同じ場所に立って、同じ結論には至らなかった
ノーリトリートの拠点は、
久しぶりに完全な静寂に包まれていた。
誰も倒れていない。
誰も欠けていない。
それなのに――
戦闘前よりも、空気は重かった。
ミリアは、壁にもたれかかったまま、
自分の手を見つめていた。
震えてはいない。
傷も、もう塞がっている。
それでも、
感触だけが残っている。
(……私、あの時)
思い出すのは、
ヴァルグリム=ゼインが消える直前の光景。
倒した。
確かに、倒した。
けれど――
納得したわけじゃない。
「……ミリア」
レインの声が、
少し遅れて届く。
いつもより、低い。
「大丈夫?」
問いは短い。
いつも通りのはずだった。
ミリアは、
一瞬だけ迷ってから答える。
「……大丈夫、ではある」
でも、と続ける。
「平気じゃない」
それが、
今回の戦いを一番正確に表していた。
⸻
テーブルを挟んで、
リュカが資料を整理している。
報告書。
戦況ログ。
世界機関向けの提出用要約。
指は動いているが、
視線は、どこか遠い。
「……被害は、最小限」
淡々と読み上げる。
「英雄の初動が早かった。
蒼衡の介入も適切だった」
「ノーリトリートの合流によって、
最終局面は崩壊を免れた」
一拍。
「……以上が、“公式に書ける部分”」
エルドが、
静かに息を吐く。
「じゃあ、
書けない部分は?」
リュカは、
言葉を選ばなかった。
「勝った理由が、説明できない」
それは、
致命的な違和感だった。
⸻
エルドは、
盾を膝に置いたまま動かない。
いつもなら、
一番先に「引き受ける」役だ。
だが今回は、
その役割が途中で終わった。
「……俺は」
低い声。
「最後、
受け止めなかった」
それは、
告白だった。
「受け止める前に、
“成立しなくなった”」
盾越しに防ぐべき衝撃が、
存在しなかった。
「……それでいいのか?」
誰にともなく、
問いを落とす。
答えは、
返らない。
⸻
レインは、
全員を見渡していた。
誰も間違っていない。
誰も逃げていない。
それでも――
全員、同じ場所には立っていない。
(……当然か)
そう理解する。
あの戦いは、
正解を共有するものじゃなかった。
後悔を、
それぞれが別の形で引き受ける戦いだった。
「……僕は」
レインが、
静かに口を開く。
「ヴァルグリムを、
倒したとは思ってない」
ミリアが顔を上げる。
「……え?」
「役割が、
終わっただけだ」
言葉は冷静だが、
突き放してはいない。
「だから、
すっきりしないのは正しい」
リュカが、
苦笑する。
「救いがないな」
「救済じゃないから」
即答。
⸻
ミリアは、
一歩前に出る。
「……ねえ、レイン」
真っ直ぐ、
彼を見る。
「次も、
同じことをする?」
その問いは、
覚悟を含んでいた。
レインは、
すぐには答えない。
少しだけ考え、
そして言う。
「……同じかどうかは、分からない」
一拍。
「でも」
視線を逸らさない。
「選ばないことだけは、
変えない」
それを聞いて、
ミリアは小さく笑った。
「そっか」
納得ではない。
受容だ。
⸻
その時、
扉の外から足音がした。
重く、
迷いのない歩き方。
英雄――
ヴァルハルト=レオンが、
拠点の前に立っていた。
扉は、
まだ開かれない。
だが、
次は必ず向き合う。
その予感だけが、
確かにあった。
扉を開けたのは、レインだった。
英雄・ヴァルハルト=レオンは、
剣を帯びたまま立っていた。
だが、その柄に手をかける気配はない。
「……時間をもらえるか」
声音は、
戦場のそれではなかった。
「断る理由はない」
レインは一歩退き、
中へ招き入れる。
ノーリトリートの面々は、
自然と円を作る形になった。
対峙ではない。
だが、並びでもない。
⸻
「まず言っておく」
ヴァルハルトは、
誰か一人を見ることなく話す。
「今回の件、
英雄としては“失敗”だ」
ミリアが、
小さく目を見開く。
「守れた命は多い。
被害も抑えた」
一拍。
「だが、
終わらせられなかった」
それが、
彼の結論だった。
⸻
「……終わらせた、
とは言えないですね」
リュカが、
静かに応じる。
「でも、
倒しました」
「倒した、か」
ヴァルハルトは、
その言葉を噛みしめる。
「確かに、
ヴァルグリム=ゼインは消えた」
「だが――
世界は軽くなっていない」
英雄の目は、
はっきりと疲れていた。
「重さが、
分散しただけだ」
⸻
エルドが、
低い声で言う。
「それは、
悪いことか?」
問いは、
責めではない。
ヴァルハルトは、
少しだけ考えてから答える。
「……分からない」
即答しなかったことが、
彼の誠実さだった。
「だが、
英雄は“分からない”まま
剣を振るえない」
それが、
彼の立場。
⸻
ミリアが、
一歩前に出る。
「じゃあ……」
言葉を選びながら。
「もし、
また同じことが起きたら?」
「次も、
剣を抜く?」
ヴァルハルトは、
迷わず答えた。
「抜く」
即答。
「英雄だからだ」
その言葉に、
強さも、苦さも滲んでいた。
⸻
「……それで」
レインが、
静かに割って入る。
「後悔は、
どうする?」
英雄は、
視線を向ける。
「背負う」
「全部?」
「……全部だ」
一瞬の沈黙。
レインは、
それ以上踏み込まなかった。
「それが、
あなたの選び方なんだ」
肯定でも、
否定でもない。
⸻
「だがな」
ヴァルハルトは、
言葉を続ける。
「今回、
お前たちは剣を抜かなかった」
「それでも、
前線に立った」
一拍。
「……あれは、
英雄より危険だ」
その評価は、
予想外だった。
⸻
「英雄は、
責任の所在が明確だ」
「世界も、
それを前提に回っている」
だが――
「お前たちは違う」
視線が、
ノーリトリート全員をなぞる。
「選ばないまま、
結果に関わる」
「それは、
世界が最も嫌う存在だ」
ミリアが、
思わず口を開く。
「嫌われるから、
ダメ?」
「いいや」
ヴァルハルトは、
首を振る。
「必要だ」
その一言が、
重く落ちた。
⸻
「だが」
続く言葉は、
さらに重い。
「世界は、
必要なものを
守らない」
それが、
英雄として見てきた現実だった。
「いつか、
お前たちは
世界に“選ばされる”」
「その時、
どうする?」
レインは、
少しだけ目を伏せる。
そして、
正直に答えた。
「……分からない」
英雄は、
その答えを否定しなかった。
「そうだろうな」
「だから、
忠告に来た」
⸻
「次は、
俺が先に剣を抜く」
それは、
守るという宣言でもあり、
遮るという意味でもあった。
「それでも、
お前たちが前に出るなら」
一拍。
「……俺は、
止めない」
それが、
彼なりの尊重だった。
⸻
英雄は、
踵を返す。
扉の前で、
一度だけ立ち止まる。
「……礼は言わない」
「英雄は、
礼を言われる立場だ」
それでも、
最後に一言。
「生き残れ」
それは、
祈りに近かった。
⸻
扉が閉まる。
しばらく、
誰も口を開かなかった。
ミリアが、
ぽつりと言う。
「……優しい人だね」
リュカが、
苦笑する。
「だから、
英雄なんだろ」
⸻
レインは、
ゆっくり息を吐いた。
「……分かったことがある」
全員の視線が集まる。
「今回の件で」
一拍。
「僕たちは、
英雄の代わりには
なれない」
そして、
続ける。
「でも」
視線を上げる。
「英雄が
背負いきれないものを
見過ごす役には、
なれる」
それが、
彼の結論だった。
世界機関の会議室は、
いつも通り無機質だった。
長い卓。
均等に配置された椅子。
壁面に投影されるのは、
被害統計と因果図。
「――以上をもって、
本事案は完全収束と判断する」
淡々とした声。
誰も反論しない。
数字上は、
それが正しいからだ。
⸻
「英雄の初動は迅速。
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》の介入も適切」
「最終局面での未知要素――
《非裁定》の行動は
結果的に被害抑制に寄与」
“結果的に”。
その四文字が、
全てを物語っていた。
⸻
別の端末に、
内部評価が表示される。
非裁定パーティ《ノーリトリート》
危険度:再評価
・裁定不能
・行動予測困難
・秩序維持への寄与は確認
ただし
統制不可
「……扱いづらい」
誰かが、
小さく呟いた。
否定は出ない。
⸻
「排除対象には該当しない」
「英雄との協調も確認済み」
「蒼衡との敵対関係もなし」
一拍。
「だが――
想定外要素であることに変わりはない」
結論は、
即座にまとまった。
⸻
「監視レベルを一段階引き上げる」
「直接介入は行わない」
「だが、
次に“判断が必要な局面”が来た場合」
声が、
わずかに低くなる。
「彼らを、
盤面の中央に置く」
それは命令でも、
宣戦布告でもない。
ただの、
配置決定だった。
⸻
会議は、
それで終わる。
誰も、
ヴァルグリム=ゼインの名を
口にしなかった。
役割は、
終わった。
それ以上の評価は、
必要ない。
⸻
一方で。
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》の拠点では、
報告書が一枚、静かに破棄されていた。
「……残す必要はない」
セイン=ヴァルクスの判断だった。
「切らなかった理由は、
記録できない」
それが、
蒼衡なりの結論。
均衡は万能ではない。
だが、
均衡を捨てることもしない。
ただ、
“切れないものが存在する”と知った。
それだけで、
十分だった。
⸻
夜。
ノーリトリートの拠点には、
再び静寂が戻っていた。
誰も、
世界機関の動きを知らない。
だが、
レインは理解している。
(……次は、
もっと静かに来る)
英雄は、
剣を抜くだろう。
蒼衡は、
裁定を下そうとするだろう。
世界は、
整理して忘れる。
その中で――
自分たちは、
また“選ばない”。
⸻
「……後悔は?」
ミリアが、
ぽつりと聞く。
レインは、
少し考えてから答えた。
「増える」
即答。
「でも、
減らそうとはしない」
ミリアは、
小さく笑った。
「だよね」
⸻
世界は前に進む。
少しだけ、
慎重になりながら。
だが、
正義も秩序も、
まだ完成していない。
だから――
ノーリトリートは、
今日もそこにいる。
選ばないまま。
引き受ける準備だけを、
続けながら。




