星読みの婆は、写し取る前を見ている
帝国の裏通りは、
地図から意図的に削られている。
通れないわけじゃない。
ただ――
通る理由が記録されない。
制度の隙間に沈殿した場所。
そこに、
一軒だけ残っている建物があった。
⸻
「……本当に、ここ?」
ミリアが、
壁の歪みを見上げながら言う。
看板はない。
扉は古い。
だが、鍵だけは異様に新しい。
「間違いありません」
鋼律隊のセレナが答える。
「帝国非公式魔導顧問。
半公認・半放置」
「バルドゥ=ネブラ」
その名を出した瞬間、
同行していた兵士が
一斉に視線を逸らした。
⸻
「忠告します」
セレナは、
淡々と続ける。
「彼女の前では、
才能を隠さないでください」
「隠そうとすると、
余計に高くつきます」
「……それ、
最初に言うこと?」
ミリアが小声で突っ込む。
⸻
扉に手をかけた瞬間、
中から声が飛んできた。
「立ち話は嫌いだよ」
「入りな」
鍵が、
ひとりでに外れた。
⸻
室内は、
思ったより狭い。
だが、
物が多い。
魔導書、記録板、
未整理の契約書、
そして――値札。
「……値札?」
リュカが、
思わず呟く。
⸻
「見ての通りさ」
奥から現れたのは、
小柄な老婆だった。
背は低い。
皺は深い。
だが、
目だけが異様に澄んでいる。
「才能は商品」
「例外はない」
⸻
視線が、
全員をなぞる。
英雄レオニスの前で
一瞬止まり、
すぐに興味を失う。
「完成品」
短い評価。
そして――
最後にレインを見る。
⸻
「……あら」
声色が変わった。
「コピー?」
レインが、
一瞬だけ間を置く。
「……はい」
いつも通りの答え。
⸻
次の瞬間。
「違うね」
即断。
空気が、
一段落ちた。
⸻
「コピーは“結果”を写す」
バルドゥは、
レインから目を離さない。
「でもあんた」
一歩近づく。
「使った後まで
写し取ってる」
レインの背中に、
冷たいものが走る。
⸻
「……どういう意味だ」
レオニスが、
低い声で問う。
英雄の圧。
だが、バルドゥは
一切動じない。
⸻
「能力を使った後の」
「疲労、後悔、
判断の重さ」
「全部、
同時に背負ってる」
鼻で笑う。
「だから壊れない」
「だから開花しない」
⸻
「……未完成、
ということか」
レオニスが言う。
「ええ」
即答。
「未開花」
「使えてるのが、
一番厄介なタイプだ」
⸻
レインは、
何も言えなかった。
否定できない。
今まで、
コピーした技の後に
残っていた違和感。
それが、
“写っていた”のだと
今になって理解する。
⸻
「……開花させてやろうか」
バルドゥは、
まるで買い物を勧めるように言った。
「一瞬だけ」
「完成形を、
見せてあげる」
⸻
ミリアが、
反射的に口を開く。
「そんな簡単に――」
「簡単さ」
バルドゥは、
笑った。
「その代わり」
一拍。
「高いよ」
⸻
レインは、
小さく息を吐いた。
「……また修行ですか」
「ジル爺みたいな――」
⸻
「あんなスケベ詐欺ジジイと
一緒にするんじゃないよ」
即座に、
怒鳴られた。
⸻
「私はね」
バルドゥは、
指を鳴らす。
「請求書を
誤魔化さない」
⸻
その音を合図に、
世界が――
一瞬だけ、
軋んだ。
「動くんじゃないよ」
バルドゥ=ネブラは、
床を杖で一度だけ叩いた。
その音は、
魔法でも術式でもない。
だが――
場の前提が固定された。
⸻
「《一瞬開花》」
淡々と告げる。
「安全装置を、
外すよ」
⸻
「……待って」
ミリアが、
即座に前へ出る。
「それ、
身体に悪いやつでしょ」
「悪くない才能なんて、
存在しないよ」
即答。
「悪さの度合いを、
選んでるだけさ」
⸻
レインは、
動かなかった。
逃げない。
だが――
覚悟は、まだ固めていない。
それでも、
バルドゥは構わず続ける。
⸻
「いいかい」
「今までのあんたのコピーは」
「技を写して」
「発動をなぞって」
「結果だけを
“使ったことにしてた”」
一歩近づく。
「でもね」
「本物は違う」
⸻
杖の先が、
レインの額に触れた。
⸻
――瞬間。
視界が、
裂けた。
⸻
力が流れ込む。
いや、
力ではない。
体験だ。
⸻
誰かの奥義を
初めて使った日の恐怖。
失敗した夜の後悔。
守れなかったものの重さ。
それらが、
区別なく押し寄せる。
⸻
「……っ」
膝が、
崩れ落ちる。
だが、
倒れない。
エルドが、
後ろから支えた。
⸻
「見るんじゃない」
バルドゥの声が、
遠くで響く。
「写すんだ」
⸻
世界が、
情報になる。
技の構造。
魔力の流れ。
発動条件。
制約。
失敗例。
それだけじゃない。
その力を
使い続けた理由。
⸻
英雄が剣を振る理由。
裁定者が切る理由。
守れなかった夜の言い訳。
すべてが、
一つの束になって
流れ込んでくる。
⸻
「……これが」
レインの喉から、
かすれた声が漏れる。
「コピー……?」
⸻
「そうさ」
バルドゥは、
淡々と告げる。
「《完全模写理解》」
「力だけじゃない」
「使うに至った人生まで
写し取る」
⸻
「止めろ!」
ミリアが、
叫ぶ。
「それ、
人がやることじゃない!」
「だから高い」
即答。
⸻
レオニス=アウグストは、
その光景を
言葉を失って見ていた。
これは、
英雄の力ではない。
裁定でもない。
役割そのものを
奪い取る力。
⸻
「……これを」
レオニスが、
低く呟く。
「制御できるのか?」
「できないよ」
バルドゥは、
あっさり答える。
「だから」
「完成じゃない」
⸻
次の瞬間。
杖が、
床を叩く。
⸻
「はい、
終了」
⸻
世界が、
元に戻る。
レインは、
その場に崩れ落ちた。
呼吸が荒い。
視界が、
まだ揺れている。
⸻
「……今」
息を整えながら、
呟く。
「全部……」
「見たね」
バルドゥは、
満足そうに頷いた。
⸻
「覚えときな」
「これは“力”じゃない」
「重さだ」
「背負えるかどうかで、
あんたの未来は決まる」
⸻
床に、
一枚の紙が落ちる。
請求書だ。
金額を見て、
ミリアが絶句する。
⸻
「……ぼったくり」
「命より安い」
また即答。
⸻
レインは、
震える手で
その紙を掴んだ。
顔を上げる。
「……払います」
⸻
バルドゥは、
にやりと笑った。
「いい目だ」
「でも覚えときな」
一拍。
「使えば使うほど、
居場所は減る」
「帝国でも」
「外でも」
⸻
沈黙が、
部屋を満たす。
全員が理解していた。
今の一瞬で――
レインは
“戻れない景色”を
見てしまった。
しばらくの間、
レインは動けなかった。
意識はある。
視界も戻っている。
だが――
自分が自分である感覚だけが、
はっきりしない。
⸻
「……レイン」
ミリアの声。
近い。
触れそうで、
触れない距離。
⸻
「大丈夫?」
問いは、
優しい。
だが、
答えに困る種類のものだった。
⸻
「……分からない」
正直に言う。
「痛くはない」
「苦しくもない」
一拍。
「重いだけだ」
⸻
頭の奥に、
まだ残っている。
誰かが剣を振った理由。
誰かが人を切った夜。
誰かが選ばなかった結果。
それらが、
整理されないまま
沈殿している。
⸻
「……これが」
リュカが、
低い声で言う。
「コピーの完成形?」
「完成じゃない」
バルドゥ=ネブラが、
即座に訂正する。
⸻
「これは」
老婆は、
レインを見下ろす。
「“完成したらどうなるか”を
一瞬見ただけ」
「使い続けたら、
どう壊れるかも含めてね」
⸻
「……壊れる?」
ミリアの声が、
わずかに強まる。
「ええ」
即答。
「間違いなく」
⸻
エルドが、
静かに口を開く。
「……それでも」
「使えば、
救えるものは増える」
盾を背負ったまま、
まっすぐに言う。
⸻
「そうだね」
バルドゥは、
笑った。
「だから英雄は
それを欲しがる」
⸻
その言葉に、
全員の視線が
レオニス=アウグストへ向く。
帝国英雄は、
沈黙していた。
だが――
視線は、
はっきりとレインを見ている。
⸻
「……この力が」
レオニスが、
ゆっくりと口を開く。
「制度の中で
使われた場合」
「帝国は、
より正しくなる」
一拍。
「だが」
「正しさを
選べなくなる」
⸻
それは、
英雄としての結論だった。
この力は、
便利すぎる。
だからこそ、
危険だ。
⸻
「……レイン」
ミリアが、
声を落とす。
「これ」
「一人で
背負うつもり?」
⸻
レインは、
しばらく黙っていた。
頭の中に、
無数の“誰か”がいる。
その全員が、
同じ問いを投げてくる。
⸻
「……無理だ」
はっきり言う。
「一人じゃ」
「多分、
どこかで
自分を正当化する」
⸻
ミリアの表情が、
わずかに緩む。
エルドが、
短く頷く。
⸻
「だから」
レインは、
続ける。
「次に動く時は、
全員で決めたい」
「全員で、
同じ後悔を引き受ける」
⸻
バルドゥは、
その言葉を聞いて
満足そうに笑った。
「いいね」
「やっと
値段分の顔になった」
⸻
請求書を、
ひらりと振る。
「支払いは、
忘れるんじゃないよ」
「金も」
「覚悟も」
⸻
扉が開く。
外は、
変わらない帝国の街。
制度は動き、
正義は稼働し続けている。
だが――
ノーリトリートだけは、
一段違う場所へ
足を踏み入れた。
⸻
レオニスは、
最後に一言だけ言った。
「……次は」
「英雄として、
動かざるを得ない」
⸻
それは、
宣言ではない。
予告だ。
⸻
レインは、
深く息を吸う。
まだ、
何も決めていない。
だが、
一つだけ確かなことがある。
⸻
次の選択は、
もう“見ているだけ”では
済まない。




