正しさは、刃を向ける理由にならない
路地裏の空気が、軋んだ。
誰も合図を出していない。
だが――
戦闘開始の条件は、すでに満たされていた。
ミリアの足が、半歩前に出る。
《前線把握》が瞬時に更新され、
相手前衛――ガラン=ディオルの重心が視界に入る。
(……重い。
でも、遅い)
ミリアの剣が、わずかに鳴った。
その音に反応して、ガランが大剣を引き抜く。
「――来るぞ」
短い声。
次の瞬間。
《踏越位》
前線の概念が破壊され、
ミリアの姿がガランの懐に“滑り込む”。
《断戦》
直線の一閃。
だが――
ガランは、受け止めた。
金属音が路地に弾ける。
「……ほう」
低い声。
「前に出る覚悟はあるか」
「前線に立つ覚悟がない人に、
言われたくないです」
ミリアが言い切る。
同時に、後方。
リィネ=フォルテの魔力が立ち上がった。
空間が、わずかに歪む。
《未来収束》
――分岐を、閉じる。
だが。
「……遅い」
レインの声は、淡々としていた。
《因果遮断》
術式は、成立前に“なかったこと”になる。
リィネの眉が、わずかに動いた。
「……固定されない?」
「しないよ」
レインは一歩も動かない。
《戦場演算》が、
路地全体を“数式”として組み替えていく。
(配置、三秒後に破綻)
(退路、二つ。
一つは――使わせない)
「リュカ」
「了解」
《戦域把握》
路地の出口が、
“行けるが行けない場所”へと変わる。
蒼衡側の斥候、ユールが舌打ちした。
「……場を読まれてる」
「違う」
セイン=ヴァルクスが静かに言う。
「場を壊している」
その視線が、レインを射抜く。
「君たちは、
正しさを選ばない」
「選ばせないだけだよ」
レインは、真っ直ぐに返した。
「誰かを切る前提で、
世界を見るのは嫌なんだ」
「甘い」
セインの声に、感情はない。
「人は、
切らなければならない瞬間が来る」
「そのとき、
君はどうする?」
答える前に――
地面が、割れた。
轟音。
路地の中央に、
巨大な大剣が突き立てられている。
衝撃だけで、
ミリアの体が一歩押し戻された。
《前線》が、
力そのもので塗り潰される。
「……っ!?」
レインの《戦場演算》が、
一瞬だけ乱れた。
(……力で、
式を壊された?)
蒼衡側も、即座に距離を取る。
重たい足音。
剣の柄に手をかけたまま、
一人の男が前に出てきた。
「――やめろ」
低く、だが通る声。
「この先は、
どっちも死人が出る」
誰もが理解した。
こいつは、次元が違う。
男は大剣を引き抜き、
肩に担ぐ。
「名乗る必要はあるか?」
一瞬の沈黙。
セインが、短く言った。
「……ヴァルハルト=レオン」
英雄。
力の信奉者。
ミリアが、歯を食いしばる。
「……英雄が、
出てくる話なんですか、これ」
「違う」
ヴァルハルトは即答した。
「喧嘩が、
面倒な方向に行きそうだっただけだ」
レインを見る。
次に、セインを見る。
「どっちが正しいかは知らん」
「だがな」
剣を、軽く地面に打ち付ける。
その衝撃だけで、
全員が“動けない”。
「正しさで斬り合うなら、
まず生き残ってからにしろ」
空気が、完全に凍る。
誰も剣を下ろさない。
誰も視線を逸らさない。
ただ――
今は、斬れないと理解しただけだ。
ヴァルハルトは、ため息をついた。
「……やれやれ」
「仲立ちだ」
「今回は、ここまでにしとけ」
大剣を肩に戻し、踵を返す。
「次は知らん」
「止める保証は、ない」
その一言が、
この場に残った。
二つのパーティは、
互いに唸るような視線を向け合う。
――ガルル。
完全に、敵対関係だ。
だが、
今はまだ。
剣は、抜かれない。
ヴァルハルト=レオンの足音が、路地の外へ消える。
それと同時に――
張り詰めていた空気が、解けないまま重く沈んだ。
誰も動かない。
剣も、魔力も、構えたまま。
ただ「今は斬れない」という事実だけが共有されている。
最初に口を開いたのは、ガランだった。
「……チッ」
大剣を肩に戻すが、完全には力を抜かない。
「邪魔が入ったな」
ミリアが一歩前に出る。
「それ、
“止められた”って意味ですよね」
「違う」
即答。
「今回は見逃されただけだ」
ミリアの目が、細くなる。
「……見逃す?
人を切る前提で話してる時点で、
もう無理です」
リィネが、静かに口を挟んだ。
「感情論ね」
「違います」
ミリアは一切引かない。
「前線に立つ人間は、
“切る数”じゃなくて
“立たせる数”を見る」
「それが理想論だと言っている」
セインが、淡々と告げた。
「現実は、
全員を立たせるほど甘くない」
レインは、その会話を遮るように言った。
「……さっきの男」
「ヴァルハルト?」
「うん」
レインは、視線を外さずに続ける。
「彼は、
どっちが正しいか興味がなかった」
「力で止めただけだ」
セインが、わずかに頷く。
「だから英雄だ」
「だが――」
一拍。
「英雄は、
世界を運営しない」
その言葉が、重く落ちる。
「俺たちは、
選ばなければならない」
「街を守るために」
「秩序を保つために」
「犠牲を」
ミリアが、思わず声を荒げた。
「それを、
“仕方ない”で済ませるんですか!」
「済ませる?」
セインは首を傾げる。
「違う」
「引き受ける」
「誰かがやらなければ、
もっと多くが死ぬ」
リュカが、静かに割って入った。
「……その“誰か”を、
自分だと決められるのが、
怖くないか?」
一瞬、
セインの視線が鋭くなる。
「怖いさ」
「だからこそ、
迷わない」
「迷った瞬間、
判断は遅れる」
「遅れた判断は、
死人を増やす」
レインは、そこで一歩前に出た。
《模写理解》が、
セインの“判断の癖”をなぞる。
(……切る未来を、
最初から含めて計算してる)
(……だから、
迷わない)
「……分かった」
レインは、静かに言った。
「君たちは、
正しいと思う」
「理屈も通ってる」
「でも」
一歩、近づく。
「俺たちは、
その正しさを壊す側だ」
セインの目が、わずかに細くなる。
「やはり、
相容れないな」
「うん」
レインは、はっきりと頷いた。
「だから」
「次は、
止められても止まらない」
その言葉に、
蒼衡の全員が理解する。
――次は、本気だ。
セインは、踵を返した。
「次に会うときは、
答えが出ているだろう」
「どちらが、
世界に残るべきやり方か」
蒼衡は、静かに去っていく。
残された路地。
ミリアが、深く息を吐いた。
「……嫌な人たちですね」
「正しいからな」
リュカが言う。
「一番、厄介だ」
レインは、剣に触れないまま空を見上げた。
「……英雄が止めても」
「思想は、止まらない」
《模写理解》は、
再び何も拾っていない。
だが――
次に拾うときは、
もう避けられない衝突の前だ。
蒼衡が去った路地に、静寂が戻る。
だがそれは、
安心ではなく――予兆のない空白だった。
「……あの人たち」
ミリアが、低く言う。
「次は、
本気で来ますよね」
「来る」
リュカは即答した。
「向こうも、
“止められた”とは思ってない」
「“延期された”だけだ」
レインは、ゆっくりと息を吐いた。
《模写理解》は、
まだ何も拾っていない。
だが――
それが、逆に異常だった。
(……来る)
(……でも、
まだ“形”になってない)
その瞬間。
街の中心部――
鐘楼の方角から、鈍い音が響いた。
「……鐘?」
ミリアが顔を上げる。
「違う」
リュカが即座に否定する。
「封鎖音だ」
次いで、
街全体の空気が変わる。
ざわめき。
人の流れが、一斉に止まる。
「……来たね」
レインの声は、静かだった。
《戦場演算》が、
街全体を即座に組み上げる。
(封鎖区画、三)
(誘導線、四)
(――これ、
前の街と同じ)
だが。
「……違う」
レインは、眉をひそめる。
「今回は、
“切る前提”じゃない」
「切る準備が、
最初から組み込まれてる」
ミリアが、剣を握る。
「……蒼衡?」
「多分ね」
リュカが、街の屋根を見上げた。
「でも、
英雄は来ない」
「え?」
「理由は簡単だ」
リュカは淡々と告げる。
「これは、
“英雄が出るほど派手な事件”じゃない」
「静かに、
人が選ばれるだけだ」
その言葉に、ミリアが歯を食いしばる。
「……それ、
止めないとダメなやつじゃないですか」
「うん」
レインは、頷いた。
「だから」
一歩、前に出る。
「次は、
止められない」
同じ頃。
街の反対側。
蒼衡もまた、同じ異変を察知していた。
セインは、短く指示を出す。
「区画ごとに分かれる」
「犠牲は、
最小で抑える」
リィネが、静かに問いかける。
「……もし、
“切らなければならない”場合は?」
セインは、即答した。
「迷うな」
「それが、
我々の役目だ」
二つのパーティは、
同じ街で、
同じ事件を、
違う結論で追っている。
英雄はいない。
止める者もいない。
残るのは――
どちらの正しさが、
この街に残るか。
レインは、空を見上げた。
《模写理解》が、
ついに“歪み”を拾い始める。
(……選ばせる気配)
(……また、来た)
「……行こう」
ミリアとリュカが、同時に頷く。
次に剣を交えるとき、
もう引き返しはない。
これは、
勝ち負けの戦いじゃない。
世界の使い方を、
どちらが残すかの戦いだ。




