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雑魚モンスターしかコピーできないハズレスキルとして追放された俺、 魔導書を読んだら“世界の前提”が見えるようになった  作者: Y.K
第26章 帝国編

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正義は、慣れを要求する

 同じ光景は、

二度目から“事件”ではなくなる。


 帝国に滞在して三日目。

 市場の通路。

 兵士の配置。

 掲示板の告知。


 すべて、

前と同じだった。



 違っていたのは、

ノーリトリートの側だけだ。


「……まただ」


 ミリアが、

小さく呟く。


 今度は、

年配の女だった。


 配給証の不備。

 番号の記載漏れ。


 理由は、

前回よりも些細だ。



「更新申請は、

 可能でしたか?」


 兵士の声は、

相変わらず丁寧だった。


「……文字が、

 小さくて」


 女は、

視線を落とす。


「老眼で……」


 それも、

帝国ではよくある話だ。



「情状は確認します」


 事務官が告げる。


 端末が光る。


「短期労務補填、

 十五日」


「居住区制限は、

 なし」


「問題ありません」


 完璧な処理。



 ミリアの指が、

わずかに動く。


 エルドは、

それを見て

一歩前に出かけ――止まる。


 レインは、

何も言わない。



「……前より、

 軽いね」


 リュカが、

低い声で言う。


「処分が」


「うん」


 レインが頷く。


「改善されてる」


 制度は、

学習している。


 だから、

否定しづらくなる。



 女は、

連れて行かれる前に

一度だけ振り返った。


 ノーリトリートを見る。


 前回の男とは、

違う。


 この視線には、

期待が混じっていた。



「……見られてる」


 ミリアが、

息を詰める。


「助けて、

 って顔じゃない」


「でも」


 一拍。


「何かしてくれるって、

 思ってる」


 それが、

決定的だった。



 鋼律隊が、

遠巻きに立っている。


 カイル=ヴァンロックは、

介入しない。


 必要がないからだ。


 すべて、

規定通り。



「……次は」


 リュカが、

静かに言う。


「“何もしなかった人たち”として

 覚えられるね」


 それは、

非難ではない。


 事実予測だ。



 レインは、

女の背中が

角を曲がって消えるのを見届ける。


(……慣れ始めている)


 帝国の正義に、

市民が。


 そして――

自分たちも。



「……嫌だな」


 ミリアが、

はっきり言った。


「慣れるの」


 エルドが、

短く答える。


「……俺もだ」


 だが、

それでも前に出ない。



 掲示板に、

新しい紙が貼られる。


住民各位

規定違反への対応は

適正に処理されています

ご安心ください


 安心。


 その言葉が、

一番重かった。



 レインは、

小さく息を吐く。


「……これは、

 まだ壊れてない」


「でも」


 声を低くする。


「“壊れなくなる方向”に

 進んでる」


 それが、

最も危険な兆候だった。



 ノーリトリートは、

まだ動かない。


 だが、

“見ているだけの存在”として

確実に認識され始めている。


 それは、

介入よりも

重い意味を持ち始めていた


 声をかけられたのは、

宿の裏手だった。


 昼と夜の境目。

 人通りが減り、

制度の視線が少しだけ薄くなる時間帯。


「……あの」


 振り返ると、

若い女が立っていた。


 帝国の服装。

 控えめで、清潔。


 市民だ。



「ノーリトリート、

 ……さん、ですよね」


 名前ではなく、

呼称。


 それが、

すでに距離を物語っている。


「そうです」


 レインが答える。


 女は、

一瞬だけ安堵した顔をした。



「お願いが、

 あるんです」


 声は、

小さい。


 だが、

迷いはない。


「正式な手続きは、

 もう通しました」


「でも」


 一拍。


「……それでも、

 間に合わなくて」



 ミリアが、

一歩前に出る。


「なにが?」


 女は、

唇を噛む。


「弟が、

 労務補填に回されました」


「違反は、

 確かにあります」


「でも、

 今月だけは……」


 理由は、

聞き慣れたものだ。


 病気。

 仕事。

 家族。


 帝国では、

すべて“考慮済み”の項目。



「……それで」


 レインが、

静かに聞く。


「僕たちに、

 何をしてほしい?」


 女は、

一瞬ためらう。


 それから、

はっきりと言った。


「……何か」


 具体性のない言葉。


 それが、

一番重い。



 沈黙。


 エルドが、

息を詰める。


 リュカは、

何も書けない。


 ミリアの指が、

震えた。



「……ごめん」


 レインは、

すぐに言った。


「それは、

 できない」


 即断。


 だが、

冷たくはない。



「帝国の制度は、

 今、壊れていない」


「僕たちが

 そこに手を入れたら」


 一拍。


「君が、

 次に頼れる場所を

 全部壊す」


 それは、

残酷なほど誠実な理由だった。



 女は、

しばらく何も言わなかった。


 そして、

小さく頭を下げる。


「……分かりました」


 理解ではない。


 受容だ。



「それでも」


 顔を上げて、

一言だけ言う。


「……見てくれて、

 ありがとうございました」


 それが、

最後の一線だった。



 女が去った後、

ミリアが声を絞り出す。


「……ねえ」


「今の、

 断らなきゃダメだった?」


 責めではない。


 確認だ。



「うん」


 レインは、

迷わず答える。


「断らないと、

 “僕たちが正義になる”」


 それは、

一番やってはいけないことだった。



「でもさ」


 ミリアは、

視線を落とす。


「正義の外側に、

 期待が生まれちゃった」


 それが、

事実だった。



 リュカが、

小さく呟く。


「……次は」


「断ったことを、

 責められる」


 エルドが、

頷く。


「それでも、

 前に立つしかない」


 盾を背負い直す。



 レインは、

空を見上げた。


 帝国の空は、

澄んでいる。


 正義が、

曇りを許さないからだ。


(……始まったな)


 帝国編の、

本当の意味での始まり。


 正義の外側に立つ存在は、

いつか必ず――

選択を求められる。


 噂は、

事件よりも静かに広がる。


 掲示板には載らない。

 報告書にも残らない。


 だが、

確実に人から人へ渡る。



「……聞いた?」


「外から来た連中」


「正義じゃないのに、

 話を聞いてくれるらしい」


「助けてはくれないけど」


 市場の片隅。

 水場の近く。

 宿の裏手。


 どこでも、

同じ言い方だった。



 鋼律隊は、

それを把握していた。


 把握しているが、

動いていない。


 理由は単純だ。


 違法ではない。



「……想定より早いな」


 カイル=ヴァンロックは、

報告を読みながら言った。


「“何もしない存在”が

 目立ち始めている」


 セレナ=リィスが、

端末を閉じる。


「期待が集まるのは、

 制度の隙間です」


「そして」


 一拍。


「隙間は、

 放置すると

 摩擦になる」



「排除理由は?」


「ない」


 即答。


「だからこそ、

 問題になる前に

 整理すべきです」


 それは、

帝国的な判断だった。



 一方。


 ノーリトリートの拠点代わりの宿では、

空気が微妙に変わっていた。


 視線が、

増えている。


 声をかける者は、

減っている。


 だが――

期待だけが残っている。



「……居心地、

 悪くなってきたね」


 ミリアが、

低く言う。


「うん」


 リュカが頷く。


「まだ、

 何もしてないのに」


「だからだ」


 レインは、

即座に答える。


「“何もしない可能性”が、

 制度にとっては

 不安定要素になる」



 扉を叩く音がする。


 控えめだが、

ためらいのない叩き方。


 エルドが、

一歩前に出る。


 だが、

扉を開けたのはレインだった。



「帝国公認冒険者パーティ、

 《鋼律隊こうりつたい》です」


 カイルの声。


「少し、

 話をしたい」


 それは、

命令ではない。


 だが――

断れる種類の要請でもなかった。



 部屋に入った鋼律隊は、

余計なことを言わない。


 すぐ本題に入る。


「噂が出ている」


 カイルは、

率直だった。


「君たちが、

 “制度の外側”として

 市民に認識され始めている」


「現時点では、

 問題ではない」


 一拍。


「だが、

 このままでは

 問題になる」



「……どうしろと?」


 ミリアが、

苛立ちを抑えて聞く。


 セレナが答える。


「線を引いてほしい」


「相談は、

 受けない」


「期待を、

 集めない」


「もしくは」


 一拍。


「制度の中に

 入ってもらう」



 部屋の空気が、

一段階下がる。


 それは、

“選択”だった。



「……制度に入ると?」


 リュカが、

確認する。


「行動は管理される」


「判断は、

 記録される」


「断る自由は、

 減る」


 だが。


「代わりに、

 “正義として行動できる”」


 それが、

帝国の提示だった。



「……断ったら?」


 ミリアが、

低い声で聞く。


「現状維持」


 カイルは、

そう答える。


「ただし」


 一拍。


「次に起きる事案では、

 “何もしなかった理由”を

 問われる」


 それが、

警告だった。



 レインは、

静かに目を伏せる。


 選択肢は、

減っている。


 まだ、

壊れてはいない。


 だが――

もう、何も起きない未来は消えた。



 その時、

セレナが一言だけ付け加えた。


「……帝国英雄

 レオニス=アウグストも」


「この件には、

 目を向けています」


 それだけで、

十分だった。



 鋼律隊が去った後、

しばらく誰も口を開かなかった。


 ミリアが、

静かに言う。


「……次は」


「もう、

 断るだけじゃ

 済まないね」



 レインは、

ゆっくり頷いた。


「うん」


「次は」


 一拍。


「断ったことが、

 誰かを傷つける」


 それが、

次の段階だった。



 帝国の正義は、

今日も正常に稼働している。


 だが、

その正しさの隣に、

“何もしない存在”が

置かれ続けることを

世界は許さない。



 ノーリトリートは、

まだ動かない。


 だが、

盤面は完全に揃った。


 次に起きる出来事は――

もう、小事件ではない。


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