間に合わなかった均衡
蒼衡が街に入った時、
すでに――終わっていた。
倒壊もない。
血も流れていない。
市民は散り、騒ぎもない。
だが、
空気だけが重い。
「……遅かったか」
セイン=ヴァルクスは、
瓦礫一つない広場を見回し、そう呟いた。
《均衡観測》が告げてくる。
――歪みは解消済み。
――だが、修復痕あり。
――因果干渉、強。
「切る前に、
誰かが踏み込んだな」
ガランが大剣を肩に担ぐ。
「しかも、
相当無理をしている」
リィネは、
地面に残る微細な魔力痕を見ていた。
「……《因果再配置》」
「未完成のまま、
強制展開されています」
セインの眉が、
わずかに動く。
「――あいつらか」
少し離れた路地。
壁に背を預けて、
レインたちは休んでいた。
エルドは座り込んだまま、
盾を膝に置いている。
ミリアは腕を組み、
苛立ちを隠さない。
リュカは、
周囲を警戒しながらも沈黙していた。
そこへ――
「……まだ、立てるか?」
低い声。
セインだった。
ミリアが即座に前に出る。
《踏越位》
――だが、踏み込まない。
「今さら何?」
刺すような視線。
「均衡が必要なら、
さっき来なさいよ」
ガランが、
一瞬言葉に詰まる。
「……」
セインは否定しなかった。
「その通りだ」
「我々は、
“切る判断”に迷った」
「結果――」
視線を、
エルドに向ける。
「君に、
負担を押し付けた」
エルドは、
顔を上げなかった。
代わりに、
レインが口を開く。
「……影が来た」
短く。
「“立つ者”を、
壊しに」
リィネが、
静かに息を呑む。
「……やはり」
「均衡では、
止められない相手」
セインは、
ゆっくりと剣を下ろした。
「……認める」
「我々のやり方では、
救えない局面がある」
ミリアが、
鼻で笑う。
「今さら?」
「だが」
セインは、
真っ直ぐに言う。
「切る覚悟を持つ者が、
必要な場面もある」
「その時は――」
一歩、前に出る。
「我々が、
矢面に立つ」
空気が、
一瞬張り詰めた。
リュカが、
慎重に言う。
「……共闘、ですか」
「渋々だがな」
ガランが肩をすくめる。
「正直、
貴様らのやり方は
気に食わん」
ミリアも、
即座に返す。
「こっちもよ」
「でも」
一拍。
「影は、
もっと気に食わない」
セインは、
小さく息を吐いた。
「……一致したな」
レインは、
蒼衡を見据える。
《戦場演算》が、
再び静かに回り始める。
(……これは)
(正義同士の協力じゃない)
(失敗者同士の、
暫定同盟)
「条件がある」
レインは言った。
「次に影が来たら」
「“立つ者”を、
一人にしない」
セインは、
少しだけ目を伏せる。
「……約束しよう」
だが。
その言葉に、
重みはなかった。
全員が分かっている。
次は――
もっと過酷な選択を迫られる。
影は、
この場にいなくても、
すでに勝ち筋を描いている。
蒼衡とレインたちは、
渋々、同じ方向を見る。
だがその足並みは、
まだ揃っていない。
これは共闘ではない。
衝突を内包したまま始まる、次の局面だ。
共闘、という言葉ほど信用できないものはない。
それを全員が分かっていた。
「で?」
ミリアが腕を組んだまま言う。
「次に影が来たら、
どう動くつもり?」
ガランが即答する。
「切る」
「判断が遅れた瞬間に、
被害が出る」
「だから、
迷いが生じる前に処理する」
「はい却下」
間髪入れずにミリア。
「それ、
前と同じじゃない」
「同じじゃない」
ガランが睨み返す。
「今度は、
俺たちが前に立つ」
「盾になるって意味なら、
あたしらもやってる」
「だが、
お前たちは“切らない”」
「切らないんじゃない」
ミリアの声が低くなる。
「切れない場所があるだけ」
セインが、
一歩前に出た。
「……そこが問題だ」
「影は、
“切れない場所”を
正確に突いてくる」
「なら!」
ミリアが一歩踏み出す。
《踏越位》
今度は成立した。
だが、
それは攻撃じゃない。
「だから前に出る!」
「前線を張る!」
「誰かが“判断不能”になる前に、
叩き潰す!」
「感情で前に出るな!」
ガランが怒鳴る。
「それで、
何度街を壊すつもりだ!」
「壊してるのは、
あんたらでしょ!」
空気が、
一気に荒れる。
リュカは、
額に手を当てた。
「……ああ、もう」
「論点がズレてる」
全員の視線が、
一瞬リュカに集まる。
「蒼衡は、
“最小被害”を見てる」
「ミリアは、
“目の前の人”を見てる」
「どっちも正しい」
「でも」
指で地面を示す。
「影は、
その間を壊しに来てる」
セインが、
静かに言う。
「……だからこそ」
「線を引く必要がある」
レインは、
今まで黙っていた。
《戦場演算》が、
静かに回り続けている。
「……線は引けない」
全員が、
一斉に見る。
「影は、
線を“踏み越えさせる”」
「切るか、
守るかじゃない」
「立たせるか、
立たせないかだ」
ガランが、
鼻で笑った。
「言葉遊びだな」
「違う」
レインは、
視線を逸らさない。
「立つ者が壊れる構造を、
影は利用している」
「だから」
一拍。
「立つ役割を、
固定しない」
ミリアが、
目を見開く。
「……交代制?」
「近い」
レインは頷く。
「前線、盾、判断、
全部を流動化する」
「誰か一人に
“選ばせない”」
セインは、
腕を組んだ。
「それは……」
「統制が崩れる」
「均衡が取れない」
「取らない」
レインは、
はっきり言う。
「均衡を保つ時間を、
影に与えない」
沈黙。
蒼衡の面々は、
互いに視線を交わす。
合理性はある。
だが――
怖い。
「……子供の発想だな」
ガランが呟く。
「責任を、
分散させるなんて」
「そうだよ」
ミリアが、
即座に返す。
「大人ぶって、
一人に押し付けるより
マシでしょ」
「……」
その瞬間。
空気が、
ひときわ冷えた。
誰かが、
見ている。
リュカの《戦域把握》が、
反射的に反応する。
「……いる」
姿はない。
気配も薄い。
だが――
観測されている感覚。
レインは、
即座に悟った。
(……影)
影は、
介入しない。
ただ、
見ている。
言い合い。
噛み合わなさ。
未完成な共闘。
それを、
楽しんでいる。
「……見物かよ」
ミリアが、
吐き捨てる。
セインは、
歯を食いしばった。
「……分かった」
「今回は、
お前たちの案を採る」
ガランが、
驚いて振り返る。
「セイン!」
「ただし」
セインは続ける。
「影が本気で犠牲を出しに来たら」
「その時は――」
視線を、
レインに向ける。
「躊躇なく切る」
レインは、
一瞬考えたあと、
頷いた。
「……それでいい」
全員が、
納得していない。
だが――
今はそれでいい。
影は、
きっと笑っている。
「いいよ」
どこからともなく、
声がした気がした。
「じゃあ次は」
「その流動性を、
壊しに行こう」
空気が、
張り詰める。
本番は、
これからだ。
最初に動いたのは、影ではなかった。
蒼衡の中で、
一番“現場”を見てきた男だった。
ガラン=ディオル。
大剣を握る手に、
わずかな力が込められる。
(……次は、来る)
根拠はない。
だが、直感が告げていた。
影は、
必ず“判断不能”を作りに来る。
「……セイン」
低く、短く呼びかける。
だが、
セインは答えなかった。
まだ、考えている。
レインたちの“流動性”を、
どう組み込むかを。
(――遅い)
ガランは、
それを「判断の遅れ」だと切り捨てた。
(なら)
(俺が、切る)
次の瞬間。
街道の先で、
小さな騒ぎが起きた。
転倒した老人。
荷車が崩れ、
動けなくなっている。
周囲には、
数人の市民。
誰も悪くない。
誰も武器を持たない。
だが――
影の匂いがする。
「……そこだ!」
ガランは、
即座に前に出た。
《断定斬》
――判断を下すための一撃。
影が介入する前に、
“原因”を断ち切る。
それが、
彼の正義だった。
「ガラン!?」
ミリアの声が、
一拍遅れる。
《踏越位》で
追おうとするが――
前線が、成立しない。
配置が、
流動化している。
「……っ」
ガランの一歩が、
“共有されていない前進”になった瞬間。
空気が、
歪んだ。
影は、
そこにいた。
姿はない。
だが、意味だけがある。
「……ああ」
声が、
すぐ背後で囁く。
「やっぱり」
ガランの背筋が、
凍る。
「切る人間は、
必ず先に動く」
次の瞬間。
老人の足元にあった
“危険の可能性”が、
一気に増幅する。
恐怖。
混乱。
周囲の視線。
「な……!?」
ガランが剣を振り抜く。
だが――
切る対象が、ない。
影は、
“判断そのもの”を前に出している。
「……しまっ――」
遅かった。
市民の一人が、
恐怖で後ずさる。
転倒。
叫び。
流動していた配置が、
一瞬だけ“固定”される。
――最悪の形で。
「くそっ!」
ミリアが、
無理やり前に出た。
《踏越位》
《断戦ライン・ブレイク》
だが、
間に合わない。
(……また)
(誰かが、
“立つ”流れになる)
その瞬間。
盾が、前に出なかった。
エルドは、
走らなかった。
叫びもしなかった。
代わりに――
盾を、地面に置いた。
「……え?」
誰かの声。
《受理領域》
――展開しない。
《被害集束》
――発動。
恐怖と混乱が、
一箇所に“流れ込む”。
それは、
人ではなく――
空間だった。
転倒した老人の背後、
わずかな空白。
そこに、
衝撃と視線と判断が集約される。
「……なにを」
影が、
初めて困惑した。
「立たない?」
「受けない?」
エルドは、
歯を食いしばりながら答える。
「……違う」
「流す」
次の瞬間。
リュカが、
即座に反応する。
《戦局重畳》
《退路設計》
“溜められた被害”が、
逃げ道へと変換される。
ミリアが、
飛び込んだ。
「今だ!」
市民を、
一気に引き剥がす。
老人も、
無事に転がり込む。
空間に溜まっていた“最悪”は、
音もなく消えた。
沈黙。
ガランは、
剣を下ろしたまま、
動けなかった。
「……俺が」
呟く。
「俺が、
余計なことをした」
セインが、
遅れて駆け寄る。
「……ガラン」
「判断は、
正しかった」
「だが――」
視線を、
エルドに向ける。
「今は、違った」
影は、
静かに後退した。
「……面白い」
「盾が、
立たなくなった」
「これは――」
声が、
溶ける。
「次は、
もっと楽しくなる」
影は、
完全に消えた。
残されたのは、
崩れなかった街と、
崩れた自信。
ガランは、
深く頭を下げた。
「……すまない」
「俺は、
まだ“切る側”のままだ」
エルドは、
ゆっくり立ち上がる。
「……俺も」
「まだ、
盾の使い方を
間違えてる」
レインは、
全員を見回した。
《戦場演算》は、
一つの結論を示している。
(……影は)
(もう、
こちらの“癖”を
全部見た)
「……次は」
静かに言う。
「もっと、痛い」
誰も否定しなかった。
これは敗北じゃない。
だが――
勝利から、確実に遠ざかった一手だった。




