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血塗れの手記

作者: 紅花
掲載日:2026/05/30

見つけてくださりありがとうございます。

最後まで楽しんでいただけますと幸いです。

 もし、この書きかけの文を見つけたなら、どうか最後まで読んでください。聞くも哀れ見るも無残なこの私の顛末を。それだけが私の願いです。そして叶うならば、私を助け出してください。いつかこれを読む、まだ見ぬあなたへ。





                        エマ・ロットワーズ











 私は幼少の頃から動物たちと仲良くなるのが得意でした。他の子たちと遊ぶより、森の中で動物たちと駆け回るほうが好きな、大人から見れば変わった子供だったことでしょう。様々な動物が私のかけがえのない友人でした。猫や犬、兎に狐。熊とも友人になることができました。私が動物たちに好かれる理由は今でもよくわかりません。おそらく生来のものがあったのでしょう。

 人間の友人はいなくとも、私は動物たちに囲まれ不自由を感じないままに成長していきました。それは幸運なことだったと今でも思います。辺境の没落し始めた貴族の娘。よくある話です。私はそこに不安を感じることもありませんでした。森で動物たちと暮らすことが、私が描く理想だったからです。

 ある日の青空が広がる美しい日、私はいつものように屋敷を抜け出しました。メイドたちを撒くのも慣れたもので、きっと私がいなくなっても彼女たちは「また抜け出したのか」と呆れていたかもしれません。ですから、昔はともかくその日私を探しに来る人間はいませんでした。

 いつものように森の入り口に来ると、そこには普段は見ないものがありました。人が蹲っていたのです。とても珍しいことでした。少なくとも私は、この森で無事な人間の姿を見かけたことはなかったのですから。蹲っている人間を見て通り過ぎるほど、私は酷薄な人間ではありませんでした。幼いころから教えられた【富める者は弱きを守らなければならない】という教えに従い、その方に声をかけたのです。だって、お腹が空いているといけませんから。

「もし、どうしましたか?」

 声をかけてもその方はすぐには返事をしませんでした。薄汚れた髪に着古して布が薄くなった服、私には金銭に困っているか、病に犯されているかのどちらかのように見えました。そこでおぼろげに妙な病が流行りはじめているということを思い出しました。しかし、その時にはもう遅かったのです。私はその方の顔を見て思考が止まってしまいました。

 左目は焼けただれたように皮膚に覆われ両手は指が変形し、右足は石のような色に変色し、肥大化していました。今までそのような方を見たことのなかった私はとても恐ろしかった。人間ではないのかと疑いすらしたのです。口も変形しており、発声が困難なようでした。

 恐ろしくてふらふらと後ずさる私にその方は失望したようでした。かすかに見える右目でじっと私を見つめていました。逃げ出したかった。その場から走って屋敷に帰ってしまいたかった。けれど結局そうすることはありませんでした。私はその方に手を差しのべたのです。それが私の義務であると信じて。

 そのあとの顛末はあまり語ることがありません。よく思い出せないのです。気が付いた時には、その方は血まみれで草の上に倒れ伏していました。近くには友人の熊が寄り添ってくれていて、私の衣服は引き裂かれ、秘部からは出血していました。後になって破瓜したのだと誰かに教えていただいて……。あの方は誰だったかしら……。

 少し話が逸れてしまいましたね。私はギロチンにかけられることは免れましたが、牢屋に閉じ込められ、そこで一生を終えることを言い渡されたのです。今ではこの刑罰が非人道的な酷いことだと心底思っています。いっそ死なせてくれればよかった。暗闇で一生一人だなんて誰が耐えられるでしょうか。けれど友人が犯人であると告げることもできず、私はここに幽閉されるのです。

 私は幽閉される間際の、ほんの少し残された時間でこれを床に書きつけています。どうかこれを読んだあなた、私を助けてはくださいませんか。あなたに少しでも情けがあるならば、どうか。私は溶接された扉の向こうの牢屋にいます。願わくばもう一度、日の光を見ることができますように。まだ見ぬあなたへの、これが私の願いです。













 床に刻まれた血文字を一人の男が見つめている。その表情は苦虫を嚙み潰したようで眉間の皺は深く、美丈夫を台無しにしていた。血文字はとっくに黒く酸化し、近くに転がっている破片のようなものはおそらく爪なのだろう。この文字を書いた少女は爪を使って必死に書いていたが、その内に爪は剥がれ落ち、次は血を使って書き上げたようだ。その時点で少女はもう正気ではなかったのかもしれないと男は推察する。

 なんにせよ、この血文字は誰も読むことがないよう消さなくてはならない。男はそのために、貴人が閉じ込められている牢屋まで来たのだ。その男の名はシュタイン・ロットワーズと言った。エマ・ロットワーズの実の父である。

「シュタインはん、なに立ち尽くしてはんのん? 娘ちゃんが二度と出てこれんように工作しに来たんちゃうん?」

「……なんだ、その軽薄な言葉遣いは」

「これ? にっぽん行った時に面白かってん。だから言葉遣いマスターして帰国したんよ」

「相変わらずの変わり者だな」

「それ、よう言われるわ」

 カラカラと軽快に笑う黒髪の男は、一見すると軽薄そうに見える。だが、ふとした時に気づく眼光の鋭さが、それが上辺だけの軽さなのだと言外に伝えていた。油断ならない男だとシュタインは思う。

「娘ちゃんえらい可愛かったのに、こんなとこに閉じ込められて可哀そうやなぁ」

 シュタインはその言葉には何も返すことはなく作業を始めた。床に刻まれた文字を消すためにツルハシを持ち上げる。重く低い音が辺りに響き始めた。

「見ているだけか、お前は」

「手伝ってほしいのん?」

「いいや。手を出せばお前の悪評を流してやろう」

「おお、こわ。なぁ、なんで娘ちゃん庇わへんかったん」

「……エマは昔から動物と仲良くなるのが得意だった。そのせいか人間より動物を優先する子に育ってしまった。娘が幼い頃はそれでもよかったが、成長し花開くように美しくなったエマを他の貴族のお歴々は放ってはおかなかった。婚約の話が舞い込むようになったんだ」

「珍しもない話やなぁ」

「そうだ。珍しくもない話だ。本来なら政略結婚で送り出してもよかった。だが、それができない事情がエマにはあった」

「あー、人間より動物を優先するっちゅう部分?」

「そうだ。エマは動物だけを友人としていた。そして友人を大切にする子だった。だから、腹を空かせた熊に人間を連れてくることが度々あったんだ。富める者は弱きを助けるという私の教えを、動物だけに適用していた」

「そりゃ難儀なこっちゃなぁ」

「関係のない貴様はそれで済むが、私からすれば頭の痛い問題だった。エマは巧みな話術で人を森に誘う。無垢で世間知らずな貴族の娘という顔をしてだ。私も最初は気づいていなかったが、いつからか領地でたちはじめた噂で気づいた」

「別嬪な嬢ちゃんが人間を森に連れていくいうみたいな噂?」

「そうだ。その噂が広まり始めた頃から家は没落し始めた。領地から出ていく人間が増えたんだ」

「そら当然やわ。つまり、今回の事件は渡りに船やったわけやねぇ」

「ああ。エマを花嫁として出すことはできない。放っておけば犠牲者が増えていく。私を謗るなら謗ればいい。私には守らねばならない妻や使用人たちがいたのだ。後悔はない」

「いやいや、謗るなんて大抵の人間にはできひんよ。謗るならシュタインはんより良策を提示しなあかんもん」

「……そうか。お前はそう言うか」

 後には沈黙と重く低い音が残った。後ろの男には伝えないが、シュタインはエマを気の毒だとは思っていなかった。娘は牢屋の中でも友人を作るだろう。それが蝙蝠であれ、土竜であれ、関係なしに。我が娘に真の孤独は訪れないとシュタインは知っていた。

 だからこそ厳重に扉を溶接までして閉じ込めたのだ。下手に死刑になどすれば動物たちが何をするかわからない。これがシュタインなりに考えた苦肉の策だった。この刻まれた文字を破壊し終わったなら、もうここには二度と訪れない。それが最善であるとシュタインは信じている。願わくばもう二度と、日の光を見ることがないように。






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