正解が多すぎる戦場
世界が、音を失った。
正確には――
音として認識される前に、潰された。
ヴァルグリム=ゼインが一歩踏み出した瞬間、
空間そのものが「戦場である」と宣告される。
《戦域掌握》。
逃走経路は意味を失い、
連携は届く前に歪み、
判断は“間に合わなくなる”。
「来るぞ――ッ!」
英雄たちが同時に動いた。
ヴァルハルト=レオンの大剣が正面から叩き込まれる。
イリス=アークライトの光魔導が空を裂く。
ライザ=クロウデルの双短剣が死角を抉る。
完璧な連携。
誰が見ても“正解”の攻撃。
――だが。
当たったはずの斬撃が、
“倒した結果”に繋がらない。
「……減っていない?」
ライザが息を呑む。
ヴァルグリムは、その場に立ったままだった。
傷はある。
確実に、通っている。
それでも――
戦況が前に進まない。
「判断が、噛み合わない……!」
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》が介入する。
セイン=ヴァルクスが即座に指示を飛ばす。
「切り捨てろ! 危険度の高い選択肢を!」
《断定連斬(だんていれんざん/チェイン・デシジョン)》。
“不要”と判断された攻撃経路が、
連続的に排除される。
――しかし。
排除された瞬間、
別の脅威が同時に立ち上がる。
「……っ、未来が、固定できない!」
リィネ=フォルテが歯を食いしばる。
《未来収束(みらいしゅうそく/フューチャー・ロック)》を展開するが、
分岐が一つに絞れない。
選択肢が多すぎる。
正解が、ありすぎる。
「それが――この戦場だ」
ヴァルグリムは、淡々と語る。
「正解が多いほど、
人は“決められなくなる”」
次の瞬間、
《黒圧進》が発動。
空間ごと押し潰す圧が、前線を薙ぐ。
「ぐっ……!」
英雄たちが後退する。
致命傷ではない。
だが――
確実に削られている。
その時、
ノーリトリートが動いた。
レインが前に出る。
《未定義干渉(みていぎかんしょう/ノン・デシジョン)》。
因果が確定する直前に“立つ”。
攻撃は成立しない。
防御でもない。
ただ、
結果が生まれなくなる。
「……ほう」
ヴァルグリムの声が、わずかに弾む。
「それだ。
それが見たかった」
だが、彼は即座に踏み込む。
《断線斬》。
ノーリトリートの連携を、
“成立する前”に断ち切る。
「っ、判断が遅れる……!」
リュカの《戦況遅延(せんきょうちえん/ディレイ・ライン)》が展開されるが、
押し切れない。
エルドが前に立つ。
《受理静止(じゅりせいし/アクセプト・ホールド)》。
攻撃も意思も、その場に留める。
だが――
押し返せない。
「……まだだ」
ヴァルグリムは、明確に焦りを見せ始めていた。
「まだ、お前たちは揃っていない」
彼の視線が、
全員を順に見渡す。
「英雄は、勝つ覚悟がある。
蒼衡は、切る覚悟がある」
そして――
ノーリトリートを見る。
「だが、お前たちは――
後悔を引き受け切る覚悟が、まだ一致していない」
次の一撃が来る。
今までで、最も重い圧。
世界が、軋む。
それでも――
誰も、倒れなかった。
戦場は続く。
正解だらけのまま。
そして、
合体技が発動する条件だけが、静かに揃い始めていた。
戦場は、もはや「線」ではなかった。
前線も、後衛も、中心もない。
ヴァルグリム=ゼインの《戦域掌握》が、
全ての場所を“同時に戦場”へ変えていた。
「っ、散開しろ!」
英雄・ヴァルハルト=レオンの号令が飛ぶ。
即座に、正しい判断。
だが――
正しすぎた。
散開した瞬間、
個々の戦いが“独立”する。
連携が、
成立しなくなる。
⸻
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》が割れる。
ガラン=ディオルが前に出て、《断定連斬(だんていれんざん/チェイン・デシジョン)》を叩き込む。
切断。
排除。
危険因子の削除。
完璧な裁定。
だがその直後、
別地点で民衆の避難経路が潰れる。
「……っ!」
ユール=セティアが歯を噛み締める。
「配置が……ズレてる!
誰かが“全体”を見てない!」
それは、
蒼衡が最も苦手とする状況だった。
⸻
英雄側も、限界が近い。
イリスの魔力は削られ、
ライザの動きも鈍る。
「くそ……!」
ヴァルハルトは剣を振るい続ける。
守る。
叩く。
押し返す。
それでも――
終わらない。
「……正義は、疲れるな」
ヴァルグリムが、
静かに言った。
その声は、
どこか遠い。
「守っても、
切っても、
倒しても」
一拍。
「後悔は減らない」
次の瞬間、
《終幕指定》が発動。
対象は――
ノーリトリート。
⸻
「……来る!」
リュカが叫ぶ。
だが、
全員が同じ方向を向いていない。
レインは中央。
ミリアは前方。
エルドは後衛寄り。
リュカは戦況解析に集中。
――揃っていない。
ヴァルグリムは、それを逃さなかった。
《断線斬》。
ノーリトリートの“共有理解”が、
強制的に断ち切られる。
「……っ、レイン!」
ミリアの声が届かない。
初めて、
判断拒否が“遅れ”になる。
⸻
レインは、
一瞬だけ立ち止まった。
(……ここで、
決めれば)
英雄を助ける判断。
蒼衡を優先する判断。
街を切り捨てる判断。
どれも、
正しい。
どれも、
世界が望む。
だが――
「……違う」
小さく、呟く。
それは、
拒絶だった。
⸻
ミリアは、
前線で膝をついていた。
致命傷ではない。
だが、
体が重い。
(……私が、
焦ってる)
レインを信じている。
ノーリトリートを信じている。
それでも――
感情が、先に動きそうになる。
(選んでほしい……)
その願いが、
胸に浮かびかけて――
ミリアは、
歯を噛み締めた。
「……ダメだ」
自分に言い聞かせる。
「それは、
私たちじゃない」
⸻
エルドが、
全身で衝撃を受け止める。
盾が軋む。
だが、退かない。
「……まだ、
立てる」
その声は、
誰かに向けたものではない。
自分自身への確認だった。
⸻
リュカは、
戦況を投げ捨てた。
解析を止め、
全員を見る。
「……揃えろ」
短い言葉。
「判断じゃない。
結論でもない」
一拍。
「立ち位置を、揃えろ」
それだけで、
十分だった。
⸻
レインは、
全員の存在を“理解”する。
ミリアの迷い。
エルドの耐え。
リュカの決断。
それらが、
同時に存在している。
(……これだ)
初めて、
はっきりと分かった。
合体技は、
「覚悟が一致した時」に出すものじゃない。
覚悟が、
それぞれ違う形で成立した時に、
初めて成立する。
⸻
ヴァルグリムが、
それを察知する。
「……まずい」
声に、
確かな焦り。
「お前たち……
まだ、選んでいないのに」
歯を食いしばる。
「もう、揃っている」
戦場が、
一瞬だけ静止した。
合体技の“条件”が、
完全に成立する。
だが――
まだ、発動しない。
次の瞬間が、
全てを決める。
戦場が、止まった。
音も、光も、魔力の流れも――
一瞬だけ、世界が呼吸を忘れた。
それは、
ヴァルグリム=ゼインが仕掛けたものではない。
ノーリトリートの四人が、
同時に“そこに立った”だけだった。
前に出るでもなく。
退くでもなく。
何かを選ぶでもない。
ただ――
全員が同じ場所に、同じ温度で存在した。
⸻
「……なるほど」
ヴァルグリムは、初めてはっきりと笑った。
それは嘲笑ではない。
敗北を悟った者の、
納得に近い表情だった。
「それが……
《非裁定領域(ひさいていりょういき/ノー・リトリート)》か」
その言葉と同時に、
レインが一歩踏み出す。
剣は抜かない。
詠唱もしない。
ただ、《模写理解》が
静かに、しかし完全に展開される。
――理解する。
ヴァルグリムの能力。
役割。
そして、彼自身が縛られていた前提。
(……この人は)
レインは、
初めて“敵”を
個人として理解した。
⸻
ミリアが、前に出る。
血を流し、
息も荒い。
それでも、
視線は逸らさない。
「……私たちは」
震えを抑えた声。
「選ばなかった」
「でも、
逃げなかった」
それが、
合図だった。
⸻
エルドが、
盾を下ろす。
防御を解くという、
最も危険な選択。
「受け止める役は、
もう終わりだ」
彼の背後で、
リュカが静かに頷く。
「記録は要らない」
「戦況も、
評価もしない」
一拍。
「今ここにいる事実だけを、
残す」
⸻
四人の存在が、
完全に重なる。
技名はない。
詠唱もない。
だが、世界はそれを
“技”として認識した。
因果が、
接続されない。
未来が、
固定されない。
戦場という概念が、
成立しなくなる。
《戦域掌握》が、
内側から崩壊した。
⸻
「……ああ」
ヴァルグリムは、
その場に膝をつく。
傷は、
深い。
だが致命傷ではない。
それでも――
役割が、終わった。
「……やはり、
お前たちだったか」
消え始める身体で、
彼は語る。
「世界はな……
正義を必要とする」
「だが同時に、
正義を“疑わない存在”を
最も恐れる」
英雄たちが、
静かに聞いていた。
蒼衡も、
口を挟まない。
⸻
「だから私は、
“悪役”になった」
ヴァルグリムは、
自嘲気味に笑う。
「正義が暴走しないために」
「秩序が
自分を正当化しないために」
「誰かが、
最初から後悔を背負う役を
引き受けなければならなかった」
視線が、
レインに向く。
「……だが」
一拍。
「お前たちは、
それを拒んだ」
「後悔を、
個人にも制度にも
押し付けなかった」
だから――
「……私は、
不要になった」
⸻
英雄・ヴァルハルト=レオンが、
静かに言う。
「それでも、
お前のやり方は
許容できない」
ヴァルグリムは、
小さく頷いた。
「分かっている」
「だが、
止められたのは……
正義ではない」
視線が、
ノーリトリートへ戻る。
「迷い続ける覚悟だ」
⸻
蒼衡のセイン=ヴァルクスが、
短く告げる。
「均衡は、
万能ではなかった」
それは、
蒼衡としての結論だった。
「切れないものも、
確かに存在する」
⸻
ヴァルグリムの身体が、
完全に崩れ始める。
「……世界は」
最後の言葉。
「また、
正義を振るうだろう」
「だが――
お前たちがいる限り」
一拍。
「それは、
少しだけ慎重になる」
そして、
彼は消えた。
⸻
戦場に、
風が戻る。
音が、
息が、
人の営みが。
英雄は、剣を納めた。
「……勝ったとは、
言えないな」
だが、
負けてもいない。
蒼衡は、
裁定を下さなかった。
「今回、
切る対象は存在しない」
それが、
彼らの答え。
⸻
ノーリトリートは、
何も宣言しない。
レインは、
ただ一言だけ言った。
「……これからも、
選ばない」
ミリアが、
隣で頷く。
「でも、
引き受ける」
それで、
十分だった。
⸻
世界は救われたわけではない。
正義も、
完成していない。
だが――
後悔を引き受け続ける余地だけは、
確かに残った。
それが、
ノーリトリートの戦いだった。




