回収対象
夜明け前。
街は、まだ眠っている。
だが、その静けさは“休息”ではなかった。
通りの奥、昨日の戦闘跡。
瓦礫は片づけられ、血も洗い流されている。
――まるで、何事もなかったかのように。
その場所に、青年は立っていた。
英雄になりたかった男。
剣は腰に差したまま、手は添えられていない。
「……来る」
根拠はない。
だが、確信だけがあった。
背後で、空気が沈む。
音はしない。
気配もない。
ただ、**“選別される感覚”**だけが、背中に触れた。
「……確認」
低い声。
振り返ると、そこにいたのは――
人の形をしているが、人ではない存在だった。
装備はない。
表情もない。
だが、青年の視界にだけ、
“数値”が見える気がした。
「……英雄候補、個体ID――」
言葉が、淡々と続く。
「戦闘ログ、未達」
「前線維持率、基準未満」
「期待値、減衰」
青年の喉が鳴る。
「……ま、待て」
「……俺は」
「……昨日、前に出た」
「……戦った!」
存在は、首を傾げる。
「事実、確認」
「前進:途中まで」
「後退:確認済み」
「……総合評価」
一拍。
「不適格」
青年の思考が、止まる。
「……な、何だよ……」
「……不適格って……」
「……じゃあ、俺は……」
声が、震え始める。
「……俺は、
どうすればよかったんだ……」
存在は、即答した。
「不要な問い」
「評価は、終了している」
「……処理を、開始」
青年の足元に、黒い紋様が浮かぶ。
昨日、見たものとは違う。
これは、戦闘用ではない。
回収用だ。
「……やめろ!」
「……俺は、
英雄じゃなくても……!」
言葉は、途中で止まった。
空気が、閉じる。
声が、外に出ない。
存在は、淡々と続ける。
「英雄未満」
「代替不可」
「保存価値:なし」
「……廃棄、
または――」
その言葉が、
最後まで発せられる前に。
「――そこまでです」
闇を割って、声が差し込む。
存在が、初めて反応した。
「……未登録個体、接近」
屋根の影から、レインが降り立つ。
その一歩後ろに、ミリア。
さらに距離を取って、リュカ。
青年が、目を見開く。
「……あ、あんた……」
「……助けに、
来たのか……?」
レインは、青年を見る。
そして、静かに答えた。
「……いいえ」
「確認しに来ました」
存在が、レインを見る。
「……あなたは、
管理対象外」
「介入は、
推奨されない」
レインは、淡々と返す。
「……ええ」
「だから、
見るだけです」
《模写理解》が、
回収プロセスをなぞる。
判断基準。
切り捨て条件。
例外の不在。
すべてが、均衡の思想そのもの。
青年が、震える声で叫ぶ。
「……なあ!」
「……俺は、
間違ってたのか!?」
レインは、少しだけ間を置いて答えた。
「……いいえ」
「……ただ」
視線を、存在へ。
「最初から、
選ばせる気が
なかった」
その言葉が、
夜に落ちる。
存在は、
初めて“沈黙”した。
黒い紋様が、青年の足元で脈打っていた。
それは拘束でも、攻撃でもない。
処理待ち。
存在は、再び声を発する。
「……介入確認」
「未登録個体による、
回収プロセスへの干渉」
視線が、レインに向く。
「……評価を、
更新する」
青年が、必死に叫ぶ。
「……やめろ!」
「……俺は、
まだ――!」
言葉は、最後まで届かない。
存在は、青年を見ていない。
ただ、数字だけを見ている。
「……再評価」
「前線到達率:三七%」
「継続時間:短」
「恐怖反応:顕著」
「……総合」
一拍。
「不適格」
その瞬間、
紋様が収縮する。
青年の膝が、崩れ落ちた。
「……ちが……」
「……俺は……」
声が、擦れる。
「……選ばれたかっただけだ……」
ミリアが、歯を噛みしめる。
だが、前には出ない。
ここは、彼女の前線ではない。
レインが、一歩前に出る。
「……質問があります」
存在が、即座に反応する。
「……質問内容を、
簡潔に」
レインは、淡々と言う。
「……彼は」
「選択肢を、
持っていましたか」
一瞬。
ほんの、ほんの一瞬だけ、
存在の応答が遅れた。
《模写理解》が、その“遅れ”を捉える。
(……あったな)
(……選択肢は)
(……“結果の後”にだけ)
存在が、答える。
「……選択肢は、
提示されていた」
「戦闘参加」
「英雄候補化」
「……ただし」
「条件未達成」
レインは、静かに続ける。
「……では」
「条件を、
満たせなかった場合」
「……彼は」
「何を選べましたか」
沈黙。
存在は、即答しない。
再計算。
再照合。
【代替行動:なし】
【退路:未設定】
青年が、顔を上げる。
「……なあ」
「……それって……」
声が、震える。
「……俺は」
「……最初から……」
存在が、ようやく答えた。
「……選択肢は、
存在しない」
その言葉が、
決定打だった。
ミリアが、思わず声を上げる。
「……それは……」
「……選ばせて
ない……!」
存在は、感情なく返す。
「誤り」
「選択は、
最適解の提示である」
「不適格個体に、
選択肢は不要」
レインは、視線を落とす。
(……これが)
(……均衡の
“優しさ”か)
青年の肩が、震え始める。
「……じゃあ」
「……俺が、
怖かったのも……」
「……逃げたのも……」
「……全部……」
声が、掠れる。
「……最初から、
計算だったのか……?」
存在は、否定しない。
否定する必要が、ないからだ。
「……処理を、
再開する」
紋様が、青年の身体を覆う。
光が、収束する。
そのとき。
リュカが、低く言った。
「……レイン」
「……今なら」
レインは、首を横に振る。
「……いいえ」
「……まだです」
《模写理解》が、
回収プロセスの終端条件を掴む。
(……回収は)
(……失敗しない)
(……“失敗”という概念が、
組み込まれていない)
レインは、存在を見る。
「……あなたは」
「回収できなかった
記録を、
どう処理しますか」
存在が、応答する。
「……存在しない」
「記録は、
成功のみで構成される」
その瞬間。
レインの目が、細くなる。
(……来た)
(……矛盾だ)
青年が、消えかけながら、
最後に言った。
「……なあ……」
「……あんたたち……」
「……立って……」
声が、途切れる。
レインは、静かに言った。
「……見ました」
「全部」
光が、消える。
そこに残ったのは、
何もない空間だけだった。
存在は、処理完了を宣言する。
「……回収、完了」
だが、その直後。
レインが、顔を上げる。
「……一つだけ」
「あなたの評価を、
保存します」
存在が、初めて理解できない反応を示す。
「……保存?」
「……対象外」
レインは、淡々と返す。
「……いいえ」
「あなた自身の
評価です」
《模写理解》が、
均衡の判断構造を反転保存する。
判断基準。
切り捨て条件。
例外不在。
すべてが、
レインの中に刻まれる。
存在は、沈黙した。
それは、処理ではない。
理解不能だった。
夜が、静かに戻る。
だが――
均衡は、確実に一つ、
“記録してはいけないもの”を
記録された。
光が消えたあと、
そこには何も残らなかった。
血もない。
遺体もない。
ただ、人が一人いなくなった空白だけが、夜気に沈んでいる。
しばらく、誰も動かなかった。
最初に息を吐いたのは、ミリアだった。
「……回収、
完了……?」
言葉にした瞬間、
自分の声が震えていることに気づく。
「……人を」
「……あんなふうに……」
剣を握る手に、力がこもる。
「……前に立てなかったら」
「……消していいんですか……?」
答えは、誰も持っていない。
路地の奥から、足音が聞こえた。
見ていた者たちだ。
物陰。
窓の影。
屋根の縁。
誰も声を上げない。
だが、見てしまった。
人が、評価され、
切り捨てられる瞬間を。
年配の女が、震える声で言う。
「……英雄に、
なれなかったら……」
「……ああなるの……?」
若い男が、拳を握る。
「……じゃあ」
「……俺たちは……」
「……何なんだ……?」
リュカが、一歩前に出る。
声は低いが、はっきりしている。
「……人だ」
「……選ばれなくても」
「……役に立たなくても」
「……ここに立ってる」
それだけで、
少しだけ空気が戻る。
ミリアが、顔を上げる。
「……前衛は」
「……全部、
守れません」
「……でも」
一拍。
「……黙って、
見送る気も、
ありません」
その言葉に、
市民の何人かが、ゆっくりと頷いた。
•
回収存在は、動かない。
役目は終わった。
そう言わんばかりに、静止している。
レインは、その前に立つ。
「……あなたは」
「成功しか、
記録しない」
存在は、応答しない。
だが、レインには分かる。
これは沈黙ではなく、処理待ちだ。
「……だから」
「……失敗を、
知らない」
《模写理解》が、
先ほど保存した“評価構造”を呼び起こす。
前提。
条件。
切り捨て基準。
レインは、淡々と続ける。
「……では」
「これは、
どう評価しますか」
存在が、反応する。
「……評価対象、
未定義」
レインは、はっきり言った。
「あなたです」
一瞬、空気が止まる。
存在の内部で、
再計算が走る。
【評価対象:自己】
【基準照合:未設定】
存在が、初めて言葉を詰まらせた。
「……自己評価は、
想定されていない」
レインは、静かに答える。
「……ええ」
「だから、
今からです」
ミリアが、レインを見る。
「……レイン」
「……それって……」
レインは、頷く。
「……黒幕は」
「……自分が
選ぶ側だと、
思っています」
「……だから」
一拍。
「選ばれる側に
回します」
存在は、動かない。
動けない。
評価構造が、
自己に向いた瞬間、
処理が停止している。
「……評価、
不能……」
初めて出た、
“エラーに近い声”。
リュカが、息を呑む。
「……壊れた……?」
レインは、首を横に振る。
「……いいえ」
「保留です」
「……これが」
「……均衡の、
弱点です」
回収存在は、
やがて、光となって霧散した。
逃走でも、消滅でもない。
呼び戻されたのだ。
だが――
完全な成功ログではない。
それだけで、十分だった。
•
夜が、静かに明け始める。
市民たちは、
何も言わず、散っていく。
だが、歩き方が違う。
下を向いていない。
怯えてもいない。
考えている。
ミリアが、ぽつりと言う。
「……怒ってます」
「……多分」
「……私、
初めて」
レインは、答える。
「……それで、
いいんです」
「……怒りは」
「……前線に、
立つ理由になります」
リュカが、深く息を吸う。
「……次は」
「……もっと、
来るな」
レインは、空を見上げる。
「ええ」
「……均衡は」
「今、
こちらを
認識しました」
もう、逃げられない。
黒幕は、
初めて“評価される側”に
引きずり出された。
そして――
お仕置きは、
始まったばかりだ。




