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記憶の中の陰陽師  作者: 蓮水 涼
今の君に、触れるとき
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第9話


 ――……せ。


 低い、重々しい声が耳の奥で響く。


 ――……を、……せ。


 あたりは深い闇に覆われていて、自分の手がかろうじて見えた。

 

 ――よ……を、……こせ。


 すると、ふいに背後で音がした。声ではない。

 この重苦しい声とは別の、音が。


 ――おまえの……を、……せ。


 答えてはいけない。応えてはいけない。

 本能が警鐘を鳴らしている。

 この声に、決して振り返ってはならないと。

 なのに、体が勝手に動く。

 ゆっくり、ゆっくりと。

 背後にいる何かを振り返るように、視線が徐々に動いていく。

 そしてもう一度、その『何か』が叫ぶ。


 ――おまえの〝それ〟を、おれによこせ!


   *


 まだ夜明け前。

 波打つ心臓を抑えながら、恭也は文字通り飛び起きた。心臓の上を着ている服ごとぎゅっと手で握りしめる。

 落ち着け、落ち着け。

 速まる呼吸を無理に整えて、最後にはゆっくりと口の中の息を全て吐き出した。

「……っ」

 まだ感覚が残っている。夢の中の、感覚が。

 最近は全くと言っていいほど見なくなったあの悪夢を、恭也は一ヶ月ぶりくらいに夢に見た。

 しかも、今までとは違う終わり方で。

 だって今までなら、自分はその声に振り向くことなどしなかった。振り向いてはいけないのだと、解っていたから。 

 なのに今日は違った。

 自分の意思とは反対に、勝手に体が動いた。

 その瞬間背後にいる何かの姿が見えそうになったところで、恭也はなんとか目を覚ましたのだ。

 目が覚めたのは僥倖だった。

 あのまま背後にいるモノの姿を見てしまうのは、なんだかいけないことのような気がするから。

 その正体を知ってしまえば囚われる――そんな気がした。

「は。たかが夢に何を……馬鹿か俺は」

 そう、たかが夢だ。高校生にもなってそんなものを怖がるなんて情けないにも程がある。

 そう思う一方で、見過ごせない自分も確かにいる。

 三月に桜木華弥と名乗る少女と出逢ってから、恭也は人ならざるモノと否が応にも関わってしまった。

 だから何度も見るこの夢が、ただの夢ではないのかもしれないと気づき始めている。

「くそ……」

 とりあえず、寝汗が酷いシャツを着替えることにした。今日は朝早くから仕事なので、二度寝することなく起きてしまう。

 時計の針は、午前三時を示したばかりである。



   *



 この学校には、王子と姫がいる。

 甘いマスクと分け隔てのない明るい性格で女子を虜にする、一之瀬(いちのせ)海斗(かいと)

 通称、王子。

 そんな彼の幼なじみで、すらっとしたモデルのような美貌を持つ、桐生(きりゆう)亜姫(あき)

 通称、姫。

 幼い頃から病弱の姫を支えるのが、王子の役目であった。

『亜姫、今日は検診ない日だろ?』

『うん。それでね、お母さんが今日は海斗の家でご飯食べてきてって』

『オッケ。じゃあ帰るか』

 誰から見ても、お似合いの二人だった。

 しかし、そんな王子に想いを寄せる、一人の少女がいた。

 姫は王子が好き。

 少女も、王子が好き。

 実はこの少女、幼い頃に王子とある約束を交わした少女なのだが、王子はそれを覚えていない。忘れたのではなく、記憶を()くしてしまったせいで。

 覚えているのは少女だけ。

 病弱な姫を支えるのが、王子の役目。

 でもそんなある日、ついにこの少女と王子が運命の再会を果たすのだ――。

『っと、わり! 大丈夫か?』

『え……あっ、うん、全然大丈夫!』




「カーーット!」

 そこで、野太い声が響き渡った。

 学生服を着た彼らの動きが一瞬にして止まる。

美緒(みお)ちゃん、今のところもうちょっと驚いて。想いを寄せる男との予期せぬ再会ってことになってるから」

 美緒ちゃんと呼ばれた彼女が、監督から出された指示に分かりましたと頷く。

 その隣には、先ほどまで『一之瀬海斗』を演じていた恭也がいた。

 恭也の今日の仕事はドラマの撮影だ。

 学園モノの恋愛ドラマで、主人公と病弱の幼なじみとの間で葛藤する男の役を演じている。

 このドラマのヒロインを演じることになった高橋美緒とは、初の共演である。

 しかし恭也は彼女を知っていた。そして彼女もまた、恭也を知っている。なぜなら二人は同じ音羽南高校の芸能科に通っているからだ。

 人気アイドルと今話題になっている若手女優が主演ということで、このドラマの注目度はかなり高い。

「じゃあ今のところ、もう一度ね!」

 そうして今日の撮影は、結局夜の八時まで続いた。



「佐野くん、よかったら一緒に帰らない?」

 撮影が終わって、この後はもう何も予定がない恭也はさっさと帰るつもりでいた。悪夢のせいでまた睡眠時間が短くなってしまっているので、なるべく無駄な体力は使いたくなかったのだ。

 予定がないのなら、休むにこしたことはない。

 しかし共演者である美緒から帰りのお誘いを受けてしまっては、たとえ素の恭也が心の中で毒を吐いていようとも『アイドルの佐野恭也』は笑顔でそれに応えるだろう。

 こういうとき、やはり外面がいいのも考えものだ、と痛感する。

 せめてマネージャーの篠田が迎えに来てくれていたら逃げられたが、今日の彼は春樹のほうについている。

 仕方がないと分かっていても、苛立ちは確実に募っていく。

(くそ、早く帰りたいのに)

 早く帰って、ゆっくり寝たい。

 そしてできれば、悪夢を見ることなく熟睡したい。

 人にとって睡眠とは、身体的にも精神的にも大切なものらしい。恭也はそれを身をもって知った。

(さっさとタクシーに乗せるか)

 寝不足の頭でそう考えていたとき、美緒が周りをきょろきょろとし始めたことに気づく。

 その行動を怪訝に思う恭也の腕に、彼女が急に抱きついてきた。

「えっと、高橋さん? これはどういう……」

「佐野くんは、積極的な女の子は嫌い?」

 わざと胸をあててきている。上目遣いでこちらを見つめてくる計算高い女に、一瞬笑顔の仮面が剥がれ落ちそうになった。

 なるほど、と思う。

 周りをきょろきょろしていたのは、カメラや人がいないかを確認するためだったらしい。盛大なため息を吐きそうになるのを必死に堪えつつ、恭也は美緒から離れようとする。

「高橋さん。俺は、今はそういうのは考えられないですよ」

「どうして?」

 どうして、だと? それを聞くのかこの女は。

「今はドラマの撮影中ですし、それに俺、忙しくて構ってやれる暇なんてありませんから」

「それでもいいって言ったら?」

「言われても無理ですね」

 困ったように笑いながら、なんとか彼女から自分の腕を取り戻そうと画策する。

 しかし彼女もなかなか諦めてくれないので、思うようにいかない。

 いっそのこと素を出して幻滅させてやろうか。そんな思いが恭也の中に芽生え始める。

「俺なんかより、もっと他にいい男を見つけてください。世間で言われるほどそんなに優しくないですから、俺」

「ううん、佐野くんは優しいよ。共演してて分かったの。学校ではお互い忙しくてなかなか話せなかったけど、まさか共演できるなんて思わなかったから、この話をもらったときは凄く嬉しかった。……私ね、本当はドラマの撮影が始まる前から、佐野くんのこと好きなんだよ」

 真剣に恭也を見つめる美緒の瞳には、男をくらっとさせるほどの熱情が孕んでいた。

 だとしても、相手が悪い。残念ながらそれは恭也には効かない。むしろ相手の熱が上がれば上がるほど、恭也の瞳はどんどん冷めたものへと変わっていく。

 女は嫌いだ、と脳裏にさまざまな過去が蘇る。

 何人もの女が、恭也の上っ面に恋をして告白してきた。

 しかし中身を知るやいなや、彼女たちは途端に手のひらを返したように罵声を浴びせてくるのだ。

『こんな人だとは思わなかった』

『もっと優しい人だと思っていた。騙された』

 勝手に人に理想を押し付けておきながら、想像と違うだけで勝手に幻滅して怒る女たち。

 もう何度そういう女を見てきたことか。そんな奴らに振り回されるのはいい加減うんざりだった。

 どうせこの女も同じだろうと、恭也は自分の心が凍えていくのを感じる。

 そろそろ限界かもしれない。

 春樹にはあとで謝ろう――そう思ったとき。

「きゃ!?」

 美緒が突然悲鳴をあげた。同時に余計に密着する。

 恭也はそれに眉を寄せながらも、「いったいなんだ?」と美緒を見やった。

 すると、彼女の足元に何かを見つけた。辺りは暗くてそれが何なのか、はっきりとは分からない。

 けれどよく目を凝らして見てみれば、フェレットのような可愛らしい小動物の姿を捉えることができた。

 その正体が分かった途端、恭也は小さく肩を落とす。

 なんだ、これくらいでビビるなよ、と。

 恭也がその小動物を捕まえようと手を伸ばしたとき――。

「な、なに? なんか今、足に何かが触れたような……」

 美緒のその言葉に、恭也はたまらず「は?」と低い声を出してしまった。

 だって何かもなにも、あきらかに小動物が足に絡みついているじゃないかと思ったのだ。どう見てもこれが原因である。

 だというのに、美緒の視線はどうしてもその小動物に向かない。

 その様子を不思議に思うと同時に、まさか、という疑念で恭也はごくりと喉を鳴らした。

「あの、高橋さん。足に何かが触れたって……今は?」

「あ、今もまだそんな感覚がするかも。でも何もいないし、私の勘違いかな?」

 どうやらやはり、この小動物は美緒には視えていないようだ。

 それに気づいてしまえば、恭也は口角をひくつかせた。最悪だ。

「……そうですね、きっと気のせいですよ。そんなことより早く帰りましょう」

 こういうときこそ、気づかぬふりが一番いい。

「そうだよね。ごめんね、いきなり叫んじゃって」

「いえ、俺は別に――」

 大丈夫ですよ、と言いかけた恭也の耳に、また別の音が聞こえてきた。

 がさがさと、まるで木の葉を無理やり揺らしているような、そんな音だ。

 それは美緒の耳にも届いたらしい。徐々に近づいてくるその音に、二人して身構えた。

 そのとき。

「やっと見つけた! これで観念――って、え?」

 恭也たちの耳に届いた声の主が、二人の姿を見て固まる。

 もちろん恭也たちもいきなり茂みの中から現れた人物に驚いて目を瞠った。

 というより、恭也に関してはそれ以外にも目を瞠る理由があった。

 なぜなら恭也の目の前に現れたのは、三月に出逢ったばかりの、巫女をしているという華弥だったのだから。

「……あ、あの、大丈夫?」

 見かねて声をかけたのは美緒だ。

 突然道路脇の茂みの中から姿を現した華弥を、若干表情を引きつらせながらも心配している。華弥はそれになんとか笑顔で応えながら、とりあえず茂みの中から脱出していた。

 そして体についていた葉っぱを全て落とすと、ある一点を凝視する。彼女の視線の先を辿った恭也は、そこでようやく自分の状態を思い出した。

「え、っと……お二人は」

「あ、もしかしてあなた、私たちのこと知ってるの?」

「ま、まあ……」

 気づけば、先ほどより乱暴に美緒の腕を振り払っていた。第三者が現れたことで、美緒のほうも腕を絡め直す気はないようだ。

「これはね、何でもないの。だから誰にも言わないで。ドラマの撮影の帰りで、佐野くんが送ってくれてるだけだから。ね、佐野くん」

「……ええ、そうですね」

 平静を装いながらも、なぜか心臓がドクドクと鳴っている。手汗を掻いているような気がして、ぎゅっと握り込んだ。

(なんだ……? まさか、焦ってるのか……?)

 自分でも何に焦っているのか分からない。

 今口を開けば余計なことを言いそうでもある。

 そっと彼女を窺ってみたら、彼女は作り笑いを浮かべていた。

「そうだったんですね。突然進路を妨げて申し訳ありませんでした。じゃあ私はこれで」

 まるでそそくさと逃げるように彼女がこの場を立ち去ろうとする。

 その刹那に見えた横顔が、なぜか今にも泣き出しそうだった。

「ちょっと待って」

 反射的に腕を伸ばしてしまった。それから自分の行動を自覚して、内心で歯噛みする。

 一拍措いて、なんとか言い訳を振り絞った。

「腕、怪我してますね。茂みの中で切ったのかもしれません。手当てしましょう」

「で、でも佐野くん」

「高橋さんはこの後タクシーで帰れますよね? 俺はこの子の手当てをしてから帰りますので、先に帰っててもらって大丈夫ですよ。もう夜も遅いですから」

 有無を言わせない笑顔で美緒を促した。

 まだ何か言いたそうにしていたが、これ以上は何を言っても無駄だと悟ってくれたようだ。

 名残惜しそうではあったが、ようやくタクシーを拾うために大通りへと去ってくれた。

 予想外に追い払えたのは僥倖だ。

「はぁ……二度と一緒に帰りたくねぇ」

 取り繕う必要がなくなった途端、素を出す。

「あの、佐野さん」

「なに」

「私、怪我なんてしてませんよ?」

 本気でそう言う彼女に目を瞬く。

 天然なのか鈍感なのか……。

「そんなの分かってる。ただの口実。おかげでやっとあの女から解放された」

「え? でもお二人って、その、付き合ってるんじゃ……? 私がいた手前、隠してたんじゃないんですか?」

「はあ? 誰があんな女。俺の顔につられた女なんか、絶対に願い下げだ」

 勝手に理想を押しつけて勝手に幻滅するような奴は、本来なら関わり合いたくもないくらいだ。

 世の中「顔」だけじゃないんじゃないのかよ、と吐き捨てたくなる。

 中身が大事だというのなら、こんな「顔」につられてくんなよとやさぐれたくもなる。

 ――イケメンだからいいね。

 ――イケメンなら頭もいいんでしょ。

 ――イケメンならスポーツ万能だよね。

 おまえたちのそのイメージを押しつけてくるなと叫びたい。

「佐野さん」

 隣から名前を呼ばれて、少し視線を下げる。

 最近知り合ったばかりのこの女も、結局は「顔」につられるんだろうか。

 そしてこれまでの奴らと同じで、幻滅するんだろうか――。 

「――大丈夫ですよ、そんな顔をしなくても」

「は……?」

「怖がらなくても、大丈夫です」

「……!」

 まるで、こちらの心を見透かしたような言葉。

 あまりのことに呆然としていたら、彼女がハッと我に返った。

「す、すみません! なんでもないです! 今のはちょっと出過ぎました。そんなことよりお仕事で疲れてますよね! じゃあえっと、今度こそこれで」

「なあ」

 呼び止めたのは、どうしてなのか。

「な、なんでしょうか」

 自分のことなのに、今日は衝動的な行動ばかりしてしまう。

「あれだ……肩は」

 もうちょっと聞きようがあるだろと自分でも思ったけれど、彼女はすぐにこちらの言いたいことを理解してくれた。

「おかげさまで本当にもう大丈夫です。それにほら、さっきだって茂みの中を自由に動き回れたんですよ!」

 彼女が元気よく腕を回して見せる。その明るさに、気づけば恭也は小さく吹き出していた。

「あんた、変わってんな」

 すると、彼女がほっと息をつきながら「よく言われます」と笑った。褒めたつもりも貶したつもりもなかったけれど、それが作り笑いではなかったことに恭也もなぜか安堵した。

「それで、なんでその茂みの中を動き回る羽目になってたんだ? つーかそれも、気になんだけど」

 そう言って指差したのは、彼女の左目だ。

 しかし彼女は視線を泳がせるだけで、答えを教えてくれようとはしない。というより、正直なんと答えればいいのか悩んでいるような空気感だった。

 それでも恭也がじっと待っていれば、観念したように口を開く。

「えーと、左目はものもらいでして。茂みの中から出てきたのは、その、ちょっと運動を? してたとか?」

「俺に訊くなよ」

「はは……ですよね」

 納得はできないが、彼女の肩の怪我が治ったのならよかったと素直に思う。

 自分のせいで負った傷を見るのはやはりどうしても痛々しかったから。

 だからせめて、治るまでは様子を見ようと決めていた。それが少しでも罪滅ぼしになればと願って。

 自己満足かもしれないけど、それでも放っておくことは考えられなかったから。

 でもこれで、ようやくその役目も終わる。

 あの信じたくないモノばかり視る神社にも、行くことはなくなるのだ。

 それは恭也にとっては都合のいいことのはずなのに、なぜか心はすっきりとしない。

 ああ、でもそういえば。

 それならもう、目の前にいる彼女とも、この先会うことはないのか――。


 彼女の黒曜の瞳が、ゆらりと揺れていた。



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