前提を終わらせる者
依頼書の内容は、簡潔だった。
――単独討伐失敗。
――行動前提不明。
――複数名負傷。
報告文は短い。
だが、行間に滲む焦りは隠しきれていない。
(……理解されてないな)
レインは依頼書を静かに畳み、受付に提出した。
周囲の冒険者が、一瞬だけ視線を向ける。
「……一人で、ですか?」
受付の女性が確認する。
驚きではなく、慎重さの色。
「状況次第です」
いつもの答えだ。
無理はしない。
だが、逃げもしない。
•
現地は、廃村だった。
崩れた家屋。
風に揺れる布切れ。
人の気配はないが、“抜けた感じ”が残っている。
(……前提が、薄い)
魔力が希薄なのに、気配だけが残っている。
存在しているが、確定していない。
レインは歩みを止め、深く息を吸った。
(編集じゃない。今日は……終わらせる)
魔導書を開く。
核心章。
以前よりも、拒絶が弱い。
理解は、まだ完全ではない。
だが、扱い方は見えてきた。
(前提は、固定するものじゃない)
固定すれば、反動が来る。
書き換えれば、歪みが生じる。
(なら……“終わらせる”)
成立条件を、管理する。
存在の前提を、切り分ける。
魔物が現れたのは、その時だった。
視界の端で、家屋の位置が“ずれる”。
距離が、一瞬で書き換わる。
(来る)
レインは構えない。
走らない。
魔力も、すぐには流さない。
見る。
位置が揺れ、
距離が書き換わり、
存在が成立しかけて――失敗する。
(……なるほど)
完全な存在ではない。
前提を借りて、立っているだけだ。
「じゃあ……返してもらう」
小さく呟き、レインは魔導書に指を置いた。
核心章を、“参照”ではなく“適用”する準備を始める。
だが――
全適用ではない。
(条件限定。対象限定。時間限定)
理解してきたすべてを、ここで使う。
空気が、静かに張り詰めた。
空気が、鳴いた。
音ではない。
“成立していたはずのもの”が、同時に軋んだ感覚。
廃村の景色が、わずかに歪む。
家屋の位置が、重なり合い、また離れる。
魔物が姿を現した。
中型。
だが、その輪郭は明確ではない。
半分がこちらを向き、半分が別の方向を向いている。
「……やっぱりな」
レインは一歩も動かない。
逃げない。構えない。
代わりに、魔導書を完全に開いた。
核心章。
円と線が、回転を始める。
だが今回は、拒絶も反動もない。
理由は明確だ。
(前提を“固定”しない。
書き換えもしない)
レインは、深く息を吸った。
「……終わらせる」
魔力が、静かに流れ込む。
だが、向かう先は魔物ではない。
世界の側だ。
存在が成立するために借りている前提。
位置。距離。時間。
それらを、元の場所に“返却”する。
核心章が、応えた。
空間に、無数の線が浮かび上がる。
誰にも見えないはずの線。
だが、それらは確かに“そこにあった”。
「存在条件、解除」
レインの声が落ちた瞬間。
魔物の身体が、崩れなかった。
代わりに――
“繋がらなくなった”。
頭と胴。
前と後。
現在と、次の瞬間。
それらが、同時に成立できなくなる。
魔物は吼えない。
悲鳴も上げない。
ただ、世界から滑り落ちる。
輪郭が、光に変わる。
光が、線に変わる。
線が、意味を失う。
次の瞬間、
そこには何も残っていなかった。
•
沈黙。
風が吹き抜け、布切れが揺れる。
廃村は、ただの廃村に戻った。
レインは、ゆっくりと息を吐いた。
「……やっぱり、重いな」
膝が、少しだけ震える。
だが、立っていられないほどじゃない。
(限定適用で、正解だった)
全適用すれば、
自分の“理解”が持たなかった。
魔導書を閉じる。
核心章の円と線は、再び静止した。
(これが……完全対処)
派手な爆発はない。
だが、再発はしない。
前提そのものを、終わらせた。
•
ギルドに戻ると、空気が変わった。
受付の女性が、報告書を読み終え、目を見開く。
「……消失、ですか?」
「はい。再発はありません」
それだけで、周囲がざわめいた。
「消えたって……どういう意味だ?」
「討伐じゃなくて……?」
レインは答えない。
説明する必要はない。
説明できる者が、ここにはいない。
職員が奥へ走る。
別の職員が、急ぎ足で戻ってくる。
「……本件、
“完全対処案件”として記録します」
その言葉で、場の空気が変わった。
完全対処。
再発なし。
原因解消。
それは、
**“理解した者だけが出せる結果”**の称号だった。
レインは、静かにギルドを後にする。
その背中を、何人もの冒険者が見送っていた。
噂が広がるのに、時間はかからなかった。
派手な爆発も、英雄譚もない。
だが、冒険者ギルドで囁かれる言葉は、どれも同じ内容だった。
――消えた。
――再発しない。
――原因そのものが無くなった。
「討伐、じゃないらしいぞ」
「じゃあ何だよ」
「……分からん」
分からない、という評価。
それは、畏怖に一番近い。
•
レインは、宿の部屋で静かに横になっていた。
天井を見つめ、呼吸を整える。
頭の奥に、まだ重さが残っている。
(……思ったより、効いたな)
核心章の限定適用。
反動は最小限に抑えたはずだ。
それでも、
“前提を終わらせる”処理は、
人の理解領域の外側に足を踏み込む。
(乱用は、無理だな)
それでいい。
切り札は、使う回数が少ないほど価値がある。
レインは、魔導書を手に取った。
核心章は、静かだ。
以前のような拒絶もない。
だが、歓迎もない。
(……対等、か)
理解し始めた者にだけ、
距離を縮める。
それが、この書の性質なのだと、今は分かる。
•
同じ頃。
紅鷹の野営地では、空気が張り詰めていた。
「……聞いたか?」
ルークが、焚き火の向こうで口を開く。
「廃村の件。
あれ、消えたらしいぞ」
ガルドの手が、止まる。
「……消えた?」
「討伐じゃない。
再発なし。完全対処だってさ」
一瞬、沈黙。
リディアが、眉をひそめる。
「……それ、
私たちが苦戦したタイプじゃない?」
セシリアが、静かに頷いた。
「……条件が、揺れていた」
その言葉で、空気が一段冷えた。
ガルドは、無言で立ち上がり、剣を掴む。
視線が、遠くを見る。
「……誰がやった」
「単独らしい」
ルークが肩をすくめる。
「名前は……
レイン・アルヴェルト」
その名が出た瞬間。
ガルドの表情が、はっきりと歪んだ。
•
レインはまだ知らない。
自分の名前が、
かつての仲間たちの中で、
“脅威”として再定義されたことを。
だが、時間の問題だ。
理解する者と、
理解を切り捨てた者。
その差は、
もう隠せないところまで来ている。
レイン・アルヴェルトは、静かに目を閉じた。
復讐は、もう遠くない。




