影の王、終焉を知る
影の王は、静かだった。
四天王が滅びたという報告も、
世界各地で“影”が刈り取られているという情報も、
すでに計算の内側にあった。
想定より早い。
だが、誤差の範囲だ。
世界は常に揺らぐ。
ならば、影が伸びるのも自然。
――本来は。
「……近いな」
王は、玉座から立ち上がった。
感知網に引っかからない。
転移の兆候もない。
因果の歪みも、魔力の集中もない。
それなのに――
距離だけが、異常な速度で詰まっている。
「英雄ではない」
「四天王でもない」
王の思考が、わずかに乱れる。
“個”だ。
組織でも、象徴でもない。
役割を持たない存在。
それが、ここへ来ている。
空間が、軋んだ。
否定でも、遮断でもない。
ただ――“圧”が、そこにあった。
次の瞬間。
影の王の目前に、
一人の老人が立っていた。
武器はない。
魔力の波動もない。
背中は少し丸く、歩みも遅そうだ。
だが――
存在していることそのものが、異常だった。
「ほっほ」
老人が、場違いに朗らかに笑う。
「ここが、影の王の居城かの」
「思ったより、暗いのぉ」
影の王は、初めて言葉を失った。
防げなかった。
拒絶もできなかった。
気づいた時には、
すでに“立たれていた”。
「……名を名乗れ」
王は、低く問う。
老人は頭を掻いた。
「名前?」
「ジルじゃ」
「ジル爺とでも呼ぶとええ」
王の内部で、
警告が連続して弾かれる。
《存在否定》――反応なし
《因果遮断》――対象外
《世界更新》――適用不可
「……貴様」
王の声に、はっきりとした違和が混じる。
「世界の……外か」
「外というほどでもないわい」
ジル爺は、肩をすくめた。
「ただ、長生きしすぎただけじゃ」
沈黙が落ちる。
影の王は理解した。
これは敵ではない。
これは脅威でもない。
――災厄だ。
そして、
王が初めて“勝敗”を意識した瞬間だった。
影の王は、即座に距離を取った。
いや、取った“つもり”だった。
《影位転移》。
影の座標を裏返し、
玉座の背後、天井、空間の隙間へと同時に分散する。
だが――
「ほれ」
ジル爺は、首を少し傾けただけだった。
次の瞬間、王の背後にあった“はず”の影が、
元の位置に押し戻される。
「……なに?」
影の王の声が、初めて明確に揺れた。
《影穿》
《存在否定》
《因果断裂》
《概念侵食》
矢のように、波のように、
否定と破壊が重なって襲いかかる。
城の壁が溶け、
空間が裂け、
時間の流れすら歪む。
だが――
ジル爺は、歩いていた。
ただ歩くだけで、
すべての攻撃が“当たらない”。
避けているのではない。
防いでいるのでもない。
そこにいないわけでもない。
「……当たらんのぉ」
ジル爺は、呑気に言った。
「若い頃は、もう少し狙いが良かったんじゃが」
影の王は歯を食いしばる。
「――第二形態」
影が、爆発的に膨張した。
城の影すべてが王の身体となり、
天井、柱、床、空間そのものが蠢く。
《王権拡張》。
城全体が、一つの生体となる。
「これならどうだ!」
無数の影の刃、触手、圧壊波。
逃げ場は存在しない。
だが。
ジル爺は、足を止めた。
「……ああ」
「それは、いかん」
トン、と杖代わりに床を叩く。
《静在封》。
次の瞬間。
城が、止まった。
壊れたわけではない。
凍ったわけでもない。
“変化しなくなった”。
影の王の第二形態は、
拡張したまま、完全に固定される。
「……な、ぜ……」
「形を変えすぎじゃ」
ジル爺は、ため息をつく。
「長く生きると分かる」
「変わり続けるものほど、脆い」
影の王は、叫んだ。
「ならば――第三形態!」
城の中心核が、激しく脈動する。
《影界崩壊》。
城そのものを爆縮させ、
周囲一帯を“無”に変える最終手段。
「城ごと、消す!」
だが――
「それは、迷惑じゃな」
ジル爺は、指を一本立てた。
《界封》。
たったそれだけで、
爆縮は“城の中”に押し込められる。
王の力は、
自分自身の身体に閉じ込められた。
「……っ!?」
次の瞬間。
ジル爺が、軽く踏み込む。
拳でも、掌でもない。
指先だった。
トン。
音もなく、
影の王の胸部を撃ち抜く。
否定も、再生も、抵抗もない。
「……あ……」
影の王の身体が、崩れ落ちる。
城は、無事だった。
「ほっほ」
ジル爺は腰をさすった。
「さすがに、少し動いたのぉ」
その時――
空間が裂ける。
「――レイン!」
《非裁定》の面々が駆け込んでくる。
ミリアが剣を構え、
エルドが盾を前に出し、
リュカが戦域を読む。
だが。
全員、同時に止まった。
「……え?」
ミリアが、ぽつりと声を漏らす。
影の王は、
すでに床に転がっている。
城も、壊れていない。
レインが、恐る恐る聞いた。
「……終わりました?」
ジル爺は、にこっと笑う。
「終わった終わった」
「間に合わんで、すまんの」
一拍。
ミリアが叫ぶ。
「いや早すぎでしょ!?」
エルドが呆然とする。
「……俺たち、走ってきただけ……」
リュカが眼鏡を押し上げる。
「戦闘ログ……存在しません……」
ジル爺は肩をすくめた。
「ほっほ」
「年寄りは、待てんのじゃ」
影の王の身体は、音もなく崩れていった。
灰になるわけでもない。
霧散するわけでもない。
最初から“いなかった”かのように、消える。
城に残ったのは、
ひび割れ一つない床と、
呆然と立ち尽くす《非裁定》の面々だけだった。
「……ほんとに」
ミリアが、剣を下ろしながら言う。
「私たちの出番、ゼロじゃん」
「走ってきただけだね」
エルドが苦笑する。
リュカは周囲を見渡し、静かに首を振った。
「戦闘痕、なし」
「因果残留、なし」
「……記録に残せません」
レインは、影の王が消えた場所を見つめていた。
(……全部、消えた)
《模写理解》は、沈黙している。
拾える情報が、何もない。
強さも、思想も、能力も。
“解析する前に終わった”。
「ほっほ」
ジル爺が、そんなレインの様子を横目に笑った。
「そんな顔をするでない」
「経験にならんと、思っとるか?」
レインは、少し迷ってから答える。
「……正直に言うと」
「はい」
「何も分かりませんでした」
「良い」
ジル爺は、即答した。
「それでええ」
「分かってしまう敵は、もう“次”じゃない」
ミリアが、腕を組む。
「でもさ」
「ラスボスっぽいやつを一人で倒すのはズルくない?」
「弟子の見せ場、奪ってるよね?」
ジル爺は、頭を掻いた。
「うむ」
「確かにのぉ」
一拍。
「じゃが」
視線を、レインへ向ける。
「お主らが来るまで待っておったら」
「被害が増えるじゃろ」
「世界は、若いのが育つのを待ってはくれん」
レインは、黙って頷いた。
その言葉が、
責任ではなく、現実として響いたからだ。
ジル爺は、ふっと空を見上げる。
「さて」
「ワシの仕事は、ここまでじゃ」
「え?」
ミリアが声を上げる。
「もう帰るの?」
「せっかく合流したのに?」
ジル爺は、にやりと笑った。
「一緒におったら、成長せんからの」
「弟子は、離れて育つもんじゃ」
エルドが、思わず聞く。
「……また、会えますか?」
「会うじゃろ」
「必要ならな」
そう言って、ジル爺は背を向ける。
だが、一歩踏み出す前に、立ち止まった。
「……レイン」
レインが顔を上げる。
「はい」
ジル爺は、振り返らないまま言った。
「さっきの戦い」
「お主の中で、何かが動いたはずじゃ」
「それは――」
少しだけ、声が低くなる。
「ワシの力ではない」
「お主が、元々持っていた“芽”じゃ」
「焦るな」
「完成は、まだ先じゃ」
それだけ告げて、
ジル爺は歩き出した。
次の瞬間。
そこには、もう誰もいなかった。
転移の痕跡も、
因果の歪みも、
ただの余韻すら残さず。
ミリアが、ぽつりと呟く。
「……嵐みたいな爺さん」
「でも」
レインが、静かに言う。
「確かに」
胸に手を当てる。
(……残ってる)
理解できない何か。
説明できない感覚。
だが確実に、
一段、先へ進むための違和感。
リュカが、小さく笑った。
「修行、終わったと思ってましたけど」
「どうやら」
「本番は、これからですね」
エルドが盾を背負い直す。
「立つ場所は、変わらない」
「でも」
「立ち方は、変わりそうだ」
ミリアが、レインの背中を軽く叩く。
「さ、行こ」
「世界はまだ、面倒くさいみたいだし」
レインは、空を見上げてから頷いた。
「うん」
《非裁定》は、歩き出す。
裁かず。
退かず。
それでも――
立ち続けるために。
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