選ばせないもの(ネグ=セレクト)
その集落は、
「何も起きていない」ように見えた。
建物は無事。
畑も荒らされていない。
魔物の痕跡も、戦闘の跡もない。
それなのに――
人の動きだけが、妙に遅かった。
「……遅延してる」
リュカが、低く呟く。
《戦域把握》に映る人の流れは、
止まってはいない。
だが、決定的に“間が空いている”。
道を曲がる前。
声をかける前。
家に入る前。
すべての行動に、
不自然な“溜め”がある。
「変異群の雑魚とは、
様子が違うね」
ミリアが、周囲を警戒しながら言った。
「前は、
近づかなければ消えた」
「でも、ここは」
視線を、集落の中央へ。
「もう、
生活に混ざってる」
レインは、無言で頷いた。
《模写理解》が、
今までにない反応を示している。
(……侵食、継続)
(対象:判断プロセス)
(個体差、あり)
「……“場”じゃない」
レインは、静かに言う。
「“個体”だ」
その瞬間。
集落の外れ、
井戸の影から、
何かが“選ばれるように”現れた。
大きさは、人一人分ほど。
形は、魔物に近い。
だが――
目が、ない。
代わりに、
顔の中央に走る亀裂のような器官が、
ゆっくりと開閉している。
鳴き声は、ない。
威嚇も、ない。
それでも。
近くにいた村人が、
その場で立ち止まった。
「……あれ?」
「俺、
今、何しようとしてたんだっけ……」
声に、焦りがない。
それが、
一番おかしかった。
ミリアが、一歩踏み出そうとする。
だが。
「――待って」
レインが、即座に制した。
「前に出るな」
「え?」
「これ」
一拍、置く。
「選ばせないタイプだ」
その言葉と同時に、
《模写理解》が、はっきりと名を拾う。
(個体識別)
(判断侵食体)
(ネームド――)
レインの口から、
低く名前がこぼれた。
「……《ネグ=セレクト》」
それは、
攻撃しない。
命令もしない。
ただ、
“次の一手”を、消していく存在。
集落全体に、
静かな停滞が広がり始めていた。
《非裁定》は、
この瞬間、理解する。
――これは、
倒せば終わる敵ではない。
そして。
――放置すれば、
世界が“立ち止まる”。
《ネグ=セレクト》は、動かなかった。
歩かない。
構えない。
攻撃の素振りすら見せない。
それなのに――
場は、確実に崩れていく。
「……前に、出られない」
ミリアが、歯を噛む。
身体は動く。
剣も握れている。
だが、“踏み込む理由”だけが見つからない。
「行けるはずなのに……」
一歩出ようとして、止まる。
「今じゃない、気がする」
その言葉に、ミリア自身が眉をひそめた。
「……なにそれ」
レインの《戦場演算》が、回り続けている。
だが、結果が出ない。
(攻撃成功率:算出不可)
(反撃確率:未定義)
(最適行動:――)
数値が、空白になる。
「……演算が、成立しない」
レインの声が、わずかに揺れた。
「“次の一手”が、
前提として存在してない」
リュカも異変を感じている。
《戦域把握》は展開できている。
位置も、距離も、逃げ道も分かる。
――なのに。
「配置は見えてる」
「でも、
“どこに意味があるか”が分からない」
エルドが、盾を構えたまま言う。
「……受け止める前提が、
作れない」
「来ない攻撃を、
どう守ればいい?」
《ネグ=セレクト》が、わずかに首を傾ける。
音はない。
だが、その仕草だけで――
周囲の空気が、さらに重くなる。
近くの村人が、座り込んだ。
「……決められない」
「逃げるのも、
ここにいるのも……」
「どっちも、
理由が思いつかない」
それを見た瞬間、
ミリアの拳が震えた。
「……ふざけんな」
「人の“決める力”を、
奪うなよ……!」
叫びたい。
踏み込みたい。
でも――
理由が出てこない。
それが、何より恐ろしい。
レインは、深く息を吸った。
「……分かった」
「こいつは」
一拍、置く。
「倒す相手じゃない」
ミリアが、レインを見る。
「じゃあ、どうするの?」
「選ばせる」
静かな声。
「僕らが、
“代わりに”決める」
《非裁定》のやり方。
剣でも、裁定でもない。
「リュカ」
「はい」
「村人を、
“動かす理由”を作って」
リュカは、すぐに理解した。
《戦域把握》を、微調整する。
「……井戸の水位、下がってます」
「今のままだと、
夕方まで持たない」
その言葉に、
村人の一人が、顔を上げた。
「……水?」
「そう」
リュカは、あえて淡々と続ける。
「今、
汲まないと困る」
“必要”が提示される。
判断が、
ほんのわずか、戻る。
「……じゃあ」
「先に、
水を運ぼう」
一人が動く。
それにつられて、
もう一人。
《ネグ=セレクト》の身体が、
わずかに揺らいだ。
ミリアが、気づく。
「……効いてる」
「うん」
レインは、目を離さない。
「判断が戻ると、
居場所がなくなる」
だが。
《ネグ=セレクト》は、
消えなかった。
代わりに――
“範囲”を広げる。
集落の外れ。
別の家。
別の人。
次の“迷い”が、
同時に生まれる。
「……広がってる!」
ミリアが叫ぶ。
レインは、歯を食いしばる。
「……一体で、
ここまで」
これは、
雑魚とは次元が違う。
「……このままだと」
「選ばせ続けないと、
追いつかない」
リュカが、静かに言う。
「……消耗戦だ」
《ネグ=セレクト》は、
まだ何もしていない。
それなのに――
《非裁定》は、
すでに追い込まれていた。
《ネグ=セレクト》は、逃げなかった。
だが、近づいてもこない。
ただ“在り続ける”ことで、
集落のあちこちに、同時多発的な停滞を生み出している。
「……きりがない」
ミリアの額に、うっすらと汗が浮かぶ。
剣を振る理由がない。
前に出る必然がない。
それでも、
後ろに下がる選択肢も、見つからない。
「……これ」
ミリアは、歯を食いしばった。
「一人じゃ、
絶対にどうにもならないやつだ」
「うん」
レインは、はっきりと頷いた。
「だから――」
一瞬、目を閉じる。
《模写理解》が、
今までで最も静かな反応を返す。
(……侵食条件、特定)
(判断を奪う対象は――)
(“迷っている個”)
レインは、ゆっくりと息を吐いた。
「……全員で、
同じ判断をする」
「え?」
ミリアが振り向く。
「それ、
どういう――」
「迷いを、
個人に残さない」
レインは、集落の中央へ歩き出した。
《ネグ=セレクト》を、正面から見る位置。
「リュカ」
「はい」
「村人に、
“今やること”を一つだけ伝えて」
「理由は?」
「いらない」
リュカは、一瞬だけ考え――
すぐに理解した。
《戦域把握》を、最小範囲で展開する。
「……聞いてください」
声は、大きくない。
だが、はっきりしていた。
「今から十分間、
全員で“鐘を鳴らしてください”」
村人たちが、戸惑う。
「理由は?」
「分かりません」
リュカは、正直に答えた。
「でも、
今はそれだけでいい」
沈黙。
だが。
誰かが、鐘に手をかける。
――カン。
一音。
それを聞いた別の誰かが、
隣の鐘を鳴らす。
――カン、カン。
音が、重なっていく。
意味はない。
合理性もない。
だが――
全員が、同じことをしている。
《ネグ=セレクト》の身体が、
目に見えて歪んだ。
侵食していた“判断の空白”が、
一気に埋められていく。
「……効いてる!」
ミリアが叫ぶ。
「うん」
レインは、一歩も動かない。
「“選択”じゃない」
「“共有された行動”だ」
判断を奪う相手に、
判断をぶつけない。
代わりに――
決めてしまった行為を、重ねる。
《ネグ=セレクト》は、
初めて“後ずさり”した。
だが。
完全には、消えない。
身体が、霧のように揺らぎながら、
ゆっくりと距離を取る。
「……逃げる」
ミリアが、剣を構え直す。
「追う?」
「いや」
レインは、首を振った。
「今は、
これでいい」
《ネグ=セレクト》は、
集落の外へ溶けるように消えた。
倒していない。
終わってもいない。
だが――
止めた。
鐘の音が、やがて止む。
村人たちは、
自分たちが何をしていたのか分からないまま、
互いの顔を見合わせる。
「……助かった、んですよね?」
ミリアが、少し困ったように笑う。
「うん」
レインも、静かに答えた。
「でも」
視線を、遠くへ。
「これは、
“対処法”が通じる敵だって分かった」
リュカが、息を吐く。
「同時に」
「一人じゃ、
絶対に無理な敵だとも」
エルドが、盾を下ろす。
「……つまり」
「俺たち向け、
ってことか」
ミリアが、レインを見る。
「ね」
「これからも、
一緒じゃないと無理そうだね」
レインは、ほんの一瞬だけ考えてから、頷いた。
「うん」
《非裁定》は、
完全勝利ではない初戦を終えた。
だが――
この戦いで、はっきりしたことがある。
変異群は、
力で倒す敵ではない。
そして。
“選ばせない存在”に対抗できるのは――
選ぶことを、共有できる者たちだけだ。
物語は、
静かに次の局面へ進んでいく。




