普通の護衛、普通じゃない兆し
依頼内容は、実に平凡だった。
街道沿いの小村から隣町までの護衛。
荷馬車二台。
依頼主は、塩と保存食を運ぶ商人。
魔物の出没はあるが、
討伐難易度は低。
報酬も平均的。
「……久しぶりだね、こういうの」
ミリアが、馬車の横を歩きながら言う。
「影もいない。
英雄もいない。
世界機関の会議もない」
「平和すぎて、逆に不安」
リュカが苦笑する。
「でも、
こういうのが本来の冒険者だ」
エルドは、馬車の前方で盾を構えたまま、
淡々と進んでいた。
「……街道の見通し、良好」
「奇襲には向かない地形だ」
商人が、安心したように笑う。
「助かりますよ」
「最近は、
“何も起きないのに怖い”って話ばかりで」
「怖い?」
ミリアが聞き返す。
「ええ」
商人は、声を落とした。
「魔物が出るわけじゃない」
「でも、
判断が遅れる人が増えてる」
「逃げるか、
戦うか、
助けを呼ぶか――」
「決められないまま、
立ち尽くす」
その言葉に、
レインの足が一瞬止まった。
《模写理解》が、
微かに反応する。
(……また、同じ兆候)
(でも、
ここはまだ“普通”だ)
「その話、
この辺りだけ?」
レインが尋ねる。
「いえ」
商人は首を振る。
「街道沿い、
点々と」
「だから、
今回の護衛も多めに頼んだんです」
ミリアは、前を向いたまま言った。
「判断できないって」
「誰かに
奪われてる感じ?」
「……そうかもしれません」
商人は、曖昧に笑う。
「でも、
敵が見えないから」
「怖がりすぎだって、
言われるんですよ」
その瞬間。
前方の草むらが、
かすかに揺れた。
エルドが、即座に盾を前に出す。
「……止まれ」
馬車が止まる。
《戦域把握》が広がる。
「……魔力反応、弱」
「数、少なめ」
「でも――」
リュカの声が、わずかに硬くなる。
「動きが、
“様子見”してる」
ミリアが、剣に手をかけた。
「……また?」
レインは、深く息を吸う。
「うん」
「でも、
今回は――」
一歩、前に出る。
「“判断できる相手”かもしれない」
草むらの奥で、
低い影が、ゆっくりと姿を現した。
形は、昨日の獣と似ている。
だが――
止まった。
距離を測るように。
こちらを見て、
一歩引いた。
「……逃げた?」
ミリアが言う。
「いや」
レインの目が、細くなる。
「“考えた”」
判断のない敵ではない。
だが、完全な意思もない。
変異群は――
学び始めていた。
街道に、
静かな緊張が落ちる。
護衛は、
まだ始まったばかりだ。
変異群の個体は、すぐには動かなかった。
距離、およそ二十歩。
風向き、地形、人数。
まるで――
こちらを“測っている”。
「……嫌な感じ」
ミリアが、小さく呟く。
「昨日のやつは、
もっと雑だった」
「うん」
レインは頷く。
「でも、
こいつは――」
《模写理解》が、
断片的な情報を拾い始めていた。
(……行動選択)
(前進/後退)
(成功率の比較)
(――“模倣”)
「来るよ」
その言葉と同時に、
変異群は動いた。
突進ではない。
斜め前進。
正面からは来ない。
「右!」
エルドが盾を構える。
だが、変異群は――
そこで止まった。
一瞬の静止。
次の瞬間、
別方向へ跳ぶ。
「……避けた?」
ミリアが目を見開く。
「盾を、
嫌った?」
「違う」
リュカが低く言う。
「“成功率が下がる”って、
判断しただけだ」
変異群は、
レインを見た。
正確には、
レインの“立ち位置”を。
(……後衛)
(……干渉要因)
《模写理解》が、
一気に情報を吐き出す。
(……狙い、
後ろ)
「来る!」
ミリアが、即座に動く。
《踏越位》
前線を越え、
進路を塞ぐ。
《断戦ライン・ブレイク》
今度は、
確かな手応え。
刃が肉を裂く。
だが――
変異群は、
そこで引いた。
「……逃げた?」
「いや」
レインは、
目を離さない。
「“検証”だ」
変異群は距離を取り、
再び止まる。
そして――
“同じ角度”で、
もう一度突っ込んできた。
「……!」
ミリアは、
先ほどと同じ動きを取る。
だが、
変異群は――
直前で、
動きを変えた。
「っ――!」
ミリアの剣が、
空を切る。
変異群は、
その隙を狙った。
だが。
「――止まれ」
エルドが、
盾を叩き込む。
《前線固定》
進路を“拒否”するような防御。
変異群は、
衝突した瞬間に理解した。
――突破できない。
即座に、後退。
「……撤退判断」
リュカが、
息を吐く。
「もう、
“学習”してる」
レインは、
小さく舌打ちした。
「……この速度は」
《模写理解》が、
一つの結論を出す。
(……集団化前提)
(個体は捨て駒)
(データ収集)
「深追いしない」
レインが、即断する。
「ここで倒しても、
意味が薄い」
ミリアは、
剣を下ろしながら言った。
「……でも」
「次は、
もっと賢くなる」
「うん」
レインは、
ミリアの方を見た。
「だから」
「次は、
“判断させない戦い”じゃない」
「“判断させても勝てない戦い”を、
作る」
ミリアは、
一瞬だけ驚いた顔をして――
すぐに笑った。
「それ、
私の仕事でしょ」
エルドが、
盾を担ぎ直す。
「前線は、
俺が支える」
リュカは、
静かに頷く。
「配置と退路は、
任せて」
商人は、
少し震えた声で言った。
「……今のが、
最近噂の?」
「多分ね」
ミリアが、
軽く答える。
「でも」
視線を前へ。
「まだ、
間に合う」
変異群は、
森の奥へ消えた。
だがそれは、
敗走ではなかった。
――観測終了。
次は、
もっと“判断して”来る。
それを、
全員が理解していた。
その後、変異群は現れなかった。
森を抜け、
街道を越え、
荷馬車は無事に次の町へ辿り着く。
商人は、何度も頭を下げた。
「助かりました」
「……正直、
ここまで何も起きないのは久しぶりです」
「何も起きてないわけじゃないけどね」
ミリアが、苦笑する。
「ただ、
“ちゃんと進めただけ”」
それが、
今の世界では珍しい。
町の外れで、
《非裁定》は夜営を張った。
焚き火。
乾いた薪の匂い。
久しぶりに、緊張の抜けた空気。
エルドは、盾を立てかけて座る。
「……今日の相手」
「正直、
強くはなかった」
「でも」
視線を、炎に落とす。
「一番嫌なタイプだ」
「分かる」
リュカが頷く。
「“正解を探す敵”は、
厄介になる」
「英雄向けだ」
「蒼衡向けでもある」
「でも――」
レインは、焚き火を見つめたまま言った。
「僕ら向けでもある」
ミリアが、ちらっとレインを見る。
「……怖くないの?」
「怖いよ」
即答だった。
「でも」
一拍。
「今日は、
怖さが共有できた」
「それだけで、
前より楽だ」
ミリアは、少しだけ黙る。
それから、
何でもないように隣へ座った。
距離は、肩が触れるか触れないか。
「ね」
「レイン」
「ん?」
「さっきさ」
「変異群が、
私の動き真似してきた時」
「……ちょっと、
腹立った」
レインは、思わず笑った。
「分かる」
「私の前線は、
私のものだし」
「奪われるの、
嫌だよね」
「そう」
ミリアは、少し照れたように言う。
「でも」
焚き火の火が、
二人の影を重ねる。
「奪われないって、
分かった」
「エルドが止めて」
「リュカが読んで」
「レインが、
全部見てたから」
レインは、
その言葉を噛みしめるように頷いた。
「……非裁定、だね」
「裁かず」
「退かず」
「一人に、
背負わせない」
ミリアは、
ふっと笑う。
「いい名前、
付けたと思う」
遠くで、
夜鳥が鳴く。
森は静かだ。
だが――
焚き火の外、
闇の奥。
昼間に消えた変異群と、
“同じ視線”が、
いくつも重なっていた。
言葉はない。
感情もない。
ただ、
共有される判断。
――次は、
数で来る。
――次は、
役割を分ける。
それを、
誰も知らないまま。
「……寝よっか」
ミリアが立ち上がる。
「明日も、
普通の依頼だし」
「うん」
レインも立つ。
だが、その胸の奥で、
《模写理解》が
かすかに疼いていた。
これは、
始まりだ。
影とは違う、
“増える敵”との戦い。
だが――
今はまだ、
夜は静かだった。




