分類不能(アンノウン・フェノメナ)
世界機関・中央評議室。
円卓の上には、
数枚の報告書と、簡素な地図投影が並べられていた。
「……以上が、各地で確認された“新規事象”です」
調査官の声は淡々としているが、
内容は決して軽くなかった。
「被害規模は小。
死者数も少数」
「ですが――」
一枚、資料がめくられる。
「原因が、特定できていません」
英雄の一人が、眉をひそめる。
「魔物じゃないのか?」
「魔力反応が不安定すぎます」
「既存種とも一致しない」
蒼衡のメンバーが、低く呟く。
「……影の残滓か?」
「可能性は否定できません」
調査官はそう答えたが、
声に確信はなかった。
「ただし」
視線が、レインたちへ向く。
「非裁定の現地報告では――」
一拍、置く。
「“敵意が成立していない個体”を確認した、と」
会議室が、わずかにざわつく。
「敵意がない?」
「では、事故か?」
「それとも失敗作か?」
様々な声が飛ぶ。
英雄の一人が、腕を組んだ。
「なら、尚更早期殲滅だ」
「増える前に叩く」
蒼衡のセインも、同意する。
「切るべきだな」
「判断不能な存在は、
後回しにするほど被害が広がる」
視線が、レインへ集まる。
意見を求めるように。
レインは、少しだけ考えてから口を開いた。
「……それは」
静かな声。
「“敵”としての話だよね」
「違うのか?」
英雄が問い返す。
レインは、首を横に振った。
「敵なら、
意思か目的がある」
「でも、あれは」
一瞬、言葉を探す。
「起きてしまった現象だ」
空気が、微妙に変わる。
ミリアが、横から補足する。
「倒しても、
スッキリしないタイプ」
「むしろ、
“どうやって生まれたか”の方が怖い」
蒼衡の一人が、鼻で笑う。
「原因不明を怖がって、
手を止めるのか?」
「切れないなら、
我々が切る」
その言葉に、
レインは否定も肯定もしなかった。
ただ、静かに言う。
「切っても、
終わらないと思う」
「これは――」
一拍。
「増える」
会議室が、沈黙に包まれる。
調査官が、慎重に口を開く。
「……つまり」
「影とは、別系統?」
「ええ」
レインは頷く。
「影は、
“誰かが選ばせていた”」
「でも、これは」
「誰も選んでいない」
「世界が、
勝手に歪んだ結果だ」
その言葉を、
全員がすぐには理解できなかった。
理解できない、という事実だけが残る。
調停官が、結論をまとめる。
「では――」
「当面の分類は」
一瞬、間を置いてから告げた。
「未分類現象」
「正式名称は、後日再協議」
会議は、そうして一旦締められた。
だが――
誰も、安心してはいなかった。
レインは、会議室を出ながら、
小さく息を吐く。
「……影より、面倒だ」
ミリアが、隣で頷く。
「だね」
「分かりやすい悪者じゃない」
「だからこそ」
レインは、前を見る。
「次は、
もっと静かに壊れる」
《非裁定》は、
その気配を、すでに感じ始めていた。
会議から数日後。
世界機関の通達は、早かった。
「未分類現象に対する暫定対応指針」
――要するに、様子見と局地殲滅。
英雄には討伐許可。
蒼衡には裁定権限。
そして、《非裁定》には――
特に明記なし。
「……雑だね」
ミリアが、掲示板の写しを見て言った。
「“危険なら倒せ”って、
いつものやつじゃん」
「分類できない以上、
それしか書けない」
リュカは冷静だったが、
声に納得はなかった。
「問題は」
エルドが、低く続ける。
「それで“何が残るか”を
誰も気にしてないことだ」
一方、その頃。
別の街道では、
英雄の一団が動いていた。
「……出たぞ」
剣を抜く英雄。
現れたのは、
非裁定が遭遇したものと同種の変異群。
動きは鈍く、
攻撃も単調。
「弱いな」
一撃。
個体は、あっさりと崩れ落ちた。
「拍子抜けだ」
「これで終わりなら、
騒ぐほどじゃない」
だが――
倒れた個体の影が、
わずかに歪む。
気づかれないまま、
地面に溶けるように消えていった。
その“後”。
数刻もしないうちに、
少し離れた集落で、
同様の被害報告が上がる。
判断遅延。
行動停止。
原因不明。
英雄たちは、
その関連性に気づかない。
「数が多いだけの雑魚だ」
「問題ない」
蒼衡もまた、
別の対応を取っていた。
「切る」
短い命令。
判断不能な個体を、
迷いなく斬る。
《均衡裁断》。
存在は、確かに消えた。
「……だが」
セインが、眉をひそめる。
「切った感触が、薄い」
「因果が、残っている?」
部下が首を振る。
「いえ。
“因果を持っていない”ような……」
切っても、
裁定しても、
何かが残る。
それは蒼衡にとって、
最悪の手応えだった。
同じ頃。
《非裁定》は、
小さな依頼を続けていた。
村の見回り。
街道の護衛。
避難誘導。
派手な討伐はしない。
代わりに――
人が動ける状態を保つ。
「……変異群、出ました」
村人の報告。
「でも、
倒してないんですよね?」
ミリアが聞き返す。
「はい」
「近づかないようにして、
皆で距離を取ったら……」
「動かなくなった」
レインは、その話を聞いて、
ゆっくり息を吐いた。
「……やっぱりだ」
「倒すほど、
増える」
「切るほど、
残る」
ミリアが、拳を握る。
「じゃあ、
どうするの?」
レインは、少し考えてから答えた。
「まず」
「“敵”として扱わない」
「次に」
「人が、
判断できる余地を残す」
「それが――」
《非裁定》のやり方。
だが。
それが、
世界に通じるかどうかは――
まだ、分からない。
遠くで、
また一つ、変異群の報告が上がる。
静かに。
確実に。
問題は、
広がり始めていた。
夜明け前。
《非裁定》は、
街道から少し外れた丘の上に立っていた。
眼下には、小さな村。
灯りはある。
人の気配もある。
だが――
音が、少なすぎた。
「……また、止まってる」
ミリアが、唇を噛む。
村の中央。
井戸のそばで、数人の村人が立ち尽くしている。
倒れていない。
逃げてもいない。
ただ、次の行動を選べずにいる。
「数は?」
リュカが、《戦域把握》を静かに展開する。
「……三体」
「いえ」
少し間を置いて、訂正した。
「“三箇所”です」
「個体数じゃない」
エルドが、盾を強く握る。
「……点、か」
「うん」
レインは頷いた。
「変異群は、
増殖してるわけじゃない」
「“同じ状態”が、
別の場所で再現されてる」
ミリアが、背筋を冷やす。
「それ、
どんどん広がるやつじゃん」
「そう」
レインは、村へ視線を落とした。
「しかも」
《模写理解》が、
今までよりはっきりと反応する。
(……原因は、個体じゃない)
(“環境条件”)
(判断が奪われる状況そのものが、
再現されてる)
「……だから」
レインは、静かに告げる。
「英雄が倒しても、
蒼衡が切っても、
終わらない」
「“起きた現象”を、
消してるだけだ」
ミリアが、ゆっくり息を吐く。
「敵じゃないって、
そういうことか」
「うん」
「だから――」
一歩、前に出る。
「まず、人を動かす」
《非裁定》は、
戦闘態勢を取らない。
剣も、術も、
まだ使わない。
ミリアが、村へ降りながら声を張る。
「大丈夫!」
「今、
決めなくていい!」
その声に、
村人の一人が、わずかに瞬きをした。
「……え?」
「動けなくてもいい!」
「でも、
立ってていい理由はある!」
レインが続く。
「“何もしない”っていう判断も、
判断の一つだ!」
その言葉が、
ゆっくりと染み込む。
停滞していた空気が、
ほんの少し、揺れた。
その瞬間。
草むらから、
歪な影が現れる。
変異群の雑魚個体。
だが――
動きが、さらに鈍い。
「……弱ってる?」
リュカが、首をかしげる。
「違う」
レインは、はっきりと言う。
「“条件”が崩れてる」
「判断を奪えない環境では、
存在できない」
ミリアは、剣を構えた。
「じゃあ――」
「倒す?」
「いや」
レインは、首を振る。
「見せるだけでいい」
エルドが、一歩前へ。
盾を構え、
道を塞ぐ。
逃げ道を“与える”。
変異群は、
進む理由を失い、
立ち止まる。
そして――
静かに、霧のように崩れた。
戦闘はなかった。
それでも、
村は動き始める。
誰かが、鐘を鳴らす。
誰かが、倒れた者を支える。
「……戻ってきた」
ミリアが、ほっとしたように言う。
レインは、空を見上げる。
「でも、
これは“対処”だ」
「根本じゃない」
遠くの地平線。
見えない場所で、
同じ現象が、また起きている。
世界は、
静かに次の段階へ進んでいた。
レインは、ミリアの方を見る。
ほんの一瞬、
視線が重なる。
言葉はない。
だが――
同じ方向を見ている、という確信だけはあった。
《非裁定》は、
また歩き出す。
裁かず。
退かず。
“選べない世界”に、
選択肢を残すために。




