役割が、入れ替わる
その戦場は、静かすぎた。
倒木の多い谷間。
視界は悪く、風もない。
だが――
危険なほど、整っている。
「……嫌な感じ」
ミリアが、低く呟いた。
「待ち伏せなら、
もっと雑になる」
「うん」
レインは、足を止める。
《模写理解》が、
断続的に反応していた。
(……配置、済み)
(……でも、
“前線”が見えない)
エルドが、盾を構える。
「敵影、
正面にはいない」
「左右も、
薄い」
「……奥か?」
リュカが、《戦域把握》を広げる。
だが――
そこで、眉をひそめた。
「……変だ」
「反応が、
“重なってない”」
「分散してるけど、
役割が見えない」
その瞬間。
前方の岩陰から、
一体の変異群が姿を現した。
これまで見てきた個体と、
大差はない。
小型。
中途半端な肢体。
未完成の外見。
「……一体?」
ミリアが、首を傾げる。
「囮じゃない?」
「多分ね」
レインは、
視線を逸らさない。
変異群は、
ゆっくりと歩き出した。
だが――
攻撃してこない。
距離を詰め、
止まり、
また一歩引く。
「……判断中」
ミリアが、剣を構える。
「切る?」
「待って」
レインが、制した。
「今、
こいつは――」
言葉を切る。
その瞬間。
背後で、
別の気配が動いた。
「後ろ!」
エルドが、即座に盾を叩き込む。
だが、
そこにいた変異群は――
すぐに後退した。
「……攻撃してこない」
「“見てる”だけだ」
リュカが、歯を噛む。
「……役割が」
「入れ替わってる」
正面の個体が、
そこで初めて動いた。
突進――
ではない。
横移動。
ミリアの間合いを、
外す動き。
「……っ」
ミリアが、追う。
だが、
追わせること自体が目的だった。
「……来る!」
レインの声。
側面から、
別の変異群が踏み込む。
「エルド!」
「来てる!」
盾が、前に出る。
《前線固定》
だが――
衝突しない。
変異群は、
直前で止まった。
そして、
“役割を放棄”する。
「……?」
次の瞬間。
谷の奥から、
“別の個体”が姿を現した。
今まで、
前線に出ていなかった存在。
動きは遅い。
だが――
視線が、鋭い。
「……あれが」
リュカが、息を呑む。
「“判断役”」
その瞬間。
最初に出ていた個体が、
後方へ下がる。
側面にいた個体が、
前に出る。
役割が、
完全に入れ替わった。
「……くそ」
ミリアが、低く吐き捨てる。
「倒した順に、
意味がない」
「うん」
レインは、冷静だった。
《模写理解》が、
一つの結論を出す。
(……個体じゃない)
(役割を、
倒してるつもりになってただけだ)
変異群は、
“群れ”として判断している。
「……全員」
レインが、短く言う。
「戦い方、
切り替える」
「次は――」
一拍。
「“倒す順番”を、
選ぶ戦いだ」
谷に、
静かな緊張が落ちる。
敵は、
強くなっていない。
だが――
賢くなっていた。
最初に動いたのは、変異群だった。
だが、それは攻撃ではない。
一体が前に出る。
二体が横へ散る。
一体が、後方で止まる。
「……数、増えた?」
ミリアが歯を食いしばる。
「いや」
リュカが即答する。
「最初からいた」
「出てなかっただけだ」
《戦域把握》が、
谷全体を塗り替える。
「……前線役、二」
「観測役、一」
「判断誘導役、一」
「でも――」
一拍。
「固定されてない」
変異群は、
動きながら“役割”を切り替えていた。
前線だった個体が、
急に下がる。
代わりに、
別の個体が前に出る。
「……切る意味が」
ミリアが、吐き捨てる。
「薄れてる」
「うん」
レインは、頷く。
「一体を倒しても、
役割が消えない」
「群れが、
引き継ぐ」
その瞬間。
前線役だった個体が、
わざと隙を見せた。
「……誘い」
ミリアは、踏み込まない。
《踏越位》
だが、
“斬らない”。
剣先を、
半歩だけ止める。
変異群は、
そこで判断した。
――成功率、低。
前線役が、
後退する。
その瞬間。
別の個体が、
側面から踏み込む。
「……っ!」
エルドが、
盾を叩き込む。
《前線固定》
だが――
変異群は、
“ぶつからない”。
直前で、
役割を放棄する。
「……入れ替えが、
早すぎる」
リュカの声が、焦る。
「倒す前に、
判断を捨ててくる」
レインは、
深く息を吸った。
《模写理解》が、
膨大な分岐を弾き出す。
(……切る)
(……止める)
(……追う)
(……全部、
“見られてる”)
その時。
後方にいた
“判断誘導役”が、
一歩だけ動いた。
ほんの、
半歩。
だが――
それだけで。
前線の二体が、
同時に踏み込んできた。
「……合図だ!」
リュカが叫ぶ。
「後ろが、
指示してる!」
「見つけた」
レインの声が、低くなる。
「……でも」
視線を、ミリアへ。
「今、
切りに行けば――」
「前線が、
崩れる」
ミリアは、即座に理解した。
前線を離れれば、
エルドが孤立する。
だが、
“判断役”を残せば、
状況は悪化する。
「……くそ」
ミリアは、
歯を噛みしめる。
(……選べ)
(……どっちだ)
その瞬間。
変異群が、
“待った”。
攻撃を、
止めた。
様子を見ている。
――こちらの判断を。
「……舐めてる」
ミリアが、低く呟く。
レインは、
短く言った。
「違う」
「学んでる」
一拍。
「だから――」
「“正解”を、
見せる」
ミリアは、
深く息を吸った。
剣を構える。
だが――
狙いは、前線でも後方でもない。
「……エルド」
「分かってる」
エルドが、
盾を“ずらした”。
《前線固定》を、
半歩だけ解除する。
――わざと。
変異群の判断役が、
動いた。
「……今!」
ミリアが、
踏み込む。
だが、
狙いは――
“判断役の影”ではなく、
その“進路”。
《断戦ライン・ブレイク》
切ったのは、
地面。
逃げ道。
判断役は、
初めて――
迷った。
「……!」
判断が、
止まった瞬間。
前線の二体が、
同時に硬直する。
「……繋がってた」
リュカが、息を呑む。
「判断役が、
全体を引っ張ってる」
「……今だ」
レインが、静かに告げる。
だが――
まだ、終わらない。
変異群は、
“次の判断”を
生み出そうとしていた。
変異群は、止まっていた。
完全な停止ではない。
だが、次の行動を選べずにいる。
前線の二体は、
動こうとして――やめた。
側面も、
距離を詰めかけて――引いた。
判断役は、
削られた進路の前で立ち尽くす。
「……今なら」
リュカが、声を落とす。
「判断役、
落とせます」
「でも」
視線を、周囲へ。
「前線が、
完全に崩れる可能性もある」
エルドは、
盾を構え直しながら言った。
「俺は、
まだ耐えられる」
「けど――」
「全員は、
守れない」
その言葉に、
一瞬の沈黙が落ちる。
変異群は、
それを“待っていた”。
再び、
判断を探るように。
「……選ばせる気だ」
レインが、低く言う。
「切るか、
引くか」
「犠牲を出すか、
見送るか」
「……くそ」
ミリアが、
剣を握り直す。
(……前なら)
(迷わず、
突っ込んでた)
(前線を、
一人で背負って)
でも。
視界の端に、
エルドの盾が見える。
リュカの視線が、
自分を信頼して向いている。
そして――
レインは、
一歩も前に出ない。
(……任せてる)
ミリアは、
静かに息を吸った。
「……撤退」
短く、はっきりと言う。
「今は、
全部は取らない」
リュカが、即座に動く。
《退路設計》
谷の出口に、
“逃げていい線”が引かれる。
エルドが、
盾を前に出す。
《前線固定》
今度は、
“押さえ”のため。
変異群は、
一瞬だけ迷った。
追うか。
様子を見るか。
その“迷い”こそが、
ミリアの狙いだった。
「……レイン」
「うん」
レインは、
小さく頷く。
《模写理解》が、
最後の判断を示す。
(……追撃確率、低)
(……ここで引けば、
被害なし)
「……行くよ!」
ミリアが、
剣を振るう。
《断戦ライン・ブレイク》
狙いは、
変異群そのものではない。
“踏み込む気”を、
断ち切る一撃。
変異群は、
それ以上追わなかった。
いや――
追えなかった。
判断役は、
撤退という選択を
“理解できなかった”。
その間に。
《非裁定》は、
谷を抜けた。
距離が開き、
戦闘は終わる。
「……倒せた、
わけじゃないね」
エルドが、
息を整えながら言う。
「うん」
ミリアは、
剣を収める。
「でも」
一拍。
「今日は、
負けてない」
レインは、
静かに頷いた。
「判断を、
奪われなかった」
「それが、
今の勝利条件だ」
変異群は、
谷の奥に残った。
だが――
“追わなかった”という判断を、
初めて記録した。
それは、
彼らにとっての失敗。
だが同時に――
次への材料でもある。
ミリアは、
少し照れたように言った。
「……さ」
「前線判断、
正しかった?」
レインは、
即答した。
「完璧だった」
ミリアは、
一瞬だけ目を逸らす。
「……そっか」
焚き火のない夜。
それでも、
《非裁定》は
確かに前へ進んでいた。
敵は、
強くなっている。
だが――
彼らもまた、
“判断できる集団”になりつつあった。




