繰り返される切り捨て
その少女は、最初から声が小さかった。
名を呼ばれても、一拍遅れて返事をする。
視線は常に下。背筋は伸びているのに、肩が強張っている。
「……雑用、前に出るな」
ガルド・レオンハルトの低い声に、少女はびくりと身体を震わせた。
「す、すみません」
謝罪は反射だった。
内容よりも先に、口が動く。
《紅鷹》に加入して三日目。
少女――ミリアは、まだ自分の立ち位置を掴めずにいた。
運搬、見張り、後処理。
戦闘には参加しない。
参加させてもらえない、が正しい。
「ま、雑用に前線は無理だよな」
ルークが軽く笑う。
その笑いは冗談めいているが、目は笑っていない。
ミリアは唇を噛みしめた。
(……分かってる)
自分はまだ、役に立てていない。
そう思い込もうとしていた。
•
だが、戦闘中。
彼女は、はっきりと“違和感”を覚えた。
中型魔物。
突進の前に、魔力が一瞬だけ沈む。
(……今)
思わず声が出かけて、喉で止まる。
代わりに、手が強く握られた。
(言うな)
言えば、遮られる。
言えば、怒鳴られる。
三日前、同じことがあった。
「……前提が、少し違います」
勇気を振り絞って言った言葉は、
ガルドに一蹴された。
「戦場で講義すんな」
それで終わりだった。
•
魔物は暴れ、戦闘は荒れた。
勝てた。だが、負傷者が出た。
セシリアが回復に走る。
リディアは苛立った声を上げた。
「だから言ったでしょ、面倒なのは嫌なのよ」
それは誰に向けた言葉でもない。
だが、ミリアは自分のことだと分かった。
(……違う)
違う、と心の中でだけ呟く。
本当は、もっと言いたいことがある。
魔物の動きは、一定じゃない。
条件が、変わっている。
でも――
(言っても、聞かれない)
ミリアは拳を握りしめる。
爪が食い込むほど。
本当は、明るい性格だ。
よく笑うし、よく喋る。
一人でいる時は、鼻歌だって歌う。
でも今は、
声を出すたびに、怒鳴られる気がしてならなかった。
•
野営地で、ガルドが言う。
「……やっぱ、雑用は雑用だな」
誰も反論しない。
ルークは肩をすくめ、リディアは興味なさそうに魔力を調整する。
セシリアは、俯いたまま沈黙を選んだ。
ミリアは、焚き火を見つめた。
(……この感じ)
胸の奥が、ひどく冷える。
(前にも、誰か……)
名前は知らない。
だが、確かに似た影を思い出す。
説明しようとして、遮られ。
結果を出す前に、切り捨てられる。
ミリアは、小さく息を吸った。
(……おかしい)
このパーティは、強い。
でも、どこか“脆い”。
理由は、分かっている。
――理解を待たない。
それを言葉にできない自分が、悔しかった。
焚き火が、ぱちりと爆ぜる。
その音に、ミリアは肩をすくめた。
彼女はまだ知らない。
この場所で繰り返されている過ちが、
すでに別の場所で“証明”され始めていることを。
その魔物は、最初から妙だった。
姿は中型。
外見だけなら、何度も討伐してきた種類だ。
だが、動きが合わない。
突進の初動が遅れ、次の瞬間には加速する。
間合いの感覚が、毎回ずれる。
「チッ……」
ガルドが舌打ちし、剣を振るう。
手応えはある。だが、決定打にならない。
(……今の、違う)
ミリアは一歩引いた位置から、魔物を見つめていた。
突進前、魔力が沈む。
だが、沈む“深さ”が一定じゃない。
(条件が……変わってる)
思わず口を開きかけて、閉じる。
胸が詰まる。
言えば、遮られる。
言わなくても、結果は同じかもしれない。
(それでも……)
一瞬の逡巡。
その隙に、魔物が動いた。
リディアの魔法が直撃する。
だが、魔物はよろめくだけで倒れない。
「まだ生きてるの!?」
「硬ぇな!」
ルークが回り込み、短剣を突き立てる。
致命傷――のはずだった。
だが、魔物は倒れない。
身体が、わずかに“ずれる”。
「……何だ、これ」
ガルドが眉をひそめる。
だが、思考はそこまでだった。
「いい、押し切るぞ!」
号令。
力任せの前進。
ミリアの喉が、ひくりと鳴った。
(違う……今じゃない)
突進の前提が、また書き換わる。
位置が、わずかに揺れる。
「ガルドさん、今は――」
声を張り上げた瞬間、怒鳴り声が重なった。
「黙れ!」
ガルドの一喝。
それだけで、ミリアの言葉は霧散した。
次の瞬間、魔物の反撃。
ガルドの剣が弾かれ、体勢が崩れる。
「……っ!」
ルークが咄嗟に割り込み、大きく吹き飛ばされた。
致命傷ではない。だが、戦列は完全に乱れた。
(……だから)
ミリアは唇を噛みしめた。
分かっていた。
理解されないまま戦えば、こうなる。
結局、魔物は倒れた。
セシリアの回復と、リディアの消耗を代償にして。
だが、誰の顔にも達成感はない。
•
野営地。
空気は重かった。
「……余計な手間が増えたな」
リディアが吐き捨てる。
ルークは怪我を押さえながら、ミリアを睨んだ。
「お前さ、何か言いかけてなかった?」
ミリアの肩が、びくりと跳ねる。
「……いえ」
声が、かすれた。
本当は言いたい。
言えば、理由も説明できる。
でも――
(また、同じになる)
ガルドが剣を鞘に収め、冷たく言う。
「次からは、考える前に動け。
迷うな。雑用」
その言葉で、全てが終わった。
ミリアは焚き火を見つめたまま、何も言わない。
内心では、怒りと悔しさが渦巻いている。
(……おかしい)
間違っているのは、自分じゃない。
でも、それを証明する場が、ここにはない。
•
一方、その頃。
別の森で、レインは同系統の“歪み”を感じ取っていた。
(……来たな)
魔導書を開く。
核心章のページが、以前よりも“近い”。
前提が揺らぐ敵。
位置が確定しない存在。
紅鷹が今、相手にしているものと――
同じ性質。
レインは深く息を吸った。
(逃げ場は、ないか)
今回は、引けない。
逃げれば被害が出る。
だが、核心章を丸ごと使うのは危険だ。
(……一部だけだ)
条件を、限定する。
範囲を、絞る。
“編集”ではなく、“参照”に留める。
レインは、魔導書に指を置いた。
魔力の揺らぎは、はっきりと感じ取れた。
森の奥。
視界に姿はない。
だが、“そこにいる”という前提だけが、断続的に書き換わっている。
(……やっぱり、同じ系統だ)
レインは歩みを止め、静かに魔導書を開いた。
核心章のページが、以前よりも拒絶しない。
とはいえ、理解できたわけじゃない。
見えているのは、ほんの一部――輪郭だけだ。
(全部は使わない)
レインは条件を定める。
編集しない。
書き換えない。
参照だけだ。
核心章に記された“前提管理”の構造を、
自分の再構築魔法に重ねる。
「……限定条件下でのみ、干渉可能」
声に出すことで、思考を固定する。
範囲は狭い。
時間も短い。
それでいい。
•
空気が、歪んだ。
視界の端で、何かが“確定”する。
一瞬だけ、位置が定まった。
(今だ)
再構築魔法を即座に起動。
狙いは攻撃じゃない。
前提の固定。
存在の揺れを、強制的に“止める”。
反動が来た。
頭の奥が、強く締め付けられる。
「……っ」
歯を食いしばる。
思考が、わずかに遅れる。
だが、効果は出た。
魔物の輪郭が、はっきりと現れる。
逃げない。
ずれない。
「……よし」
次の一手は、迷わない。
今まで積み上げてきた理解で、十分だ。
再構築魔法を最小構成で叩き込む。
派手さはない。
だが、完全に成立した一撃。
魔物は、音もなく崩れ落ちた。
•
その場に、しばらく静寂が落ちる。
レインは膝に手をつき、深く息を吐いた。
視界が、少しだけ揺れる。
(……やっぱり、重いな)
核心章への接触は、想像以上だった。
ほんの“参照”でこれだ。
(無理に使えば……壊れる)
自分が、ではない。
理解そのものが。
レインは魔導書を閉じ、胸に抱いた。
•
一方、その頃。
紅鷹の野営地では、空気がさらに悪化していた。
「……で、結局何だったんだ、あの魔物」
ルークが吐き捨てる。
リディアは苛立ちを隠さず答えた。
「知らないわよ。倒せたんだからいいでしょ」
ガルドは黙ったまま、剣を手入れしている。
視線は険しい。
ミリアは、少し離れた場所で焚き火を見つめていた。
(……やっぱり)
条件が、揺れていた。
位置が、固定されていなかった。
それを言えば、結果は変わっていたはずだ。
(でも……)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
ここでは、
理解する者が切り捨てられる。
その事実が、はっきりと見えてしまった。
•
夜が更ける。
レインは森を抜け、街へ戻る道を歩いていた。
足取りは重いが、表情は静かだ。
核心章に触れた。
まだ一歩だけだが、確かに。
(……次は、準備が必要だな)
条件。
安全策。
そして――使う理由。
レイン・アルヴェルトは、確信していた。
紅鷹が理解できないものを、
自分は理解し始めている。
その差は、もう埋まらない。




