裁かぬ者、均す者、否定する影
戦域は、すでに決められていた。
世界機関が指定した地点――
《灰白の盆地》。
地面は乾ききり、
空気は澱み、
音だけが不自然に遠い。
「……嫌な場所だな」
ミリアが吐き捨てるように言った。
「立ってるだけで、
“意味を問われてる”感じがする」
「正解だよ」
レインは、静かに答える。
「ここは“役割”が剥がれやすい」
《戦場演算》が、
すでに薄く展開されている。
地形。
魔力濃度。
因果の歪み。
どれも、異常値だった。
「四天王が二体、同時に動く理由が分かる」
リュカが低く言う。
「ここなら、
連携も思想も――壊せる」
その言葉を受けるように、
前方の空間が歪んだ。
“影”が、現れる。
一体は、人型。
輪郭が定まらず、
立っているのかすら曖昧。
――《役割解体の影》。
もう一体は、
はっきりとした姿を持たない。
そこに“在る”こと自体が、
周囲を拒絶している。
――《立在否定の影》。
「……来たか」
低く呟いたのは、英雄の一人。
大剣を背負う男――ヴァルハルト=レオン。
その隣で、
光の魔導杖を構える女が一歩前に出る。
イリス=アークライト。
「二体同時」
「しかも、どちらも最上位」
イリスは、視線を逸らさない。
「正直、
英雄だけでも厄介ね」
「蒼衡も来る」
ヴァルハルトが言った。
「だが――」
視線を、レインたちへ向ける。
「今回は、
《非裁定》も主戦力だ」
ミリアが、鼻で笑う。
「裁かない集団が、
否定の化け物と戦うって?」
「皮肉だな」
「違う」
レインが、はっきり言った。
「相性は、最悪じゃない」
「役割を壊す相手なら」
一歩、前に出る。
「最初から役割を持たなければいい」
エルドが、盾を構えた。
「受ける」
「立つ理由は、
後で決めればいい」
リュカが、短く息を吐く。
「……戦域把握は、封印する」
「使った瞬間、
“把握役”として切られる」
英雄二人が、同時に頷いた。
「了解」
「理屈は、戦いながら合わせる」
影が、静かに告げる。
「理解したか?」
「ここでは」
「立つ者も、
決める者も――」
「等しく否定される」
沈黙。
次の瞬間。
戦域が、完全に閉じた。
逃走不可。
分断不可。
第三者介入不可。
「……始まる」
レインは、仲間を見た。
「今回は」
「勝つだけじゃ、足りない」
「“やり方”を示す」
《非裁定》は、
剣も魔力も、まだ振るわない。
ただ、
裁かず、退かず、立っていた。
影が、戦場を“測っていた”。
《役割解体の影》は蒼衡を見、
《立在否定の影》は非裁定を見ている。
「……理解した」
低く、影が呟く。
「均衡を保つ者」
「裁かずに立つ者」
「思想が、真逆だ」
その瞬間。
《役割解体》が、蒼衡の陣に向けて放たれた。
前線。
後衛。
支援。
その意味だけが、剥がされる。
「……っ!」
蒼衡の一人が、足を止める。
自分が“前に立つ理由”が、分からない。
だが。
「動くな」
セイン=ヴァルクスの声が、即座に飛ぶ。
「役割を探すな」
「今の位置を、受け入れろ」
次の瞬間。
《現相固定(げんそうこてい/ステート・ロック)》。
蒼い光が、蒼衡全体を包み込む。
剥がされかけた役割が、
“今そこに立っている状態”として固定される。
「……なるほど」
《役割解体の影》が、僅かに目を細める。
「役割を“決め直す”のではなく」
「“今の姿”を裁定したか」
「そうだ」
セインは、一歩踏み出す。
「因果も未来も、触らない」
「だが――」
剣を振り抜く。
《均衡裁断》。
空間が、一直線に断たれた。
逃走も、変質も、否定も――
すべて“今この瞬間の状態”として固定されたまま、切断される。
影の輪郭が、初めて乱れた。
「……っ」
「切った、だと?」
《立在否定の影》が、即座に介入する。
存在が、消えかける。
「無駄だ」
セインは、即座に次の命令を下す。
「陣、展開」
《裁定陣》。
蒼衡の足元に、幾何学的な陣が刻まれる。
前線は前線。
後衛は後衛。
支援は支援。
逃げも、役割変更も許されない戦場。
「柔軟性は捨てる」
「だが――」
セインは、影を見据える。
「切る対象は、逃さない」
一方。
非裁定は、
あえてその陣の外側に立っていた。
「……硬いね」
ミリアが小さく言う。
「あれじゃ、私たちが入ったら噛み合わない」
「うん」
レインは頷く。
「だから、僕らは――」
一歩、横へ。
「裁定の外で、動く」
《役割解体の影》が、再び動く。
今度は、非裁定へ。
「なら、次はお前たちだ」
「役割も、裁定も、持たない存在」
「一番、消しやすい」
だが。
《認識剥離》。
影の視界から、
“敵としての非裁定”が薄れる。
「……?」
《因果遮断》が、
否定の連鎖を断ち切る。
「蒼衡が“今”を切るなら」
レインは、静かに言う。
「僕らは、“選ばせない未来”を残す」
戦場には、二つの戦い方があった。
•今を固定し、切る者たち
•成立を曖昧にし、残す者たち
そして影は――
同時に二つを相手取らねばならなくなった。
その表情が、初めて歪む。
「……面倒な連中だ」
嵐の前の、
ほんの一瞬の静寂。
次で――
四天王は、本気を出す。
《裁定陣(さいていじん/ジャッジメント・フィールド)》の内側は、硬い。
蒼衡が作った“秩序”の檻。
前線は前線。
後衛は後衛。
支援は支援。
それは柔軟性を捨てた代わりに、逃げ道のない戦場だった。
そして影は、そこを最も嫌った。
《役割解体の影》が、笑う。
「……綺麗だね」
「だから壊れる」
指先が動いた。
《役割転倒》。
蒼衡の陣内で、役割のタグが反転する。
前線が支援になり、支援が前線になる。
だが――
「無駄だ」
セイン=ヴァルクスが切り捨てた。
《現相固定(げんそうこてい/ステート・ロック)》。
今この瞬間の陣形を、“現相”として固定。
反転しかけた役割が、反転する前の状態に貼り付く。
役割解体の影が、目を細める。
「……固定は、強い」
「でも固定は、脆い」
「ひとつ崩せば、全部崩れる」
その狙いは明白だった。
陣形の“支点”――
この戦場で最も重要な役割を持つ者。
影の視線が、英雄へ向いた。
大剣の英雄――ヴァルハルト=レオン。
光魔導の英雄――イリス=アークライト。
「英雄様」
影が軽薄に言う。
「役割が明確すぎる」
「君たちが倒れれば、陣は壊れる」
ヴァルハルトが、口角を上げた。
「分かりやすくて助かる」
大剣が、地面を擦る。
金属音が一拍遅れて響いた。
「来いよ」
「壊すなら、俺から壊してみろ」
影が、消えた。
いや、消えたように見えただけだ。
《連携断絶》。
視界の端で、イリスの光陣が一瞬“ズレる”。
支援のタイミングが狂う。
さらに――
《役割転倒》。
ヴァルハルトの一撃が、攻撃として成立しない。
“前に出る”という役割そのものが、剥がされる。
「……っ」
踏み込みが止まる。
止められたわけじゃない。
踏み込む理由が消えた。
その瞬間、影の指先がヴァルハルトの喉元に伸びた。
「ほら」
「役割が無いと、前に出れない」
だが。
イリスの声が、戦場を裂いた。
「――《光相縫合(こうそうほうごう/ルミナス・スーチャー)》」
光が糸になる。
“ズレた支援”を、無理矢理縫い合わせる。
支援が支援として成立しないなら、
成立させるのではなく――繋ぐ。
ヴァルハルトの身体が、ほんの一拍だけ動いた。
「借りる」
その一拍で十分だった。
大剣が、横薙ぎに走る。
《剛断輪(ごうだんりん/ブレイク・リング)》。
円環状の衝撃波が地面を抉り、
影の“逃げ道”になる空間を壊す。
影が笑う。
「力押しは嫌いじゃないよ」
「でも――」
《役割転倒》、再発。
ヴァルハルトの攻撃は、今度は“防御”として扱われる。
衝撃波が収束し、彼自身を押し返す。
「くっ……!」
足が滑る。
陣が揺れる。
この揺れを狙っていたのは影だ。
「陣が崩れる」
影が囁く。
「支点が揺れれば――」
「崩れねぇよ」
ヴァルハルトが吐き捨てる。
そして、剣を捨てた。
――正確には、手放した。
大剣が落ちる前に、イリスの光糸が絡む。
「イリス!」
「分かってる!」
イリスが光糸を引く。
大剣は落ちない。
“武器”ではなく、“錨”として戦場に固定される。
《光相錨定(こうそうびょうてい/ルミナス・アンカー)》。
「……は?」
影が一瞬、間の抜けた声を出した。
武器を捨てた英雄は、役割を失う。
それが常識だ。
だがヴァルハルトは、笑った。
「俺の役割は」
拳を握る。
「武器じゃない」
「――壊すことだ」
影が距離を取ろうとする。
取れない。
大剣が、光糸で地面に固定され、
影の“位置の自由”が削られている。
「役割解体ってのは、便利だな」
ヴァルハルトが踏み込む。
拳で殴る。
《破砕掌(はさいしょう/クラッシュ・パーム)》。
衝撃が、影の輪郭を歪ませる。
「ぐっ……!」
影が初めて声を漏らす。
イリスが追撃。
《光条封鎖(こうじょうふうさ/レイ・プリズン)》。
光の格子が空間を閉じ、
影の“役割転倒”の逃げ先を潰す。
「逃げる役割がないなら」
イリスが冷たく言う。
「あなたは、ここで終わり」
影はまだ笑っていた。
だが、その笑いが、薄くひきつる。
「英雄様って」
「ほんと、めんどくさい」
最後の切り札。
《連携断絶》を最大展開。
二人の間の“繋がり”を切る。
光糸が――切れる。
格子が――揺れる。
ヴァルハルトの踏み込みが――止まる。
だが。
「切れない」
ヴァルハルトが言った。
「なに?」
「繋がりが切れるなら」
拳をもう一度握る。
「最初から、繋がらない」
「……?」
イリスが一瞬だけ理解できずに瞬きをする。
次の瞬間、ヴァルハルトが吼えた。
「イリス!」
「指示はいらない!」
「俺は勝手に殴る!」
「あなたも勝手に閉じろ!」
「――了解!」
イリスが笑った。
戦闘で初めて見せる、清々しい笑み。
「じゃあ勝手に――閉じる!」
二人の連携は、連携ではなかった。
“息を合わせる”のではない。
“意思を共有する”のでもない。
ただ、同じ敵をそれぞれのやり方で殺す。
それだけ。
役割解体が壊す“連携”が、存在しない。
影が悟った。
「……あ」
「そういうことか」
「英雄ってやつは――」
ヴァルハルトの拳が、影の核を砕く。
《断核砕(だんかくさい/コア・ブレイカー)》。
イリスの光が、砕けた核を焼き切る。
《光滅(こうめつ/レイ・エクスティンクト)》。
影は言葉を残せなかった。
霧散。
《役割解体の影》、殲滅。
戦場の空気が、ほんの少しだけ戻る。
だが――すぐに、冷える。
残ったもう一体。
《立在否定の影(最上位)》が、静かにこちらを見ていた。
「……ひとつ減ったね」
声は穏やかだった。
穏やかすぎて、逆に怖い。
「でも」
「君たちは、まだ“立っている”」
「立つ者は」
「いつか、否定される」
その瞬間。
蒼衡の《裁定陣》の縁が、軋んだ。
今の戦いは“役割”だった。
だが次は――
存在そのものが狙われる。
セインが、低く息を吐いた。
「……相手が変わる」
レインが頷く。
「うん」
「ここからは、僕らの仕事と――」
視線を、セインへ。
「蒼衡の仕事が、重なる」
ミリアが剣を握り直す。
「最上位、ね」
「やるしかないでしょ」
《立在否定の影》は、微笑む。
「合わせ技?」
「いいよ」
「見せて」
「“立つ理由”を」
その瞬間、世界が薄くなる。
前後も、距離も、地面も――
“在る”という前提が剥がれ始めた。
英雄二人が、後ろへ退く。
イリスが短く言う。
「ここから先は」
「私たちの光じゃ届かない」
ヴァルハルトも頷く。
「……任せる」
非裁定と蒼衡。
裁かぬ者と、裁く者。
矛盾した二つが、同じ敵の前に並ぶ。
そして――
最上位の影が、告げた。
「じゃあ」
「消えて」
世界が、薄い。
色が抜け、輪郭が曖昧になり、
「そこに在る」という感覚だけが、少しずつ削られていく。
《立在否定の影》は、歩いていない。
移動しているわけでもない。
“在る場所が更新されていない”。
だから距離が詰まらない。
だから斬れない。
「……気持ち悪い」
ミリアが、低く吐き捨てる。
「剣が、届くかどうか以前の問題だ」
「届かせない、じゃない」
レインが静かに訂正する。
「届くという前提を消してる」
影は穏やかに頷いた。
「そう」
「立つ、進む、構える――」
「それらはすべて
“そこに存在している”という前提に依存している」
「前提が無ければ、行動も無い」
蒼衡の《裁定陣》が、きしむ。
セインが歯を食いしばった。
「……成立を、否定してやがる」
「裁定以前の領域だ」
影が言う。
「裁く? 均衡? 判断?」
「どれも、
立っている者にしか意味を持たない」
「君たちは、もう立っていない」
その瞬間。
ミリアの足元から、地面が消えた。
正確には、
地面という概念が“成立していない”。
「っ……!」
踏み込もうとして、踏み込めない。
「ミリア!」
レインが叫ぶ。
だが、助けに行くという選択肢が――
頭に浮かばない。
(……行く、という判断が……)
《模写理解》が、異常な警告を吐き出す。
(存在否定/段階進行)
(このまま進めば――)
(“誰も倒れないまま”、全滅)
エルドが、盾を構えた。
だが、その盾は――
“盾として在れない”。
「……っ、くそ!」
「受け止める理由が、消えてる……!」
影は、静かに手を伸ばした。
触れられれば終わりだ。
切られるわけでも、貫かれるわけでもない。
“居なかったことにされる”。
その時。
「……だから」
レインが、一歩、前に出た。
いや――
前に出たように“見えた”。
セインが、驚いたように目を見開く。
「……動いた?」
「違う」
レインの声は、静かだった。
「動いたんじゃない」
「動いたことにしなかった」
《因果遮断》。
だが、以前のような派手な発動はない。
術式は――
半分しか成立していない。
影が、初めて眉をひそめた。
「……不完全だね」
「うん」
レインは頷く。
「無理やり使ってる」
「だから」
影の視線が、鋭くなる。
「代償は?」
「……あるよ」
レインの視界が、暗く揺れた。
《残命観測》が、勝手に起動する。
見える。
自分の限界。
踏み越えた先。
そして――仲間の位置。
(……一人じゃ、足りない)
「セイン!」
レインが叫ぶ。
「今を固定して!」
セインは一瞬、迷った。
非裁定と蒼衡。
裁かぬ者と、裁く者。
噛み合わない。
思想は真逆だ。
だが――
「……チッ」
セインは、即断した。
《現相固定(げんそうこてい/ステート・ロック)》。
今この瞬間。
レインが“存在している”という事実を、
裁定対象として固定。
影が、目を細める。
「……強引だ」
「裁定で“存在”を肯定するとは」
「反則だろう?」
「知るか!」
ミリアが叫ぶ。
《踏越位》。
存在が揺らぐ中、
前線の“概念”だけを踏み越える。
剣が、影の目前に現れる。
「立つとか!」
「在るとか!」
「そんなの――」
剣を、振り抜く。
《断戦・ラインブレイク》。
「後から決めればいい!!」
影の身体が、初めて“削れた”。
ほんのわずか。
だが確実に、
“否定しきれない部分”が生まれる。
「……なるほど」
影は、静かに笑った。
「君たちは」
「立つ理由を、後付けする」
「だから――」
影の周囲で、世界が再び歪む。
《立在否定・拡張》。
今度は、広範囲。
蒼衡の陣すら、崩れかける。
「……まずい!」
エルドが、前に出た。
盾を、地面に突き立てる。
「理由なんて!」
「あとでいい!」
「今は――」
盾が、光る。
《受在固定》。
“受け止める”という行為だけを、存在として固定。
影の拡張が、盾の前で止まる。
「……馬鹿だね」
影が呟く。
「そんな固定、長くは――」
「いいんだよ!」
リュカが、叫ぶ。
《戦域把握》。
全員の位置。
全員の役割。
いや――
役割じゃない。
「重なってる!」
「今、全員が!」
「“立たせる側”になってる!」
レインが、息を吸う。
視界が白くなる。
(……ここだ)
《因果遮断》
――完全発動。
今回は、“否定”しない。
“否定される因果”だけを切る。
影の能力は、成立する。
だが、その結果だけが、世界に残らない。
影が、目を見開いた。
「……っ!?」
「在る/無いの二択を」
レインが、震える声で言う。
「勝手に決めるな」
「僕らは――」
ミリア、エルド、リュカ。
そして、セイン。
全員が、同時に踏み込む。
「立ち続ける」
影の輪郭が、崩れる。
否定が、否定できない。
存在が、存在を上書きされる。
「……ああ」
影は、最後に小さく息を吐いた。
「これは……」
「一番、嫌いだ」
次の瞬間。
影は、霧散した。
音も、光も、悲鳴もなく。
《立在否定の影》、完全消滅。
世界が、戻る。
色が、戻る。
地面が、戻る。
ミリアが、その場に座り込んだ。
「……生きてる?」
「生きてる」
エルドが笑った。
「……盾、意味あった?」
「めちゃくちゃあったよ」
リュカが頷く。
セインは、しばらく無言だった。
やがて、低く言う。
「……非裁定」
レインが、顔を上げる。
「お前たちのやり方は」
一拍。
「合理的じゃない」
「でも」
視線を逸らす。
「……無駄でもない」
ミリアが、にやっと笑った。
「それ、褒めてる?」
「勘違いするな」
セインは背を向ける。
「次は、敵同士だ」
「うん」
レインは答えた。
「その時は――」
「また、立つよ」
空は、静かだった。
四天王は、すべて倒れた。
だが。
世界は、まだ――
“選ばせること”をやめていない。
そして《非裁定》は、
今日もまた、裁かず、退かず、立ち続ける。




