後悔は、分割できない
帝国南区再編区域の空気は、
前日と何も変わっていなかった。
兵の配置。
封鎖線。
掲示板の告知。
すべて、
予定通り。
⸻
再配置最終確認
明朝、区画封鎖を実施
対象外居住者は
例外なく排除処理へ移行
文字は、
いつもより丁寧だった。
配慮の結果だ。
⸻
「……始まるね」
ミリアが、
低く言う。
感情は抑えている。
だが、
視線だけは逸らさない。
⸻
レインは、
何も言わず掲示を見ていた。
頭の奥では、
昨夜“写してしまったもの”が
まだ整理されていない。
英雄が剣を振る理由。
裁定者が人を切る夜。
制度が迷わないために
誰かを置いていく構造。
⸻
(……制度に入る資格)
それが、
今の論点だった。
⸻
「鋼律隊から、
正式通知が来てる」
リュカが、
端末を示す。
「ノーリトリートは」
一拍。
「再審委員会の
臨時協力枠として
参加可能」
⸻
「つまり?」
ミリアが聞く。
「制度の中に、
入れる」
「ただし」
リュカは、
続ける。
「裁定には
従う義務がある」
⸻
沈黙。
それは、
分かっていた話だ。
⸻
「……入れば」
エルドが、
低く言う。
「救える人数は、
確実に増える」
「入らなければ」
「確実に、
切られる」
⸻
「でも」
ミリアが、
視線を上げる。
「入った瞬間」
「誰かを、
選ぶ側になる」
それが、
最大の違いだった。
⸻
レインは、
ゆっくりと口を開く。
「……昨日までなら」
「選ばない、
で済ませられた」
一拍。
「でも、
今は違う」
⸻
視線を、
再編区域へ向ける。
「ここでは」
「選ばないことが、
最初から
選んでいる」
⸻
その言葉に、
全員が黙る。
否定できない。
⸻
「……レイン」
ミリアが、
静かに言う。
「もし」
「制度に入って」
「私が、
切られる側を
選びたくなったら」
問いは、
鋭い。
⸻
レインは、
すぐに答えなかった。
代わりに、
はっきり言う。
「その時は」
「止める」
ミリアが、
少しだけ目を見開く。
⸻
「一人で
背負わせない」
「正義にも、
善意にも」
「……もちろん」
一拍。
「僕にも」
⸻
エルドが、
静かに盾を握る。
「なら、
俺は前に立つ」
「切る判断を
下す前に」
「必ず、
俺を通せ」
⸻
リュカが、
苦く笑う。
「……全員で
やるってことだね」
「うん」
レインは、
頷いた。
⸻
その時。
遠くで、
重い足音が響く。
迷いのない歩き方。
制度の中心から
まっすぐ歩いてくる音。
⸻
「……来た」
ミリアが、
小さく呟く。
⸻
帝国英雄、
レオニス=アウグスト。
鎧は着ていない。
剣も抜いていない。
だが、
動く理由を持った顔をしていた。
⸻
レインは、
その姿を見て理解する。
(……次だ)
ここから先は、
選択になる。
しかも――
一人の選択ではない。
レオニス=アウグストは、
再編区域の入口で足を止めた。
兵も、
鋼律隊も、
彼の前では動かない。
命令がなくとも、
それが正しいと分かっているからだ。
⸻
「……ここから先は」
レオニスは、
静かに言った。
「英雄の役割になる」
その言葉に、
誰も反論しない。
⸻
「帝国は」
続ける。
「正しさを
個人に委ねない」
「だから、
制度がある」
「だから、
英雄がいる」
一拍。
「だが」
視線が、
ノーリトリートへ向く。
⸻
「制度が正しく動くほど、
切られる側は
説明を失う」
その言葉は、
英雄の口から出るには
あまりに静かだった。
⸻
「……昨日までの私は」
レオニスは、
淡々と語る。
「それを
当然だと思っていた」
「説明は制度がする」
「英雄は、
剣を振るうだけでいい」
⸻
「でも」
一歩、
前に出る。
「昨夜、
見てしまった」
全員が、
息を詰める。
⸻
「コピーだ」
短く言う。
「彼の力が、
何を写しているのか」
視線が、
レインに刺さる。
⸻
「剣を振る理由」
「切った後の後悔」
「それでも
前に立ち続けた記憶」
拳を、
わずかに握る。
⸻
「……あれを」
低い声。
「一人に
背負わせてはいけない」
それが、
英雄が動く理由だった。
⸻
「だから」
レオニスは、
はっきり言う。
「私は、
制度の側に立ったまま
動く」
それは、
逃げではない。
⸻
「ノーリトリート」
名を呼ぶ。
「君たちが
制度に入るなら」
「私は、
剣を抜かない」
⸻
「だが」
一拍。
「入らないなら」
「私は、
英雄として
ここを終わらせる」
宣告だった。
⸻
ミリアが、
歯を噛みしめる。
「……脅し?」
「違う」
即答。
「責任の所在を
はっきりさせているだけだ」
⸻
リュカが、
低く言う。
「制度に入れば、
救える人数は増える」
「でも」
「誰を切るか、
記録に残る」
視線を、
レインに向ける。
「……君が、
それを写す」
⸻
レインは、
黙っていた。
昨夜、
写してしまったものが
頭の奥で重なる。
英雄の決断も、
裁定者の沈黙も。
⸻
「……レオニス」
レインが、
静かに口を開く。
「制度に入って」
「もし」
「全員が
後悔する判断を
下すことになったら」
⸻
「その時は」
レオニスは、
迷わず答えた。
「私も
同じ後悔を引き受ける」
それが、
英雄の覚悟だった。
⸻
その言葉で、
逃げ道は消えた。
制度の外でも、
中でも。
誰か一人が
背負う構図は
もう存在しない。
⸻
ミリアは、
ゆっくりと息を吐く。
「……ほんとに」
「面倒な人ばっかり」
だが、
目は逸らさない。
⸻
「……レイン」
彼女は、
真っ直ぐ言った。
「私、
選ぶの嫌い」
「でも」
一拍。
「誰か一人に
押しつける方が
もっと嫌」
⸻
エルドが、
盾を前に出す。
「なら」
「前には、
俺が立つ」
「切る判断の前に」
「必ず、
俺を通せ」
⸻
リュカが、
苦笑する。
「……全員で
地獄を見る準備は
できた、って感じだね」
⸻
レインは、
全員を見渡す。
英雄も、
仲間も。
全員が、
同じ地点に立っている。
⸻
「……分かった」
静かな声。
「全員で、
一つの後悔を
引き受けよう」
⸻
その瞬間。
帝国の鐘が、
鳴った。
再編開始まで、
残り時間はわずか。
ここから先は、
戻れない。
再編区域に、
静かな緊張が満ちていた。
兵は動かない。
鋼律隊も待機したまま。
制度は、
最終判断だけを待っている。
⸻
「……決断の時間だ」
レオニス=アウグストが、
はっきりと言った。
「ノーリトリート」
「制度に入るか」
「それとも、
ここで離れるか」
⸻
視線が、
自然とレインに集まる。
だが、
彼はすぐに答えなかった。
⸻
(……コピーすれば)
頭の奥で、
可能性が並ぶ。
誰が切られるか。
誰が救われるか。
どの判断が
最も効率的か。
全部、
見えてしまう。
⸻
(でも)
同時に分かる。
それをやった瞬間、
後悔はレイン一人のものになる。
⸻
「……使わない」
レインは、
静かに言った。
それは、
逃げではない。
⸻
「今回は」
「コピーを、
使わない」
⸻
ミリアが、
一瞬だけ目を見開く。
「……いいの?」
「うん」
レインは頷く。
「これは」
「一人で
理解していい場面じゃない」
⸻
リュカが、
深く息を吸う。
「じゃあ」
「情報は不完全」
「判断は、
全員の主観になる」
⸻
「それでいい」
エルドが、
即座に言う。
「完全な判断より」
「全員で引き受ける判断の方が
価値がある」
⸻
レオニスは、
そのやり取りを
黙って聞いていた。
やがて、
一つだけ問いを投げる。
⸻
「……制度に入るということは」
「救えない者を
公式に認めることになる」
「それでも、
前に進む覚悟はあるか」
⸻
ノーリトリートの四人は、
互いに視線を交わす。
確認は、
一瞬で終わった。
⸻
「ある」
ミリアが言う。
「切る側に立つなら」
「切られた人の顔を
忘れない」
⸻
「記録は、
俺が持つ」
リュカが続ける。
「都合よく
整理させない」
⸻
「盾は、
前に出す」
エルドが言う。
「制度が
迷わないように」
「でも」
「人を、
数字にしないために」
⸻
最後に、
レインが口を開く。
⸻
「……僕は」
「正解を
置かない」
「最適解も、
示さない」
「ただ」
一拍。
「全員で選んだ後悔を
忘れないように
理解し続ける」
⸻
その言葉で、
答えは揃った。
⸻
「ノーリトリートは」
レインが、
はっきり告げる。
「制度に入る」
「ただし」
「選択の責任は」
「四人で、
等分じゃない」
⸻
「同じ重さで
引き受ける」
⸻
レオニスは、
目を閉じる。
そして、
静かに頷いた。
⸻
「了解した」
「英雄として」
「私は、
その判断を守る」
⸻
鐘が、
再び鳴る。
再編開始。
制度は動き出した。
⸻
だが――
その中心には、
もう一つの異物がある。
正義でもなく、
裁定でもなく。
後悔を共有する集団。
⸻
レインは、
歩き出しながら思う。
これでいい。
軽くはならない。
楽にもならない。
それでも――
⸻
一人で背負うより、
ずっとましだ。




