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しっとりシリーズ

ごめんね、先生

作者: 天川 七

 遠くから見えるあの人の横顔。

 以外とごつごつしてる指。

 耳を擽る低い声。

 『好きです』

 その一言さえ、伝えることを許されなくて。

 だけど、想いは止めどなく溢れるばかりで。

 ただただ、貴方を想う。

 それが私に唯一許されることだから。



 放課後の誰もいない教室で、神崎舞茄かんざきまいかは黒板消しを握り締め、必死に背伸びをしていた。

「く……っ、このっ!」

 しかし懸命に伸ばした手は震えるばかりで、白い文字には届かない。平均を下回るこの身長が憎くなる。

 思えば今日は一つも良いことがない。外は今にも雨が降り出しそうな曇り空なのに、傘を持っていないし、舞茄と一緒に当番を担当していた男子は、仕事を押し付けて我先に帰ってしまった。

その上、自分の身長が足りないばかりに、仕事がなかなか片付かないのだ。考えれば考えるほど哀しくなる。

 舞茄は黒板に寄りかかってため息をついた。こうなったら、時間はかかるが、椅子を引っ張ってきて移動しながら消すしかないだろう。

「誰か身長分けてくれないかな……」

「背骨切れってか?」

 独り言に声が返ってきて、舞茄は飛び上がる。誰だと思いながら振り向くと、笑う長身の男がいた。

 跳ね上がった心臓を押さえて、舞茄はぎこちなく笑う。

「びっくりした。先生、なにか用ですか?」

「日直日誌がまだ届かないんでな。気になって見に来た。小さいと大変だな、神崎?」

 先生──岩島保いわしまたもつは悠然とした足取りで近づいてくると、舞茄の手から黒板消しを取り上げる。

 隣に立たれると、二人には大人と子供ほど身長差があった。感じる威圧感が強くて、舞茄は一歩だけ後ろに下がる。

 こういう大きな男が、舞茄はどうにも苦手だ。正直に言えば、怖い。後ろに立たれたりすると、恐怖心で心臓が疾走するくらいなのだ。

「すみません」

「こういうときは男を使えよ? というか、もう一人の当番はどうした?」

「今日は用事があったようで……」

「あぁ? 女に押し付けてサボリかよ。ったく、しょうがねぇな。最近のガキは」

「もしかしたら、本当に用事かもしれないですし、ね?」

 明日説教だ、と不穏な呟きをする保に、舞茄はことを荒立てたくなくて咄嗟にサボった男子のフォローに走る。

 すると、黒板を消し終わった保が呆れた顔をした。

「神崎、お前なぁ……仕事押し付けられてんのに、そんな野郎を庇うんじゃないの!」 

 ぺちりと額を叩かれて、舞茄は俯いた。こうやって弱気だからいいように利用されるのだと自覚はある。

 だが、舞茄は言い合ったり、喧嘩をしたりするのは好きではないのだ。そのくらいなら、自分が我慢することを選ぶ。その方が楽なのだ。

「いいんです。私、別に嫌じゃないから」

「だったら俯くなよ。別にお前を責めてるわけじゃないんだから」

 指で顎を上げられて、舞茄はほんの少し目を揺らした。

 だいぶ上の位置に、端正な保の顔がある。

「悪いことしてんのは向こうだろ? 悪いことしてない神崎は、俯かずに胸張っとけ」

 保は優しい目をしてそう言うと、舞茄の顎から指をはずして、一度だけ頭を撫でた。

 暖かなものが大きな手の平から伝わってくる。

「──はい」

 顔を上げた舞茄は小さくはにかむ。苦手だったはずの保が、今は少しも怖くなかった。





 日直があったその日から、舞茄は自然と保を視線で追うようになった。

 そうやって観察していると、今まで知らなかった部分が見えてくる。

 身長が足りない生徒には、少しだけ腰を曲げて話しやすくしてあげてること。

 相談には親身になって乗っていること。

 怒る時は後に引きづるような怒り方はしないこと。

 その大人の余裕と話やすい人柄で、男子女子共に信頼されていること。

 今まで苦手だからと避けていたからわからなかったが、保は良い先生のようだ。

 今も廊下で生徒に囲まれて、楽しそうに笑っている。

 舞茄も話しかけてみたいとは思うのだが、どうしても恥ずかしくて近寄れない。だから、いつもその様子を遠くから眺めているのだ。

 すると、ふっと保と視線が合う。舞茄は慌てて視線を逸らすと、廊下側の窓から離れた。

 トクトクと心臓が跳ねて、顔が火照ってくる。あの日から、保に見つかるといつもこうなるのだ。

 恥ずかしさと切なさに、胸がぎゅっとする。

「舞茄―、って、ちょっと、顔真っ赤だけど大丈夫? 熱でもあるんじゃない?」

「ちょ、ちょっと気分悪いから、保健室行って来るね」

 舞茄は両手で紅くなった頬を押さえて、教室を後ろのドアから出た。

 どこかに隠れたい気分で一杯だ。

 せかせかと廊下を歩いていると、チャイムが鳴った。昼休みが終ったのだろう。

 すると、後ろから誰かに腕を掴まれた。

「神崎、授業始まるのにどこ行く気だ?」

「せ、先生っ!?」

 真剣な目をした保に、舞茄は言葉に詰まりながら口を動かす。

「あの、ちょっと気分が悪くて……。先生こそ授業は大丈夫なんですか?」

「今は空き時間だ。保健室行くなら連れてってやるぞ?」

「い、いえ、自分で歩けますから」

 せっかく落ち着いた心臓がまた速くなり、顔が熱くなってくる。恥ずかしくて死にそうだ。

 紅くなっているだろう顔を舞茄は俯いて隠す。保を意識していることを知られたくない。

すると、保は予想外な行動に出た。

「え、うぇっ!?」

「それだけ紅い顔してるんだ。熱でもあるんだろ? 遠慮しなくていい。保健室までオレが連れてってやるよ」

 保が舞茄の身体を腕に抱き上げたのだ。 

視界の変化に混乱している間に、保は悠々と動き出す。

 膝裏に感じる腕の感触と、胸元から仄かに香る匂いに、頭が真っ白になる。

「先生っ! 恥ずかしいから下ろしてくださいっ!」

 保が子供のように、にっと笑う。

「ダーメだ。大事な生徒を放り出したりしないから、大人しくしてな」

 『生徒』の一言に、胸の奥がズキリと痛んだ。

 ──わたし、馬鹿だ。当然のことなのに、傷つくなんて……。

 無言で俯いた舞茄は、保が自分を真剣な目で見ていたことを知らなかった。





 保健室には幸いなのか、それとも不幸にもなのか、誰もいなかった。

 舞茄は保にベットの上に下ろされる。

「あの、あ、ありがとうございました」

 顔を見れないまま、舞茄はお礼を言った。その声は微かに震えたもので、握り締めた手も小刻みに震えている。

 流れる沈黙が痛い。どうすればいいのかわからないでいると、頭の上で重いため息が聞こえて、舞茄はびくりと体を震わせた。

 お礼もまともに言えない子なのかと、呆れられてしまったのだろうか。

 そう思うと、胸が苦しくて、涙が滲んでくる。

 嫌われたくない。そう思うのに、胸の中には溢れそうなほど言葉があっても、口から出て来ない。

 唇を硬く閉じて、嗚咽を漏らさないようにしながら、舞茄は沈黙を守る。

「神崎、顔上げろ」

「でき、ません……っ」

 保の静かな声を必死に拒むと、保がベットの上に片足を乗せてきた。

 ぎしりとベットが軋む音がやけに大きく響く。

「そんなに──オレが怖いのか?」

「え……っ?」

 思いもかけない一言に、舞茄は思わず顔を上げる。

 そこには、切なそうに目を細めた保がいた。 

 舞茄の眦から堪え切れなかった涙が一粒だけ流れ落ちる。  

「泣くほどに、オレが怖いか?」

 伸ばされた指先が、そっと舞茄の涙を拭う。

「ちが……っ」

「違うなら、どうしてオレからまた逃げる? お前が始めて逃げなかったあの日、お前に近づけたと思ったのは、オレの勘違いだったのか?」

 苦しそうな顔で話す保から目が放せない。

 舞茄は嗚咽を堪えて、何度も何度も首を振る。

 溢れた涙が頬を滑っていく。

「それなら、オレが知らない内に、お前が怖がるようなことをしちまったのか?」

 その言葉に、さらに激しく首を振り、舞茄は保の哀しい言葉と切ない表情を見ていられなくて、とうとうその言葉を口にした。

「ごめんなさい、先生が好きなんですっ」

 保の反応が怖くて、舞茄はまた俯きながら、それでも必死に口を動かした。

「好きだから、触れられると、どうしようもなく震えてしまう。私が勝手に好きになって、勝手に意識してるだけなんです。先生は一つも悪くないよ。だから……っ」

「わかったからもういい、神崎」

 懸命に言い募っていると、保から制止の声がかかった。舞茄は次に来る衝撃を堪えようと、ぎゅっと目を瞑る。

 すると、暖かなものに身体が包まれた。

 保だ。保が舞茄を抱きしめたのだ。

「せ、先生?」

「あー、あんまり見るな。今、きっとめちゃくちゃ情けない面してるから」

 胸元から聞こえる心臓が、早鐘を打っている。

 そっと顔を上げると、保は耳まで紅くなって、嬉しそうな顔をしていた。

「ごめんな、オレも好きなんだ」

 落とされた言葉に、舞茄は大きく目を見開いた。

 抱きしめられる力がほんの少し強くなる。

「お前がオレを怖がってるのは知ってた。他の生徒がいくら寄って来ても、お前だけはオレに近づかなかったから。だから逆に気になってずっと見てたんだぜ?」

 そんなことちっとも気付かなかった。

「お前がお人よし過ぎて、クラスメイトに利用されれば、腹が立ったし、友達と笑ってれば、オレにも笑ってほしいと思った。神崎は高校生で、オレは教師だから、そんなもん許されねぇってわかっててもな、お前を見ることは止めれなかった」

 初めて聞く保の心境に、舞茄は紅くなる。

 今度は嬉しくて、涙が零れた。

 それをまた保が優しく拭ってくれる。

「ほら、もう泣くなって。意外と泣き虫だな?」

「だって、まさか両思いになれるなんて、思ってなかったから……」

「それはオレも同じだ」

 泣きながら、顔を寄せ合って二人で笑う。

「二人で内緒の恋をしようぜ?」

「うん。ごめんね、先生。急いで大人になるから……待っててね」

 二人はそっと触れるだけのキスをした。



今日は七夕と言うこともあり、いつもより糖度を高めにしてみたのですが、いかがでしたか?

天川は気恥ずかしさもあり、顔を抑えてうぎゃーと叫びながら作業をしておりました。あー恥ずかしい! 

読んでくれた貴方はどう思いましたか? 「胸焼けするわ!」と突っ込むもよし「まだまだ余裕だよ」と胸を張るもよし、どちら側なのか、ぜひ感想を聞かせてもらいたいです。 


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