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ぷぷぷっ。

作者: クロキツネ

 わたし、高校一年の友原絹恵。

 入学したての一六歳です。

 今日も今日とて清々しい朝。自室の窓から望める通学路には桜が満開で、舞い散る花びらは登校する生徒たちを祝福しているかのよう。

「さてさて、持ち物チェックと洒落込みますか」

 カーテンと一緒に揺れていた前髪を直しつつ、机の上に置いたかばんのチャックを開けるわたし。

 短縮授業も終わり、今日からは本格的な授業が始まる。拘束時間が長くなるのは嫌だけど、それでも胸が高鳴っちゃうのはこれらかの新生活に何かを期待しているから?

 部活に期待。

 新しい友達に期待。

 んでもって……恋に期待?

 いやんっ。

「こらこら、遅刻しちゃうってば!」

 すぐに浮かれる自分を叱咤。こんな姿、親友のヒカリに見られたらまた何て馬鹿にされるかわかったもんじゃない。春風に惑わされるな、わたし!

 ――ん、さてと。

 気持ちの入れ替え完了。

 チェック開始です。

 国語入れた。

 英語入れた。

 地理入れた。

 ふでばこあるし体操服ある。他の教材もある。宿題も入れたし。

「全部揃ってるかな」

 よしっ、とわたしはかばんを担いで部屋を出る。トントントントンと軽快に階段を下りる。

「おかあさーん、それじゃ学校行ってくるねー」

 リビングにいる母に声を掛け、玄関に直行する。しっかり者のわたしは朝ご飯もちゃんと食べてるし、あとは家を出るのみなのだ。

 玄関前に立つ。きちんと置かれた革の学生靴を見ると何とも言えない気持ちになる。だって茶色の革靴だから。

 革靴だよ?

 茶色なんだよ?

 ついこの間までは白の運動靴だったもんなぁ。もうぼろぼろだったし。

 なんていうか、大人になった感じ?

 高校生って大人! みたいな!

「ちょっと、絹恵! お弁当忘れてるわよー」

 と、そこで母の声。

 あらいやだ、とわたしは右手をパーにして口の前にあてた。

 危ない危ない、そうでしたそうでした。今日から午後の授業があるんだもの、お昼ご飯持ってかないと飢え死んじゃう。

 お金持ってないし。

 グッジョブ、お母さん。いつもながら良い仕事してますね。

「ほら、しっかりしなさいよ」

 もう、と溜め息をつきながらも玄関まで走ってきてくれたお母さん。「ごめーん」って言いつつも、靴を完全に履いてから振り返る。

「ありがとう、お母さ……」

 そして手を伸ばす。

 んでもって伸ばした手をすぐに止める。っていうか、止まった。

 どうしてか。

 えっ、いや、だってこれは――。

「お母さん。これって……ほか弁?」

 ぷるぷると震えだした手を必死に抑えながら尋ねる。

 そこにあったのは――わたしに向けて差し出されていたのはどこか見覚えのあるお弁当箱が入れられた黄色い袋。透けて見えるのは、既製品で消耗品の、あのプラスチック容器。

 間違いなく、ほか弁。

 ロゴ入ってるし。

 ほっかほか弁。

 ……え? どうしてほか弁?

 新生活初めての昼食がほか弁?

 いやいやちょっと待ってよお母さん。

 わたし、華の女子高生だよお母さん。

 ほか弁は少々きついんじゃないかなぁ、お母さん。

 ってか学校の昼食にほか弁は似つかわしくないと思いますよ、お母さん!

「何言ってんの。あんた好きでしょ、ほか弁」

 言ってお母さんはわたしに、そのほかほかのお弁当を渡し――もとい、押しつけてきた。

 無理矢理受け取らされる。

「それじゃ、気を付けて行ってらっしゃいね」

 そしてお母さんはすたすたとリビングへと戻っていった。

 ぽつんと取り残されたわたし。

 と、ほかほかのお弁当。

 ……んーと。

 えっと、えっと。

 困惑する。いやいや、みんなもわかるよね? この気持ち。

 この状態から、素直に玄関を出ることができないでいるわたしの気持ち!

 これ、絶対いじめの原因になるって。

「な、中身はなんだろなぁ」

 まぁとりあえず、へへへっ、と笑いながら袋の中を覗いてみる。だってこれはもしかしたら、お母さんの手の込んだいたずらかもしれないわけだしね。ここで狼狽しちゃったら、リビングで聞き耳立ててこっちを窺ってるだろうお母さんに「ぷぷぷ」とか笑われちゃうかもしれないし。

 うんうん、そうだそうだ。

 きっとそうに違いない。

 よし。何気なく見るか。「もう、お母さんったらぁ!」ってな感じで。

 いくよー?

 チラッ。

 や、焼肉スペシャルぅ。

「それも大盛りかよ!」

 わたしは泣きながら家を飛び出した。

 道にはたくさんの桜が舞っている。

 

 今日のお昼ご飯、どうしよう……。


                  ○


「なんでお昼ご飯がほか弁なのよ」

 はぁぁぁ、と長い溜め息が口をつく。

 肩から提げているかばんの中からは微かな温かみ。こぼれてはいけないと一番上に置いたお弁当の姿が脳裏をよぎる。

「こんなの、教室の中じゃ恥ずかしくって出せないよ」

 ふはぁぁぁ、ともう一つ長い溜め息をついた。

 考えてみる。

 入学して日も浅い。だからクラスの子たちともまだ十分に仲良しというわけでもない。気兼ねなく喋られるのは親友のヒカリぐらいなもの。

 そんな状況下において召喚される、わたしのお昼ご飯。

 召喚物はその名も『ほか弁』。

 んー。んー。

 いやいや! 絶対みんなから変な目で見られるよ、わたし!

 もしかしたらヒカリですら「えっ、なに絹恵! あんた何持ってきてんの!?」とか言って大いにはやし立てるかもしんない! ってか絶対はやし立てるし! ぷぷぷっ、とか小馬鹿にしながら!

 そうなったら最後、クラスの中にわたしの居場所なんてなくなっちゃうじゃん!

「……捨てるか」

 んー、まぁ。

 妥当な判断、だと思う。こいつをこれ以上持って歩くのは危険行為以外の何者でもない。女子高生がかばんの中にほか弁仕込んでるってどんな設定よ。

 焼肉スペシャルよ。しかも大盛り。

 ふざけんなっ。

 わたしは意を決し、道の脇に建つ商店の前で立ち止まる。二台並んだ自販機の横には缶専用のゴミ箱があり、そしてその横にはこのご時世、とっても親切だと思える普通のゴミ箱(何捨てても良いやつ)がある。中身はほぼゼロ。ほか弁のお弁当ぐらいなら何箱でも入る。

 わたしは周囲を見渡し誰もいないことを確認してからかばんに手を伸ばす。かばん越しに確かに感じるお弁当の温かみ。生きる為に必要な熱量が詰まったお弁当……その温かみ。

「仕方、ないじゃない」

 言い聞かせるようにして呟き、かばんを開ける。現れるほか弁、もとい焼肉スペシャル。なんともおいしそうな匂いを昇らせている。

 ……これ、おいしいんだよなぁ。

 そんな思い出が脳裏をよぎった。過去、焼肉スペシャルは三回ほど食べたことがある。

 そうそうそう、焼肉とご飯の相性が抜群っていうか、このタレが半端ないっていうか。

 合間合間に顔を出すタマネギたちも良い仕事してるし、スペシャルになると唐揚げとかも付いてるからお得感倍増っていうか、なんていうか。

 これ、おいしいんだよなぁ……。

 …………。

 って、何考えてるのわたし!

「過去に振り回されるな!」

 そうだよ! これはわたしのバラ色高校ライフを茶色に塗りたくる代物なのよ!

 唐揚げみたいに茶色にね!

「だめよ絹恵! 決めたことはすぐに実行するのよ!」

 口に出して邪念を振り払う。がしっ! と鷲づかみにしてお弁当を引っ張り出す。

 温かい容器。透明のふたから覗けるボリュームたっぷりの焼肉たち。

「ふぬぅ……ふにゅう……!」

 なんかもう、闘牛みたいな鼻息が出てくる。

 ごめんね、焼肉スペシャル。あんたがわたしの晩ご飯だったらどれだけ幸せなことだったか……!

 そしてゆっくりと手を出していく。ぷるぷるという震えが止まらない右手を。

 ゴミ箱へと向けて。

 あぁ、右手。お弁当を持ったわたしの右手。

 温もりを感じる右の手のひら。ずっしりと重たい質量を支える右の手首。

 これが温かいのは命が燃焼してるから。重たいのはあらゆる生命が尊いから。

 震える右手。

 震える、震える震える――

「だめ! やっぱりわたしにはできない!」

 かはぁっ! とわたしは地にくずおれた。出していた右手を胸に抱え込む。

 そしてその無知な愚考を咎め始める。

「ばか、ばかっ! わたしのばかっ! 食べ物捨てるだなんて何考えてんのよ! この非常識人間! 消費社会で生まれた悪性の癌! 何を学んで一六年間生きてきたっていうのよ!」

 ふるふるっと体が波打った。

 焼肉は牛さん、唐揚げは鶏さん、タマネギはタマネギさん。彼らは立派な命なのだ。

 それをわたしったら……わたしったら!

「ちょっと、なにしてるの絹恵。地面に座り込んじゃって」

 ばかばかばか! わたしのばか!

 ……って、この声は――ヒカリ!?

 がばぁっと顔を上げて振り返る。

「どどど、どうしたのヒカリ! こんなところで!」

 親友の急な登場に慌てふためく。

 こんなときに現れるか、普通!?

 背中を丸め、抱え込んだお弁当を慌てて彼女の視界から外す。

「? どうしたもこうしたも、登校中なんだけど」

「だ、だよね!」

 言って盛大に笑う。すごい空回りしてるような気もするけれど、そんなのは気にしない。

「いや、ちょっとね。考えごとしててさ!」

「登校中に? 座り込んで?」

 訝しげな表情を浮かべるヒカリを無視し、わたしは見られないようお弁当をかばんの中へと戻す。ちょろっと流しかけていた涙も拭う。

 そんでもって何事もなかったかのように立ち上がる。

「うん、座り込んでしなければならない考え事も世の中にはあるんだよ。でもまぁ、良い解決案も閃いたことだし、行こうよ、学校!」

 ここで星も飛び出るウィンク! 右目で!

「う、うん……」

 言って、そそくさと歩き始めるわたし。小走りでヒカリもついてくる。

 ……。

 …………。

 …………さぁて。

 ばれた? ほか弁の存在、ばれちゃった?

 心臓がドキドキしてる。秘め事という罪悪感にも似た感情が叩いてる。

 チラリと横を見やる。並んで歩き始めたヒカリは前を向いている。特に何かを気にしている風はない。

 なら、大丈夫ってこと?

 ほか弁は見られてないってこと?

「ところでさ」

 ほっと一息ついたわたしにヒカリが声を掛けてきた。視線は依然、前を向いたままだった。

「えっ、なになに?」

「なんでほか弁を大事そうに胸に抱え込んでたの?」

 ひゅー、あっ、どーん!

 どどどどどー!

 ば、

 ば、ば、

 ばれてたー!

 超ばれてるじゃん! びっくりするぐらいばれてるじゃん!

 なんか思わず、巨大隕石が地球に衝突した映像が流れたよ!

 じゃあなに、わたしが急いでお弁当をかばんにしまったのも全部見られてたってこと!?

 なにそれ、それってまるで、シャツにいかがわしい口紅をつけて帰ってきたくせに「えっ、なになに? なんのこと?」って誤魔化そうとしてる夫ぐらいに滑稽じゃん!

 わたし、滑稽じゃん!

「な、なにを言ってるのかなヒカリ。こここ、このわたしがほか弁を抱えてただなんて……」

「いや、しっかり抱え込んでたじゃん。抱いてたじゃん。かばんにもしまってたじゃん」

 きゅるりっ、と視線だけをこちらへと回してくるヒカリ。

 やっぱり一部始終を見られてたぁ! なにこの得体の知れない恥ずかしさ!

「もしかして、あれって絹恵の今日のお昼ご飯?」

「ちがっ……ちがっ……」

 パニックし過ぎて言葉にならない。何か言い訳を……何か妙案を!

 神よ!

「あ、あれはその! そう、拾ったの! あそこのゴミ箱で!」

 しゅるんって口から言葉が滑り出てきた。

「何か良い匂いするなぁって思って見たら入ってたの、ほか弁が! ゴミ箱に!」

「……えー」

「よくよく見たら中身全然入ってるしさ! なんかもう、まんぱんだっだしさ!」

「……えー」

「焼肉スペシャルだったしね! しかも大盛りだったしね!」

「……じゃあなに、絹恵。その拾ったほか弁食べるつもりなの? お昼とかに?」

「もちの……ろんじゃない……!」

「……」

「わたしは食べ物を粗末にしない女なのよ!」

「……ふぅん。そっかぁ」

 そう言って前を向いて歩いていたヒカリはニコリと笑った。なんか、妙に納得したように。

 ……もしかして、わたしの決死の言い訳が通ったってこと?

 このほか弁は家から持参したものではなく、たまたま道で拾ったものだって分かってもらえたってこと?

 分かってもらえたっていうか、それ完璧に嘘だけど。

 でもまぁ何にせよ、危なかった。万事休すだった。わたしの大切な高校ライフの全てが終わるところだったよ。

 家からほか弁持参だなんて恥ずかしすぎるもんね。女子高生のすることじゃないし。

「いやぁ、今日は運が良いなぁ! ちょうど家にお弁当忘れてきちゃっててさ、どうしようかと困ってたんだよね! 普通ないよぉ? 登校中にフル装備の焼肉スペシャル拾うだなんてこと! これ宝くじに当たるより確率低いんじゃないかなぁ? ねぇ、ねぇ」

 念には念を。

 積み上げた嘘が崩れないように、あとは渾身の力をもってして塗り固めるべし!

 そう、わたしの今日のお昼ご飯はほか弁です!

 それは間違いないです! ええ、認めましょうとも!

 でもこのほか弁はわたしの意志、もといお母さんの意志ではなく、ある種の偶然と不可抗力によって生まれた奇跡の産物なのであります!

 ……すごいじゃない、わたし!

 瞬間的にこのレベルの虚偽事実を作り上げるだなんて!

「友原絹恵、ゴミ箱に捨ててあったほか弁を拾う」

 と、そこで。

 ぽつり、とヒカリが呟いた。

 静かに、とても静かに呟いた。それはそれは、春風に乗って未来にへと運ばれていく綿毛のように、そっと。

 ――え?

「捨ててあったお弁当が焼肉スペシャルの大盛りだったことを盛大に喜ぶ」

 ――えっ、えっ。

「あげくには、それをお昼ご飯の代わりにしようと画策す」

「ちょっ、ちょっと待ってよヒカリ……」

 なんだか気持ちの悪い汗が流れてきた。季節は春なのに。

 ヒカリに向かって伸ばす両手が心なしか震えてもいる。

「そうね……さしずめ」

 言って、ヒカリはわたしの目を見据えながら言い放った。

 それはもう、凶悪そうに。

「『拾い食いの絹恵』ってところかしら、あだ名」

 そして、きゃはっ、ととても乙女チックに吹き出した。

 拾い食いの……絹恵? なに、そのあだ名。

 あだ名っていうよりも、もはや二つ名じゃん。

 わたし、しょっちゅう拾い食いしてるみたいじゃん。

「なかなかないあだ名よね、これって。あんた今まであだ名なかったし。早速みんなに広めなきゃ」

 言うが先か、ぴゅーんとヒカリは駆けだした。アニメみたいに白い砂煙みたいなのも上げながら。

 それになんだか、スタート前に一瞬だけ見えたけど、何か「ぷぷぷ」って笑ってた。

 ……。

 ……あー。

「あー」

 わたしはそのまましばらく立ち尽くしていた。

 遠くなっていくヒカリの背中を眺めながら。

 そっかぁ、そうだよねー。

 そうなるよねー。

「あー」

 もう一回だけ言ってみた。

「焼肉スペシャル」

 とも言ってみた。


            ○


「ほんと受けるよね。正直に言えば良かったのにさ」

 お昼休み。

 わたしの前の席の子から椅子を拝借したヒカリが腰を下ろしながら笑った。

「だって恥ずかしいじゃん。お昼ご飯がほか弁だなんて」

 わたしは膝の上でかばんを抱えながらむすっと膨れる。

「拾ったお弁当をお昼ご飯にする方が数倍恥ずかしいよ。どういう思考回路してんのよ。まぁ私的にはおもしろかったから万事オッケーなんだけどね」

 きゃはっ、と笑うヒカリ。

 結局、わたしはあのあと必死になってヒカリを追いかけた。学力では負けても体力勝負でなら負けない。校門前にて無事息の上がりきったヒカリを捕獲し、校舎裏に連れ込んで今度は本当のことを説明した。

 お母さんの気が触れてたんだよ、朝だったから! って。

 それから『拾い食いの絹恵』という不名誉極まりない通り名を忘れるぐらいにヒカリの頭をシェイクし、今に至る。

 朝から汗だくだよ、全く。

 ぷんすかだよっ。

「まぁ、ここまできたら観念するしかないか。早くご飯食べて出発しよ」

 言ってわたしはかばんを開けた。中からは何とも言えない匂いがしてくる。

 そりゃそうだよね。ほか弁のふたって輪ゴムででしか止まってないんだもん、匂いだだ漏れは当たり前か。

「そうだね、早く食べて行こう」

 ヒカリも同意する。

 わたしたちはお昼ご飯を食べたあと、校内を探検することにしていたのだ。この学校にもだいぶ慣れてきたとはいえ、まだまだ知らない場所は沢山ある。中学校とは違い、自動販売機とか部室棟だとか、なんだか色んなものが至る所にあるのだ。これらに好奇心をくすぐられない新入生はいないでしょ。

 それに。

 すれ違う先輩たちも、結構かっこいい人とか多いし。

 なんだか大人って感じだし。

「それじゃ、いただきまぁす」

 取り出したお弁当のふたを開けて割り箸を持つ。

 んん、さすがに時間が経っちゃってるから中身は冷めてるけど、それでも十分においしそうに見えるのはこれが焼肉スペシャルだからか。

 それにいざこうやって食べ始めてみても、意外に誰も関心を示してこない。

 てっきり、「えっ、友原さんのお昼ご飯ってほか弁なの?」とか訊いてくる子もいるかと思ったのに。

 だからほっと胸をなで下ろす。

 いや、それはそれで悲しいことなんだろうけれどね。誰からも興味を示されないだなんて……。

 でもでも、教室中を見渡してみると、コンビニのおにぎり食べてる男の子やポテトチップなんかを頬張ってる女の子もいる。学校にお菓子を持ってきても良いのかどうかはさておき、それらと並べてみると別にわたしのほか弁だけが何か特別な存在ってわけでもなくなってくる。

 そうか、これが杞憂というものだったのか。

 なんだろう、人生初杞憂って感じだよ。

「んんっ、おいしっ! やっぱりほか弁はおいしいよねー。この焼肉のタレが半端ないっていうかさ。このおいしさの前では、朝に溜め込んじゃった疲れも吹き飛ぶってもんだ」

 そんな風なわけで、杞憂だったと分かればこっちのもん。わたしは見栄も遠慮もなくお弁当を突っついていく。

 肉、米、肉、米、タマネギ、唐揚げ、米、ってな順番で!

 これぞゴールデン・コンビネーションだねっ!

「あれ、ヒカリはご飯食べないの?」

 と、そこで。

 わたしは目の前に座るヒカリが一向にご飯を食べ始めないことに気が付いた。なんだかもじもじとしながら膝上に置いたかばんのチャックをいじっている。

 なんだろう、お弁当忘れたのかな?

「どうしたの? もしかしてお弁当忘れたの?」

 心配になって声を掛ける。もし本当に忘れたんならわたしのお弁当を分けてあげないでもない。朝は危うく酷い目に遭いかけたけど、昨日の敵は今日の友って言うしね。この場合は、朝の敵は昼の友、になるわけだけど。

 それにお昼ご飯抜きっていうのはダイエットに慣れた子でもきついしね。

 さらに付け足しても、わたしの焼肉スペシャルは大盛りだし。そう、大盛りだし!

 大切なことなので二回言ってみた。

「ううん、そういうわけじゃないんだけどさ……」

 言って、余計にもじもじとし始めるヒカリ。

 眉間に皺を寄せるわたし。

「その、笑わないって約束してくれる?」

 頬を真っ赤に染めながらヒカリが小声で訊いてきた。まるで周りを憚るようにして。

「? どゆこと?」

 忘れたわけではないってことかな?

「その、さ。さっきは絹恵のお昼ご飯を馬鹿にして笑っちゃってたけど、実は私の方がその何倍もおかしいっていうか、変だって言うか。つまり、ママの不手際だってことなんだけど」

 周囲を気にしながら喋ってる。

 わたしは事情がよく掴めないのでとりあえず頷いてみる。

 わたしのご飯よりも恥ずかしいもの? ママの不手際?

 んー、いったいどういうことだろう。この状況下でわたしのやつよりも赤面しちゃうようなお昼ご飯なんてあるだろうか?

 でも、まぁ。

「別に笑わないって。わたしはあんたみたいに性悪じゃないし」

 全くもう、どうだっていいじゃないそんなこと。早く食べなきゃお昼休みの時間なくなっちゃうよって話だよ。

 かっこいい先輩とすれ違える可能性も少なくなっちゃうし。

 校内の探検よりも、実はそっちの方がわたし的に本命だったりするんだから。

 ぷぷっ。

「ほんと? ほんとに笑わない?」

「笑わない笑わない。約束するって」

 適当に相づちをうってからまた一口お肉を頬張る。続けて白米も。

 口の中が幸せ色に染まってく。

「じゃあ、食べようかな」

 そう言って、ヒカリは意を決めたようにしてかばんの中に手を入れた。

 どうでもよいとは言ったものの、やっぱり何が出てくるかに関しては興味がある。ヒカリがあれだけ恥じるものだもんね。ほか弁よりも恥ずかしいもの。

 マクドナルド? いや、それはむしろステータスか。

 じゃあ器に盛られたままの、昨日の晩ご飯とか?

 不手際とか言ってたから、猫の缶詰とかだったりして。

 そしたらちょっと笑えるかも。

 ぷぷっ。

「よいしょっと」

 そうしてかばんから手を引き抜くヒカリ。握った物を机の上にゆっくりと置く。

 そして響く、『ゴトン』という音。

 ん? ゴトン?

「もうお母さんったら。なんでリボルバーに入れるかな」

 言って、ヒカリはその手に握ったリボルバーを――回転式拳銃をまじまじと見つめ始めた。

 重厚な鉛色の銃身、シックな色合いの木製グリップ、六発装填式の標準シリンダー、そして象徴的な意味合いを含んだ撃鉄。

 お兄ちゃんがミリタリーオタクというわけで、そういったものに少しだけ詳しいわたしだけれど――。

 いやいやいや。

 ……えー。

 なんて言うかなー、それ明らかに食べ物じゃないっていうか、食器でもないっていうか。

 そもそも学校には極めて不似合いだっていうか、突き詰めれば日本国自体に不適切だっていうか。

 なんでそんなものがここにある?

「あーやだやだ、恥ずかしいったらありゃしない。さっさと食べちゃおっと」

「いやー、いやいやいや。ちょっとちょっとヒカリさん」

 思わず言い寄るわたし。口の中には先ほどの残留物がまだ残ってはいるけれど、そんなもん気にしてらんない。

 斜め上を行くにもほどがあるってもんでしょ、ヒカリさん!

「ちょっと危ないかもよ」

 と言って。

 わたしの言葉には耳を傾けず、ヒカリは握り締めた銃を机の中央あたりへと向ける。キラリと光る銃口。オープンサイト(簡易照準器のことです)できちんと狙いを定めてる。

 ちょ、ちょっとヒカリ! あんたまさかここでぶっ放すつもりなの!?

 のちの惨劇を想像し、ひいやぁ! とか叫んで仰け反りながら耳を塞ぐわたし。

 吹き飛ぶ机! 貫通した弾がわたしの膝に飛んでくるかもしれない恐怖!

 とうとう起きるよ、平穏な高等学校内における銃乱射事件が!

「えいっ」

 そして何のためらいもなくヒカリは引き金をひき――

 わたしはひいやぁ! って叫び――

 そして――

 そして――

 ――ん? 不発?

 音が……しない? シリンダーも回転した気配が、ない?

「???」

「あっ、そうか」

 はてな顔のわたしを尻目に、彼女は小さく舌を出してはにかんだ。

 なんだか妙に可愛く。

「シングルアクション式だった、これ」

「マニアックすぎるわ!」

 口の中の物を飛ばしながら、思わず机を叩いたわたし。

 なにがシングルアクションか! それもこんなご時世に! 

 全くもう! って気分になりますわ!

 ……いや、まぁ説明しておくとですね、シングルアクション式って言うのは引き金をひくだけじゃ発射できない機構の銃のことを言います。今は引き金をひくだけで弾を発射できるダブルアクション式っていうのが主流なんだけど、昔はそういうタイプのものしかなかったっていうか、だからこんなご時世にって言ったっていうか。

 ――はぁ。こんなとこでお兄ちゃんから教えられたうんちくが役に立つとは思わなかったよ。

「通りでトリガーが軽いと思った」

 はにかみながらウィンクまでしてきた。

 この子はいったい何者なんだ……驚愕で手が震えてきちゃうよ……。

 中学の頃はそんな子じゃなかったのに……。

「では改めまして」

 ふんっ、と鼻から息を吹き出して気合いを入れ、撃鉄を起こすヒカリ。これで準備は整ったと言わんばかりのドヤ顔。怪しく光る大きな瞳。

「てやっ!」

「ひやぁ!」

 うぅー! って顔して耳を塞ぐわたし。別にわたしが撃たれるわけじゃないけれど、拳銃の音ってほんと大きいんだから! 気を付けないと鼓膜が破れちゃうことだってあるんだから! お兄ちゃんが言ってた!

 ――でも。

 そんな爆発音はしなかった。おそるおそる、ゆっくりと目を開けてみる。確認しても、きちんと撃鉄は倒れてる。

 つまりはちゃんと発射されたってこと。

 何が? ――弾が?

「仙豆です」

 ヒカリが言った。

 ふむ、意味がわかんない。

 言われて見ると、そこにはころんと転がった緑色の豆が。

 机の中央に転がった豆が。

 緑色の、豆が。

 豆以外の何者でもない豆が。

 ころんって。

 わたしのお弁当の向こう側に、ころんって。

 緑色の、豆が。

 可愛く転がってるじゃ、あーりませんか。

「仙豆!? せせせせ、せんず!? なんであんたが仙豆持ってんの!?」

 あまりの驚きは遅れてやってくる。そして到達したあとはただひたすらに驚くのみ。

「って、そもそも仙豆って現実にあるの!? あれってドラゴンボールの世界の中だけの話だよね!? 食べたら十日間は飢えを凌げるだなんていう魔法アイテム、それが仙豆だよ!? あんた、冗談でも言って良いことと悪いことってあるんだよ!」

 もう、「うわー!」ってな顔して取り乱すわたし。リボルバーから仙豆ってどんな展開だよーみたいに!

 思考回路フル回転で考えちゃう!

 銃と豆っていう謎の組み合わせの問題だとか、銃から豆っていう構造的な問題だとか、もうそういった云々以前の問題を! 云々以前の迷題を!

 云々と筋斗雲って何だか語感が似てるって新発見を!

「もうやだなぁ絹恵ったら。いきなり立ち上がっちゃったりして。目立って恥ずかしいじゃん。私の仙豆ご飯をみんなにばらすつもり?」

 もういじわるなんだからぁ、とか甘い声色でぬかしながらリボルバーをしまうヒカリ。

 残された豆。

「ほんと、ママも何を慌ててたんだか。朝だからってさ、よりにもよって仙豆をリボルバーに詰める? 普通」

 立ち上がったまま、はわわぁ、ってな顔してるわたし。

 いやぁ、どうだろうねぇ。まぁ、明らかに普通ではないよねぇ。

 朝からキッチンでリボルバーに仙豆詰め込んでるあんたのお母さんが想像できないよ、わたしは。

 朝から娘のためにほか弁用意してるわたしのお母さんと同じぐらいにね!

「それじゃ、いただきます」

 そして、ぱんっ、と手を合わせ。

 ヒカリは射出された仙豆を丁寧に指で摘み、一息に口の中へと放り込んだ。

 もぐもぐもぐって咀嚼する。

 しばらく流れる無言の時間。

 わたしはもうなんだか気が抜けたので、どすんっと椅子に体を投げた。

 あぁ、あぁ。

 なんか、疲れた。頭も疲れた。

 ぼけーっとヒカリの顔を見つめちゃう。

 どんな味してんのかなー、仙豆って。

 やっぱ豆なのかなぁ。枝豆チックな味なのかなぁ。

 塩ゆですると尚おいしいのかなぁ。

「ごちそうさまでした」

 十分に咀嚼した仙豆をごくんと飲み込んだヒカリはえらく満足そうな表情でこっちを見た。もうなんだか、お腹いっぱいって感じの顔してる。

「これで十日は大丈夫だね!」

 言って、ビシッ! と親指を立てるヒカリ。

「朝の疲れも吹き飛んだしね!」

 それからもう片方の親指もビシッ! と立てる。

「さ、あとは絹恵だけだよ。さっさと食べて探検しに行こうよ」

 そんじゃかばん置いてくるから。

 そう言ってヒカリは席を立った。お箸すらも取り落としてしまいそうなわたしを置いて。

 首を動かすのも難儀だったから目だけで彼女の姿を追うと、椅子を貸してくれた子にお礼を言ってた。

 仙豆を食べてお腹いっぱいのヒカリが。

 十日間は餓死する危険性のないヒカリが。

 もう昼なのに体力が百パーセントに戻ったヒカリが。

 もはや人間以外の存在に見えないこともないヒカリが。

「ヒカリ」

 そんな彼女を見ていたら、不意に言葉が口から滑り出していた。

 あれ、わたし何言ってるんだろ?

 ヒカリは「ん?」ってな感じで振り返る。

 勝手に動き始めたわたしは一呼吸置いて、それから箸をお弁当の上に置いて、ゆっくりと右手を上げていって――。

 ビシッ! と親指を立てた。

 そんでもって、

「おいしかった?」

 って訊いていた。

 ヒカリはただ黙って右手を顔の前まで上げ、「もちのろん!」ってなアクションで親指を立てた。

「もちの、ろん介!」

 って遅れて言葉も発した。

 それを聞いてわたしはなんだか満足した。

 いやぁ、なんだか珍しいもの見せてもらえたなぁ、って。高校はやっぱり中学校とは違うんだなぁ、って。

 そんな感慨に耽りながら、わたしは視線を机に落とす。

 そこには半分ほどに減った焼肉スペシャルが。

 大盛りだった、焼肉スペシャルが。

「あんたもさ、もうちょっとインパクト出しなよ」

 呟いて、それから食事を再開した。

 視線を横に流し、うららかな春が演出する柔らかい校庭を眺めながら。


 ご覧頂き、ありがとうございます。

 とてもくだらないお話だったとは思いますが、いかがだってしょうか。


 物語性の欠片もありませんので、これを小説として投稿しても良いのかどうかについては悩んだのですが。笑


 ともあれ、少しでも失笑を買えたら本望です。

 どうもありがとうございました。

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