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記憶の中の陰陽師  作者: 蓮水 涼
今の君に、触れるとき
8/11

第7話

 

 もうすぐ昼も間近になろう頃、華弥は住宅地を歩いていた。

 はたから見れば彼女の他には誰もいない。しかし実はもう一人、というよりはもう一匹がそこにはいる。

 常人には視えないその姿は、けれど華弥には視えている。白い毛並みを優雅にたずさえて、長い尾をゆらりと揺らす、猫の姿が。

 ただ、どうやら彼自身は自分を猫だと言われるのが気にくわないらしい。

 だったらその姿をやめればいいのに。華弥としてはそう思うが、でもきっとこの式神にも何か理由があるのだろう。だから最近はそれについて何も言わないことにした華弥である。

 見慣れた緑が少なくなり、だんだんと高いビルが増えてくる。主要の駅に近づけば近づくほど、この街は発展した様子を見せてくる。過ぎ行く人も多かった。

 華弥が住んでいる神社の周辺とは、大違いな風景である。あそこはほとんどを緑に囲まれていて、この街からはさほど遠くないはずなのに明らかに人通りも少ない。

 おかげで神社はまあまあ閑散としているが、華弥が受け継いでからはお祓いが得意な神社として、少しは知られつつある。

 だからこそ冬の終わり、舞い込んできた依頼で恭也と再び会えたのだ。

 一連の事件を思い出しながら歩を進めていた華弥は、そういえば、と突然歩いていた足を止めた。そうして自分の肩口にいる白い猫を見やる。

「ずっと不思議だったんだけど、なんで佐野さんて視えてるの?」

 今の織は常人には視えないので、華弥はもちろん小声で話しかけた。

 しかし彼が本気になれば、常人にもその姿を見せることは可能である。可能なのだが、よほどその必要性にかられない限り織がそれをすることはないだろう。

 やはり猫が喋っているところを見られると色々厄介なため、姿を隠しているほうが何かと便利なのだ。

 華弥の質問を受けた織が、うーん、とこちらも考え込んでしまった。

「そうなんだよなぁ。あいつって確か、()()視えないようになってるはずだよな?」

「そうよ。でも織のことも、あの黒い妖のことも全部視えてた。これっておかし――あ」

 しかしそこで思い当たることがあり、華弥は小さく声を上げる。

 織が「どうした?」と視線で尋ねてきた。

「そういえば三月の始めに――依頼を受けて芸能事務所に行ったときに、佐野さんに会ったって言ったでしょう? そのとき佐野さんに妖が憑いてて……すぐに祓ったことは祓ったんだけど、それが関係してるのかな?」

「なに? 妖が? おいおい、なんでそれをもっと早く言わんのだ」

「だってちゃんと祓ったし、大丈夫かなって」

「まあ祓ったのなら、それは関係してないんじゃないか?」

「そうだよねぇ」

 じゃあ何で視えるんだろう、と最初の疑問に戻る。

 本来なら恭也は今、視えなくなっているはずなのだ。それを知っている華弥と織としては、恭也が人ならざるモノを視えることにどうしても疑問が残る。

「ま、なぜかは知らんが、今のあいつはあんなに俺たちの存在を否定しようとするんだ。視えたほうが信じてくれやすくもなるし、いいんじゃないか?」

 そう言ったこの式神は、つまり言外に放っておいても問題はないだろうと言っている。

 しかし華弥としては心に引っかかるものがあった。それが何なのかは華弥自身にも分からなかったが、言い知れない不安を感じる。

 だからと言って、やはりその正体が分からなければ対策を講じることもできない。

 とりあえずは様子見かな、と華弥は気を引き締めることにした。

「さ、今は他人のことより自分の心配をしたほうが身のためだぞ。ほら、着いた」

 どうやらいつのまにか目的地に辿り着いていたようだ。

 織が言った通り、目の前には見覚えのある建物が建っている。その入り口には大きく『九重大学医学部附属病院』と書かれており、白を基調としたコンクリートが形を作っていた。

 日本の中でもトップレベルの大学であるここは、全国から患者が押し寄せて来るほどの名医揃いである。

 そして華弥も、そんな患者の一人だ。

 受付けで馴染みの看護師に来院したことを知らせれば、その看護師はすぐにわけ知り顏で奥へと消えていく。

 待っている間手持ち無沙汰だった華弥は、手身近にあった雑誌をぱらぱらめくって時間を潰すことにした。織はその隣で体を丸めて昼寝と決め込んでいる。

 すると少し離れたところで、点滴をつけた六歳くらいの女の子がきょろきょろと誰かを捜している姿が見えた。少しだけ色素の抜けた茶色の長い髪は耳の下で二つに結われている。可愛らしいウサギの髪ゴムが、彼女の耳元で踊っていた。

 呼ばれるまでまだ時間があるだろう――そう踏んだ華弥は、座っていた椅子から立ち上がる。

 それを気配で察知した織は、閉じていた片目を薄っすらと開けるが、その場から動こうとはせず華弥の姿を目だけで追ってくる。

「こんにちは」

 華弥はとりあえず、変に怪しまれないよう優しく笑って話しかけた。

 声をかけられた少女は、その声がまさか自分に向けられているものだとは思わなかったのか、小さく首を傾げている。

「いきなりごめんね。なんだか困ってるように見えたから。もしかして、人を捜してるの?」

 すると、少女の目が大きく見開き、しまいにはその瞳をキラキラと輝かせた。

「すごい! どうしてわかったの?」

「ふふ、さあなぜでしょう? でも困ってるなら、私も一緒に捜そうか?」

「ほんと!? あのね、わたしね、おにいちゃんをさがしてるの。きょう、おみまいにきてくれるって言ってたんだけど、まだこなくて……」

「そっか。それで病室から捜しに来たのね。あなたのお名前は?」

「いちか! 六さいだよ」

 少女が満面の笑顔で答える。その元気な姿に、華弥もつられて笑みがこぼれた。

 でもだからこそ、その元気な姿の少女には、腕に繋がっている点滴のチューブが余計に痛々しかった。

「じゃあいちかちゃん、私のことは華弥って呼んで。一緒にお兄さんを捜しましょう」

「かや、おねえちゃん?」

「そう、華弥。桜木華弥が、私の名前よ」

 華弥がそう伝えると、しかし少女はきょとんと華弥を見つめた。

 そして、どうしたのだろうと困惑する華弥に、少女は思いもよらぬことを言い出したのだ。

「ほんとうに?」

「え?」

 言われた言葉がすぐに理解できず、華弥は思わず聞き返してしまう。

 何が『ほんとうに』なのだろうか。

「おねえちゃんのなまえ、ほんとうに『さくらぎかや』なの?」

 もう一度確かめるように聞かれた言葉の、その裏に隠された意味を、華弥はここでようやく理解する。その瞬間全身が総毛立った。

 だってそれは。

 それは、一部を除いて、誰も知るはずのないことだ。

 ごくりと喉が鳴る。いちか、と名乗った少女を、華弥は動揺の隠せない瞳で見つめた。

「そ、そうよ。どうして?」

「あのね、いちかのおともだちがそう言ったの。だから、いちかもよくわかんない」

「え……?」

 予想外の答えを返された華弥は、今度は面くらってしまった。

 少女の言っていることがいまいち要領を得ない。頭は軽くパニックだ。

 どうしてこんな見ず知らずの子が、そんな自分の秘密に触れるようなことを言うのかと。

 そもそも彼女のいう友達とは、いったい誰のことを指しているのだろう。周りにそれらしい人物が見当たらないのが、余計に華弥の心を掻き乱した。

 ドクドクと破裂しそうなほどの心臓の音が、耳の奥でひどくうるさい。指先から血の気が引いていき、ひんやりと冷たくなっていくのが自分でも分かる。

 頭の中を、一つの記憶が駆け巡る。

 しかしそこで、誰かが少女の名を呼んだ。それに合わせて顔を上げれば、そこには看護服を着た女性が小走りでこちらに向かって来ていた。

一夏(いちか)ちゃん、やっと見つけた! こんなところにいたのね。お部屋を抜け出しちゃいけないでしょう?」

「でもね、おにいちゃんがきてくれるんだよ。だからおむかえに」

「じゃあ私と一緒にお部屋で待ってよう。ね?」

「……うん」

 少女は言葉とは裏腹に、不満そうな表情だ。

 彼女を呼びに来た看護師が、今度は華弥を振り返る。

「ところで、あなたは?」

「あ、私は偶然……この子が困っているみたいだったので」

「そうだったの。ありがとう、おかげで助かっちゃった。ほら、一夏ちゃんもお姉さんにお礼を言って」

「ありがとう、かやおねえちゃん!」

 純粋なその笑顔に、でも華弥は心からそれに応えられないでいた。

 胸の奥に重く沈んだものがある。

 聞きたいことが、ある。

 でもそれは叶うことなく、一夏は連れ戻しに来た看護師と共に行ってしまった。呆然とその背中を見送りながら、華弥はしばらく佇んでいた。

 まさかこんなところで、しかもあんな小さな女の子に、秘密を暴かれそうになるとは思ってもみなかったから。

 彼女たちが去った後もなかなか戻らない華弥を心配してか、織が足元に擦り寄ってくる。言葉などなくとも、どうしたんだ、と慰められているのが手に取るように分かってしまった。

 それでも華弥は、

「ううん、何でもないの」

 そう、困ったように微笑することしかできなかったのだった。



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