英雄視点
街は、静かだった。
それが一番、嫌な静けさだった。
崩れた石畳。
半壊した露店。
まだ完全には戻らない人の流れ。
戦闘は終わっている。
だが――
判断の痕跡だけが、そこかしこに残っていた。
「……やっぱりな」
街道の入口で立ち止まり、
ヴァルハルト=レオンは低く呟く。
大剣を背負ったまま、
彼は辺りを見渡した。
魔力の残り香。
剣圧の爪痕。
そして――
(これは……)
一歩踏み出した瞬間、
ヴァルハルトは確信した。
(英雄が割り込める戦場じゃなかった)
もし自分がここにいたら。
もし力で止めていたら。
街は守れたかもしれない。
だが――
人は、選べなかった。
「……厄介な連中だ」
誰にともなく吐き捨てる。
その時。
「その言い方、ひどくないですか」
背後から、落ち着いた声。
振り返ると、
そこに三人が立っていた。
剣を収めたミリア。
静かに周囲を見ているリュカ。
そして――
中心に立つ、レイン。
ヴァルハルトは、
一瞬だけ目を細めた。
(こいつが……)
噂は聞いている。
管理を壊す後衛。
選択を奪わない異端。
だが、実際に見ると――
(思ったより、普通だな)
レインは、英雄を見上げる。
警戒も、挑発もない。
ただ、事実としてそこにいる。
「止めに来たわけじゃない」
ヴァルハルトは先に言った。
「もう終わってる」
ミリアが、少し肩の力を抜く。
「ですよね。
さすがに今さら来られても困ります」
「だろうな」
苦笑。
「正直に言う」
一歩、近づく。
「俺が割り込んでたら、
この街は壊れてた」
ミリアが、目を見開く。
リュカも、わずかに息を止めた。
レインだけが、
何も言わない。
「お前らは――」
ヴァルハルトは、
三人を順に見る。
「ギリギリの場所で、
踏みとどまった」
それは評価だった。
だが同時に、
警告でもある。
「次は、
そうはいかん」
ミリアが即座に返す。
「分かってます」
「分かってるから、
怖いんだよ」
ヴァルハルトは、
レインを見る。
「お前、
あの力……」
言葉を選ぶ。
「使えば、
全部終わらせられたな」
「はい」
レインは、素直に頷いた。
「でも」
少しだけ、間を置く。
「終わらせるって、
壊すことでもあるので」
その言葉に、
ヴァルハルトは息を吐いた。
「……やっぱり、厄介だ」
剣を持つ者でも。
魔法を極めた者でもない。
だが――
判断を壊せる奴。
英雄にとって、
一番扱いづらい。
「忠告だ」
ヴァルハルトは、
真剣な声で言う。
「お前らのやり方は、
遅効性だ」
「今は助かる。
だが――」
空を仰ぐ。
「世界は、
もっと雑に動いてる」
リュカが、静かに問い返す。
「それでも、
止める気はないんですね」
「ああ」
即答。
「止める権利は、
俺にはない」
英雄は、
大剣に手をかける。
「ただし」
最後に、低く言う。
「次に街が壊れそうになったら、
俺は力で止める」
ミリアが、少し笑った。
「その時は、
その前で止めます」
ヴァルハルトは、
一瞬だけ笑い返す。
「……言うじゃねぇか」
そして、踵を返した。
「精々、
壊れないようにやれ」
英雄は去っていく。
残された三人のもとに、
再び街の音が戻り始める。
「……重たい人でしたね」
ミリアが言う。
「でも」
リュカが続ける。
「逃げなかった」
レインは、
遠ざかる背中を見ていた。
《模写理解》は、
まだ沈黙したままだ。
だが――
次に拾う歪みは、
もっと大きい。
「行こう」
レインが言う。
「次は、
準備がいる」
三人は歩き出す。
英雄に警告され、
それでも進む覚悟を抱いて。
世界はまだ、
選ばせたがっている。
それを壊すために――。
街は、表向きは落ち着きを取り戻していた。
封鎖は解除され、
市場は再開され、
人々は「助かった」という言葉を、遅れて口にし始めている。
だが――
空気は、確実に変わっていた。
「……あの時さ」
露店街を歩きながら、
ミリアがぽつりと言う。
「私たちが来なかったら、
どうなってたんだろ」
「拘束されてた」
リュカが即答する。
「運が良ければ、
全員生きて」
一拍、置く。
「運が悪ければ、
“例外処理”」
ミリアは顔をしかめた。
「……それを、
正解って顔でやるんだよね、蒼衡」
「正確には」
レインが補足する。
「“間違いじゃない”って顔」
歩きながら、
視線を街の構造へ走らせる。
封鎖に使われていた柵。
視線誘導用の布。
一見すると安全対策にしか見えない配置。
(全部、
“切る前提”だ)
《戦場演算バトル・カリキュレーター》が、
もはや戦闘ではなく、
社会配置として街を解析している。
「……怖いな」
ミリアが呟く。
「力がなくても、
ああいうやり方はできる」
「むしろ」
リュカが静かに言う。
「力があるから、
正しいと思える」
三人は、
一度足を止める。
広場の端。
瓦礫は片付けられ、
何事もなかったように人が行き交っている。
だが、
そこに立っていた市民たちは覚えている。
“選ばされた”感覚を。
「……ねえ、レイン」
ミリアが振り返る。
「さっきの英雄――
ヴァルハルトさん」
「うん」
「止めなかったね」
レインは、少し考える。
「止められなかったんだと思う」
「え?」
「力で止めたら、
蒼衡と同じになる」
言葉は淡々としている。
「英雄は、
街を守れる」
「でも」
視線を上げる。
「“選ばせる”のを壊せるのは、
英雄じゃない」
リュカが、
ゆっくりと頷いた。
「だから、
あの人は引いた」
「……責任、重すぎ」
ミリアが肩をすくめる。
その時。
通りの向こうで、
小さな騒ぎが起きた。
「おい、
あそこ……」
人だかり。
三人が近づくと、
壊れた露店の前で、
一人の男が膝をついていた。
体格はいい。
背中に大きな盾。
だが、その盾は――
無数の亀裂が入っている。
「……」
レインの視線が、
自然とその盾に向く。
(受けすぎだ)
(壊れるまで、
下げなかった)
男は、
周囲の声にも反応せず、
黙って瓦礫を片付けている。
「自分の店じゃないのに、
手伝ってるんだ」
ミリアが小声で言う。
「……盾役だな」
リュカも気づいた。
男は、
誰かに命じられたわけでもなく、
ただそこにいる。
守る場所がなくなっても、
立ち続けるタイプ。
(……歪みはない)
《模写理解》は、
まだ沈黙したまま。
だが、
別の感覚が引っかかる。
(“耐える構造”)
(……まだ、
言語化されてない)
レインは、
その男から視線を外す。
「……今はいい」
「修行が先だね」
ミリアが即座に理解する。
「うん」
レインは頷く。
「次に備えないと」
蒼衡。
英雄。
そして――
街そのもの。
世界は、
次の判断を待っている。
「行こう」
三人は、
街を離れる。
背後で、
盾の男が一瞬だけ顔を上げ、
去っていく背中を見ていたことを、
彼らはまだ知らない。
――修行は、
必要になった。
力のためじゃない。
壊さずに済む範囲を、
正確に知るために。
夜が明けきる前、三人は街を離れていた。
壊れた石畳。
管理区域から外れた旧街道。
人の流れが消えた先に、
崩れかけの石造りの小屋が一つだけ残っている。
「……ここ?」
ミリアが足を止める。
「本当に、
こんなとこに“修行”の場所が?」
「人が来ない」
レインは、それだけ答えた。
扉を押すと、
古い木材が軋む音。
中は、想像以上に静かだった。
壁沿いに積まれた古文書。
整然とはしていないが、
意図的に放置された配置。
「……うわ」
ミリアが顔をしかめる。
「読む気、削がれる量なんですけど」
「削がれる前提」
レインは、すでに一冊を手に取っていた。
表紙も署名もない。
だが、文字列は異様なほど整っている。
「古代戦術書。
でも――」
リュカが覗き込む。
「……技じゃないですね」
「うん」
レインは頷く。
「これは、
“どう戦うか”じゃない」
「“どう場に立つか”だ」
その時。
――外で、重い足音。
三人同時に、視線が向く。
扉の前に立っていたのは、
一人の男だった。
大きな塔盾を背負い、
剣はない。
傷だらけの鎧。
だが、姿勢だけは崩れていない。
「……あ」
ミリアが小さく声を漏らす。
「さっきの街で、
市民を庇ってた人」
男は、一歩だけ中に入り、
だが距離を保ったまま立ち止まった。
「……追ってきたつもりはない」
低く、落ち着いた声。
「ただ、
気づいたらここにいた」
レインは、黙って男を見る。
《模写理解》は、
何も反応しない。
だが――
“場”が、わずかに安定している。
「名前は?」
リュカが問う。
「エルド=グレイヴ」
男は、盾に手を置いたまま答える。
「……盾士だ」
「剣は?」
「使わない」
ミリアが眉をひそめる。
「冒険者で?
それ、だいぶ縛りプレイじゃない?」
エルドは、少しだけ間を置いた。
「切る判断を、
他人に押し付けられたことがある」
その言葉で、
空気が変わった。
「前のパーティでな」
続ける声は、静かだ。
「“犠牲が必要だ”と言われた」
「選ばされたのは、
俺じゃない」
「でも、
止めなかったのは俺だ」
沈黙。
ミリアは、口を噤む。
リュカは、
地面に視線を落とした。
エルドは、レインを見る。
「……あんたたちが、
街でやってたこと」
「見てた」
「切らなかった」
「守ろうとした」
「……いや」
首を振る。
「“選ばせようとした”」
レインは、
否定もしなければ肯定もしなかった。
「だから?」
エルドは、盾を下ろし、
その場に置いた。
――ゴトン。
重い音。
「俺は、
選ばせない役がやりたい」
「選ぶのは、
あんたたちでいい」
「俺は、
その結果を受ける」
「逃げ道がない場所に、
立つ」
ミリアが、小さく息を吐く。
「……重っ」
「でも」
少しだけ笑う。
「嫌いじゃない」
レインは、
棚から一冊の古文書を取った。
そして、
エルドの前に置く。
「これは、
受け止める側の本だ」
「盾の技じゃない」
「“後悔を引き受ける”ための書」
エルドは、
ゆっくりとそれを受け取った。
「……読めるか?」
「分からない」
正直な答え。
「でも」
盾を構える。
「立つことならできる」
その瞬間。
床に、微かな波紋。
何も起きていない。
だが――
“場”が、
確かに安定した。
リュカが、息を呑む。
「……配置が、
落ち着いた」
ミリアが、目を細める。
「盾役っていうより……」
「“判断の重さ”を受ける人だね」
レインは、静かに言った。
「……じゃあ」
本を三冊、置く。
「修行に入ろう」
ミリアが即座に抗議する。
「え、今から?」
「座学」
「殴らない?」
「殴らない」
「……地獄」
それでも、
誰もその場を離れなかった。
ここには、
切る者がいて、
読む者がいて、
前に出る者がいて、
そして――
受け止める者が立った。
夜が、完全に明ける。
古文書の文字が、
朝の光に照らされ、
静かに浮かび上がる。
――選択を壊す者たちは、
今度は“選び方”を学び始める。
エルドは、
その中心に、
自然と立っていた。




