ぼんやりしか記憶の無い転生令嬢は演じる役どころを知らなかった
私は、この世界がどこなのか、いまだにわからない。
転生してからというもの、エルドリア伯爵家の一人娘として、何不自由なく暮らしてきた。
父も母も優しく、使用人たちも親切で、何もかもが完璧すぎるほど完璧だった。
前世の記憶が戻るまでは。
それは去年熱を出して寝込んだ時に突然戻ってきた。
あぁ、自分は前世というものがあったな、と。
ただ、その記憶の中にこの世界のヒントがさっぱりなかったのだ。
そしてこの世界がどんな世界なのか、誰かに聞けるわけもない。
聞けば、頭がおかしいと思われるだろうから。
何故思い出してしまったのか…
転生者とはいえ私には、前世の明瞭な記憶がほとんどない。
ぼんやりこことは違う世界で暮らしていてその世界には異世界転生なんて概念があったなー程度。
便利なものがいっぱいあった事は分かるが仕組みはさっぱり分からないし、その頃の自分の名前さえあやふやで
ただ時折、奇妙な既視感に襲われる程度だ。
そんな感じなのでそのまま日々は過ぎていき、特に転生前の知識で何かの無双をするなんて事も無く、私は王立アカデミーに入学した。
学園生活は穏やかで、特に問題もなく過ごしていた。
今日も、私は中庭のベンチで昼食を楽しんでいた。
いつもは仲の良い友人と2人なのだが今日はその友人が先生に呼ばれて別行動なのだ。
サンドイッチを一口かじり、春の穏やかな風に頬をなでられながら──その時だった。
「ちょっとあなた!ちゃんと悪役令嬢しなさいよ!」
突然、金髪の少女が私の前に立ちはだかった。
青い瞳はキラキラと輝き、怒りの様な強い意志を宿して私を見つめている。
「え?」私は戸惑いながらも、口にしたサンドイッチを飲み込んだ。
「あなた、この世界の悪役令嬢でしょ! だったら、ちゃんと私をいじめて! そうしないと、レイモンが私に振り向いてくれないんだから!」
彼女は胸を張って言い放った。私は頭をかしげた。悪役令嬢? いじめ?
「あの、どなたですか?」
「私はこの世界のヒロインよ! 名前はセリア! あなたは悪役令嬢のレイラ・エルドリアでしょ! さあ、早く私をいじめて!」
私は完全に混乱していた。
まさか、この世界が何かの物語の世界だというのだろうか? それにしても、なぜ私が悪役なのか?
確かに記憶が戻ってすぐはきつめの目元が悪役令嬢系だなとは思ったものだが…
今の時点で特に誰かの婚約者候補や婚約者ですらない、むしろ…
「すみません、私は──」
「ちょっと待って!」
今度は別の声がした。振り向くと、今度は銀髪の少女がこちらに駆け寄ってきた。
彼女もまた、怒りの様なものを宿した目で私を見ている。
「あなた、悪役令嬢のくせに、私をいじめないから王子様が振り向いてくれないじゃない!」
「え?」私は二度目の「え?」を発した。
「私はこの世界のヒロイン、ルナです! あなたは悪役令嬢のレイラ・エルドリア! 早く私をいじめて、王子様の同情を引かせてください!」
二人の少女は私を取り囲み、それぞれが主張を始めた。
「違うわ、私がヒロインよ!」
「いいえ、私こそがこのゲームの主人公です!」
私はただ呆然と二人の言い争いを見つめるしかなかった。
どうやら二人とも、この世界が何かの「ゲーム」の世界だと思い込んでいて、自分がそのヒロインだと信じているらしい。そして、私が「悪役令嬢」という役割を担っていると。
「ちょ、ちょっと待ってください」私はようやく口を開いた。
「まず、お2人のおっしゃるこの世界とはどんな世界なのか教えてくれませんか?」
二人は一瞬口を閉ざしたが、すぐにまた話し始めた。
「『星の王子と銀の薔薇』よ! 」
「違うわ、『月の騎士と金の鈴』よ!」
「何言ってるの!それはこの後のシリーズ2でしょ!ここは1よ!」
「違います!私が入学しているのですからシリーズ2です!」
二人はまた言い争いを始めた。
どうやら、それぞれが別のゲームの世界だと思い込んでいるらしい。
しかも、同じシリーズの1と2だと。
「でも、どっちにしても、あなたが悪役令嬢なのは同じじゃない!」
「そうよ! だから早くいじめて!」
私はため息をついた。前世の記憶がほとんどないとはいえ、物語の世界に転生するというお話があったことはぼんやりと記憶の中にある。
ただ2人の言う世界は全く未知だ。いったいどうすれば──
「動くな!」
戸惑っていると突然、甲冑をまとった騎士たちが中庭に現れた。
十人ほどが私たちを取り囲み、二人の自称ヒロインに近づいた。
「セリア・フォーレンス、ルナ・シルバーマイン。違法薬物使用容疑で逮捕する」
「え? 違法薬物?」二人は同時に声を上げた。
騎士の一人が小さな瓶を取り出した。「これはお前たちが所持していた『魅了ポーション』だ。成分分析の結果、違法薬物であることが判明した」
「そんな! それゲームの課金アイテムよ!ヒロインの特権なのに!」
「高額だったのに!」
二人は泣き叫びながらも、騎士たちに連れ去られていった。私はただ呆然とその様子を見送るしかなかった。
どうやら、この世界では「ゲームの課金アイテム」が違法薬物として扱われるらしい。
二人は前世の記憶に囚われ、この世界をゲームだと思い込み、高額な「アイテム」を購入してしまったのだ。
騎士たちが去った後、中庭には再び静けさが戻った。私はベンチに腰を下ろし、残りのサンドイッチを見つめた。
もしかすると、前世の記憶がほとんどないのは、幸運なのかもしれない。
少なくとも、私はこの世界をそのまま受け入れ、伯爵令嬢としての生活を楽しんでいる。
一方で、あの二人は前世の記憶に囚われ、この世界をゲームだと思い込み、最終的には違法薬物所持で逮捕されてしまった。
私はそっと空を見上げた。青い空に、白い雲がゆっくりと流れていく。
余計な前世に囚われず、今この世界で生きる──それだけで、十分幸せなのかもしれない。
そう思うと、なんだか少しほっとした。私はサンドイッチをもう一口かじり、春の日差しを浴びながら、これからの学園生活を考え始めた。
圧倒されて言いそびれたが、そもそも私は入学前に籍を入れてすでに既婚者だ。
ただでさえ心配性で私が誰かに言い寄られたら…と学園前に強引に籍を入れた旦那様にこの事が知られたら、また心配させてしまう。
まぁ、もう「悪役令嬢」を演じる必要はなさそうで良かった。




