正義は、朝から稼働している
帝国の朝は、静かだった。
人の声はある。
足音も、馬のいななきも聞こえる。
それでも――
騒がしさがない。
全てが、
予定通りに動いている音だった。
⸻
大通りでは、
兵士が整列して立っている。
槍の角度。
視線の高さ。
立ち位置。
誰一人、
無駄な動きをしない。
その横を、
市民たちが通り過ぎていく。
誰も怯えていない。
誰も媚びてもいない。
それが、
この国の日常だった。
⸻
「……息苦しくない?」
ミリアが、
小声で言う。
帝国に入ってから、
まだ数時間。
だが、
空気の密度が違う。
「規則が、
見えるから」
レインは、
そう答えた。
「見える?」
「ここでは、
何をすると
どうなるかが
ほとんど決まってる」
だから、
迷わない。
だから、
揉めない。
⸻
「楽そうだね」
ミリアは、
皮肉ではなく言った。
「楽だと思う」
リュカが頷く。
「考えなくていい人にとっては」
エルドは、
何も言わず周囲を見ている。
視線は、
兵士と市民の間を
行き来していた。
⸻
広場の中央では、
掲示板に紙が貼られている。
犯罪者の指名手配。
物資配給の告知。
通行制限の理由。
全て、
理由が書いてある。
曖昧な言葉はない。
「……親切だね」
ミリアが言う。
「不満が出にくい」
リュカが続ける。
「理由があると、
納得した気になれる」
レインは、
掲示板から目を離さず言った。
「納得してるかどうかは、
関係ない」
「納得したことに、
される」
⸻
兵士が一人、
市民を呼び止める。
若い男だ。
通行証の不備。
手続き漏れ。
兵士は、
淡々と説明する。
「規定違反です」
「こちらで手続きを」
声は、
穏やかだ。
怒りも、
威圧もない。
男は、
小さく頭を下げる。
抵抗はない。
⸻
「……誰も悪くならないね」
ミリアが、
ぽつりと言う。
「悪くなる必要がない」
レインは、
静かに答える。
「ここでは、
正義が
人の代わりに動く」
だから、
誰かが憎まれ役を
引き受ける必要がない。
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四人は、
宿へ向かう。
受付は簡潔。
料金は明確。
規約は壁に貼られている。
例外はない。
特別扱いもない。
「……歓迎されてないけど」
ミリアが、
鍵を受け取りながら言う。
「拒否もされてない」
「それが、
一番帝国らしい」
リュカは、
そうまとめた。
⸻
部屋に入る前、
レインは一度だけ振り返る。
通り。
兵士。
市民。
全てが、
正常に機能している。
(……だからこそ)
ここでは、
選ばない存在が
浮き上がる。
正義が制度として完成している場所では、
判断しないという選択は
欠陥に見える。
⸻
「……レイン」
ミリアが、
小さく声をかける。
「ここ、
嫌い?」
レインは、
少し考えた。
「……嫌いじゃない」
一拍。
「怖いだけだ」
それが、
正直な答えだった。
⸻
帝国の正義は、
朝から稼働している。
休まない。
迷わない。
そして――
後悔もしない。
その中に、
後悔を引き受ける存在が
足を踏み入れた時、
何が起きるのか。
それは、
まだ誰も知らない。
宿の一階は、静かだった。
酒場にありがちな喧騒はない。
客はいるが、声量が一定に保たれている。
誰も注意していない。
それでも、
自然とそうなっている。
⸻
「……来るね」
ミリアが、
入口の方を見て言う。
足音が四つ。
迷いのない歩き方。
扉が開き、
四人が入ってくる。
装備は統一されていない。
だが、
規格が揃っている。
⸻
「帝国公認冒険者パーティ」
先頭の男が、
淡々と名乗る。
「《鋼律隊》」
「隊長の、
カイル=ヴァンロックだ」
視線が、
一瞬だけ全員をなぞる。
脅しでも、
値踏みでもない。
確認だった。
⸻
「ノーリトリートだ」
レインが答える。
それ以上、
付け足さない。
「……聞いている」
カイルは、
小さく頷く。
「帝国外から来た、
非裁定パーティ」
「行動実績あり。
違法記録なし」
一拍。
「だから、
問題はない」
それは、
歓迎ではなかった。
⸻
「一応、
確認する」
副隊長らしき女――
セレナ=リィスが口を開く。
「帝国内では、
独自行動は許可制だ」
「緊急事案への介入は、
通報義務が発生する」
淡々と、
条件が並ぶ。
⸻
「……拒否権は?」
リュカが問う。
「ある」
セレナは即答する。
「拒否した場合は、
入国目的の再申告を求める」
「再申告を拒否した場合は?」
「滞在許可が下りない」
感情はない。
だが、
明確だ。
⸻
「分かりやすいね」
ミリアが言う。
「安心する人、
多そう」
「実際、
多い」
セレナは、
少しだけ口角を上げた。
「安心は、
管理しやすい」
⸻
ドラン=ハルバードが、
ミリアを一瞥する。
「……感情で動くな」
それは忠告だ。
「ここでは、
余計な摩擦になる」
ミリアは、
即座に返さない。
レインが、
代わりに言った。
「摩擦を起こすつもりはない」
「ただ、
判断もしない」
カイルの眉が、
わずかに動く。
⸻
「……それが、
一番厄介だ」
率直な評価。
「帝国では、
判断しない者は
想定外になる」
「想定外は、
危険因子になりやすい」
だが。
「現時点では、
排除理由がない」
それが、
全てだった。
⸻
「お願いが一つある」
セレナが、
レインを見る。
「帝国英雄――
レオニス=アウグストと
面会してほしい」
一瞬、
空気が変わる。
⸻
「拒否は?」
リュカが聞く。
「可能」
再び即答。
「だが、
その場合は
鋼律隊が常時随行する」
「監視?」
「保護だ」
言い切り。
⸻
レインは、
少し考えた。
帝国は、
正しい。
だからこそ、
断る理由が薄い。
「……分かった」
短く答える。
「面会する」
ミリアが、
横目で見る。
「大丈夫?」
「危険じゃない」
一拍。
「危険が、
はっきりしているだけだ」
⸻
カイルは、
それを聞いて頷いた。
「合理的だ」
「なら、
手続きを進める」
彼らは、
それ以上踏み込まない。
握手もない。
敵意もない。
ただ、
正しく処理した。
⸻
鋼律隊が去った後、
ミリアが小さく息を吐く。
「……ねえ」
「私たち、
嫌われてる?」
リュカが答える。
「いいや」
「分類されてる」
それは、
もっと厄介だった。
⸻
レインは、
扉の向こうを見る。
(……次は、英雄か)
正義を
人の顔で体現する存在。
制度の頂点。
そこで、
選ばない存在は
どう見えるのか。
⸻
帝国は、
まだ何もしていない。
だが、
盤面は静かに揃い始めている。
帝国英雄レオニス=アウグストとの面会は、
「会談」というより確認に近かった。
場所は、
帝国庁舎内の簡素な応接室。
豪奢さはない。
威圧もない。
ただ、
整いすぎている。
⸻
レオニスは、
先に席についていた。
鎧は着けていない。
剣も、立てかけてある。
だが、
存在感だけは隠れていなかった。
「遠路、ご苦労」
低く、落ち着いた声。
それだけで、
場の空気が定まる。
⸻
「帝国英雄、
レオニス=アウグストだ」
名乗りは形式的。
「君たちが、
ノーリトリートだな」
レインが、
一歩前に出る。
「そうです」
余計な言葉はない。
⸻
「鋼律隊から、
報告は受けている」
レオニスは、
淡々と続ける。
「裁定を行わず、
それでも戦場に立つ」
「結果に関与しながら、
判断を放棄する存在」
一拍。
「……正直に言おう」
視線が、
レインに向く。
「帝国にとって、
最も扱いづらい」
ミリアが、
一瞬だけ身構える。
だが、
続く言葉は予想と違った。
⸻
「だが」
レオニスは、
言葉を重ねる。
「危険とは、
判断していない」
「理由は単純だ」
机に手を置く。
「君たちは、
制度を壊していない」
それが、
帝国での最大評価だった。
⸻
「帝国は」
レオニスは、
ゆっくり言う。
「迷いを許さない」
「だが、
迷いを持つ者を
排除もしない」
「迷いを、
制度に委ねる」
それが、
この国の正義。
⸻
「君は」
再び、
レインを見る。
「迷いを、
自分で引き受ける」
「それは、
帝国のやり方ではない」
一拍。
「だが、
否定はしない」
それが、
最大限の譲歩だった。
⸻
「……質問があります」
リュカが、
静かに口を開く。
「もし、
帝国の正義が
誰かを確実に切る場面で」
「それでも、
迷い続ける者がいたら」
言葉を選ぶ。
「英雄は、
どうしますか?」
⸻
レオニスは、
即答した。
「切る」
迷いはない。
「それが、
英雄の役割だ」
それ以上でも、
それ以下でもない。
⸻
「……後悔は?」
今度は、
ミリアが問う。
レオニスは、
彼女を見る。
「制度に預ける」
「個人が抱えれば、
判断が歪む」
「だから、
英雄は壊れない」
それが、
彼の強さだった。
⸻
沈黙が落ちる。
誰も、
間違っていない。
だからこそ、
埋まらない。
⸻
「君たちは」
レオニスは、
最後に言う。
「帝国で、
英雄にはなれない」
断言。
「だが」
一拍。
「異物として、
ここに立つことは許可する」
それは、
追放でも保護でもない。
ただの、
事実通知。
⸻
面会は、
それで終わった。
握手も、
別れの言葉もない。
レオニスは、
剣を取り、立ち去る。
背筋は、
最後まで真っ直ぐだった。
⸻
応接室を出た後、
ミリアが小さく息を吐く。
「……すごい人だね」
「正しい」
エルドが、
短く言う。
「だから、
怖い」
リュカが、
そう続けた。
⸻
レインは、
何も言わなかった。
ただ、
一つだけ理解した。
(……この国では)
(僕たちは、
最後まで
“選ばない存在”だ)
歓迎されない。
拒絶もされない。
だからこそ、
逃げ場がない。
⸻
帝国編は、
ここから始まる。
正義が制度として完成している国で、
判断を拒む存在が
どこまで立ち続けられるのか。
その答えは、
まだ先だ。




