立場が変わっただけだ
街の往来は、いつも通りだった。
冒険者が行き交い、商人が声を張り上げ、酒場からは昼間でも笑い声が漏れる。
そんな中で、レインは一人、依頼報告を終えたばかりだった。
(……今日は、人が多いな)
宿に戻る前に、補給を済ませるつもりだった。
それだけだ。
声をかけられるまでは。
「……レイン?」
聞き覚えのある声。
少し掠れていて、どこか自信がない。
レインが振り向くと、そこに立っていたのは――紅鷹だった。
ガルドを先頭に、ルーク、リディア、セシリア。
全員揃っている。
一瞬だけ、空気が固まる。
(……ああ)
理解する。
この街に、噂が集まっていることを。
「久しぶりだな」
ガルドが、妙に気さくな調子で口を開いた。
あの時の冷たさはない。
「……元気そうじゃないか」
レインは、何も答えない。
表情も変えない。
ただ、視線を一度通して、次に進もうとした。
「待て」
ガルドが呼び止める。
「少し、話がある」
その言い方に、命令の名残があった。
だが、レインは立ち止まらない。
「要件をどうぞ」
淡々とした声。
敬意も敵意もない。
それが、ガルドの癇に障った。
「……単独で、廃村の件を片付けたそうだな」
噂は、すでに知っている。
だからこそ、ここに来た。
「はい」
それだけ答える。
ルークが、無理に笑顔を作った。
「いやー、驚いたよ。
まさか、あの件を“完全対処”するとはな」
リディアが腕を組む。
「正直、あなたがあそこまでやれるとは思ってなかったわ」
“思ってなかった”。
その言葉に、レインは内心で頷いた。
(そりゃそうだろ)
理解しようとすること自体を、
あのパーティは否定したのだから。
ガルドが、一歩前に出る。
「……でだ」
間を置いて、言う。
「戻ってこないか」
一瞬、周囲の音が遠のいた。
「今なら、お前の力も分かる。
解析役として、ちゃんと扱う」
“今なら”。
“ちゃんと”。
レインは、そこで初めて足を止めた。
だが、振り向かない。
「それは、お願いですか?」
ガルドの眉が動く。
「……何?」
「それとも、命令ですか?」
静かな問い。
だが、鋭い。
ガルドは一瞬、言葉に詰まった。
「……事情は変わった」
「ええ。変わりました」
レインは、ゆっくりと振り返る。
視線が合う。
「でも、それは――
立場が変わっただけです」
紅鷹の面々が、言葉を失う。
レインは、淡々と続けた。
「あなたたちは、理解を待たなかった。
だから、俺は要らなかった」
「今は、俺が理解できるようになった。
だから、必要になった」
一歩、距離を取る。
「それだけの話です」
沈黙。
ガルドの表情が、徐々に歪んでいく。
プライドを、正確に踏まれた顔だった。
沈黙は、長くは続かなかった。
「……ふざけるなよ」
低く、押し殺した声。
ガルドの拳が、わずかに震えている。
「お前は、俺たちが拾ってやったんだ」
レインは、ゆっくりと首を傾げた。
「そうでしたか?」
その一言が、決定打だった。
「解析もろくにできず、
雑魚の能力しか真似できなかった奴が……!」
ガルドの声が、怒鳴りに変わる。
「今さら、上から物を言うな!」
周囲の冒険者たちが、足を止める。
空気が、ざわつく。
ルークが慌てて止めに入る。
「お、おいガルド、落ち着けって」
だが、もう遅い。
ガルドは剣の柄に手をかけ、一歩踏み出した。
「決闘だ」
その言葉に、場が凍る。
「ここで白黒つける。
俺が勝ったら――」
「戻れ、ですか?」
レインが、淡々と遮った。
「……そうだ」
「断ります」
即答だった。
ガルドの目が、さらに血走る。
「臆したか?」
その瞬間、
レインの視線が、初めて冷たくなった。
「いいえ」
一歩、前に出る。
「あなたが“理解できない側”だと、
はっきり示すだけです」
静かに、だがはっきりと。
「決闘、受けます」
•
場所は、簡易闘技場。
立ち会いは、ギルド職員が務める。
「……始め!」
合図と同時に、ガルドが踏み込む。
迷いはない。
力も速度も、一流だ。
だが――
(……遅い)
レインは、動かない。
剣が振り下ろされる瞬間、
空気が“ずれた”。
ガルドの剣先が、
当たるはずの場所をすり抜ける。
「……なっ!?」
次の瞬間、
ガルドの身体が前につんのめる。
(前提が、単純すぎる)
レインは魔力を流す。
核心章は使わない。
必要ない。
再構築魔法。
ただし、対象はガルドではない。
「距離」の前提。
一歩分だけ、ずらす。
それだけで十分だった。
ガルドの足が、空を踏む。
体勢が崩れ、無防備になる。
「――っ!!」
レインは、拳を叩き込む。
派手な技はない。
だが、魔力で補正された一撃。
ガルドの身体が、宙を舞った。
地面に叩きつけられ、
呼吸が、完全に止まる。
「……がっ……」
起き上がろうとするガルドに、
レインは歩み寄る。
「終わりです」
ガルドが剣を振り上げる。
最後の悪あがき。
だが――
剣は、最後まで届かなかった。
レインの身体に、傷一つつかない。
「な……なんで……」
その問いに、レインは答えない。
代わりに、静かに言った。
「あなたは、強い」
ガルドの瞳が、揺れる。
「でも、
理解しようとしなかった」
それだけで、十分だった。
ギルド職員が、声を張り上げる。
「勝者――レイン・アルヴェルト!」
歓声はない。
あるのは、静まり返った空気。
ガルドは、地面に転がったまま、動けない。
完全敗北だった。
決闘場に、静寂が落ちた。
誰も、すぐには声を出せない。
ガルド・レオンハルト――
《紅鷹》のリーダーは、地面に転がったまま動けずにいる。
剣を握る腕は震え、
誇りだけが、置き去りにされた。
「……無傷、だと?」
誰かが、かすれた声で呟いた。
レインの服には、土埃すらついていない。
魔法障壁も、回避動作も見えなかった。
最初から、勝負になっていなかった。
ギルド職員が、ゆっくりと宣告する。
「決闘の結果をもって、
本件は正式に記録します」
その言葉は、周囲の空気を現実に引き戻した。
ざわめきが、広がる。
「……あれが、完全対処の冒険者か」
「ガルドが……一方的に……」
「レベルが、違いすぎる」
レインは、剣も拳も下ろしたまま、静かに立っている。
勝ち誇る様子はない。
ただ、事実がそこにあるだけだ。
•
ガルドは、歯を食いしばりながら起き上がろうとした。
だが、足に力が入らない。
「……くそ……」
その姿を、誰も助けない。
ルークは視線を逸らし、
リディアは唇を噛み、
セシリアは、ただ俯いている。
誰も、リーダーに近づこうとしなかった。
レインは、その様子を一瞥し、淡々と言った。
「もう一度、言います」
声は低く、よく通る。
「俺は、戻りません」
ガルドが、睨み上げる。
「……なぜだ……」
その問いに、レインは答えた。
「あなたたちは、
理解する者を切り捨てる」
「だから、
同じことを、また繰り返す」
言い切りだった。
断定であり、予言でもある。
「俺が居ても、
あなたたちは変わらない」
一歩、距離を取る。
「それが、今日の結果です」
それ以上、言葉はなかった。
•
ギルドの掲示板には、
新しい噂が貼り付けられていく。
――完全対処を成し遂げた冒険者、
――《紅鷹》リーダーを無傷で撃破。
評価は、一夜にして定着した。
レイン・アルヴェルトは、
**“次元の違う理解者”**として認識され始める。
一方で、
《紅鷹》の名は、確実に色褪せていった。
•
街の外れ。
ミリアは、偶然その話を耳にしていた。
「……レイン、アルヴェルト?」
知らないはずの名前。
なのに、胸がざわつく。
――理解する者。
――完全対処。
(……同じだ)
自分が、追い出された理由。
それを、否定する存在。
ミリアは、空を見上げた。
(……会える、かな)
まだ分からない。
だが、確かに繋がり始めている。
•
レインは、宿の部屋で魔導書を閉じた。
核心章は、静かだった。
だが、以前とは違う。
(……一つ、終わったな)
ざまぁは、済んだ。
だが、これは始まりでもある。
理解する者が、理解できる場所へ進む。
そのための、一歩。
レイン・アルヴェルトは、静かに目を閉じた。




