盾の意味
夜は、静かすぎた。
焚き火は小さく、
音を立てないように燃えている。
誰も眠っていない。
だが、誰も喋らない。
エルドは、
少し離れた場所に座っていた。
盾を、
地面に立てかけたまま。
「……寝ないの?」
ミリアが、声をかける。
エルドは、
少し間を置いてから答えた。
「寝たら」
「……戻れなくなりそうで」
ミリアの顔が、
わずかに歪む。
「何が」
エルドは、
盾に手を置いた。
「“あの時”」
「前に立った瞬間の感覚が、
まだ残ってる」
焚き火の火が、
ぱち、と鳴る。
「怖かった?」
ミリアが聞く。
「うん」
即答だった。
「めちゃくちゃ」
「逃げ道もあったし、
助けもあった」
「でも」
一拍。
「立たなかったら、
あの人は“選ばれてた”」
ミリアは、
何も言えなかった。
少し離れた場所で、
リュカが古文書を閉じる。
「……君は」
静かな声。
「自分が“守った”とは
思っていないだろう」
エルドは、
首を振る。
「守ったんじゃない」
「……引き受けただけだ」
その言葉に、
空気が沈む。
レインは、
焚き火の向こうでそれを聞いていた。
《戦場演算》は、
何も計算していない。
今は、
数字の時間じゃない。
「……なあ」
エルドが、
ぽつりと続ける。
「盾ってさ」
「守るための武器だろ?」
「でも」
視線を、
自分の胸に向ける。
「昨日は、
人の罪悪感を受けた」
「守ったんじゃなくて」
「……背負った」
ミリアが、
歯を噛みしめる。
「それ、
おかしいよ」
「一人で持つもんじゃない」
「分かってる」
エルドは、
少しだけ笑った。
「だから、
盾なんだろ」
「剣みたいに
一人で振るもんじゃない」
リュカが、
ゆっくり頷く。
「……古文書にもある」
「“盾役とは、
最前に立つ者ではない”」
「“最後に倒れる者だ”」
ミリアが、
思わず顔をしかめる。
「縁起悪いこと言わないで」
「縁起じゃない」
リュカは淡々としている。
「役割だ」
その時。
レインが、
初めて口を開いた。
「……エルド」
視線が集まる。
「昨日、
君が前に出なかったら」
一拍。
「僕は、
間に合わなかった」
エルドが、
驚いたようにレインを見る。
「……それは」
「事実」
レインは、
淡々としている。
「《因果再配置》は、
君が“引き受けた”から
発動できた」
「一人分の重さが、
固定されたから」
エルドは、
ゆっくりと息を吐いた。
「……じゃあ」
「俺が重くなった分、
みんなは?」
「軽くなった」
レインは即答する。
「だから」
少しだけ、
声を落とす。
「次は、
一人で立たせない」
ミリアが、
勢いよく頷いた。
「当たり前!」
「次は、
私も前に出る」
「前線としてじゃない」
「並ぶ側で」
エルドは、
しばらく黙っていた。
やがて、
盾を持ち上げる。
前より、
少し重い。
でも――
落とさない。
「……なあ」
「盾ってさ」
「守るために
存在してるんじゃないんだな」
「“守られないもの”が
前に出ないようにするためだ」
誰も、
否定しなかった。
夜は、
まだ深い。
だが、
この焚き火の周りで――
パーティの役割は、
初めて“言葉”になった。
蒼衡・臨時会議室。
壁際に立つ兵たちの姿勢は崩れていない。
だが、空気だけが落ち着かない。
原因は一つ。
卓上に投影された、簡易戦闘記録。
・犠牲回避:成立
・敵影:未捕捉
・介入者:否定系パーティ
・特記事項:盾役による精神負荷集中
「……異常だな」
ガランが、低く呟いた。
「盾役が、
“攻撃を受けていない”」
「だが」
指で項目をなぞる。
「負荷指数は、
前線突破時より高い」
「精神か」
リィネが静かに答える。
「恐怖、罪悪感、視線」
「それらを、
一点に集めている」
「……馬鹿な」
ガランが眉をひそめる。
「そんなもの、
防げるはずがない」
「普通なら」
リィネは、
淡々と続けた。
「崩壊します」
「だが――」
一拍。
「彼は、
崩れていない」
セイン=ヴァルクスは、
黙って資料を見ていた。
記録上、
エルドは“強くない”。
魔力もない。
剣技も並。
ただ、
立っているだけ。
「……切るべきか?」
ガランが、
あえて口にする。
室内が、静まる。
「彼は、
危険だ」
「盾として、
正しい在り方ではない」
「次も同じことをすれば、
確実に潰れる」
「だが」
視線を、セインに向ける。
「今なら、
まだ切れる」
「……切れない」
セインの答えは、
即答だった。
ガランが、
驚いたように振り向く。
「なぜだ」
セインは、
資料から目を離さずに言う。
「彼は、
“暴走していない”」
「命令も、
強制も受けていない」
「自分で、
立った」
「それが、
何だと言う」
「それが」
セインは、
初めて視線を上げる。
「管理にとって、
一番厄介だ」
沈黙。
「恐怖で動かない」
「命令で動かない」
「合理でも切れない」
「だが」
一拍、置く。
「確実に、
場を変えている」
リィネが、
小さく息を吐く。
「……彼が立つことで」
「“切る理由”が、
消えています」
ガランは、
歯を噛みしめた。
「……だから嫌なんだ」
「英雄でも、
反逆者でもない」
「ただ、
立ってるだけの盾」
「だが」
セインは、
ゆっくりと席を立つ。
「彼は、
いずれ壊れる」
「否定系のやり方は、
“個人に負荷を集中させすぎる”」
「だから」
振り返る。
「次は、
我々が見る」
「干渉はしない」
「だが」
声を低くする。
「壊れる瞬間だけは、
逃さない」
それは、
保護でも排除でもない。
観測宣言だった。
ガランは、
渋々ながら頷く。
「……了解」
「だが、
もし限界を超えたら」
「その時は」
セインは、
迷わず答えた。
「切る」
会議は、
それで終わった。
⸻
同じ頃。
焚き火のそばで、
エルドは盾を磨いていた。
表面に、
わずかな歪み。
だが、
割れてはいない。
(……見られてる)
理由もなく、
そう思った。
レインが、
それに気づく。
「……蒼衡が、
見てる」
エルドは、
苦笑した。
「だろうな」
「俺、
管理向きじゃない」
「向いてなくていい」
レインは言う。
「君は、
切られない側に立ってる」
エルドは、
盾を持ち上げる。
重い。
だが――
意味は、分かってきた。
次に壊れるのは、
自分かもしれない。
それでも。
誰かが“選ばれる”よりは、
マシだ。
夜は、
まだ続く。
だが、
静かな火種は――
確実に、
次の衝突を照らしていた。
朝は、いつも通り来た。
鳥の声。
薄い霧。
焚き火の残り香。
何一つ、
昨日と変わらない。
――エルド以外は。
盾を持ち上げた瞬間、
わずかな違和感が走った。
「……」
重い。
昨日より、
確実に。
「……気のせいか」
そう思おうとして、
手が震えていることに気づく。
止めようとするほど、
震えははっきりした。
「……っ」
盾を地面に下ろす。
呼吸を整える。
深く、ゆっくり。
(……大丈夫だ)
(まだ、立てる)
その背後で。
「……エルド?」
ミリアだった。
いつもより、
声が低い。
「朝練しないの?」
「……後で」
エルドは、
無理に笑った。
「ちょっと、
体が重いだけだ」
ミリアは、
何も言わなかった。
ただ、
剣を抜くのをやめて、
隣に座る。
「……さ」
少し間を置いて。
「昨日の夜、
夢、見た?」
エルドは、
一瞬だけ目を伏せた。
「……見た」
「人が、
ずっと俺を見てた」
「責めるでも、
助けを求めるでもない」
「ただ――」
言葉が詰まる。
「……期待されてた」
ミリアは、
歯を噛みしめた。
「それ、
最悪だね」
「うん」
エルドは、
素直に頷いた。
少し離れた場所で、
リュカは地面に膝をついていた。
《戦域把握》を、
無意識に展開している。
だが――
いつもと違う。
(……エルドの位置)
(“重心”が、
固定されすぎてる)
(……逃げる余白がない)
リュカは、
静かに立ち上がる。
「……エルド」
「今の君は」
言葉を選ぶ。
「“盾”じゃない」
「“支柱”だ」
エルドが、
顔を上げる。
「……違うのか?」
「違う」
リュカは、
即答した。
「盾は、
衝撃を流す」
「支柱は、
全部受ける」
「それは――」
一拍。
「折れる前提の役割だ」
空気が、
一段冷える。
エルドは、
何も言えなかった。
その時。
「……分かってる」
レインが、
静かに口を開いた。
全員が、
そちらを見る。
「君が壊れ始めてるのは、
僕のせいだ」
ミリアが、
即座に振り向く。
「ちょっと――」
「違わない」
レインは、
言葉を重ねる。
「《因果再配置》は、
未完成だ」
「“引き受けた後”を、
分散するところまで
届いていない」
「だから」
視線を、
エルドに向ける。
「君の中で、
止まってる」
エルドは、
小さく笑った。
「……なら」
「完成するまで、
俺が持てばいい」
その瞬間。
ミリアが、
立ち上がった。
「ふざけんな」
剣は抜かない。
でも、
一歩も引かない。
「それ、
ヒーローごっこじゃん」
「一人で背負って、
倒れたら終わり」
「それを――」
言葉が、
震える。
「……それを、
正しいとか言わせない」
エルドは、
何も返せなかった。
リュカが、
静かに続ける。
「君が壊れれば、
次は別の誰かが
“選ばれる”」
「構造は、
変わっていない」
沈黙。
レインは、
拳を握りしめていた。
《戦場演算》は、
解を出さない。
今は――
数字の問題じゃない。
「……止めよう」
レインが、
初めて弱い声で言った。
「君が一人で立つのは」
エルドは、
ゆっくりと盾を見る。
傷はない。
だが――
確かに、歪んでいる。
「……分かった」
低い声。
「次は」
一拍。
「誰かと、
一緒に立つ」
ミリアが、
即座に頷く。
「当たり前」
「前線でも、
後ろでもなく」
「横だよ」
その言葉に、
エルドの肩から、
ほんの少し力が抜けた。
だが――
完全には、
戻らない。
誰も、
それを口にしなかった。
夜が明けたばかりなのに、
影はまだ消えていない。
そして、
遠くで。
誰かが、
この歪みを――
待っている。




