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記憶の中の陰陽師  作者: 蓮水 涼
失くした君に、出逢うとき
6/11

第5話


 撮影の主な舞台には、別荘のリビングを使っているらしい。

 怪奇現象騒動のせいでスケジュールが押していることもあって、今日はもう撮影を止めることができないというのは最初に言われていたことだった。

 だから、さっきのような事故が起ころうとスケジュールに変更はない。そもそも華弥はスケジュールに口を出せる立場でもない。

 だから撮影が再開されることを仕方ないとは思うけれど、眉間のしわは拭えなかった。なぜならあれは、事故ではないからだ。

 出演者やスタッフたちだって、立て続けに異変が起きているのだから先ほどの事故も不審に思っている人は少なくないはずだ。

(ほんと、やってくれたわね)

 ぎりっと奥歯を噛む。

 よりにもよって、妖は恭也を狙った。それも自分の目の前で。

「織」

「問題ない。補足できておる」

 撮影中だからか、リビングを出てしまえば静かだ。人もいない。

 華弥は音を立てないよう細心の注意を払って玄関を出た。

「ふん、馬鹿な奴め。一度でも姿を現したのが運の尽きだな。この俺様が気配を追うなど造作もないことよ」

「それで、今どこにいるの?」

「下だ。華弥に気づかれたからか、逃げたな」

「人を盾にしないってことは、そこまで知能がある妖ではなさそうね」

「同感だ」

 山の斜面を駆け下りていく。そこまで近づけば華弥にも妖の気配は辿れた。

「――見つけた。ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン!」

 真言を唱えると、呪力の刃を避けるように妖が姿を現した。刃は山肌を抉り、土埃が空中を舞う。それが風で流れていくと、ようやく全体像が露わになる。

(犬……いえ、狼?)

 妖には、昔ながらの名の知れたモノもいれば、人に語られるほど逸話を残していないために名のないモノもいる。中には人や動物が転じてそうなったモノもいて、おそらく今回の妖は後者だろう。

 ぱっと見は黒い狼だ。両の(まなこ)は濁った金色で、涎が伝う牙はひと目でその獰猛さがわかるほどに鋭い。体毛はまるで炎のようにメラメラと立ち昇っていて、それが妖の妖気だと遅れて気づく。

 さっさと片を付けてしまおうと、再び口を開きかけたとき。

「待てっ」

「んむ!?」

 織に尻尾で口を塞がれる。

 こんなときに何!? と己の式神を睨めば、織は目をまん丸にして後ろを凝視していた。

 目の前にいる妖に注意しつつ、そっちに何があるのかと華弥も視線を少しだけ後ろにやる。

 やって、息を呑んだ。

 そこにいるはずのない恭也がいたからだ。彼はある一点を見つめたまま固まっていて、いったい何を見ているのかと気づいた瞬間、妖が動いた。

「佐野さん!!」

 咄嗟に足が動く。あとから思えば結界を張れば良かったのだが――いや、張るべきだったのだが、このときは恭也を守らなければということしか頭になかった。

 彼を押し倒すのは二度目だ、と妖に肩を食らいつかれながらぼんやりと思う。

「っ、活火激発、急急如律令!」

 呪符を肩に食らいつく妖に貼る。その瞬間燃え上がった炎から逃げるように妖が離れていった。

 肩からは血が流れ、身体から力が抜けるような感覚がする。

 目の前の恭也は目をこれでもかと見開いていた。そりゃあ視えないはずの彼からすれば、いきなり華弥が自分を押し倒してきて、なぜかいきなり肩に大怪我を負ったようにしか見えなかっただろうから、驚くのも無理はない。

 やはり結界を張るべきだった。

「佐野さん、戻ってください、別荘に」

「は!? そんなこと言ってる場合か! 血がっ……クソッ、なんなんだよこれ。止まらねぇ……!」

 恭也が必死にハンカチで傷口を押さえてくれるが、華弥はそれをやんわりと払い除けた。妖から付けられた傷からは、多かれ少なかれ瘴気が流れ出ている。そんなものを彼に触れさせるわけにはいかない。

「おい、動くな!」

「大丈夫ですから。私のことはいいので、佐野さんは早く――」

「華弥、よそ見をするな!」

 すると、華弥の言葉を遮るように背後で炎の柱が立った。けれど熱波がやってくることはなく、その炎の柱から一柱(ひとり)の青年が姿を現す。まるで火の化身のように赤い髪と赤い瞳をした青年だ。

炎鳥(えんちょう)!」

 鳥の形をした炎が妖を襲う。完全に避けきれなかった妖は、その場でぐらりとよろめいた。

「おい華弥、早くその小僧を追い返せ! 俺では弱らせることはできても、祓えんぞ!」

 そんなことは言われなくてもわかっていると、内心で歯噛みする。妖や霊を祓えるのは呪力を持つ者だけだからだ。

 青年――織が持つ力は、呪力とは違う。つまり、この場で目の前の妖を祓えるのは華弥だけということになる。

 でもそのためには視えない恭也をなんとかしてこの場から離れさせなければならない。だというのに、当の恭也が全く動いてくれそうになくて、華弥は次の一手に悩んだ。

 彼がこの意味不明な状況に怖がってくれたら話は簡単だったのかもしれないけれど、彼はこの状況下にあっても怖がる素振りを見せない。というよりも、華弥の怪我を心配してくれている。

 言葉では華弥を否定するのに、その華弥のために逃げない彼の優しさに、胸の奥がきゅっと切なくなる。

(でも今は、そんな場合じゃないわ)

 止血のためにタオルを取ってきてほしいと言えば、彼をこの危険な場所から逃がせるだろうか。そう考えて、お願いしようとする前に。

「ふざけんな。追い返す? 俺だけ逃がそうとしてるの間違いだろ。そんなの絶対聞かねぇからな」

「っ!?」

「今逃げるべきはあんただろ」

 言うや否や、恭也は華弥の身体を支えて別荘へ連れて行こうとする。

 何かがおかしかった。違和感を覚えた。だって、なんで彼は、華弥が言葉にする前に反論できたのか――。

「こら小僧! 華弥を拉致するな馬鹿者! 華弥も大人しく流されてるんじゃない!」

 織の声に我に返り、慌てて恭也から距離を取ろうとするが。

「さっきからうるせぇんだよ露出狂! 急に半裸同然の格好で現れやがって。おまえも十分敵だからな!」

 恭也が言い返したことに、華弥も織も唖然とした。同時に、違和感の正体はこれだと確信してしまった。

 本来なら、人ではない織の声は常人には聞こえないはずなのだ。

 恭也は正確には常人ではないけれど、でも今は常人と同じはずだった。いいや、同じでいてくれないと困るのだ。

 なのに、どうして、応えられるはずのない声に彼は応えられているのか。

 答えなんて、一つしかない。

「いいか、状況は全く理解できねぇけど、俺はまた、訳わかんねぇまま目の前で誰かを死なせるつもりはないんだ。だからこいつは連れて行く!」

 その言葉を聞いた瞬間、華弥は恭也の肩を軽く押して突き放した。

 瞠目する彼と目が合う。理不尽に突き飛ばされたのだから当然だろう。情けない顔で微笑んだ。

 だって、思い出したから。自分も同じ気持ちだということを。二度と彼を危険な目に遭わせないと、そう決めていたことを。

 ずっと昔に。

 眠る君に。

 たとえ忘れられても。嫌われても。

 もうあの頃を、取り戻せないとしても。

(生きてさえいてくれれば、それでいいって、決めたから)

 だから今、彼が視えているかどうかは問題じゃない。

 自分が彼の目にどう映るかも問題じゃない。

 今一番大切なのは、彼を傷つけさせないことだ。

 振り返り様に術を放った。

「ノウマク・サマンダ・ボダナン・ベイシラマンダヤ・ソワカ!」

 織のおかげで弱っていた妖は、攻撃を避けることもできずに直撃を食らう。

 それでもまだ完全とはいえない。容赦なく追撃を放ち、とどめを刺す。

「悪鬼退散、急急如律令!」

 妖が断末魔を叫ぶ。最後まで気は抜かない。死ぬ間際に最後の力を振り絞って反撃してくるモノも少なからずいるからだ。

 そうして妖が完全に消滅し、気配も消えてやっと華弥は肩から力を抜いた。

 抜きすぎて、そのまま尻餅をついてしまう。不思議なもので、ついさっきまでは肩の痛みを忘れられていたのに、終わった途端にズクズクと痛み出してきた。

 ここまで酷い怪我は久しぶりだ。まずは怪我の瘴気を祓う必要があるなぁと呑気に考えていたら、呆けていたはずの恭也が急に我に返ったらしく、ポケットから自分のスマホを取り出していた。

 まさかと思い、慌てて彼のズボンを引っ張る。

「待ってください。何をするつもりですか」

「救急車呼ぶに決まってんだろ」

「だめです。呼ばないで」

「馬鹿か! 寝言は寝て言え!」

「違うんです! だって、説明できないから……っ」

 そう叫ぶと、彼が指を止める。どういうことだと視線で問われて、気まずげに口を開いた。

「だってこんな怪我、あきらかに自分では付けられないでしょう? 他傷だと思われます。そうなると犯人捜しが始まるんです。どこにもいない、誰にも見つけられない犯人捜しが」

 その説明で恭也は察したらしく、くしゃりと顔を歪ませた。

「……ってたのか」

「え?」

「あんた、それを知ってて――知った上で、俺を助けたのか」

「それは……」

 答えるなら「はい」だが、なんとなく、そう断言できなかった。

 けれど、恭也は沈黙も肯定として受け取ったようだ。

「馬鹿か! つまり病院に行けないってことだろ!? なのになんで助けた! それをわかってて、なんで……っ。あんたに喧嘩売った男なんて放っておけば良かったのに!」

 喧嘩? と華弥は内心で首を傾げる。

 華弥の反応の鈍さに気づいた恭也が、苦しげな声で言った。

「幽霊なんて信じてない、あんたみたいな人間が大っ嫌いだって言っただろ」

「ああ、はい。言われましたね」

「そんなこと言われたらムカつくだろ、普通」

「いえ、特に?」

「ムカつけよっ。そんで見捨ててくれれば良かったんだ……っ」

 なぜか傷ついたような顔をする恭也に、肩の怪我よりも心が痛んだ。彼にこんな顔をしてほしくて助けたわけではないのに。

 それに、自分が彼を見捨てるだなんて、天地がひっくり返ってもありえない。

(でもそれを伝えるのは、さすがに佐野さんの負担になるわよね)

 彼にとっては、まだ二度目ましての自分だから。今の自分の気持ちは重いと思われるだろう。

 彼に気づかれないよう自嘲した。

「佐野さん、心配してくれてありがとうございます。でも本当に大丈夫なんです。確かに救急車は無理ですけど、病院に行けないことはないので」

「! そうなのか?」

「はい。かかりつけがありますから」

「どこだ」

「え?」

「行くぞ。篠田さんに車回してもらう」

「え、や、それはちょっと……!」

 今にも横抱きにされそうになって、さすがに抵抗する。

 そこで助け舟を出してくれたのが、本来の青年の姿に戻っている織だった。

「おい、そろそろ割り込ませてもらうぞ。このままだと面倒なことになりそうだからな」

 しかし織が近づこうとした瞬間、恭也が華弥を守るように織の前に立った。

「おまえ、こいつの知り合いか? 見た目はどう見ても変質者だけど」

「誰が変質者だ! 俺様は歴とした式神だぞ! 十二天将の朱雀! 元とはいえ方角の神だぞ、敬え!」

 そんな織を無視して、恭也はなおも華弥を運ぼうと膝裏に手を差し込んできた。

「っておい、無視するな小僧!」

 ぼふんっ、と音を立てて青年が猫に戻る。一瞬のその出来事に、さすがの恭也も動きを止めた。目を点にして白い猫を凝視している。

「貴様っ、さっきからその飄々とした態度はなんだ!? 神と聞いたらもっと何か反応があるだろう!? むしろ反応しろ! ほら、こんなに自在に姿を変えられるのも俺くらい強い奴じゃないと無理なんだぞ。畏れろ!」

 理不尽な要求を突きつける織に、華弥のほうが頭を抱える。喚く口を無理やり閉じさせると暴れられたが、特に気にしない。

「ごめんなさい、佐野さん。今のうちに別荘へ戻ってください。もう怪異は――皆さんの頭を悩ませていた事件は起きませんから、監督たちにそう伝えておいてもらえると助かります。こんな状態なので、私からは直接言えそうになくて……」

 さすがに血だらけの格好で人前に出るわけにはいかないだろう。

 すると、恭也の目が未だに織に向いていることに気づく。何か気になることでもあったのだろうか。もしくは気に障ることでも――。

「佐野さん、どうしました? 織が何か……?」

「なあ、一ついいか」

「はい、なんでしょう」

「ふん、やっと俺様を畏れ敬う気になったか?」

「いや……猫って、喋るんだな……?」

 その瞬間、この場の空気がピンと固まる。

 いち早く正気に戻ったのは、華弥に抱えられたまま抵抗していた織だった。

 顔を真っ赤にした織が力の限り叫ぶ。

「~~っだから俺は! 猫じゃ、なぁーい!!」

 なぁーい……と怒声が森の中に木霊する。

 思わず笑ってしまったのは、誰にも内緒だ。




 だんだんと草木も目覚め始める早春の折。

 仄かに暖かい日差しが辺りを包み込んでいる。

 これは、暦の上ではすでに春の、そんな季節の移り変わりに起こった出来事。

 再会するはずのない二人が出逢い、歩み寄り、心を通わせて、そして、再び引き裂かれるまでの――愛おしい恋の記憶。



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