英雄は試す
昼下がりの街道。
《非裁定》は、次の依頼地へ向かっていた。
「……平和だね」
ミリアが、空を見上げる。
「さっきまでの騒ぎが、
嘘みたい」
「油断は禁物です」
リュカが即座に釘を刺す。
「“静か”は、
何も起きていないとは限らない」
エルドは、盾を背負ったまま歩調を落とさない。
「……誰か、いるな」
その一言で、全員の足が止まった。
気配は一つ。
隠す気も、殺気もない。
むしろ――
堂々としている。
「――やっぱりな」
前方の木陰から、男が姿を現した。
長剣を肩に担ぎ、
鎧は簡素。
だが、立ち方が違う。
「……英雄」
ミリアが、即座に理解する。
「へえ」
男は、楽しそうに笑った。
「分かるもんだな」
「久しぶりだな俺はヴァルハルト=レオン」
以前、世界機関で顔を合わせた英雄の一人だ。
「今日は依頼じゃない」
「観光でもない」
一歩、前に出る。
「試しに来た」
空気が、張る。
エルドが、自然に前へ出かけて――
ミリアが、軽く腕を伸ばして止めた。
「待って」
レインは、視線を外さない。
「……何を試す?」
ヴァルハルトは、即答した。
「《非裁定》」
「裁かない、退かない、だっけ?」
「噂だけ聞くと、
随分と面倒な連中だ」
だが、声に敵意はない。
むしろ――
好奇心。
「英雄は、切る」
「均衡は、選ぶ」
「じゃあお前たちは、
どうやって世界を守る?」
「……言葉じゃ分からない」
剣を、地面に下ろす。
「だから、
軽くやろう」
ミリアが、思わず笑った。
「軽く、ね」
「死なない程度でいい」
ヴァルハルトは肩をすくめる。
「安心しろ」
「俺は、
本気で殴らない」
その瞬間。
レインの《戦場演算》が、
即座に警告を出す。
(……本気じゃなくて、これか)
(勝率――
測定不能)
「……受ける?」
ミリアが、小声で聞く。
エルドは、盾を構え直した。
「逃げる理由は、ない」
リュカが、静かに付け加える。
「ここで断れば、
評価は“机上”のままです」
レインは、一瞬だけ目を閉じた。
そして、開く。
「……分かった」
ヴァルハルトの笑みが、深くなる。
「いいね」
「じゃあ――」
剣を、軽く構える。
「英雄のやり方で、来るぞ」
空気が、震えた。
ヴァルハルト=レオンが、一歩踏み出した。
ただそれだけで、
空気が変わる。
「……っ」
ミリアの呼吸が、一瞬だけ詰まる。
(速いとか、重いとかじゃない)
(“近い”)
距離感が、狂う。
「来る!」
エルドが、反射的に前へ出る。
《不退域》
盾を構え、進路を塞ぐ。
だが――
ヴァルハルトは止まらない。
剣が、軽く振られる。
ガンッ!
衝撃。
エルドの身体が、半歩下がる。
「……っ」
「悪くない」
ヴァルハルトは、感心したように言う。
「だが――
盾だけじゃ足りない」
次の瞬間、
剣の角度が変わる。
エルドの“横”を、正確に突く。
「エルド!」
ミリアが、即座に動く。
《踏越位》
前線の概念をずらし、
攻撃線の外へ滑り込む。
《断迷穿》
狙いは、ヴァルハルトの次動作。
だが――
「浅い」
剣が、弾かれる。
重さが違う。
ミリアの身体が、後方へ跳ぶ。
「……っ、硬い!」
「いや」
ヴァルハルトは首を振る。
「俺が、動かないだけだ」
レインの《戦場演算》が、
即座に結論を出す。
(……押せない)
(でも、
崩されてもいない)
「リュカ」
「分かってます」
《余白展開》
戦場に、わずかな逃げ道が生まれる。
だが、
ヴァルハルトは追わない。
「ほう」
「逃げ場を作るのか」
「英雄相手に、
正面突破しない判断」
剣を肩に担ぎ、笑う。
「嫌いじゃない」
「……褒めてる場合?」
ミリアが、歯を噛む。
「全然、
決定打が見えないんだけど!」
「それでいい」
レインが、短く言う。
「勝とうとするな」
「崩れなければ、
負けじゃない」
ヴァルハルトの眉が、わずかに上がる。
「……なるほど」
「“勝敗”を、
最初から別の場所に置いている」
踏み込み。
だが今度は――
深追いしない。
「……?」
ミリアが、違和感に気づく。
「……来ない?」
「来てる」
レインが、静かに答える。
「でも、
“壊しに来てない”」
ヴァルハルトは、立ち止まった。
剣を下ろす。
「……十分だ」
空気が、緩む。
「は?」
ミリアが、素っ頓狂な声を出す。
「もう終わり?」
「これ以上やると」
ヴァルハルトは、肩をすくめる。
「どっちかが、
本気を出すことになる」
「それは、
“試し”じゃなくなる」
一歩、後ろに下がる。
「結論は出た」
「お前たちは――」
レインを見る。
「英雄とは、別の意味で強い」
その言葉に、
誰もすぐには返せなかった。
「切らない」
「裁かない」
「でも、崩れない」
「……面倒な連中だ」
ヴァルハルトは、笑った。
剣を納めたヴァルハルトは、しばらく黙って《非裁定》を見回していた。
評価する視線ではない。
値踏みでもない。
ただ――
考えている。
「……英雄はな」
ようやく口を開く。
「判断を急ぐ」
「遅れれば、人が死ぬからだ」
ミリアが、何も言わずに聞く。
エルドは盾を下ろし、
リュカは一歩後ろで静かに立つ。
「だから俺たちは、切る」
「正しいかどうかじゃない」
「“必要だ”と思った瞬間に、な」
ヴァルハルトは、レインを見る。
「お前たちは違う」
「迷っている」
「判断を、
戦闘の中に持ち込んでいる」
「……危険だ」
一瞬、
場が静まる。
だが、次の言葉は続いた。
「――だからこそ」
ヴァルハルトは、苦笑する。
「俺たちが壊した後の世界を、
拾えるかもしれない」
ミリアが、目を見開く。
「それって……」
「役割が違う、って話だ」
ヴァルハルトは、軽く手を振る。
「蒼衡は切る」
「英雄は、決める」
「《非裁定》は――」
一拍。
「残す」
レインは、静かに頷いた。
「……英雄に言われると、
重いね」
「言っとくが」
ヴァルハルトは、指を立てる。
「好意だけで言ってるわけじゃない」
「お前たちは、
均衡を乱す」
「だから、
いずれ“試される側”になる」
ミリアが、鼻で笑う。
「もう慣れてます」
「だろうな」
ヴァルハルトも、笑った。
「蒼衡は、
気に食わないだろう」
「世界機関も、
扱いに困る」
「それでも――」
剣の柄に、手を置く。
「生き残れ」
「それが、
証明だ」
そう言って、踵を返す。
「……次は?」
ミリアが、思わず聞いた。
ヴァルハルトは、歩きながら答えた。
「影だ」
「魔物も、街も、
全部“余裕があるうち”に壊しに来る」
「英雄だけじゃ、
追いつかん」
一瞬だけ、振り返る。
「だから」
「期待してるぞ、《非裁定》」
剣の背を、軽く叩いて去っていった。
しばらく、誰も動かなかった。
「……英雄って、
もっと嫌なやつかと思ってた」
ミリアが、ぽつりと言う。
「英雄は、
嫌な仕事を引き受けてるだけです」
リュカが静かに答える。
「だからこそ、
僕らみたいなのを見ると――」
「安心もするし、
不安にもなる」
エルドが、盾を握り直した。
「……俺たちは」
「間違ってないか?」
レインは、少しだけ考えてから言った。
「分からない」
「でも」
一歩、前に出る。
「退かない」
「裁かない」
「それだけは、
決めてる」
ミリアが、にっと笑う。
「じゃあ、
やることは一つだね」
「影を止める」
「魔物も、
選ばせる連中も」
「全部」
リュカが、頷く。
「英雄が切った後を、
拾うために」
夕暮れの街道に、
《非裁定》は再び歩き出す。
裁かず。
退かず。
それでも――
進むために。
次に試されるのは、
世界の方だった。




