーナとクランは舞踏会場に足を踏み入れた。
滅多に現れないクランの登場に会場の場はざわめきに包まれ、そのクランにエスコートされている美しい少女に視線が集まっていた。
「顔色は戻ったようだな。……マーナ。そ、そのドレスもとても似合っている。」
煌びやかな空間が広がっている広場に緊張の面持ちで、しなやかに優雅に歩いていく。
クランの赤らんだ顔には気付かなかったマーナは「ご心配をおかけしました。」と謝りながら、自分の頬に触れる。
(あれから3日間、なるべく果物を食べるようにしてたから、少し太ったかも?)
鏡を見てないので分からないが、ふっくらした気がする。
「マーナは痩せすぎだから、もう少し食べた方がいい。」
私の心の声が聞こえたのかと、驚きの顔をクランに向けると、何故かクランが顔を曇らせ呟く。
「マーナ。今日は俺のせいで君まで嫌な思いをさせることがあるかもしれない。本来ならば、こういう場は断っているのだが、今日はどうしても断ることができなかったんだ。……すまない。」
「それは先日も聞きましたわ、クラン様。こうして素敵なドレスも仕立て頂きましたし、先ほど似合っているとも言っていただきました。凄く嬉しいです。今日は楽しみましょうね。」
まだ苦い顔をするクランに、マーナは優しく微笑む。
ドレスはマーナが選んだもので、明るめの青いドレスだ。スカートは薄い青からはじまり、裾に行くにしたがって少しずつ色が濃くなるタイプのものを、パニエでふんわり膨らませている。
クランに似合うと言われたことが嬉しかったマーナは、クランの腕をキュっと掴み、艶やかな笑みを向けた。
遠巻きに見ていた老若男女はその花が綻ぶような天使の笑顔に釘付けになっていたが、その視線に気づいたクランに威圧の目で睨まれ硬直し、慌てふためき去っていった。
「さて、面倒くさいが挨拶回りをしようか。」
無事に追い払うことに成功したクランはマーナを連れて歩き出そうとするが、正面にいた人垣が徐々に割れ、2人の人物がゆっくりと向かってきた。
「クラン、久しぶりだね。」
目の前には10代前半くらいの大人びた顔の少年がいた。
少しウェーブがかった金髪に青空のような瞳を持ち、背丈は私よりほんの少し高い。衣装にも細かな細工が施してあり、高価なものだとすぐ分かる。幼い容姿ながら不思議と貫禄が滲み出ていた。
そしてその隣には、深緑の瞳に銀色の髪、優しい表情を見せる紳士がクランを見ている。
クランが一歩前に出て挨拶する。
「セラン殿下、ご無沙汰しております。いま、ご挨拶に伺おうかと思っておりました。この度はお、」
「堅苦しい挨拶はよい。それより、こちらの女性がクランが大切に囲っている仔猫かい?」
(で、殿下?……高い地位の方だとは思っていたけど、まさか王子様とは…。)
変な汗が流れる。
クランの挨拶を手で遮ったセラン殿下は、マーナに興味深そうな瞳を向けてくるが、マーナは仔猫という表現に落胆を隠せずにいた。
クランの身長は軽く2mを越えているので、マーナとの身長差は50cm以上。2人並ぶと兄妹か親子のようで、不釣合いだなとマーナは気にしていたのだ。
(ここの人達は、大きい人達ばっかりだから、私は小さく見えるわよね……。)
考えに耽っていると、セラン殿下に見つめられていることに気づき、慌てて挨拶をする。
「セラン殿下にはお初にお目にかかります。マーナと申します。クラン様のお屋敷でご厄介になっております。どうぞ、よろしくお願い致します。」
何度も練習を重ねた挨拶を優雅にこなす。もちろん笑顔も忘れずに。
「天使のような笑顔に類い稀なる美しさ。なるほど。これが側にいるならば、他の女など目に映るまい。なぁ、クラン?」
「……………」
「??」
仏頂面をしながら耳を赤くしているクランに、紳士(仮)とセラン殿下が呆れた顔を見せる。マーナは、王族の前で失敗しないよう気を張りつめ、挨拶を優雅に行うことの一点に集中していたため、会話の内容を聞いてはいなかった。
「恥ずかしがっている場合じゃないよ、クラン。はっきり言わないと彼女逃げちゃうよ?」
「魔王だ悪魔だと恐れられるお主が、恋愛に関してはこうもヘタレだとは、思わなかったぞ。」
(逃げる?ヘタレ??)
何の話だろう?と思案していると、紳士(仮)がマーナに向き直り、優しい口調で話を始める。
「マーナ殿、愚弟はあなたに迷惑はかけておりませんか?これはこの通り、無骨な男ですので大変でしょう。」
(愚弟?……では、この方が1番上のご兄弟のビュンダー様?そういえば、口元とか似てるわ。)
「いえ、そんなことはございません。クラン様はとても繊細なお優しい方です。あ、すみません、ご挨拶が遅れました。マーナと申します。」
マーナが発した『繊細』という言葉に、セラン殿下は吹き出しそうな笑いを懸命に堪えていた。
「私は、クランの1番上の兄のビュンダー・ラ・フロバールです。セラン殿下の側近を勤めております。愚弟はこの容姿なので、いろいろと誤解されやすい部分がありますが、これからもよろしくお願いしますね。」
「は?…はいっ。よろしくお願いします。」
それから軽く世間話をして、ビュンダーとセラン殿下は去っていった。
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なんとか無事に挨拶を終えると、ゆっくりとした曲が流れ始め、手を繋いだ男女が中央に進んでいく。
「マーナ殿、一緒に踊ろうか。」
(だ、ダンス…!)
テルモアに、なんとか及第点をもらっていたダンスだが、緊張感がピークに達しているマーナは、苦労して覚えたステップを忘れてしまっていた。
(どどどど、どうしよう!!ステップ忘れたぁ!)
内心では、かなり狼狽しているが、それを顔に出してはいけない。と笑顔を貼り付けクランを見つめた。
「大丈夫だ。俺がリードする。」
初めてのダンスに緊張した様子を見せるマーナに、クランは優しく手を握る。
手から伝わってくる少し高い体温に、マーナは、ほっと安堵していた。
(クラン様がいるから大丈夫。)
ーークランの手を握り返し、よしっ!と心の中で意気込んだ後、クランにダンスの成果を披露すべく、中央へと進んで行った。




