非裁定が集う場所
石造りの円卓会議室は、久しく人を集めていなかった。
壁に刻まれた古い紋章――世界機関の印は、
「調停」と「監視」の象徴であり、
同時に“面倒ごとの最終集積地”でもある。
レインは、無意識に天井を見上げていた。
(……久しぶりだな、この空気)
魔力の流れが整理され、
視線と意図が整理され、
“何かが決まってしまう場所”。
好ましくないが、避けられない場所。
「全員、揃っているな」
低く通る声が、円卓の中心から響く。
白衣と外套を重ねた調停官――
名を名乗ることはない。
ここでは役割だけが意味を持つ。
「現在、世界各地で
“影”の活動と、異様に強化された魔物の被害が確認されている」
壁面に、簡易的な魔導投影が浮かぶ。
赤い印が、点ではなく“面”で広がっていた。
「……多いですね」
ミリアが、素直に呟く。
「多すぎる、が正しい」
調停官は淡々と続ける。
「単発ではない。
連動している」
その言葉に、円卓の空気がわずかに変わった。
英雄たちが、視線を走らせる。
ヴァルハルト=レオンが、腕を組んだまま鼻で笑う。
「はは。
“影”がここまで動くとはな」
「しかも、魔物まで暴走状態か」
イリス=アークライトが、冷静に分析する。
「誰かが、意図的に“世界を荒らしている”」
その言葉に、蒼衡の面々が反応した。
セイン=ヴァルクスは、レインを見る。
「……お前たちが関わった街の件、
どうやら引き金だったらしい」
「責めるつもり?」
レインは視線を返す。
「いや」
セインは首を横に振った。
「事実確認だ。
だが――」
一瞬、言葉を切る。
「以前より、雰囲気が違う」
ガラン=ディオルも、ミリアを見て眉をひそめる。
「前線が……軽くなっている」
「軽いんじゃない」
ミリアは肩を回す。
「迷わなくなっただけ」
英雄の一人が、率直に口を挟んだ。
「正直、驚いたよ」
「以前会った時とは、別人みたいだ」
その言葉に、リュカが小さく息を吐く。
(……評価が、追いついてきた)
調停官が、咳払いを一つ。
「話を戻そう」
「各勢力には、それぞれ対応を依頼する」
「英雄は英雄のやり方で。
蒼衡は蒼衡のやり方で」
セインが、椅子を引いた。
「俺たちは俺たちの判断で動く」
「均衡は、操作するものだ」
そのまま、蒼衡は席を立つ。
「……相変わらずだな」
誰かが呆れたように呟いた。
英雄たちも、各々立ち上がる。
「面倒だけど、やるしかないか」
「世界が壊れるよりはマシだ」
最後に、調停官がレインたちを見る。
「……ところで」
「君たちのパーティ名は?」
沈黙。
ミリアが、きょとんとする。
「……あ」
リュカが目を逸らす。
「……決めてませんでしたね」
英雄たちが、少し意外そうな顔をした。
「この強さで、名なし?」
「逆に珍しい」
レインは、一瞬だけ考え――
仲間を見る。
「……決めよう」
ミリアが、にやっと笑った。
「今ここで?」
「今だから」
リュカが、小さく頷く。
「“裁かない”。
“選ばせない”。
でも――」
エルドが、静かに続ける。
「退かない」
短い沈黙のあと。
レインが、はっきりと告げた。
「――《非裁定》」
会議室の空気が、わずかに震えた。
英雄の一人が、面白そうに笑う。
「いい名前だ」
「裁定しないで、退かない」
「……厄介だな」
ミリアは胸を張る。
「褒め言葉でしょ?」
リュカは、静かに確認する。
「これで、
僕らは“個”じゃない」
レインは頷いた。
「《非裁定》として、動く」
調停官が、静かに宣言する。
「了解した」
「では――
各員、現地へ」
会議は、解散した。
だが。
世界は、確実に動き始めている。
そして――
《非裁定》という名は、
この日、初めて記録に刻まれた。
会議室の重い扉が閉じる音が、やけに大きく響いた。
英雄たちは、それぞれ軽く手を挙げたり、言葉もなく去っていく。
慣れたものだ。
世界が荒れれば呼ばれ、終われば散る。
「さて……」
ヴァルハルト=レオンが首を鳴らした。
「久々に骨のある仕事になりそうだな」
「“影”が表に出始めた時点で、
もう小競り合いじゃ済まない」
イリス=アークライトは淡々と答える。
「被害拡大を防ぐなら、
即時制圧が最優先」
「はいはい、理想論は後で聞く」
別の英雄が苦笑しながら手を振った。
英雄たちは英雄たちで、
“割り切った戦い”に向かっていった。
一方――。
蒼衡の背中は、
最初から振り返る気配すらなかった。
「……本当に、相容れないな」
ミリアがぽつりと言う。
「でも」
リュカは、蒼衡が去った方向を見つめたまま続ける。
「彼らは彼らで、
間違ってるとは言い切れない」
「切り捨てる判断が、
世界を救うこともある」
エルドが、盾を背負い直す。
「だが、その判断を
前線で受けるのは、いつも別の誰かだ」
その言葉に、誰も反論しなかった。
レインは、会議室の床に残る魔力痕を見下ろしていた。
(……世界は、“速さ”を求めている)
(だから、裁定が好まれる)
(迷いは遅れになるから)
だが。
「俺たちは違う」
レインが、静かに言った。
ミリアが振り向く。
「《非裁定》、だもんね」
「うん」
リュカが頷く。
「選ばせない構造を壊す」
「判断を、
奪わない」
「……でも」
ミリアが少しだけ真剣な顔になる。
「それって、
楽じゃないよ?」
「分かってる」
レインは即答した。
「だから、退かない」
その言葉に、エルドがわずかに笑った。
「盾役向きの思想だな」
「じゃあ、最初の動きは?」
リュカが実務に戻す。
「影と強化魔物、
両方が出てる地域は――」
レインは、すでに地図を頭に描いていた。
「北東」
「街道沿い」
「逃げ場が多く、
人が残りやすい」
「……一番、
“選ばせやすい場所”だ」
ミリアが歯を鳴らす。
「趣味悪っ」
「だから行く」
レインは歩き出した。
「最初の任務だ」
「《非裁定》として」
扉の外は、もう夕暮れだった。
世界は、何事もなかったかのように回っている。
だがその裏で、
確実に“選別”は始まっている。
それを止めるのは、
英雄でも、均衡でもない。
「……名前、決めてよかったね」
ミリアが、歩きながら言った。
「うん」
リュカが静かに答える。
「覚悟が、形になった」
エルドは一歩後ろから、
三人の背中を見ていた。
(……このパーティなら)
(立つ意味がある)
こうして――
《非裁定》は、
最初の現場へ向かう。
裁かず、
退かず、
選ばせるために。
夕暮れの赤が地面を染めているのに、
人の声がない。
荷車が横倒しになり、
干し草が散らばっている。
「……やっぱり」
ミリアが低く言う。
「逃げ遅れが出る配置」
「うん」
リュカが頷く。
「意図的に、
“戻れる距離”を残してる」
エルドは、盾を前に構えたまま動かない。
「来るな」
短く告げる。
次の瞬間――
街道脇の林が、ざわりと揺れた。
姿を現したのは、
異様に肥大化した魔物。
本来は単独行動しかしないはずの個体が、
三体。
皮膚には、歪んだ刻印。
魔力の流れが不自然に強化されている。
「……強化個体」
ミリアが舌打ちする。
「影の介入、確定だね」
「でも」
レインは、前に出ない。
《戦場演算》が、
即座に展開される。
(正面突破:可能)
(被害:荷車裏の民間人一名)
(退路遮断:二名)
「……だめだな」
レインは、小さく息を吐いた。
「切れば早い」
「でも、
誰かが選ばれる」
ミリアが、ぐっと歯を噛みしめる。
「じゃあどうするの?」
レインは、エルドを見る。
「前、頼める?」
エルドは一瞬も迷わなかった。
「任せろ」
盾を地面に叩きつける。
《受理領域》
前線が、はっきりと“固定”される。
魔物の突進が、
すべてエルドへ集中する。
衝撃で地面が抉れるが、
一歩も下がらない。
「今!」
ミリアが駆ける。
《踏越位》
前線の外側へ滑り込み、
《断戦》
魔物の脚を正確に切断。
倒れかけた個体に、
追撃はしない。
「倒すな!」
レインが叫ぶ。
「動けなくするだけでいい!」
リュカが即座に反応する。
《戦域把握》
「退路、ここ!」
《退路設計》
荷車の裏にいた民間人が、
自然に走り出せる道が生まれる。
「行け!」
魔物が吠える。
だが――
次の瞬間、
その動きが、止まった。
《因果遮断》
一度だけ。
魔物の“暴走因果”が、断ち切られる。
「……っ」
レインの息が、明らかに荒くなる。
「レイン!」
「大丈夫……一回だけだ」
刻印が、砕け散る。
残ったのは、
本来の魔物。
怯え、逃げ出す。
誰も追わない。
沈黙。
街道に、風だけが戻ってくる。
ミリアが、剣を下ろした。
「……全員、生きてる」
「うん」
リュカが頷く。
「切ってない」
エルドが、盾を下ろす。
「……選ばせなかった」
レインは、その場に腰を下ろした。
息が整うまで、少し時間がかかる。
ミリアが、そっと隣に立つ。
「無理、しすぎ」
「でも」
レインは笑う。
「これが、《非裁定》だ」
ミリアも、少しだけ笑った。
「退かないしね」
夕暮れの街道に、
血は残らなかった。
だが、
確かに“戦い”はあった。
裁かず、
退かず、
選ばせるための戦い。
それが――
《非裁定》のやり方だ。




