均衡を壊す者、均す者
街の空気が、完全に変わった。
封鎖された区画の中。
人の流れは止まり、
代わりに――判断の匂いが漂っている。
「……始まってる」
ミリアの声は低い。
視界の先、
広場へ続く通りで、数人の市民が立ち尽くしていた。
進めば危険。
戻れば拘束。
どちらを選んでも、
誰かの都合で決められた未来。
「くそ……」
ミリアが一歩踏み出そうとした、その瞬間。
「動くな!」
別方向から、重い声。
蒼衡。
ガラン=ディオルが、すでに市民の前に立っている。
大剣を地面に突き立て、
逃げ道を“塞ぐ形”で。
「ここから先は、
秩序管理区域だ」
「区域?」
ミリアが噛みつく。
「人が立ってる場所を、
勝手に区切るな!」
「必要な判断だ」
ガランの声に、迷いはない。
「このまま放置すれば、
混乱が拡大する」
「だから――」
言葉の途中で、
ミリアが動いた。
《踏越位》
前線の概念を越え、
ガランの真正面へ。
《前線穿断》
一直線の突進。
だが――
「甘い!」
ガランの大剣が、
正面から叩き落とされる。
衝撃で、地面が割れた。
「っ……!」
ミリアは後方へ跳ぶ。
(……重い。
英雄ほどじゃないけど……)
「前に出るだけじゃ、
守れんぞ!」
「前に出ない人に、
言われたくない!」
次の瞬間。
《断戦》
空気ごと裂く一撃が、
ガランの防御を削る。
火花が散る。
その裏で――
「固定」
リィネ=フォルテの声。
《未来収束》
市民たちの周囲に、
不可視の枠が形成される。
「動かないでください」
「あなたたちが動くと、
被害が増えます」
「……なに、それ」
ミリアの怒りが、はっきりと宿る。
「人を、
置き物みたいに――」
「違う」
レインの声が割り込む。
《因果遮断》
枠が、成立しなかったことになる。
リィネの魔術が、音もなく消える。
「……やはり」
リィネは冷静だった。
「あなたが、
“不確定要素”」
レインは一歩前に出る。
《戦場演算》が、
広場全体を再構築。
(蒼衡、四人)
(市民、七)
(切る前提で組まれてる……)
「セイン!」
レインは、蒼衡のリーダーを見る。
「これ以上、
人を巻き込むな」
「巻き込んでいない」
セイン=ヴァルクスは即答する。
「すでに、
選択肢は与えている」
「安全か、拘束か」
「どちらも、
生存する未来だ」
「……違う」
レインの声が、低くなる。
「それは、
“従わせてる”だけだ」
「従わせる?」
セインの目が、細くなる。
「従わなければ、
死ぬ可能性がある」
「それを排除するのが、
管理だ」
その瞬間。
リュカが、地面に手をついた。
《戦域把握》
広場の配置が、
一気に反転する。
「……今だ!」
《退路設計》
市民の背後に、
“自然な逃げ道”が生まれる。
「動いて!」
ミリアの声。
市民が、咄嗟に走る。
「なっ――!」
ユールが気づいた時には遅い。
「配置が……壊された!?」
「壊したんじゃない」
レインが言う。
「選ばせただけだ」
セインの視線が、鋭くなる。
「……なるほど」
「だから、
壊す側か」
二つの正義が、
真正面から激突する。
剣が鳴り、
魔力が炸裂し、
地面が抉れる。
もはや、
英雄が止める舞台ではない。
これは――
思想そのものの戦闘だ。
広場は、すでに戦場だった。
石畳が砕け、建物の壁が抉れ、
逃げ遅れた露店の布が風に裂かれていく。
「――前に出すぎだ!」
ガランの怒号と共に、大剣が振り下ろされる。
《断定斬(だんていざん/デシジョン・スラッシュ)》
迷いのない一撃。
“不要”と判断されたものを切り捨てるための斬撃。
ミリアは、真正面から受けない。
《踏越位》
攻撃線をずらし、
刃の外側へ滑り込む。
《断戦》
側面からの一閃が、
ガランの鎧を削り、火花を散らす。
「……くっ!」
「切る覚悟はあるのに、
守る覚悟が足りない!」
ミリアの声が、戦場に響く。
「守るだと?」
ガランは歯を食いしばる。
「守るために切っている!」
その言葉が、
二人の立ち位置の違いを決定的にしていた。
一方、後方。
「――制御を上げます」
リィネが静かに詠唱を開始する。
《未来収束》
《副次分岐遮断》
可能性が、
音もなく削ぎ落とされていく。
「……動きが、
狭められてる」
リュカが歯噛みする。
《戦域把握》で読み取れるのは、
“安全だが逃げられない”配置。
「このままだと……」
「切られるね」
レインが、淡々と続ける。
《戦場演算》が、
最悪の未来を算出する。
(……市民二名)
(……混乱要因として、
排除される)
レインの視線が、セインに向く。
「……やる気だね」
「当然だ」
セインは、冷静だった。
「混乱が拡大すれば、
被害は指数関数的に増える」
「ならば――」
一歩、前に出る。
「ここで切る」
その宣言と同時に、
ユールが動いた。
《配置誘導》
市民二人が、
“自然に”ガランの射線へ追い込まれる。
「……っ!」
ミリアが、思わず叫ぶ。
「やめ――」
その瞬間。
「リュカ」
レインの声は、低く、短い。
「了解」
《戦域把握》
《即席退路構築》
“存在しなかった路地”が、
市民の背後に生まれる。
「今だ!」
二人は、転がるように逃げ出す。
「なっ……!」
ユールの顔色が変わる。
「配置が、
上書きされた!?」
「上書きじゃない」
レインが、ゆっくり歩き出す。
「最初から、
選択肢を奪う配置が間違ってる」
セインの表情が、初めて揺れた。
「……だが、
それでも混乱は残る」
「なら」
レインは、そこで立ち止まる。
「ここで、
全部止める」
周囲の空気が、凍る。
ミリアが、息を呑んだ。
(……まさか)
リュカも、察する。
(……《あれ》を使う気か)
レインの足元から、
静かな“無”が広がり始める。
《絶対無効圏・真
(アブソリュート・ゼロ/トゥルー)》
まだ、完全には展開していない。
だが――
次に一歩踏み出せば、
戦場そのものが否定される。
セインは、即座に理解した。
(……これは)
(……均衡を、
壊す力だ)
「……止めろ」
珍しく、
感情を含んだ声。
「それを使えば、
この街は――」
「知ってる」
レインは、静かに答える。
「だから、
今が境界だ」
二人の視線が、
正面からぶつかる。
――次の瞬間。
どちらかが、
踏み出す。
沈黙が、戦場を包んだ。
《絶対無効圏・真
(アブソリュート・ゼロ/トゥルー)》
レインの足元から広がる“無”は、
魔力でも、剣気でもない。
概念の否定だ。
踏み込めば、
術も、力も、判断すら成立しなくなる。
セインは、即座に理解した。
(……これは)
(均衡では止められない)
「……撤退」
短く、だがはっきりと命じる。
「配置解除。
切る判断は、破棄する」
ユールが、驚いたように声を上げる。
「セイン!
ここで引けば――」
「いい」
遮る。
「これ以上続ければ、
“世界そのもの”が壊れる」
リィネも、すでに術式を解いていた。
「……了解」
《未来収束》が、解かれる。
街を覆っていた“選ばれた未来”が、
一気に解放される。
その瞬間。
レインは、一歩も踏み出さなかった。
《絶対無効圏・真》は、
完全には展開されないまま、
静かに消えていく。
ミリアが、息を吐いた。
「……使わなかった」
「うん」
レインは頷く。
「使えば、
この街は助かる」
「でも」
視線を、市民たちに向ける。
「選ぶ余地まで、
消してしまう」
それは、
蒼衡と同じことになる。
セインは、その言葉を黙って聞いていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「……理解はできない」
「だが」
一歩、距離を取る。
「君たちが、
甘さだけで動いていないことは分かった」
ミリアが、即座に返す。
「あなたたちも、
冷酷だけじゃない」
「それが、
一番厄介なんですけど」
ガランが、低く笑った。
「次は、
こうはいかんぞ」
「分かってる」
レインは、真っ直ぐに答える。
「次は、
止まらない」
一瞬、
互いの視線が絡み合う。
敵意。
警戒。
そして――
認め合ってしまった力の差。
セインは、踵を返した。
「行くぞ」
蒼衡は、静かに撤退する。
街には、
壊れた石畳と、
助かった人々だけが残った。
ミリアが、剣を収める。
「……勝った、
って感じしませんね」
「勝ってないからね」
リュカが答える。
「ただ、
分かれただけだ」
レインは、空を見上げた。
《模写理解》は、
再び沈黙している。
だが――
次に拾う歪みは、
もっと大きい。
「……行こう」
「世界は、
まだ選ばせたがってる」
三人は、街を後にする。
その背後で、
誰にも気づかれず、
“均衡”と“否定”は、
決定的に分断された。




