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雑魚モンスターしかコピーできないハズレスキルとして追放された俺、 魔導書を読んだら“世界の前提”が見えるようになった  作者: Y.K
第26章 帝国編

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裁定できない者

報告書は、よく整っていた。


行間に無駄がなく、

感情の混入もない。

読み手が迷わないよう、

結論は最初に書かれている。


再編区域外縁における地盤沈下事象

管理下において適切に対処

人的被害なし

制度運用上の問題なし


皇帝は、

一行ずつ、ゆっくりと追った。


理解は、できる。

否定する理由も、見当たらない。


「……よくまとまっているな」


独り言のように言う。


侍従は、何も答えない。

答える必要がないことを知っている。


「現場は?」


「混乱はありませんでした」


「規定違反は?」


「軽微な逸脱が一件。

 すでに内部指導済みとのことです」


皇帝は、頷く。


完璧だ。

誰も責められない。


だからこそ、

指が止まった。


「……この“人的被害なし”」


報告書の一文を、

指先でなぞる。


「これは、

 “確認済み”なのか?」


侍従が、少しだけ間を置く。


「……存在が確認されなかった、

 という意味合いかと」


皇帝は、目を伏せる。


言葉の違いは、

小さい。


だが、

意味は大きく違う。


「存在が、

 確認されなかった」


それは――

存在しなかった、という裁定だ。


皇帝は、書類を閉じる。


「宰相は、

 この件をどう評価している?」


「制度は機能している、と」


「そうか」


短い返答。


「管理強化の成果が、

 数字として出ている、とも」


皇帝は、椅子に深く腰掛ける。


成果。

数字。

安定。


それらは、

皇帝が望んできたものだ。


戦争を減らすこと。

混乱を抑えること。

民を怯えさせないこと。


すべて、正しい。


「……だが」


皇帝は、ふと呟く。


「この報告には、

 “迷い”がない」


侍従が、顔を上げる。


「迷い、でございますか」


「現場に迷いがないはずがない」


皇帝は、静かに言う。


「人が関わる以上、

 必ず迷う」


「それが書かれていないということは」


言葉を切る。


「……切り落とされている」


誰が、とは言わない。


制度か。

要約か。

それとも――

自分自身か。


皇帝は、別の書類を手に取る。


そこには、

小さな付記があった。


臨時協力枠

《非裁定(ひさいてい/ノーリトリート)》


「……判断しない者たち、か」


以前、聞いた名だ。


裁定を避け、

前線に立つ部隊。


「奇妙だな」


独り言。


「判断しない者が、

 判断不能を突きつけてくる」


皇帝は、目を閉じる。


この帝国は、

裁定で成り立っている。


決めることで、

守ってきた。


だが今、

決められない事象が、

静かに積み上がっている。


「宰相は、

 この件を“終わった”と?」


「はい」


即答。


皇帝は、しばらく黙る。


そして、

ゆっくりと言った。


「……ならば」


侍従が、身を正す。


「終わっていない話を、

 私が聞こう」


視線が、真っ直ぐになる。


「現場の言葉を、

 宰相の要約なしで」


それは、

決断ではない。


だが――

動き始めた証だった。


皇帝は、静かに続ける。


「《非裁定》を、

 呼びなさい」


その一言が、

帝国の“整った流れ”に

小さな歪みを生んだ。


誰も、

その重さを測れない。


だが確かに、

裁定は――

ここから、揺れ始める。


宰相府に、私的な呼び出しが来ることは稀だ。


ましてや、

案件が「すでに処理済み」であるなら、なおさら。


「……皇帝陛下、ですか」


男は、静かに呟いた。


驚きはない。

表情も、変わらない。


「日程は?」


「最短での拝謁を、とのことです」


官僚が答える。


男は、軽く頷いた。


「分かりました。

 必要書類を整えてください」


必要書類。


それは、

すでに存在している。


今回の案件は、

彼自身が要約し、

彼自身が“終わらせた”。


制度は機能した。

現場は逸脱したが、秩序は壊れていない。

数字も、安定している。


「……問題はない」


男は、誰に言うでもなく言った。


それは自己暗示ではない。

確認だ。


「皇帝陛下が

 気にされている点は?」


官僚が、慎重に聞く。


「“人的被害なし”の表現について、

 だそうです」


男は、少しだけ目を伏せる。


ほんの一瞬。

それだけで、十分だった。


「……言葉の問題ですね」


そう言って、

机の上の書類を一枚取る。


そこには、

同じ現場を指す別の表現案が並んでいた。


・存在確認に至らず

・危険区域内に人影なし

・追加調査の必要性なし


どれも、嘘ではない。


「陛下は、

 “切り捨てた”と感じられたのでしょう」


男は、静かに言う。


「ですが、

 我々は何も切っていません」


「切れなかっただけです」


官僚が、息を飲む。


男は、続ける。


「裁定不能な事象を、

 制度の外に置いた」


「それは、

 放棄ではなく、

 管理です」


言葉は、滑らかだった。


「皇帝陛下は、

 制度の“限界”をご覧になった」


「だが」


男は、視線を上げる。


「限界が見えたからといって、

 制度を止めるわけにはいかない」


「むしろ――

 強化すべきです」


官僚が、恐る恐る聞く。


「……《非裁定(ひさいてい/ノーリトリート)》については?」


男は、即答する。


「危険ではありません」


「理想的ですらある」


同じ言葉。

だが、意味は一段深い。


「彼らは、

 制度を壊そうとしない」


「裁定不能を、

 “問題として提示するだけ”」


男は、わずかに口角を上げた。


「扱いやすい存在です」


「だからこそ、

 制度の中に置く」


「外に出してはいけない」


その判断は、

冷酷ではない。


保護の形をした、囲い込みだ。


「皇帝陛下には、

 こう申し上げます」


男は、静かに言葉を選ぶ。


「制度は、

 想定外に敗北していない」


「想定外を、

 想定に組み込む途上にあるだけだと」


それは、

皇帝が最も聞きたい言葉だ。


不安を否定し、

秩序を肯定する。


「陛下は、

 迷われています」


「ならば」


男は、椅子から立ち上がる。


「迷いを、

 制度で支えます」


それが、

彼の役割だった。


皇帝の代わりに、

決め続けること。


判断できない者のために、

判断を引き受けること。


「準備を」


官僚たちが、動き出す。


男は、最後に一度だけ、

机の上の書類を見る。


《非裁定(ひさいてい/ノーリトリート)》。


「……便利な存在だ」


小さな声。


だがその目に、

油断はない。


この呼び出しが、

終わりではないことを、

彼はもう理解していた。


玉座の間は、静かだった。


広いが、

威圧するための空間ではない。


声が届く距離。

表情が、はっきり見える距離。


それが、皇帝の選んだ形だった。


「……来てくれて、ありがとう」


皇帝は、立ち上がらなかった。

だが、頭を下げもしない。


対等ではない。

しかし、見下ろしてもいない。


《非裁定(ひさいてい/ノーリトリート)》の四人は、

決められた位置に立つ。


誰も、口を開かない。


「宰相の要約は、もう聞いた」


皇帝は、ゆっくり言った。


「だから今日は、

 要約されていない言葉を聞きたい」


視線が、レインに向く。


「君たちは、

 あの現場で何を見た?」


レインは、すぐに答えなかった。


《完全模写理解(かんぜんもしやりかい/フル・アナライズ・コピー)》は、

使わない。


使えば、

“正解”を差し出してしまう。


「……裁定できないものです」


皇帝が、眉を上げる。


「裁定できない?」


「はい」


レインは、はっきり言う。


「切る理由も、

 進む理由も、

 同時に成立していました」


「だから、

 どちらも選べなかった」


沈黙。


皇帝は、しばらく考える。


「だが、

 君たちは踏み込んだ」


「全員で、です」


ミリアが、静かに続ける。


「一人だったら、

 できませんでした」


「全員だったから、

 止まれなかった」


皇帝の視線が、

ミリアの手に向く。


僅かに、震えている。


「……後悔は?」


問いは、重い。


ミリアは、目を逸らさない。


「あります」


即答。


「でも、

 数えられない後悔を

 一つ減らしました」


エルドが、低く言う。


「盾は、

 正解を守るためじゃない」


「間違えた時に、

 前に立つためのものです」


皇帝は、

ゆっくり息を吐いた。


「……記録は?」


リュカが、一歩前に出る。


「書けませんでした」


正直な声。


「書けなかった理由も、

 含めて書こうとしましたが」


首を振る。


「制度には、

 その欄がありませんでした」


沈黙が、長くなる。


皇帝は、四人を見渡す。


「君たちは、

 判断しない部隊だと聞いていた」


「はい」


レインが答える。


「それでも、

 前線に立ちます」


「判断を避けるために」


皇帝は、少しだけ笑った。


「矛盾しているな」


「はい」


レインも、微かに笑う。


「だから、

 裁定不能なんです」


その言葉が、

玉座の間に残る。


皇帝は、目を閉じた。


帝国は、裁定で守られてきた。

だが今、

裁定できないものが、

確かに存在している。


「……私は」


皇帝は、ゆっくり言う。


「今日、ここで

 何も決めない」


その宣言に、

宰相府側の空気が僅かに揺れる。


「君たちを、

 裁くこともしない」


「守るとも、言わない」


一拍。


「だが」


目を開き、

真っ直ぐに言う。


「切らない」


その言葉は、

命令ではない。


選択の放棄だった。


皇帝は、立ち上がる。


「君たちは、

 帝国にとって不便だ」


正直な評価。


「だが」


「不便さを失った帝国が、

 正しいかどうか」


一度、言葉を切る。


「……まだ、分からない」


それが、

皇帝の限界だった。


そして、

皇帝が立てる唯一の場所だった。


「今日は、ここまでだ」


「戻りなさい」


《非裁定(ひさいてい/ノーリトリート)》は、

深く頭を下げ、

背を向ける。


玉座の間を出る直前、

皇帝は、ぽつりと呟いた。


「……宰相は、

 答えを持っている顔をしている」


「だが、

 君たちは――」


言葉が、続かない。


続ければ、

裁定になってしまうからだ。


扉が閉まる。


皇帝は、

一人残される。


裁定できない者として。



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