利用価値(ユースフル・ノイズ)
その依頼は、表向きにはごく普通だった。
「変異群らしき存在の調査および経過観察」
討伐指定なし。
殲滅許可なし。
危険度は“低”。
世界機関の書式としては、
むしろ慎重すぎるくらいだ。
「……観察、ね」
ミリアが、依頼書をひらひらと揺らす。
「倒すな、刺激するな、
でも状況は報告しろ、って」
「面倒なやつ」
「うん」
レインは頷く。
「誰かが、
“様子を見たい”と思ってる」
その言い方には、
はっきりとした警戒があった。
依頼地は、街道沿いの小さな中継村。
以前、変異群の雑魚個体が確認された場所だ。
到着してすぐ、違和感はあった。
被害は少ない。
死者もいない。
だが――
村人の態度が、妙に落ち着きすぎている。
「……みんな、
慣れてません?」
ミリアが小声で言う。
「怖がってるっていうより、
“受け入れてる”感じ」
リュカも、周囲を見回す。
「確かに」
「警戒線が、
張られてない」
「でも」
エルドが、村の外れを見る。
「逃げ道は、
確保されてる」
意図的だ。
誰かが、
“どう壊れるか”を見ている。
村長が、彼らを迎えに来た。
「来てくれて助かります」
穏やかな声。
焦りも、怒りもない。
「変異群は……?」
レインが、直接聞く。
村長は、少しだけ間を置いてから答えた。
「出ますよ」
「でも」
「すぐ消えます」
「消える?」
「ええ」
村長は、困ったように笑った。
「こちらが何もしなければ、
しばらくして……」
「動かなくなる」
その言葉に、
ミリアの表情がわずかに硬くなる。
「……じゃあ」
「どうして、
依頼を?」
村長は、視線を逸らした。
その仕草が、
答えだった。
「……念のため、です」
「万が一に備えて」
「“使えるかどうか”を、
確かめたい人がいて」
空気が、冷える。
レインは、静かに息を吐いた。
「……誰の判断ですか?」
村長は、答えなかった。
代わりに、
村の外から声が上がる。
「出たぞ!」
人が集まる。
だが、
誰も逃げない。
誰も騒がない。
まるで――
実験の観察者だ。
草むらから、
歪な影が現れる。
変異群・雑魚個体。
動きは鈍い。
敵意も薄い。
「……ねえ」
ミリアが、レインを見る。
「これ、
放っておいたらどうなる?」
レインは、即答しなかった。
《模写理解》が、
今までとは違う反応を示している。
(……誘導)
(環境調整)
(人為的条件付け、進行中)
「……増える」
静かな声。
「人の手で」
村の外れ。
誰にも気づかれない位置で、
誰かが、様子を見ていた。
影ではない。
英雄でもない。
ただ――
“使えるかどうか”を測る人間。
《非裁定》は、
その視線の存在を、はっきりと感じ取っていた。
変異群の雑魚個体は、
村の外れで、ゆっくりと動いていた。
襲わない。
逃げない。
ただ――そこに“居続ける”。
「……本当に、
何もしないつもりだ」
ミリアが、低く呟く。
村人たちは、距離を取って見ている。
悲鳴も、混乱もない。
それが、異常だった。
「誰かが、
“安全圏”を決めてる」
レインは、周囲を見渡す。
「近づかない」
「刺激しない」
「でも、逃げもしない」
まるで、
条件付きで飼われているかのようだ。
《模写理解》が、
断片的な情報を拾う。
(行動抑制)
(観測優先)
(発生条件、維持中)
「……誘導してる」
レインの声が、わずかに硬くなる。
「変異群そのものじゃない」
「“変異群が起きる環境”を、
人が整えてる」
リュカが、静かに拳を握る。
「実験だ」
「しかも」
エルドが、村の外を見る。
「失敗しても、
被害が出ないように調整されてる」
「……つまり」
ミリアが、歯を噛む。
「最初から、
“切り捨てる前提”」
レインは、村長の方を見る。
村長は、視線を逸らしたままだ。
「……止めますか?」
リュカが、問いかける。
「世界機関の依頼は、
観察までです」
「逸脱すれば、
後で揉める」
一拍。
レインは、静かに答えた。
「止める」
「今、ここで」
ミリアは、即座に頷いた。
「当然」
「これ、
境界線だよ」
「越えたら、
もう戻れないやつ」
《非裁定》は、
戦闘態勢を取らない。
代わりに――
場を壊す。
エルドが、盾を構える。
逃げ道を塞がない。
だが、“見物席”を消す。
リュカが、静かに陣をずらす。
《戦域把握》によって、
人の集まる位置が自然に散る。
ミリアは、声を張った。
「下がって!」
「理由はいい!」
「今は、
離れるだけでいい!」
その言葉に、
村人たちが、半信半疑で動き出す。
判断を奪われていない者は、
動ける。
変異群の個体が、
わずかに反応した。
周囲の“条件”が、崩れ始めている。
「……消えかけてる」
ミリアが言う。
「うん」
レインは頷く。
「“観測される理由”がなくなった」
草むらの向こう。
一瞬だけ、
誰かが舌打ちする気配。
姿は見えない。
だが――
はっきりと、失敗したという空気だけが残った。
変異群は、
数秒もしないうちに霧散した。
戦闘は、なかった。
だが。
「……これで終わりじゃない」
レインは、静かに言う。
「“使えるかどうか”を考えた人間は、
次はもっと上手くやる」
ミリアが、横に並ぶ。
「じゃあ」
「次は、
見られないようにする?」
レインは、ほんの少しだけ笑った。
「いや」
「見せる」
「でも」
「越えさせない」
村に、ようやく日常の音が戻り始める。
だがその裏で――
人の悪意が、確かに一歩、進んだ。
夜。
村は、ようやく“普通の静けさ”を取り戻していた。
灯りの下で、
人が話し、
戸が閉まり、
家畜が動く。
ほんの数刻前まで、
“判断を失いかけていた場所”とは思えないほどだ。
《非裁定》は、
村外れの丘に立っていた。
「……戻ったね」
ミリアが、ほっと息を吐く。
「やっぱり、
人が動いてる音って落ち着く」
「うん」
レインは頷く。
だが、視線は村ではなく――
そのさらに向こうを見ていた。
《模写理解》は、
もう変異群を捉えていない。
代わりに、
“別のノイズ”が残っている。
(……人の判断)
(観測)
(利用価値)
「……まだ、いる」
レインが、ぽつりと言う。
「近くにはいないけど、
確実に“次”を考えてる」
リュカが、静かに頷いた。
「実験は失敗」
「でも、
データは取れた」
「そう」
エルドが、盾を背負い直す。
「だから次は、
もっと遠くでやる」
「もっと、
被害が出る形で」
ミリアは、拳を握る。
「……最悪」
「人間が一番厄介って、
やっぱりそうじゃん」
レインは、少し考えてから言った。
「でも」
「今回は、
越えさせなかった」
「“境界線”を、
踏ませなかった」
ミリアが、横を見る。
「それ、
自分で言う?」
「事実だから」
ミリアは、思わず笑った。
「……ほんと、
ブレないよね」
風が吹く。
夜の空気は、
影の事件の頃よりも、ずっと軽い。
それでも――
安心はしなかった。
少し離れた場所。
暗がりの中で、
二つの人影が、短く言葉を交わしていた。
「……条件、崩されたな」
低い声。
「観測が続かなかった」
「だが」
もう一人が、静かに答える。
「可能性は確認できた」
「判断を奪わずとも、
“判断を遅らせる環境”は作れる」
「次は?」
「次は、
“守る側”が来ない場所だ」
「……なるほど」
小さな笑い。
二人は、闇に溶けるように消えた。
丘の上。
レインは、無意識にミリアの方を見た。
「……次は、
もっと厄介になる」
「分かってる」
ミリアは、即答する。
「でも」
一歩、近づく。
「一緒でしょ?」
レインは、一瞬だけ言葉に詰まってから、
静かに頷いた。
「うん」
《非裁定》は、
また次の依頼へ向かう。
裁かず。
退かず。
そして――
利用される世界を、許さないために。




