背中のない戦場
朝の空気が、やけに軽かった。
「……本当に、いないね」
ミリアが、何度目か分からない確認をする。
焚き火の跡。
使い慣れた杖が立っていた場所。
どこにも、あの老人の気配は残っていない。
「昨日の夜までは、確かにいました」
リュカが淡々と補足する。
「足音も、結界の揺れもなし。
完璧な消え方です」
「……置き手紙だけ残して、か」
エルドは、少し困ったように頭を掻いた。
「行くなら行くで、
一言くらい……」
「言ってたじゃん」
ミリアが、肩をすくめる。
「“本人たちが最後に気づく”って」
その言葉に、全員が黙る。
レインは、地面に視線を落としたままだった。
(……判断は、もう来ない)
(聞いても、答えはない)
《戦場演算》は、静かだった。
いつもなら補助線のように浮かぶはずの“余白”も、今日は出てこない。
――自分で決めろ。
そう言われている気がした。
「……まあ」
ミリアが、ぱん、と手を叩く。
「いつまでも立ち止まってても仕方ないし」
「依頼、受けるんでしょ?」
エルドが頷く。
「街までは半日。
護衛依頼が一件ありました」
「難易度は?」
「低め。
魔物も出ない、って話です」
一瞬、沈黙。
「……逆に怖いな」
ミリアがぼそっと言う。
「“普通”って」
「同感です」
リュカも、表情を変えずに続ける。
「何も起きない前提の依頼ほど、
判断を鈍らせます」
レインは、ゆっくり顔を上げた。
「……だから、行く」
三人を見る。
「ジル爺はいない」
「でも」
一拍置く。
「立ち位置は、覚えてる」
ミリアが、剣を握り直す。
「前には出る。
でも、突っ走らない」
エルドが、盾を構える。
「通さない。
無理はしない」
リュカが、周囲を見る。
「余白は、作る。
決めすぎない」
レインは、短く頷いた。
「……俺が、判断する」
その言葉は、少しだけ重かった。
だが、逃げなかった。
四人は、森を出る。
背中を預ける相手は、もういない。
それでも――
足取りは、揃っていた。
この戦場には、
“師匠の背中”はない。
あるのは、
自分たちの選択だけだ。
依頼は、あまりにも順調だった。
街道沿いを進む商隊。
荷車は三台。
護衛対象は、行商人とその助手だけ。
「……静かすぎない?」
ミリアが、小声で言う。
「風向きも、魔力の流れも正常です」
リュカは周囲を確認しながら答える。
「索敵に引っかかるものはありません」
エルドは、自然と前に出すぎない位置を歩いていた。
盾を構えたまま、
“立つ場所”を少しずつ調整している。
(……受け止める位置は、ここでいい)
だが――
(誰かに、確認したくなる)
その思考が、一瞬よぎる。
「……エルド」
レインの声。
「少し、右」
「了解」
言われて動く。
問題はない。
連携も、機能している。
それなのに。
(……重い)
レインは、違和感を覚えていた。
《戦場演算》は動いている。
数字も、配置も、正常だ。
だが――
“確信”が、ない。
「……来る」
ミリアが、低く告げた。
次の瞬間。
地面が、沈んだ。
「っ!?」
土の中から、黒い影が滲み出す。
魔物――
だが、見慣れた形ではない。
「……変異体?」
リュカが、即座に判断する。
「数が――」
影が、増える。
一体。
二体。
三体。
「想定より多い!」
エルドが、前に出る。
《不退域》
盾を構え、進路を塞ぐ。
「ここは通さない!」
影の爪が、盾を叩く。
重い。
だが、耐えられる。
「ミリア!」
「分かってる!」
《断迷穿》
判断を断つ一撃。
影の動きが、鈍る。
だが――
次の一体が、裏から回り込む。
「……っ!」
リュカが、歯を噛む。
「余白が、足りない……!」
(ジル爺なら――)
その思考が、全員の脳裏をかすめる。
(……違う)
レインが、即座に否定する。
(今は、俺が決める)
《因果整流》
流れを整える。
だが、
完璧ではない。
「……通りが、甘い!」
ミリアが叫ぶ。
「一瞬、遅れた!」
影が、踏み込む。
「――危ない!」
エルドが、盾を前に出す。
衝撃。
「ぐっ……!」
一歩、下がる。
(……今の、無理した)
誰も言わない。
だが、全員が感じていた。
判断が、遅れた。
「……大丈夫?」
ミリアが、振り返る。
「立てる」
エルドは、すぐに答えた。
だが、息は荒い。
影は、まだいる。
数は減ったが、
終わってはいない。
「……このままじゃ」
リュカが、静かに言う。
「押し切れますが、
被害が出ます」
商隊の方を見る。
行商人が、震えていた。
レインは、歯を噛む。
(……これが)
(背中が、ない戦場)
誰も、判断を肩代わりしてくれない。
「……俺が行く」
レインが、一歩前に出る。
ミリアが、即座に言った。
「一人で決めないで」
その声に、レインは止まる。
一瞬、迷う。
だが――
視線を合わせる。
「……一緒に決める」
ミリアが、短く頷く。
リュカも、息を整える。
エルドは、盾を構え直した。
影が、再び動く。
まだ――
終わっていない。
影の変異体が、同時に動いた。
左右から、前から。
判断を鈍らせるような、ばらけた進行。
「……来る!」
エルドが、盾を構え直す。
《不退域》
立つ場所を、再び定める。
「ここまで!」
爪が、盾に叩きつけられる。
衝撃は重い。
だが、下がらない。
「……まだ、持つ!」
「無理しないで!」
ミリアが、前に出る。
《断迷穿》
一体の進行を止める。
だが、完全には削れない。
「……数が」
リュカが、周囲を見る。
「詰め切れない」
その瞬間。
レインは、深く息を吸った。
(……一人で決めるな)
(でも、逃げるな)
視線を、全員に向ける。
「――配置、少し下げる」
即断。
「エルド、半歩後退」
「ミリア、追いすぎない」
「リュカ、余白を一つ広げて」
全員が、即座に動く。
《余白展開》
戦場に、わずかな“逃げ道”が生まれる。
影が、そちらに流れる。
「……来た」
ミリアが、狙いを定める。
《断迷穿》
今度は、深く入った。
影の動きが、完全に止まる。
「今です」
リュカの声。
「一点に、集まってます」
レインは、迷わなかった。
《因果整流》
流れが、揃う。
派手な光も、爆発もない。
ただ――
“通る”。
「――っ!」
エルドが、盾で押し出す。
逃げ場を失った影が、体勢を崩す。
「……終わり!」
ミリアの剣が、閃いた。
最後の一体が、地面に崩れ落ちる。
黒い靄が、静かに消えていった。
沈黙。
しばらく、誰も動かなかった。
「……」
ミリアが、剣を下ろす。
「……生きてる?」
「立ってます」
エルドが、少し驚いた声で答える。
「商隊も、無事です」
リュカが、後方を確認する。
行商人たちは、呆然としたまま立ち尽くしていた。
「……終わった、んですよね?」
恐る恐る、そう聞かれる。
レインは、頷いた。
「終わりました」
行商人が、深く頭を下げる。
「ありがとうございます……」
礼を受けても、
誰もすぐには返事をしなかった。
しばらくして。
「……あのさ」
ミリアが、ぽつりと言う。
「思ったより、普通だったね」
「え?」
エルドが、聞き返す。
「勝てた、っていうか」
ミリアは、少し考えてから続けた。
「ちゃんと回ってた」
リュカが、静かに頷く。
「ええ」
「判断が、誰か一人に集中していなかった」
エルドは、盾を見下ろす。
「……守れました」
「無理せずに」
その言葉に、
全員が少しだけ笑った。
レインは、空を見上げる。
(……いなくても)
(回った)
胸の奥で、
何かが落ち着く。
「……行こう」
レインが、言う。
「次の依頼がある」
ミリアが、頷いた。
「うん」
「次は、もっと上手くやろ」
四人は、再び歩き出す。
背中を預ける相手はいない。
だが――
背中を並べる仲間は、いる。
修行は、終わった。
そして今。
彼らは、
“自分たちの戦場”に立っていた。
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