切れなかった理由
夜は、静かだった。
焚き火の音だけが、
蒼衡の簡易陣地に残っている。
セイン=ヴァルクスは、
地図を見下ろしたまま動かなかった。
切った。
確かに、切った。
だが――
戦場は、立たなかった。
「……妙だな」
ガランが、大剣を下ろして言う。
「魔物は倒した」
「数も減らした」
「それでも、
人は動かなかった」
ユールが、静かに水を注ぐ。
「“原因”は消えたはずなのに」
「“理由”が残ったままだった」
セインは、目を閉じた。
あの光景が、脳裏に蘇る。
倒れた変異群。
灰となって消えた身体。
そして――
膝をついたままの村人。
(……切ったはずだ)
(迷いを、恐怖を、原因を)
(なのに)
「……非裁定」
ふと、口をついて出た名。
ガランが、眉をひそめる。
「また、
あいつらか」
「切らなかった連中だ」
「だが」
セインは、続けた。
「立った」
ユールが、ゆっくり頷く。
「……彼らは」
「“判断できる場所”を、
先に作っていた」
「切る前に」
沈黙。
蒼衡のやり方は、
速い。
強い。
明確だ。
だが――
今の敵は、その速さを前提にしていた。
「……俺たちは」
セインは、低く言った。
「切ることで、
戦場を“終わらせる”ことしか、
考えてこなかった」
ガランが、歯を食いしばる。
「それの何が悪い」
「迷いを残せば、
被害は増える」
「分かってる」
セインは、否定しない。
「だが」
視線を、火へ。
「迷いを“断つ”のと」
「迷いが“立つ余地”を、
残すのは――」
一拍。
「違う」
ユールが、静かに言った。
「非裁定は、
切らなかったわけじゃない」
「切る“前提”を、
変えただけ」
セインは、拳を握る。
(……俺は)
(切れなかった理由を、
切ろうとしていたのか)
外で、風が吹く。
焚き火が、
一瞬だけ大きく揺れた。
「……次は」
セインは、静かに言う。
「同じことは、
繰り返さない」
「切るか、
切らないか」
「その前に――」
地図を畳む。
「“立つ場所”を、
見る」
ガランは、何も言わなかった。
だが、
大剣を置く位置を、
ほんの少し変えた。
ユールは、
その変化を見逃さなかった。
蒼衡は、
まだ変わっていない。
だが――
“切れなかった理由”を、
初めて直視した夜だった。
暗い。
だが、闇ではない。
そこには光も、音もある。
ただ――
意味が、整理されていない。
変異群は、
“群れ”として存在していた。
個体という概念は、薄い。
名前も、感情もない。
あるのは――
結果の集積。
斬られた。
止められた。
進めなかった。
それらが、
分解され、
共有されていく。
(前進:失敗)
(側面:失敗)
(判断役:停止)
(撤退:成功)
最初は、
“例外”だった。
戦場から離れたこと。
追わなかったこと。
だが――
それは、生き残った。
「……?」
変異群の内部で、
小さな“揺れ”が生まれる。
撤退は、
敗北ではない。
撤退は、
情報を持ち帰る行為。
(撤退=損失最小)
(撤退=再配置可能)
(撤退=次へ)
それを、
“判断”として認識する。
前線役だった個体の役割が、
薄れる。
代わりに、
“観測役”が増える。
直接戦わない。
距離を測り、
反応を見る。
非裁定の前線。
盾の位置。
剣が止まった瞬間。
(切らない時の反応)
(止める時の成功率)
(撤退判断の条件)
それらが、
静かに並べられる。
変異群は、
初めて理解する。
――敵は、
“倒す対象”ではない。
――敵は、
“判断を変える存在”だ。
だから、
正面衝突は最適解ではない。
(次:誘導)
(次:分断)
(次:判断役を複数化)
(次:撤退を前提とした攻勢)
群れは、
まだ強くない。
だが――
迷っていない。
最後に、
一つの情報が共有される。
(非裁定)
(切らない)
(立たせる)
(最優先観測対象)
変異群は、
静かに動き始めた。
これは、
進化ではない。
適応だ。
そして――
この適応は、
もう止まらない。
報告は、拍子抜けするほど地味だった。
「……逃げた?」
ミリアが、依頼書を覗き込んで言う。
「被害、軽微。
負傷者なし。
魔物は途中で撤退――」
「同じ文言が、
三件続いてる」
リュカが、資料を並べる。
「地域も、
時間もバラバラ」
「なのに、
“追撃不能”」
エルドが、腕を組む。
「……普通の魔物なら」
「逃げた時点で、
縄張りを捨てる」
「でも、
これは――」
レインは、黙って聞いていた。
《模写理解》が、
報告の“行間”を拾う。
(……撤退条件が、
統一されている)
(……負傷率、
一定以下で撤退)
(……追撃が始まる前)
「……逃げてるんじゃない」
レインが、静かに言った。
「“帰ってる”」
ミリアが、顔を上げる。
「帰る?」
「うん」
「次の判断のために」
一瞬の沈黙。
それから、
ミリアが鼻で笑った。
「……嫌な言い方」
「でも」
剣を肩に担ぐ。
「分かりやすい」
「倒せないなら、
追い込む」
「追い込めないなら、
判断させない」
「……前線の仕事だね」
エルドが、頷く。
「撤退を、
“成功体験”にさせない」
「だが」
リュカが、慎重に言う。
「下手に追えば、
向こうの狙い通りになる」
「うん」
レインは、地図を広げる。
「だから――」
指で、街道と森の境をなぞる。
「次は、
“逃げ道を選ばせない戦場”を作る」
「切らず」
「押し付けず」
「でも――」
一拍。
「撤退も、
成功させない」
ミリアは、
その言葉を聞いて、
少しだけ目を細めた。
「……ずるい戦い方」
「褒め言葉だよ」
レインは、
小さく笑う。
その時。
外で、
伝令の足音がした。
「《非裁定》!」
「蒼衡から、
連絡です!」
レインは、顔を上げる。
「……内容は?」
「同じです」
伝令は、息を整えながら言った。
「魔物は、
途中で撤退」
「だが――」
一拍。
「撤退した“あと”に」
「人が、
動けなくなった」
ミリアの表情が、
一気に引き締まる。
「……撤退を」
「“置き土産”に、
使い始めた」
レインは、
深く息を吸った。
《模写理解》が、
静かに確信を告げる。
(……次は)
(“判断の回収”だ)
「……行こう」
レインが、短く言う。
「次は、
撤退を終点にしない」
《非裁定》は、
立ち上がった。
敵は、
強くなっていない。
だが――
賢く、そして狡猾になっている。
その先に待つのは、
“選ばせる戦争”だ。




