強さの意味が崩れる
最初に、折れたのは――
蒼衡だった。
北部防衛線。
判断に迷いのないはずの彼らが、
一歩も前に進めずに立ち尽くしている。
理由は単純だった。
「……通らない」
セイン=ヴァルクスの声に、
焦りが混じる。
剣は振った。
配置は組んだ。
切る判断も、最速で下した。
それでも――
届かなかった。
前方に立つ“影”は、
静かにこちらを見ているだけだ。
武器は抜かない。
構えもしない。
ただ、存在している。
「判断を、
固定しすぎだ」
淡々とした声。
誰に言うでもなく、
空気に落とすように。
「切ると決めた瞬間、
君たちはそれ以外を
見なくなる」
ガランが、歯を食いしばる。
「……黙れ」
「我々は、
迷わない」
「それが――」
影は、一歩も動かずに続ける。
「君たちの限界だ」
次の瞬間。
蒼衡の“最適配置”が、
成立しなかった。
術式は暴発し、
剣は空を切り、
連携は噛み合わない。
戦闘ですらない。
一方的な、
不成立。
セインは、
膝をついた。
「……撤退だ」
即断だった。
だが、誰も反論しない。
悔しさより先に、
理解が来てしまったからだ。
「……俺たちは」
セインは、拳を握り締める。
「強いだけで、
止まっていた」
「切ることしか、
考えていなかった」
誰も否定しなかった。
蒼衡は、
初めて“自分たちが追いついていない”と知った。
「……強くならないと、
いけないな」
その言葉は、
誰に向けたものでもない。
ただの、事実だった。
⸻
その頃。
別の戦場で、
英雄は立っていた。
瓦礫の街。
逃げ場のない場所。
前にいるのは――
また“影”。
だが、先ほどのそれとは違う。
雰囲気が、軽い。
「いやぁ」
肩をすくめる影。
「英雄様とやり合うのは、
まだ先の予定だったんだけどなぁ」
軽口。
余裕。
「……悪いが」
英雄は、剣を抜く。
「こっちはな」
一歩、踏み出す。
「機関と、
民衆の期待に挟まれてる」
「君みたいなのを
放置する余裕はない」
影は、困ったように笑った。
「板挟みかぁ」
「それは、
確かに大変だ」
英雄の目が、鋭くなる。
「だから――」
「消えてもらう」
その言葉に、
影は肩をすくめた。
「……仕方ないか」
「じゃあ」
一歩、距離を詰める。
「少しだけ、
本気で遊ぼう」
空気が、軋む。
英雄は、理解した。
これは――
次元が違う相手だ。
だが、退かない。
退けない。
世界は、
彼らを英雄と呼ぶ。
ならば。
剣を、構え直す。
「来い」
影は、
初めて笑みを消した。
戦いは、
まだ始まっていない。
だが――
もう、避けられなかった。
夜明け前の廃街は、すでに死んでいた。
家屋は崩れ、石畳は黒く変色し、
空気そのものが――吸うことを拒んでいる。
「……ここまで、か」
双短剣を逆手に構え、ライザ=クロウデルは静かに息を整えた。
血は出ていない。
だが、肌がひりつく。
(毒霧……いや、まだ前段階か)
気配は、正面。
屋根の上に立つ“それ”は、人の形をしていた。
だが、輪郭が曖昧だ。
声が、落ちてくる。
「英雄が一人か」
「拍子抜けだな」
「名を名乗れ」
ライザは即答する。
「世界機関所属、英雄ライザ=クロウデルだ」
「生き残るために戦う」
「――お前は?」
影は、くつくつと笑った。
「名などいらん」
「お前たちが“四天王”と呼ぶ存在の一つだ」
その瞬間。
ライザは動いた。
《遊撃転位》
消えたように見えた次の瞬間、
双短剣が影の喉元を掠める。
《断命連刃》
急所だけを繋ぐ、最短の連撃。
影の身体が、はっきりと崩れた。
「……ほう」
「噂ほどではないな」
「言っただろ」
ライザは間合いを詰めたまま言う。
「俺は、勝てる戦いしかしない」
影の動きが、明らかに鈍る。
(――いける)
そう判断した、次の瞬間だった。
影が、胸に手を当てる。
「では」
「ここまでだ」
嫌な予感。
ライザは、即座に後退する。
「――退け!」
だが、間に合わない。
影の身体が、内側から崩壊した。
肉体が弾けるのではない。
“ほどける”ように消え、
代わりに――
黒紫の霧が、街全体に広がった。
「……自爆型か!」
《浄化転走》
ライザは一気に距離を取る。
だが、霧は追ってくる。
吸えば終わりだ。
(くそ……)
(ここで粘れば、死ぬ)
歯を食いしばり、ライザは判断する。
「……撤退だ」
誰にも聞かせない独り言。
英雄としては、屈辱だ。
だが――
「生きてなきゃ、意味がない」
屋根を跳び、路地を抜け、
霧の境界線を越えた瞬間。
ライザは振り返った。
霧の向こうで、影の声が響く。
「英雄よ」
「まだ、戦う段階じゃない」
「世界は、これから“選別”される」
ライザは、短剣を強く握った。
「……覚えた」
「次は」
「俺が引かせる」
返事はなかった。
ただ、街は完全に沈黙した。
ライザは、その場に膝をつく。
(……蒼衡が詰むわけだ)
(これは――)
(非裁定の連中に、近い)
英雄は、初めて理解する。
これは、
一人で背負う戦争じゃない、と。
焚き火の音だけが、夜の静けさを刻んでいた。
森の外れ。
街道からも少し離れた、小さな野営地。
ミリアは剣の手入れをしながら、ふと顔を上げる。
「……遅いね」
「うん」
レインは短く答えた。
《模写理解》は、沈黙したまま。
だが、《戦場演算》は止まっていない。
(来る)
(“報告”だ)
気配は、焚き火の向こうから現れた。
「失礼する」
低い声。
姿を見せたのは、世界機関の伝令兵だった。
装備は軽い。
だが、目が疲れている。
「英雄ライザ=クロウデルからの正式報告だ」
名が出た瞬間、ミリアの手が止まる。
「……生きてる?」
「はい」
即答。
「ですが、街一つが……」
言葉を選ぶ。
「機能停止しました」
空気が、沈む。
リュカが静かに問う。
「敵は?」
「“四天王”と呼称される存在の一角」
「名は不明」
「自爆型。毒性拡散あり」
「英雄は勝ちかけたが、撤退判断」
エルドが、盾に手を置く。
「……英雄でも、止められない?」
「正確には」
伝令兵は首を振る。
「止められたが、
“守れなかった”」
その言葉が、全員に刺さった。
ミリアが歯を噛む。
「……蒼衡は?」
伝令兵は、少しだけ視線を伏せた。
「同地域で交戦」
「完敗です」
「切った結果、被害は抑えたが――」
「街は、空になった」
沈黙。
誰も、すぐには口を開けない。
レインは焚き火を見る。
炎が揺れる。
(……選ばせる)
(切る)
(そして、何も残らない)
ライザの判断は、正しい。
蒼衡の判断も、理屈では正しい。
だが――
「どっちも、詰んでる」
ぽつりと、レインが言った。
リュカが頷く。
「英雄は一人で背負わされ」
「蒼衡は結果だけを求められ」
「四天王は、その歪みを利用してる」
ミリアが顔を上げる。
「……じゃあ」
「私たちは?」
レインは、全員を見る。
ミリア。
リュカ。
エルド。
そして、自分。
「選ばせない」
「切らない」
「でも、逃げない」
焚き火が、ぱちりと爆ぜた。
「世界機関は?」
エルドが問う。
「協力要請は?」
伝令兵は、少し苦笑した。
「……正直に言います」
「機関は、
あなたたちを“使いにくい”と評価しています」
「判断が遅い」
「成果が、数値化しにくい」
ミリアが鼻で笑う。
「だろうね」
「でも」
伝令兵は、真っ直ぐレインを見る。
「英雄ライザは、言っていました」
――あいつらにだけは、先に知らせろ。
――あれは、
一人で相手する敵じゃない。
レインは、静かに頷いた。
「ありがとう」
伝令兵は、一礼して去っていく。
焚き火の前に、再び四人だけが残った。
しばらくして、ミリアが口を開く。
「……ねえ」
「私たち、強くなったよね」
「でも」
剣を見下ろす。
「足りない」
リュカが続ける。
「判断を壊すだけじゃ、足りない」
「受け止めて」
「繋いで」
エルドが、盾を立てる。
「立つ」
「誰かが迷うなら」
レインは、静かに立ち上がった。
「四天王は」
「“選別”を始めてる」
「なら」
焚き火の炎が、彼の影を伸ばす。
「僕らは、
選別を壊しに行く」
非裁定。
逃げない。
裁かない。
選ばせない。
英雄でもなく、
均衡でもなく。
ただ――
残すために戦う者たちとして。
夜は、まだ深い。




