想定外という名前の魔物
次の依頼は、掲示板の中段にあった。
山道沿い
中型魔獣の討伐
危険度:中
備考:夜間の目撃情報あり
「……さっきより、
ちょっとだけ上だね」
ミリアが、紙を眺めながら言う。
「中、って書いてある」
「“ちょっと”じゃないですよ」
リュカが淡々と訂正する。
「小型から中型は、
生態も判断も別物です」
エルドは、盾のベルトを締め直した。
「護衛じゃない」
「明確な討伐だな」
レインは、依頼書を受け取りながら考えていた。
《戦場演算》は、
相変わらず静かだ。
因果の歪みはない。
管理も、介入も、感じない。
(……問題ない)
そう判断した。
山道は、狭かった。
片側は岩壁。
反対側は、深い谷。
「ここで夜襲は、
嫌だなあ」
ミリアが、軽く冗談めかす。
「逃げ場が、
限られます」
リュカが続ける。
「だからこそ、
魔獣が出る」
エルドは、自然と前に出た。
盾を構え、
全員の動線を塞がない位置。
「……来るなら、
正面だ」
その瞬間。
空気が、わずかに歪んだ。
「――止まって」
レインの声。
全員が、即座に足を止める。
(……おかしい)
《戦場演算》が、
初めて“計算を拒否”した。
因果が、繋がらない。
「……何これ」
ミリアが、低く呟く。
「魔力反応が、
一定じゃない」
リュカの声が、緊張を帯びる。
「魔獣なのに……
“位置が揺れてる”」
次の瞬間。
山道の先、
影が――二つに割れた。
いや、
割れたように“見えた”。
「――来る!」
エルドが、盾を構える。
だが。
次に現れたのは、
“見たことのない魔物”だった。
狼型に近い。
だが、輪郭が曖昧で、
動くたびに形がズレる。
「……なに、あれ」
ミリアが、剣を構え直す。
「依頼書に、
こんなの書いてなかった」
レインは、魔物を見据えた。
《戦場演算》が、
必死に未来を拾おうとする。
(……固定できない)
(因果が、
定義されてない)
魔物が、低く唸る。
次の瞬間。
消えた。
「――っ!?」
ミリアが振り向いた時には、
すでに背後。
エルドが、反射的に盾を叩き出す。
「……くっ!」
衝撃。
盾が、軋む。
「今までと、
違う!」
ミリアが叫ぶ。
「うん」
レインは、短く答えた。
「これは――」
一拍。
「イレギュラーだ」
山道に、緊張が走る。
これは、
“少しだけ難しい依頼”ではない。
想定外と戦う仕事が、
始まってしまった。
魔物は、音もなく動いた。
視界の端で、
“そこにいたはずの形”が、ずれる。
「来る!」
ミリアが叫び、前に出る。
《踏越位》
間合いを詰め、
斬撃を叩き込む――はずだった。
「……っ、空振り!?」
剣先が、確かに触れた。
だが、手応えがない。
魔物の身体が、
斬られた“結果”を拒否するように歪む。
「物理が、
確定しない!」
リュカが即座に理解する。
「形が定義される前に、
位置を変えてる!」
次の瞬間。
魔物が、地面を蹴った。
消えたと思った時には、
すでに横。
「――エルド!」
ミリアの叫び。
エルドは、盾を前に突き出す。
《前面固定》
衝撃。
「……ぐっ!」
盾越しでも、
腕に痺れが走る。
「重い……!」
「数値以上です!」
リュカが、必死に配置を読む。
「攻撃力じゃない!」
「“成立する位置”が、
毎回変わってる!」
魔物は、唸らない。
威嚇もしない。
ただ、
こちらの反応を待っている。
「……レイン!」
ミリアが振り返る。
「どうする!?」
レインは、歯を食いしばった。
《戦場演算》は、
未来を弾き続けている。
(……このままだと)
(押し切られる)
(でも――)
一度だけ。
深く息を吸う。
「……今から、
一瞬だけ固定する!」
「合わせて!」
ミリアが即座に頷く。
エルドは、盾を構え直す。
リュカが、地面に手をついた。
「位置、絞ります!」
レインは、一歩踏み出す。
《因果遮断》
切るのは、存在そのものじゃない。
“位置が揺れる因果”だけ。
次の瞬間。
魔物の輪郭が、
初めて――定まった。
「今!」
ミリアの剣が、深く入る。
エルドの盾が、
正面から叩き込まれる。
リュカの配置が、
退路を塞ぐ。
だが――
「……っ!」
レインは、その場で膝をついた。
呼吸が、追いつかない。
視界が、一瞬揺れる。
「レイン!?」
「……大丈夫!」
声は出たが、
足に力が入らない。
《因果遮断》は、もう使えない。
魔物は、後退する。
完全に倒れてはいない。
だが、明らかに警戒している。
「……学習、してる」
リュカが、低く言う。
「一度固定されたのを、
覚えました」
ミリアが、レインの前に立つ。
「無理すんな」
「今は――」
剣を構える。
「あたしたちで耐える番」
エルドも、前に出る。
「……任せろ」
魔物と、距離を取る。
勝負は、まだついていない。
だがはっきりしている。
これは、
短期決戦じゃない。
そして――
レインは、
“切れるから勝てる”わけじゃない。
その事実が、
全員に重くのしかかっていた。
魔物は、距離を取ったまま動かなくなった。
形は、まだ揺れている。
だが先ほどより、明らかに慎重だ。
「……逃げないね」
ミリアが、剣を構えたまま言う。
「うん」
リュカが答える。
「でも、
もう突っ込んでは来ない」
「固定されるのを、
嫌がってる」
エルドは、レインの前に立った。
盾を構えるが、
完全に閉じない。
「……時間を使えば、
不利になるのは向こうだ」
「形が安定しない魔物は、
長く戦えない」
レインは、息を整えながら頷いた。
「……ごめん」
「次の一手、
読めない」
ミリアが、即座に返す。
「いい」
「今回は、
あたしたちでやる」
その言葉に、
レインは何も言わなかった。
ただ、
前線から一歩引く。
リュカが、静かに動く。
《戦域把握》
「逃げ道を、
“わざと”作ります」
「誘う?」
「はい」
「選ばせる」
エルドが、理解したように頷く。
盾を少しだけ下げ、
谷側へ身体を向ける。
「……来い」
魔物が、反応した。
揺らぎながら、
その“空いた道”へ滑り込む。
「今!」
ミリアが、横から踏み込む。
《踏越位》
斬撃は、深くは入らない。
だが――
「……止まった!」
魔物の動きが、
一瞬だけ遅れる。
その瞬間を、
エルドが逃さなかった。
盾を叩きつける。
《前面圧殺》
谷側へ、
強引に押し出す。
魔物が、
足場を失う。
「……っ!」
形が揺れ、
空間に溶けるように落ちていく。
音はしなかった。
谷底を覗いても、
もう何も見えない。
沈黙。
しばらくして、
ミリアが剣を下ろした。
「……終わった?」
「落下判定です」
リュカが淡々と告げる。
「生存の因果、
繋がっていません」
エルドが、深く息を吐いた。
「……勝ったな」
レインは、その場に座り込んだ。
「……助かった」
ミリアが、振り返る。
「何回言うつもり?」
「今回は、
ちゃんと助けられたでしょ」
「……うん」
正直に頷く。
「一人じゃ、
無理だった」
ミリアは、少しだけ笑った。
「それでいい」
「因果とか演算とか、
難しいことは分かんないけど」
「一緒に倒せたなら、
それで十分」
山道に、
静けさが戻る。
だが――
空気は、明らかに変わっていた。
「……これ」
エルドが、ぽつりと言う。
「“中型”じゃないな」
リュカが、頷く。
「依頼の想定を、
越えています」
レインは、空を見上げた。
《戦場演算》は、
再び沈黙している。
だが――
次は、もっと厄介だ。
それだけは、
はっきり分かる。
「……帰ろ」
ミリアが言う。
「報告、
ちゃんとしなきゃ」
普通の依頼だったはずの仕事。
だが――
彼らはもう、
“普通の冒険者”ではいられない。
その境界線を、
確かに越えた戦いだった。




