裁定の代償
同じ北東街道。
だが、時間は少しだけ前。
蒼衡は、すでに戦闘を終えていた。
「……遅い」
セイン=ヴァルクスが、血の付いていない剣を収める。
「被害報告は?」
「民間人、三名」
ユールが即答した。
「逃走が遅れた者が二名」
「混乱を煽った者が一名」
ガラン=ディオルが、腕を組む。
「想定内だ」
地面には、
真っ二つに切断された強化魔物の死骸。
断面は美しいほど正確で、
迷いのない一撃だった。
「影の介入は?」
「遮断済み」
リィネ=フォルテが淡々と答える。
「暴走因果は、裁定により排除」
「再発の可能性はありません」
セインは頷いた。
「よし」
「この地域の“混乱要因”は消えた」
だが。
街道の端。
瓦礫の影で、
一人の商人が膝を抱えて震えていた。
仲間を失った顔だ。
「……次だ」
セインは、視線を逸らした。
「感情は、後だ」
蒼衡は、淡々と撤収を始める。
彼らの背後に、
静寂が残る。
血と、
切り捨てられた選択肢と、
戻らない命。
「……問題はない」
ユールが、少しだけ声を落とす。
「結果として、
街道は安全になりました」
「それでいい」
セインは即答した。
「世界は、全員を救えない」
「だから、
救う数を最大化する」
ガランは、何も言わない。
だが――
ほんの一瞬だけ、
自分の剣を見た。
切れ味は、
変わっていない。
それでも。
「……非裁定、か」
誰にも聞こえない声で、
セインは呟いた。
「理想論だ」
「だが――」
一拍。
「同じ場所で、
違う結果を出したとしたら」
その思考を、
彼は振り払った。
「あり得ない」
「切らなければ、
もっと死ぬ」
それが、
蒼衡の答えだった。
世界機関・第二評価室。
白い石壁に囲まれたその部屋には、
感情よりも先に“数値”が並ぶ。
「北東街道・同時発生事案、
両対応班の報告が出揃いました」
調停官の一人が、淡々と告げる。
空中に、二つの報告書が並ぶ。
片方――
蒼衡
•強化魔物:全個体討伐
•影介入:遮断・排除
•地域安全度:即時回復
•民間人被害:死亡三名/負傷二名
もう片方――
《非裁定》
•強化魔物:無力化・撤退
•影介入:一部遮断
•地域安全度:段階的回復
•民間人被害:死亡ゼロ/負傷一名(軽傷)
「……数字だけ見れば」
一人の調停官が、低く言った。
「蒼衡の方が、
“早くて確実”だ」
「ええ」
別の調停官も頷く。
「討伐完了。
再発率ゼロ。
管理としては理想的」
だが。
別席にいた老調停官が、
指で《非裁定》の報告を叩いた。
「こちらは?」
「再発の可能性あり」
若い調停官が答える。
「強化個体は生存。
影の痕跡も完全遮断には至っていません」
「……だが」
老調停官は、視線を上げる。
「“選ばせなかった”」
部屋が、静まる。
「被害ゼロは偶然か?」
「いいえ」
別の評価官が即答する。
「現場判断の積み重ねです」
「退路設計、前線固定、
因果干渉は一度のみ」
「明確に、
“切らない戦い”を選んでいます」
「非効率だ」
若い調停官が眉をひそめる。
「全体最適を考えれば――」
「全体最適、とは何だ」
老調停官が遮る。
「“数”か?」
「“結果”か?」
「それとも――
“残ったもの”か」
沈黙。
「……蒼衡の判断は正しい」
別の調停官が、現実的に言う。
「だが、《非裁定》の結果も、
無視できない」
「被害ゼロは、
“誤差”ではない」
誰かが、ぽつりと呟く。
「厄介な連中だな」
「ええ」
調停官は苦笑する。
「管理しづらい」
「だが――」
一拍。
「今の世界に、
不要とも言い切れない」
記録官が、静かに告げる。
「評価は保留」
「《非裁定》は、
独立行動を許可」
「蒼衡との優劣は、
現段階では――」
言葉を選ぶ。
「決めない」
その瞬間。
誰かが、気づいた。
「……皮肉ですね」
「《非裁定》を、
“裁定できない”」
老調停官は、わずかに笑った。
「世界は今、
速さだけを求めすぎている」
「彼らは、
それに抗っている」
評価室の外では、
新たな被害報告が届き始めていた。
世界は、まだ荒れている。
そして――
“正しさ”は、
一つではない。
北東街道から少し離れた、仮設拠点。
蒼衡は、簡易天幕の中に集まっていた。
「……世界機関の評価は?」
ガラン=ディオルが、短く問う。
ユールが、端末を操作しながら答える。
「“問題なし”です」
「迅速な制圧、
被害は想定内」
「優先度の高い地域を
次に割り当てる、と」
セイン=ヴァルクスは、黙って頷いた。
「当然だ」
「結果は出している」
だが――
リィネ=フォルテが、ほんの一瞬だけ言葉を選んだ。
「……ただし」
「《非裁定》の行動も、
別枠で記録されています」
ガランの眉が、わずかに動く。
「被害ゼロ、でしたね」
「ええ」
リィネは淡々と続ける。
「世界機関は、
評価を“保留”にしています」
「優劣を、
決めなかった」
沈黙。
天幕の外で、風が鳴る。
「……決めない、か」
セインは、低く呟いた。
「切った結果が、
数字で負けていないのに」
「感情論だ」
そう言い切ろうとして、
言葉が止まる。
脳裏に浮かぶのは、
街道の端で膝を抱えていた商人の姿。
「……いや」
セインは、首を振った。
「俺たちは、
俺たちのやり方を貫く」
「世界は、
全員を救えない」
それが、蒼衡の答えだった。
だが――
“疑問”が消えたわけではない。
⸻
その頃。
《非裁定》の四人は、
街道沿いの小さな宿にいた。
木の床。
軋む椅子。
評価室の数字も、
調停官の議論も、
彼らには届かない。
「……静かだね」
ミリアが、湯気の立つカップを見つめる。
「さっきまで、
あんなだったのに」
「終わったからです」
リュカが、淡々と答える。
「少なくとも、
この街道では」
エルドは、盾を壁に立てかけた。
「……守れた」
誰に言うでもなく、呟く。
「それでいい」
レインは、窓の外を見ていた。
《戦場演算》は、
静かだ。
褒めも、警告もない。
だが――
胸の奥に、確かな感触が残っている。
(……間違ってなかった)
「なあ」
ミリアが、少し照れたように言う。
「《非裁定》ってさ」
「地味だけど」
「嫌いじゃない」
リュカが、頷く。
「判断を奪わない、
という意味では」
「今の世界に、
必要かもしれません」
エルドも、短く言った。
「……立つ理由がある」
レインは、振り返る。
「評価は、後でいい」
「俺たちは、
俺たちの現場をやる」
三人が、頷いた。
その瞬間――
遠く。
誰にも気づかれない場所で、
“それ”は笑っていた。
「……ほう」
影の黒幕。
顔は見えない。
だが、声には確かな愉悦があった。
「切る者と、
切らぬ者」
「どちらも、
思った以上に育った」
指を鳴らす。
「さて……」
「次は、
どちらを壊そうか」
影が、溶ける。
世界は、まだ荒れる。
だが今、
確かに“別の選択肢”が存在していた。
《非裁定》。
その名は、
まだ小さい。
だが――
消されるには、
少し遅すぎた。




