役割が、重すぎる
――世界が、気づき始める。
⸻
異変は、説明できない形で広がった。
戦場ではない。
災厄でもない。
敵影すらない。
ただ、
判断が遅れる。
「……決裁が降りません」
世界機関の中枢で、
報告が重なっていた。
「前例がない案件が、
急増しています」
前なら、
英雄を向かわせればいい。
危険なら、
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》が切る。
だが、
その“前提”が崩れ始めていた。
⸻
「英雄を出すべきですか?」
その問いに、
即答が返らない。
「……まだ、早い」
「切る判断は?」
「……保留だ」
誰も、間違っていない。
だが、
誰も“決められなくなっている”。
理由は一つ。
正義を振るえば、
あの男が現れる。
そして、
正義を振るった瞬間に――
彼は退く。
結果だけが残る。
⸻
英雄も、変化を感じていた。
「最近さ」
ノイン=フェルツが、
ぽつりと言う。
「俺たち、
“呼ばれてから動く”ことが
増えてないか?」
イリスが、静かに頷く。
「……以前は、
先に気づいていた」
今は違う。
世界が決めきれず、
英雄に判断を預けている。
それは、
重すぎる役割だった。
⸻
蒼衡も同じだ。
「切る理由が、
増えすぎている」
セイン=ヴァルクスは、
疲労を隠さなかった。
「だが、
切れば切るほど、
次が早くなる」
均衡を守るはずの行為が、
均衡を摩耗させている。
それに、
全員が薄々気づいていた。
⸻
一方、
ノーリトリート。
彼らは、
呼ばれない。
命令されない。
期待もされない。
だが。
「……見られてる」
ミリアが、窓の外を見る。
「最近、
視線が増えた」
レインも感じていた。
英雄でもない。
裁定者でもない。
なのに、
**“最後に見る存在”**として
意識され始めている。
「……最悪だな」
レインは、苦笑した。
「僕たち、
安全装置として
“認識”され始めてる」
それは、
ヴァルグリム=ゼインが
言っていた通りだった。
⸻
その夜。
レインは、
一人で地図を広げていた。
戦域の発生地点。
不可逆事象の位置。
全てが、
ある傾向を示している。
「……近づいてる」
中心に。
世界が、
“役割を一つに集約しようとしている”。
正義。
悪。
裁定。
非裁定。
どれも、
限界に来ている。
⸻
遠くで、
ヴァルグリム=ゼインが
同じ空を見ていた。
「……そろそろだな」
独り言。
役割は、
永遠には続かない。
正義が耐えきれなくなる前に、
悪は終わらねばならない。
だが。
「……お前らがいる限り」
ノーリトリート。
受け取らず、
選ばず、
だが見続ける存在。
「簡単には、
終われない」
それは、
彼にとっても
想定外だった。
⸻
世界は、
まだ壊れていない。
だが、
支えすぎている。
次に崩れるのは、
街でも人でもない。
“役割そのもの”だ。
――頼られることは、裁定と同じだ。
⸻
最初は、非公式な打診だった。
「……《非裁定》に、
一度、意見を聞けないだろうか」
世界機関の会議室で、
その言葉が出た瞬間、空気が止まった。
否定ではない。
肯定でもない。
ただ、
**“前例がない提案”**だった。
「意見、とは?」
事務官の問いに、
発言者は少し言葉を濁す。
「判断材料としてだ。
彼らは――その……
極端な事例を、多く見ている」
それは事実だった。
英雄でもなく。
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》でもなく。
世界機関でもない。
それでも、
最後まで現場に立ち会っている存在。
「……それは」
別の者が、低く言った。
「裁定を委ねるのと、
何が違う?」
誰も答えられなかった。
⸻
同じ頃。
英雄のもとにも、
似た空気が流れ始めていた。
「最近さ」
ノイン=フェルツが、
装備を整えながら言う。
「出動前に、
“あの人たちはどう見るか”
って聞かれた」
「……俺もだ」
ヴァルハルト=レオンは、
苦い表情で頷いた。
英雄は、
剣を振るう役割だ。
判断を委ねられる存在ではない。
だが、
世界は“答え”を欲しがっている。
⸻
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》も、同様だった。
「切るか否かの前に」
セイン=ヴァルクスは、
記録端末を閉じる。
「ノーリトリートの線を
確認しろと言われた」
「……それ、
もう基準じゃないか」
ガラン=ディオルが、
低く笑う。
冗談ではない。
切る側が、
“切らない存在”を
判断基準にし始めている。
それは、
均衡の崩れだ。
⸻
その夜。
ノーリトリートの拠点に、
正式な連絡が届いた。
文面は丁寧で、
強制力はない。
だが、
明確だった。
現在進行中の不可逆事案について
貴パーティの見解を
参考意見として共有いただけないか
「……来たね」
ミリアが、
静かに言う。
「予想より、
早かった」
リュカは、
文面を何度も読み返す。
「“裁定”とは書いてない。
でも……」
「責任は、
こっちに来る」
エルドが、
短く結論を出した。
⸻
レインは、
すぐに返事を書かなかった。
しばらく、
紙の上にペンを置いたまま、
動かない。
「……どうする?」
ミリアが、
恐る恐る聞く。
レインは、
ゆっくりと顔を上げた。
「断る」
即答だった。
「……理由は?」
「頼られた時点で、
もう“非裁定”じゃない」
その言葉は、
重かった。
「意見を出せば、
世界はそれを
“正解候補”として扱う」
「それは、
選ばせることになる」
それは、
ノーリトリートが
最初に拒んだ役割だ。
⸻
ミリアは、
少しだけ俯いた。
「……でもさ」
「うん」
「断ったら、
誰かが代わりに
選ぶんだよ」
それも事実だった。
英雄か。
蒼衡か。
世界機関か。
誰かが、
選ばなければならない。
レインは、
その言葉を否定しなかった。
「それでも」
一拍。
「僕たちは、
引き受けない」
後悔は残る。
被害も出る。
それでも、
代わりに選ぶことはしない。
「……冷たいね」
ミリアが、
小さく笑う。
「そうだ」
レインは、
否定しない。
「でも、
冷たさを引き受けるのが
僕たちだ」
⸻
返信は、
簡潔だった。
当該事案について
《非裁定》は
見解を提示しない
判断は、世界の側で行ってほしい
それだけ。
理由も、
説明も書かない。
⸻
数日後。
世界機関内部で、
はっきりした言葉が交わされる。
「……頼れない」
「頼らせない、
という意思だ」
「なら」
一人が、
重く言った。
「我々が、
全てを背負うしかない」
それは、
正義にとっても、
秩序にとっても、
最も重い結論だった。
⸻
遠くで。
ヴァルグリム=ゼインは、
その報告を聞いていた。
「……なるほど」
低い声。
「拒否したか」
想定の一つではあった。
だが、
最も厄介な分岐だ。
世界が、
自分で選ばなければならなくなる。
正義が、
前に出続けなければならなくなる。
「……なら」
彼は、
静かに結論を出した。
「終わりを、
早めるしかない」
役割は、
限界に近づいている。
次は――
誰かが壊れる。
決断は、速かった。
世界機関は、
《非裁定》の返答を受け取った翌日、
正式に方針を確定させた。
当該不可逆事案について
英雄部隊を主軸とした
強制的安定化措置を実施する
慎重な言葉を選んでいる。
だが、意味は一つだ。
選ぶ。
世界が、
自分の責任で選ぶ。
⸻
英雄は、拒めなかった。
「……行くしかない」
ヴァルハルト=レオンは、
剣を握り締める。
誰かが止めなければ、
もっと壊れる。
その判断は、
正しい。
正しすぎる。
「今回は、
退かない」
それは、
自分自身に言い聞かせる言葉だった。
⸻
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》も、
同時に動く。
「……切る」
セイン=ヴァルクスの声は、
迷いがなかった。
「被害最小を、
越えてでも」
それは、
彼らが最も避けてきた選択だ。
だが、
世界が選んだ以上、
均衡を守るためには必要だった。
⸻
戦域は、
即座に形成された。
今回は、
《戦域掌握》ではない。
より単純で、
より苛烈な形。
力で抑え込む戦場。
「……来るぞ!」
英雄が前に出る。
蒼衡が、
背後を固める。
連携は完璧だった。
だからこそ――
壊れた。
⸻
都市区画の一部が、
完全に機能を失った。
建物は残っている。
人も生きている。
だが、
元の生活には戻れない。
世界機関は、
即座にこう記録する。
安定化措置、成功
想定被害範囲内
だが、
その文面を見た英雄は、
剣を下ろしたまま動けなかった。
「……成功?」
誰に聞いたわけでもない。
⸻
ノーリトリートは、
遠くからそれを見ていた。
近づかない。
介入しない。
それが、
自分たちで選んだ答えだ。
「……私たちが、
断ったからだよね」
ミリアの声は、
震えていなかった。
それが、
一番つらかった。
「そうだ」
レインは、
はっきり答える。
「拒否した結果だ」
世界に判断を返した。
だから、
世界は判断した。
誰も、
ノーリトリートを責められない。
それが、
最も重い。
⸻
その夜。
世界機関内部で、
一つの文言が削除された。
最小被害
代わりに、
こう書かれる。
不可避損失
言葉が変わった瞬間、
世界の温度が一段下がった。
⸻
英雄は、
その報告を見つめたまま、
しばらく動かなかった。
「……次も、
俺たちが選ぶのか」
誰も答えない。
蒼衡も、
同じ沈黙を抱えていた。
「切った」
ガランが、
短く言う。
「でも……
何かが残った」
均衡ではない。
後悔だ。
⸻
遠くで。
ヴァルグリム=ゼインは、
その結果を聞いていた。
「……来たな」
低い声。
「世界が、
自分で壊した」
それは、
彼の役割が
終わりに近づいた合図だった。
「……次は」
一拍。
「もう、
引けない」
彼自身も、
その線を越えつつある。
⸻
拠点に戻ったノーリトリート。
誰も、
すぐには口を開かなかった。
正しかった。
だが、
救えなかった。
選ばなかった。
だが、
選ばせてしまった。
「……後悔、
増えたね」
ミリアが、
静かに言う。
「増えた」
レインは、
否定しない。
「でも」
一拍。
「引き受け続けるって、
決めた」
それが、
《非裁定》の
唯一の誓いだ。
正義にならない。
世界の代わりに選ばない。
それでも――
拒否した結果から、
目を逸らさない。
⸻
この夜を境に、
世界は理解した。
ノーリトリートは、
最後の答えではない。
最後まで、
答えを持たない存在だ。
そしてそれは、
正義よりも、
ずっと重い。




